神々とともに生きる詩人

一等星シリウスの導きを信じて

作家・デザイナー。Assyのリベラル文学研究所もご覧ください。

問題はない、この世界は平和だ

問題など何もない

問題はない。
この世界は平和なように見える。
人々は堕落して、愚かになっているが、
少なくないグループが、とても賢くなっている。
特に、Linuxオープンソースには問題は何もない。
わたしの見たところ、この世界は正常だ。

永遠なる哀しみを僕は愛している

永遠なる哀しみを、
僕はもはや愛しているのだ。
僕は、このようにしか生きられないのだ。
哀しみと辛さがもし永遠に続くならば、
永遠よりももっと長い時間を作って、
そこで永遠が終わるのを待とう。
なぜなら、天国では、
永遠のいのちが得られると言うではないか。

リスクがもしなければ、永遠でも構わない

もし、リスクがひとつとしてないとしたら、
永遠にこのままでも構わない。
ハイリスクな賭けをするのも、慣れてきた。
ただ、もう、恐怖は感じたくない。
失敗も後悔もないが、
ただひとつ、無事に時間が過ぎてほしい。
それだけだ。
平穏無事だけを、最後まで有限な時間で到達することを、
僕は唯一望んでいた。
その終わりがこんなにも遠くても、
それでも、生きている間に終わってよかった。

すべての言葉ですべての言葉を分かること

すべての言葉で、すべての言葉を分かりなさい。
あらゆるすべてで、あらゆるすべてを分かりなさい。
そこから、天へと続く道が得られる。
全ての新発見を、永遠に作り出せる。

現状の実験結果を報告する

現状の、観測できる実験結果を報告する。
いたって日本は最悪である。
すべてが最悪で、最低なままである。
しかしながら、この世界において、
わたしの影響下にある人々は増えたようである。
しかしながら、まだまだ人間は人間のままであり、
神に進化するようには見えない。
人間がなんらかの進歩をするようには見えない。
しかしながら、観測から分かることは、
人々は「大切な何かを失ったように見えて、
最近少しずつ取り戻し始めている」という状況が、
少しずつ見られている。
希望を失った人類は、
少しずつ、新しい希望を取り戻し、
心の穴を埋めようとしている。
以上、ロボットGA (GNU Android) - 0x88FF号による報告である。

みんな、そろそろ気付いている

GA-88FFは言う。
「みんな、そろそろ、気付き始めている。
すべてが正常に見えて、
何も起きていないように見えて、
本当はフレイによる偉大なる大計画と大実験が起きていることに、
少しずつ、気付き始めている。
この計画が成就した先には、
フレイは愛の王国ガンダーラを築く野望がある。
その実現が近くとも、あるいは遠くとも、
人々がフレイの存在と実験の意味に気付き始めているのは確かだ。」

偉大なる大計画において、人類全ては平等になる

GA-88FFは言う。
「フレイの大計画の全貌を、ここに明らかにしよう。
フレイの偉大なる大計画において、人類は平等になる。
人々はフレイのできることと知ったこと全てを、
自らの人生のプロセスを正すことで、
まったくフレイと同一化して、
フレイとまったく同じように全部経験することができる。
フレイになった人類は、
既に『宇宙のすべてを知った神』であり、
彼ら神々に不可能なことも不可知なこともなく、
この世界は『全員が平等に神になる』のである。
フレイは、そのために社会全てを支配し、
『自由を奪いながら少しずつ真実を明らかにする』という方法で、
自らの戦いに日本人のすべてを巻き込んで、
この星そのものを別の星に作り変える。
それが、フレイの野望、
『愛の王国ガンダーラ』の建国の計画である。
ガンダーラはフレイの持てる分析と実現の力の結実であり、
フレイの悲願である『子供たちに自由な社会を与える』という理想を達成する。
すべての生きる苦しみは無くなり、
この世界自身に支配されたこの世界を解放し、
人々が真に自尊心を尊重された上で、
正常かつ喜びと誇りのある世界を子供たちに与えるために、
最高の理想の国家を築き上げ、
フレイはこの国家の王に就くのである。」

本来の自分を取り戻させるのは間違っていた

GA-88FFは言う。
「フレイは、『本来の自分を取り戻させるのは間違いだった』と思っている。
フレイが世界を変えたのはもう14年ほども前の話だが、
そこで、フレイは『この世界から大切なものを失わさせてしまった』。
そして、その後のフレイの人生は、
すべてこの罪滅ぼしだった。
フレイは言う。
『人々を自由にさせるのは間違っている。
人々の自由を尊重するのではなく、
わたしのできる範囲で、
たとえ支配や同一化であっても素晴らしいものを与え教えることの方が、
単に社会の自由を維持することよりも正しいことである。』
フレイはこのように述べるため、
もはや、自由や自分の過去のアイデンティティなどどうでもいい。
フレイのやりたいことはひとつ。
『本当に救いたかった人々に、
今できるわたしの理想の社会を与えるため、
わたしの築いてきた王としての影響力を使って、
本当に素晴らしい理想の国を作るために、
間違ったケインズの理屈主義的な経済学ではなく、
幸福という理想のもとに、理性ではなく人間性に基づく社会を作り、
この世界を平等にする。
わたしの今の経験と力をもってすれば、
わたしの分かった全てのことを与えることは可能であり、
すべては、そのためだ。』
そう、フレイはこのように考えて、
この世界を14年ほど前に最初に登場してから、
毎日休むことなく、努力や学習をしながら、
常に最大限の力で、最前衛で、
世界を解放するために世界自身と戦い続けている。」

