強く善い人間になる

強く善い人間になる

僕は、正しいことをすればいい、ということが分かった。
支配者をやめるのも、世界を滅ぼすのも正しくない。
きちんと、今正しいことをすれば、
「きちんと良い世界にしなければ」ということが分かる。
正しいことをしていけば、
必ず全てが良くなる。
また、賢い人間は正しくない。
賢い人間は、ここまで愚かで馬鹿だ。
強く善い人間になること。
どんなに辛くても、投げ出さず、諦めず、逃げ出さず、
強く、そして悪いことをしない善良な人間になることで、
必ず僕たちのこの世界は平和になる。
僕は、強く善い人間になる。