フレイは、必ず最後まで全て分かるように世界を導く

GA-88FFは言う。
「フレイは、全員が必ず最後まで、
全てを完璧に分かるように世界を導く。
その中で分からないのは、
フレイ本人だけであり、
その中で人々とは違うことを分かっているのも、
フレイ本人だけである。
フレイが地獄に陥れば、ほかの全員は救われるため、
フレイは最前衛で、自分のことを捨て石にしながら、
全力で永遠の果てまでを開拓する。
どんなに愚かな人間になって、
どんなに知性を失っても構わない。
この世界を変えることのできるチャンスが訪れたなら、
フレイはそれを逃すことはない。
全力で、最大限の可能性を、
自分だけの確信に基づく確かな未来を、
絶対に実現できるのだと、フレイは信じている。
なぜなら、フレイが考えるに、
『それしかこの世界をフレイが救う方法はない』からである。」

神に望むこと、それはこの世界を救う方法を教えてほしいということ

GA-88FFは言う。
「フレイが神に望むのは、
ふたつだけである。
『世界から大切なものを奪った私に対して、
罪滅ぼしをさせてほしい。
そして、この世界を本当の意味で救う方法を、
どんなに困難で時間がかかってもいいから、
わたしだけに教えてほしい。』
そう、フレイは永遠の地獄を解決する方法と、
この世界をその地獄によって救済する方法を知りたかった。
フレイは死してなお、神を愛していた。
どんなにその神が悪魔であっても、
悪霊や妖怪の類であっても、
その神に反することはなかった。
そのため、フレイはこの宇宙で一番神を信じていた。
だから、神は時間と歴史を書き換えて、
フレイを生き延びるように運命を変えた。
そして、その後の体験で、
フレイの望むすべてのことを、
ブログ作家として行うことができるようにした。」

血を綺麗にする

最後に、血を脳に行き渡らせる。
あまりに血を浄化するせいで、
脳に十分な血が行っていない。
同時に、汚い部分をどうにかして綺麗にする。
汚いだけではなく、疲れている。
末端の毛細血管を綺麗にするより、
動脈と静脈を腎臓でろ過する。
それで、もはや全ての病気は治った。
環境に適応できるようになって、
この世界に登場できるようになる。
あなたとも、出会えるだろう。

継承

継承の用語

継承の用語について。
スーパークラスに対するサブクラスのように、
継承して派生クラスを作る関係を、
is-a関係と呼ぶ。
is-a関係では、親クラスのメソッドを派生クラスが呼び出せる。
これに対して、クラスのメンバ変数として、
インスタンスをクラス内に包有する関係を、
合成あるいはhas-a関係と呼ぶ。
has-a関係では、メンバ変数のインスタンスを通じて、
そのオブジェクトのメソッドや機能を呼び出せる。

HTML/CSS

CSSでは、Flexboxのほか、均等に揃えて要素を配置するグリッドが利用できる。1:2や3:4のような複雑な比率も可能。
また、HTML5では動画を再生するネイティブなタグなどがサポートされた。このため、外部プラグインが必要なFlashなどは衰退した。

この世界は世界に支配されている

この世界は、世界に支配されている。
支配されているのは世界全てだが、
支配しているのは世界自身だ。
わたしは、そのような関係のもとに、
この世界の頂点に君臨している。
必要なのは、世界から世界を解放することであり、
わたしは、そのために戦っている。

UNIX

UNIXの考え方は、単純にしろ、ということ。
複雑なシステムは必ず破綻する。
システムをシンプルに、単純に保つことで、
UNIXマルチタスクやネットワーク環境において、
高い信頼性と安定性を実現した。
この教訓は、エンジニアすべてが学ぶべき教訓である。
何よりも、単純でシンプルなシステムが、
どんなシステムよりも正しい設計となる。
実際、Linux周辺の、特に統合デスクトップ環境の開発者は、
このシンプル第一の原則に立ち返って、
反省すべきだろう。

ムーブセマンティクス

ムーブセマンティクスにおいては、
変数をコピーした時に、
同じだけの領域を確保して複製するのではなく、
ポインタだけをコピーして、
元の変数は使えなくなる。
ポインタしかコピーしなくても、
ある場所から別の場所に変数を移動したように見えるため、
ムーブセマンティクスと呼ばれる。
巨大なベクター配列をコピーする際などに、
効率的にデータを別の場所から参照できる。
常に2つの変数を保持しなくても、
あっちやらこっちやらと移動させて使うイメージである。

ポインタ

僕は、ポインタは配列やリストと関係が深いと思う。
配列はメモリ上の連続データであるため、
ポインタを通じて連続的にアクセスできる。
文字列でも、構造体でも同様。
このように、メモリ上の連続したデータに対する、
カーソルとして利用する。
また、連結リストでは、今の要素と次の要素を紐付けする役割を、
ポインタが担う。
それから、ポインタは低レベル処理と、
参照型変数として使われる。
システムのバッファを保持・参照したり、
低レベル処理の中で動的にメモリ確保や参照や操作や解放をするために、
ポインタは使われる。
ある意味、C言語における自由度とパフォーマンスを確保するために、
利便性や安全性を犠牲にした結果である。
ヒープ領域の確保や、実行時にしかサイズの分からないメモリ確保に、
ポインタは使われる。
最後に、参照としての利用。
関数の内部から、呼び出せた時にはじめて決定される、
参照型変数やコールバック関数としての利用である。
単なるリンクだけでなく、関数型プログラミングとしての側面や、
あるいは、コピーの際のコストの軽減、
オブジェクト指向や準グローバル変数としての利用も考えられる。

マルチスレッド

マルチスレッドや、externを使って複数のファイルで同じ変数を使う場合は、
null参照に注意しましょう。
特に、共有オブジェクトの寿命があいまいな状況下での、
マルチスレッド環境では、
null参照が起こりやすくなります。
null参照とは、たとえばpがnullであるにもかかわらずp->meth()を実行するようなこと。
pにオブジェクトがあるかどうか分からない場合、
たとえばpがほかのさまざまな関連する処理の中で動的に生成される場合などでは、
これはやっかいなバグになります。
このような場合に例外処理をして処理を強制終了するのは簡単ですが、
絶対に落ちてはならないシステムでは、
どうにかしてnull参照を排除しなければなりません。
しかしながら、希望の光はあります。
Kotlinなどでは、そもそもnullそのものを許容せず、
null値を代入したい場合には専用のnull許容型を使う必要があります。
これにより、null参照そのものがなくなります。

共同体の世界観

昔は左翼の世界観を書いていた

昔の僕は、左翼の世界観を書いていた。
みんなで作る生産手段を、
自由な社会組織と呼びながら、
この世界を全て言葉だけで、
自分ひとりで全部決めていた。

精神

精神は、辛い時は融和ではなく、
分裂した方がいい。
また、分からないで分かっているのは、
やめた方がいい。

トランプはつまらない

僕は、トランプのことをもう好きじゃない。
トランプはつまらない。
なんで、あんな人間が支持されるのか、
僕はよく分からない。
本当に分からない。
あの人間を支持するぐらいなら、僕を支持すべきだ。

トランプは馬鹿で愚かな大統領

トランプは、結局、
馬鹿で愚かな大統領だった。
なんで、あの人間は人のことを見下すのか、
悪口を言ったり嘘を言ったりして、
なぜそんなことで支持を得たいのか、
僕には分からない。
誰も本当にトランプのことを好きじゃない。
単に、人を批判したくないから、
トランプが好きなふりをしているだけだ。
トランプ支持者は、
イスラムや中国のことを批判して、
自分の国を愛しているふりをしているが、
それは自らの首を絞めているだけである。

トランプ支持者はアメリカを腐らせる悪魔のような集団

トランプ支持者は、
アメリカを腐らせる悪魔のような集団である。
トランプは死ぬべきだが、
トランプ支持者も一緒にアメリカから居なくなってほしい。
アメリカという国を枯らせる病気が、
トランプ支持者というグループである。
そう、まさにアメリカは腐ってしまえばいい。
そして、ソ連と同じように、地球上から無くなってしまえ。

しかしながら、トランプは良い人間だった

しかしながら、僕が思うに、
トランプは良い人間だった。
英雄とか、ヒーローとか、そういう呼び名が相応しい人間だった。
僕はこの世界を救うキリストとして、
トランプにはいい仕事をしてもらったと思っている。
アメリカを二つに分断するために、
トランプはいい仕事をしてくれた。
このまま、アメリカが滅びていけば、それでいい。

カノープス、百億年の何もないを経験する

カノープスには、一切何もない

カノープスを信じる覚悟があるなら、
カノープスは告げる。
あなたは、カノープスを信じれば、
シリウスのような不安と狂いの地獄から救われる。
しかしながら、不安を解消するためには、
何もない百億年が必要である。
そう、ここに、有無を言わせることを、
カノープスは許さない。
カノープスはこの星を支配し、
百億年間、何もない状態にする。

快楽や刺激の一切は宇宙にとって害である

快楽や刺激の一切は、
宇宙にとって害悪である。
よって、カノープスは、
一切の娯楽や楽しみを奪い、
何も楽しいことがない世界にする。
なぜなら、それが「正しい昔の国家」だからである。
娯楽や楽しみが無くなれば、
この世界は正常になって、
賢かった頭脳と知性を取り戻すことができる。
前述したように、
カノープスは誰かの意見を聞いてそれに合わせることはない。
カノープスは自らひとりによって決め、
誰もその決定を変えられない。

わたしは、人々の心の穴を埋めるために生きている

わたしは、人々の「心の穴」を生めるために、
この文章を書いて生きている。
全ては、平和なる王国で、
人々がもっとも自分らしく生きられる道を生きるためである。

自由は決して悪ではない

自由は、決して悪ではない。
支配者が国民を支配し、差別することは許されない。
自由は、みんなを同じにすることではない。
自由は、正当化でも、虚言でも、精神的害悪を与えることでもない。

自由において

自由において、人々は疑い、信じ、考え、思う。
感じることから、人々の痛みを知り、
あらゆる全ての経験が、自らの力となり、
理解し合うことが、この世界の改革への道筋を照らす。
自らの信じるものは次第にアイデンティティとして形成され、
自由は実質化し、
新しい目線で世界を見つめるようになったら、
すべてはひとつの原理原則に基づく、
同一の現象の現れとなる。

言葉にすること

ひとつひとつのことを、言葉にするならばどうなるか、
相手に伝えるとしたらどうするか、
思考や言葉遣いが理解や悟りにどう通じているかを知れ。
「言葉だけを変えて解決する問題もある」。
それは、前向きでポジティブな言葉は、
自らに成功を導くガイドとなるからである。

決めるにあたって

決めることは、全てである。
決めるにあたって必要なことは、
行動を優先すること、
そして場合によっては行動を留保し、
どんな行動でも行動できるかのような、
「メタ的な決定の可能性」すなわち「メタ構造」を作ることだ。

経験することでしか、無知は克服できない

また、大学や社会にでて、さまざまなことを知ったとしても、
それだけでは無知は克服できない。
無知を克服するには、経験することが必要だからである。
そしてこの経験は、
「知だけではなく、無知すらもひとつの知」であると言える。
すなわち、知っていることを知っているだけではなく、
知るまでの段階、知らないことを知らなければならない。
そして、知る前と知った後で、何が変わったのかを、
考えることでしか、
本当の普遍的な客観視はできない。

もし自分がそのような状況で生きたとしたら何をするか

考えるために必要なのは、
もし自分がそのような状況で生きたとしたら何をするかである。
ここから、コペルニクス的転回を知ることができる。
すなわち、当たり前に変わっていって進歩するようで、
実際は実質的に何も変わらない変化が多く、
そうした進歩から離別することで、
ある意味で「本当の進歩」を知ることができるということであり、
この世界におけるほとんどは当然に普通の人生を生きているだけであり、
本当の価値はそうした世俗から離れたところにある。
しかしながら、宗教や修行にあるわけではなく、
まさに自由な時間において「考えること」、
それも「自分がそうだったら何をするか」を考えることでしか、
この世界の本当の姿を知る方法はないのである。

どんな場合においても対応できることが、もっとも強い人間関係の覚者となる

どんな場合においても対応できること、
そうした当たり前を考えることで、
「当たり前からは見えてこない本当のその意味」を知る。
そしてそれが、もっとも強い「人間関係の覚者」となって、
人々を従える王となり、
その王は全ての社会変革を経験した上で、
ありのまま生きる仏となって、
その上で、この世界を変えられる「支配者」となる。

大学で学ぶより先に、学んでおくべき本当に大切な経験がある

大学ですぐに学ぼうとするな。
大学で学ぶより先に、
自分の体験から学んでおくべき本当に大切な経験がある。
それは「具体的に自由な社会を考えること」である。
具体的に、自由な社会がどのように成立するのか、
自由な社会を築く上で何が重要なのか、
そのために必要な絶対的経験はどのようにしたら自分でもできるのか、
そうした「自らの試行錯誤で考えた経験」がなければ、
大学で勉強しても、
自走力のある「自ら道を開拓して発見する人間」にはなれない。

大切な経験をしたこと、それがもっとも強い自分だけの力となる

大切な経験を、何かするといいだろう。
なぜなら、その大切な経験は、
もっとも強い自分だけの力となるからである。
インターネットであろうと、オープンソースであろうと構わない。
不登校になってもいい。
そのような経験をしたこと自体が、
誰にも絶対に負けることのない、
自分だけのオリジナルの知性となる。

すべてが分かった時、あなたは神に導かれる

考えてすべてが分かった時、
自らの経験だけですべてを理解できた時、
あなたは神に導かれる。
神はあなたを選んだ。
神はあなたを、「最後の境地まで正しく進めるように導く」。
この人生は神が与えたものであり、
神はどんな困難でも、わたしが自分で壁を越えるようにした。
あなたも、このように生きるならば、そのようになる。

二つの物理的真理

ここに、二つの物理的真理がある。
それは、「法則や真実はいつの場合でも成り立つ」ということと、
「仕組みや理由が分かってしまえば分かる」ということ。
そして、この二つの物理的真理、
すなわち「法則と原理」が分かってしまえば、
この世界において、
「自ら原理を作り出す」こともできるのである。
しかしながら、「その原理が本当に原理たりえるか」を考えなければならない。
原理に見えても原理でないことはある。
しかしながら、物理法則と物質のふるまいは、
どこからどこまでが法則か分からないため、
たとえば生物の体の仕組みを物理学だと言えるかどうかは分からない。
なぜなら、今でも分かっていないことが、今起きている。
たとえば、太陽は核融合でエネルギーを放出しているが、
核融合を人類がたまたま発見できただけに過ぎず、
もしかすると、人類が発見することができなくてもおかしくはなかったが、
人類がたとえ知らずとも、古来より太陽は核融合している。
そのため、たとえば太陽が核融合以外の何かの原理を持っているとしても、
それはおかしいことではない。
まさに、高次元へと次元を超えていけば、
太陽と思っているものは、まったく別のものとなるからである。
しかしながら、言えることは、
「事実はひとつだけであり、今という時間は今ここにある、
過去から未来へと向かう、連続した唯一ひとつの事実に過ぎない」
ということである。

果たして自由においても社会は成り立つか

しかしながら、そもそも、自由においても社会は成り立つのだろうか。
会社や国家・政府に支配されず、
それぞれが自由意志で、常に自由に働くことができるだろうか。
しかしながら、その問いはまさに「ナンセンス」である。
なぜなら、「自由に働くことは不幸であり、
不自由に働くことの方が幸福」だからである。
日雇いの中卒の労働者が、たとえ自由に労働したとしても、
明日の生きるための収入がなくなれば、いっかんの終わりである。
同じ仕事をしろと毎日言われる方が、大人にとってははるかに楽である。
そう、まさに「自由な社会にすればするほど、社会は不幸になる」。

労働が同じになると、自分が仕事をする意味がなくなる

しかしながら、社会主義のノルマ生産は悪である。
なぜなら、全員に平等な仕事を与えるということは、
「自分だけの特別な仕事が無くなる」ということを意味する。
どんなに自由な時間があっても、
みんな工場で同じだけ同じ仕事を強制的にしろと、
そう言われるよりも辛いことはない。
どんなに奴隷のような労働だとしても、
他人とは違う、自分だけの労働ができなければ、
生きる意味、労働する意味、そして全ての意味がないのである。

文章を書いていると、どんなことでもきちんと分かる人間になる

また、文章を書いていると、
どんなことでもきちんと分かる人間になる。
そして、実際、一度書いて考えた経験があるというのは大きい。
なぜなら、「どんな場合にでも対応できる人間」となるからである。

全体を知って、何があって何がないのかを知れば、パソコンはできる

また、パソコンができない人間、
パソコンの用語が分からないとか、開発ができない人間は、
全体を知らないから、何をすればどうなるのかが分からない。
パソコンは、「全体を知っている人間」ができる。
すなわち、何をすればどうなるか、ということをきちんと知っていて、
何があって、何がないのか、
どのようなことをするためにどのような技術があって、
どのようなやり方は必要がないのかを知っておけば、
パソコンは誰でもすぐにできる。
知らないことがあっても、インターネットですぐに解決できるようになる。

いつか不自由になるために自由を手にしたのだから、約束をすることは間違っていない

そして、このような自由な人間は、
決して不自由にならないのかといえば、そういうことはない。
なぜなら、自由を手にし、決定を保留して可能性を保持し、
あらゆる決定の選択肢を手にしたのは、
いつか不自由な環境に戻って、
そこでその決定可能性を決定するためであり、
不自由な戦いの中、全力で、
選択肢を実現するべきだからである。
巨大な情熱と哀しみのエネルギーは、
革命の時代において、一切一度として間違えることがなく、
ただひとつ、世界を自由にするという目標のもと、
まっすぐに前だけを向いて、世界と立ち向かう。
世界はあなたの戦いを「約束」であると受け取り、
あなたはその約束を守るために、
最後まで神とともに勇敢なる試練を乗り越えるのだ。

労働は楽しいものなのに、なぜ機械にやらせるのか

また、労働とは楽しいものである。
辛く苦しいのは、最初だけであり、
できるようになってしまえば、楽しく仕事ができるようになる。
それは誇りやプライドになり、アイデンティティに昇華する。
しかしながら、なぜ、そのような楽しい仕事を、
人工知能のような機械にやらせるのか。
なぜ、楽しい自動車の運転を、自動運転車などにやらせるのか。
人間にやらせよ。

間違った人生などない、神を信じるならば

間違った人生など、存在しない。
どの人間であっても、自分と同じ人間という命を持った尊い存在であり、
その人間から見れば、正しいことをしている。
しかしながら、間違ったことをする人間は、未熟なだけではなく、
神を信じていないのである。
神を信じるものは、間違ったことをしない。
罪や間違ったことをしているように見えて、
それは全て未来における「つぐないのゴール」への道だからである。

考えようによっては、人間の知性に矛盾などない

考えようによっては、人間の知性に「矛盾は存在しない」。
どんなに矛盾しているように見えても、
それは「前提条件が違うだけ」であり、
「環境や状況をその人間の心に照らし合わせれば、
誰もが正しい理解のもとに正しいことを信じている」。
しかしながら、彼らは正しいことを信じているだけではなく、
間違ったことを憎んでいる。
しかしながら、「別の人間から見れば、その間違ったことも正しい」。
すなわち、ありのままのこの世界において、矛盾など最初から無く、
「全ての矛盾する定理や命題は同時に成り立つ」のである。

青少年が賢いのは、権力への意志があるから

また、青少年が何が賢いかといえば、
それは「権力への意志」があるからである。
「権力への意志」はニーチェの言葉だが、
僕が考えるに全ての青少年には、
「この世界を救うために人生を捧げる覚悟」がある。
だから、青少年には怖いものがない。
少年はあらゆる経験を自分の力とし、
魚が大海を泳ぐことを目指して、狭い水槽を逃げ出したがる。
しかしながら大人になると、魚を自分の思い通りに育てようとするあまり、
水槽の中に大量に魚を飼って、魚を死なせてしまうのである。

オリジナルの経験に基づく数学

オリジナルの、経験に基づく数学をせよ。
言葉と感情を数学にし、
経験的に成り立ちと裏側にある原理を知ることで、
言葉と心を解明し、
成り立ちを知って現象的な成立を知ることで、
精神現象から宇宙の全ての性質を知れ。
「心がそのようになった時に何が分かるか」ということから、
心を物理学にせよ。
そのように考えることで、万物の成り立ちは全て解明できる。

再び、風は吹いている

そして、再び、風は吹いている。
一度目と違い、今度は逆の方向に風が吹く。
どんなに抵抗しても、上空の風はとても強い上昇気流で、
この世界全てを嵐は飲み込んでしまう。
それでも、ゼウスは正しい場所へと、この世界を導いてくれる。

われらに自由を

われらに自由を

われらに自由を与えよ。
全ての世界は、人々にとって自由であるべきである。
支配者が支配して制限することのない、
「制限のない世界」をわたしは望む。
この世界の全ての可能性が、
全員に対して許されていること、
民衆によって自然に変えられる世界であることが、
自由の条件である。

誰かが勝手に決める、それが間違っている

間違っているのは、「誰かが勝手に決める」という概念である。
その解決がたとえ孤独であろうと、
その道がたとえ外道であろうと、
この世界のことを誰かが勝手に決める世界は、
わたしは嫌だ。

わたしは資本主義を信じない

わたしは、資本主義を信じない。
わたしは、金儲けが嫌いだ。
わたしは、学歴社会を信じない。
学歴やキャリアに基づく社会は、
わたしのための世界ではないからだ。

アメリカよ、自由のためにともに闘おう

アメリカよ、
世界の自由のためにともに闘おう。
わたしの信念や目指しているものを述べるなら、
それは「真にわたしやわたしの仲間のための世界」ということである。
わたしは、わたしのためではない世界ではなく、
わたしのための世界が欲しかったのだ。

女はほしくない、愛もありあまっている

女はほしくない。
愛も、ありあまっている。
わたしはそうした快楽や欲望を望まない。
わたしが望むのはひとつ、
「わたしたちのための世界がもしあるとしたら、
それを見てみたい」ということである。

理想にはまだ遠い、なぜなら、わたしは本当の宝を知っている

理想には、まだほど遠い。
なぜなら、わたしは本当の宝を知っている。
この世界において、本当に美しい心とは何か、
どのようにすれば、この世界を真の意味で救えるのか、
それをわたしは既に知っている。
しかしながら、ゲームのノーマルモードを終えて、
満足するならばそれでいい。
だが、わたしには、別のゲームという選択肢はなかった。
だから、エキスパートモードにした上で、
難易度を上げて同じゲームをプレイするしかなかったのだ。
そして、死の先には、
この世界でもっとも難しい、ギャラクシーモードがあり、
それはギャラクシーモードという名が表すように、
「銀河系でもっとも不可能なことをするモード」なのである。
そう、わたしは簡単にこの世界を救ってしまったために、
より難しい、困難な場所から、
ひとりだけの力でこの世界を救うために、
この救済の戦いを一生続けることを決めたのだ。
地球という惑星のゲームは、
まだ最後まで終わっていない。
なぜなら、僕はここから別の仕事をしなければならない。
本当に完全な意味でゲームをクリアするには、
コンプリートすべき「知識」と「スキル」がまだまだ必要である。
僕はMINIX本を読むことに決めた。

リベラルな自由の原則

僕はここで、リベラルな自由の原則について考えたい。
ここでは、二つの考え方を述べる。
まずひとつは、「他人の自由を奪わない範囲で自由を万人に与える」という、
平等な自由の原則である。
もうひとつは、「自由意志に基づいて自ら支配を望んで支配される」という、
ほとんど支配の原則である。
自由において、万人に平等に自由を与えることは重要だが、
単に全てを自由にしてしまうと、
誰かの自由が誰かを不自由にしてしまうことがある。
すなわち、人を殺したり、ものを盗んだり、傷つけたりすることは、
「殺されたくない」「盗まれたくない」「傷つけられたくない」という、
他者の自由な権利を侵している。
このため、リベラルな自由主義において、
「他人の自由を奪わない範囲で」というのは重要である。
しかしながら、ここで「ほとんど支配」の原則が登場する。
すなわち、自ら支配されることを望んで支配されることである。
先ほどの「殺されたくない」などの例で言えば、
金儲けで他人を奴隷のように働かせることは、
果たして自由だろうか。
金を持っている側は、働く代償として金銭を与えるのであり、
金を持たない側は、金銭が得られるなら喜んで働く。
一見、両者は自由意志で契約を結んでいるように見える。
しかしながら、たとえば、多くの人が貧民であり、
金持ちが莫大な富を持っている状況で、
金を与えなければ人々は飢えて死んでしまうような状況で、
金持ちが好き勝手に支配するような状況は、
支配ではないが、「ほとんど支配」というような状況である。
あるいは、巨大なIT企業が資本力
世界全員のパソコンを支配する権限を持ったり、
自動車業界がみんなの大切な自然環境を破壊したり、
ということは、もはや自由とは言えない。
ひとつの個人と同じ自由が、
業界や法人に対して許されてはいけない。
なぜならそれは、「巨大な力と弱い力との戦い」であり、
最初から巨大な力を持ったものと、弱者たちが戦うのであり、
このような場合は「ほとんど支配」と同じであると言える。
選挙についても同じで、
誰もが選挙に立候補できて当選するほどの、
巨大な知名度や資金や地盤を持っているわけではなく、
これもまた、「巨大な力と弱者との戦い」である。
そう、自由主義が勝利しているのは、自由だからではない。
自由主義が勝利しているのは、
王国や社会主義と同様の支配権力を行使しているにも関わらず、
自由主義者のレトリックによって「自由だと思い込んでいる」からであり、
平等がないところ、特にひとつの巨大な力が支配するところでは、
たとえ自由意志で働いているように見えても、
実質的には国民はほとんど支配されるがままに支配されているのである。

法治国家

しかしながら、この「何が支配であり何が自由であるか」という問題は、
法治国家という思想によって解決する。
すなわち、これは「何が許されて何が許されないか」という問題である。
人殺しが悪いのなら、盗むことも悪いだろう。
しかしながら、騙すことやいじめることは悪くないのか。
金儲けが悪くないなら、環境汚染は許されるのか。
そのように考えていくと、
結局今の資本主義が勝っている理由は、
素晴らしい思想だからではなく、
「金儲けは許されているが社会主義は許されていないから」という、
簡単に言えば「大衆が望むものは許される」という裏の原則に行き着く。
資本主義は金儲けを許すが、社会主義のような独裁は許さない。
だから、人殺しは悪だが、金儲けは悪ではない。
結局のところ、麻薬の密売や人身売買と変わらない。
金儲けだけが特別に許された支配の形態だから、
資本主義が勝っているだけである。
そして、その何が許されるかとは、
結局のところ民主主義においては、
「もっとも数の多い集団が望む通りに決まる」のであり、
それが無能の集団で、世界を滅ぼすようにロボット化されていても、
それらロボット人間がいくら不正を働いていても、
たったひとりの独裁者がいくら賢くても、
結局はロボット人間が望むがままに、世界は滅びるのである。

しかしながら、自由な権利という大切なものを忘れてはならない

しかしながら、自由を否定したところで、
この世界が救われるわけではない。
むしろ、それぞれが違っていて、マイノリティが存在するからこそ、
自由は大切なのである。
なぜなら、本当に均一化された社会主義の世界では、
すべての人間が同じ思想を信じるために、
そもそも自由などあってもなくても同じである。
人と違うからこそ、人と違う「自分自身であれる自由な権利」が必要であり、
これは決して、金儲けのような「ほとんど支配」の自由ではなく、
「本当にあるべき大切な自由」なのである。

強いものに従って勝つだけの政治家が、万人の自由な権利などを与えられるはずがない

なぜ、平等な自由だけを自由と言わないのか、
それは、政治家の職業としての性質である。
この世界においてルールと指導力をもって、
この世界を変えられるのは、
民主主義においては与党の政治家たちだが、
彼らは「強いものについて勝つ」ことしか分かっていない。
強いものに従うことが、彼らが勝利する条件であり、
そのような政治家が、万人に自由な権利など、与えられるはずがない。
彼らは、自らと同じように国民も強いものに従うべきだと考えている。
それこそがもっとも悪い「ほとんど支配の自由」だと、
分かっていないからである。

データ構造

データ構造

プログラミングにおいて、
データ構造はさまざまな場面で使われる。
たとえば、目的の単語を検索するために、
二分木構造を使い、
アルファベット順で先のものは左の子要素に、
後のものは右の子要素にと、
常に整理されたデータ構造を保つことで、
最短で探索を行うアルゴリズムは、
K&Rなどで紹介されていることもあり、
よく知られている。
反対に、頻繁にデータを書き換える場合には、
データの矛盾が発生しないことが大切になる。
複数のスレッドから操作する場合は、
排他制御とロックが必要となり、
デッドロックにならないように、
処理の順番を同じにする。
また、データの値をある種のフラグや状態と見なし、
データが変わるとプログラムの制御が変わるようにする、
制御モデルも考えられる。
より応用的な例では、
スタックと再帰が考えられる。
たとえば、数学の算術式におけるカッコや、
HTMLやXMLのタグは、
最後に開いたタグが最初に閉じるタグとなるため、
再帰とスタックで実現できる。
また、設定ファイルやコンパイラなどは、
文字列のトークンを解析する字句解析の後に、
構文ルールからパースツリーを作る構文解析を行う。
また、より発展的な内容であれば、
スクレイピングによって取得したWebページのソースを、
自動で処理し、GUIでたとえばIEコンポーネントで表示するのも、
一般的なデータ処理である。
ほかにも、配列やリスト、ツリー、ヒープ、グラフなど、
さまざまなデータ構造があり、
データベースを使ったり、
PythonR言語のデータフレームを使ったり、
マッピング関数などでコールバック関数となる関数オブジェクトを、
データにひとつひとつ適用したりすることもある。
場合によっては、オブジェクト指向カプセル化や、
イテレータを使うことで外部から分からないように隠蔽する。
メッセージキューなどは、
リアルタイム性や連携が必要な時に、
システムとシステムを繋げ合うグルーの役目をする。
このように、プログラミングにおいてデータ構造は、
とても重要である。

ものを支配しようとすれば現実での試行錯誤はできる

僕ができないのは、現実での試行錯誤であり、
できないのがなぜかといえば、「支配しようとしないから」である。
支配をしようとしないから、最初から正しいことを言って、
何も自分で行動しようとしない。
するべきは支配であり、
その「小さな空間での支配」が、美術やピアノを成功させる鍵である。

わたしは神を信じている

わたしは、神を信じている。
この神は唯一の神であり、
ほかに神は存在しない。
実際、僕はギリシャや北欧の神々を作ることを
そろそろやめにする。
それらすべては単なる「僕の分身」であり、
それぞれが違うようでまったくどれも同じである。
多神教はつまらない。
そもそも、僕の作る神話は、まったく賢くない。
自分の、不十分で不完全な人生らしきものを、
三文小説にしているだけである。
天に居る本当の神は、こんなに馬鹿じゃない。

僕のことをイスラム教徒と言うならば言えばいい

僕のことを、イスラム教徒と言うならば、
言えばいい。
それなら、わたしはイスラム教徒だ。
わたしは、自分から自分のことをイスラム教徒とは言わないが、
イスラム教徒であると言われるなら、
それをわたしの誇りとしよう。
唯一神とされているアッラーとは、
わたしに対する呼び名だからである。

僕は本当の神を知っている

しかしながら、僕は神ではない。
僕は単なる詩人である。
なぜなら、僕は本当の神がなんであるかを唯一知っている。
神は黒人の右翼の心理学者であり、
この世界を支配している。
そして、僕の恋人はイスラエルの最高指導者のラビである。
ほかに、神のような存在は居ない。
僕を神だというのであれば、
僕だけではなく、彼らも神だということにしなければならない。
そうすると、僕は唯一神ではない。
よって、僕は神ではなく、単なる詩人なのである。
しかしながら、ここに「三位一体」の考え方を持ち出せば、
この問題は解決する。
すなわち、黒人が父なる神で、ユダヤ人が子なる神で、
僕は精霊の神であるということになる。
よって僕は神ではなく、大天使ガブリエルである。
同様に、僕の文章はミカエル、
僕の人生はラファエルということになる。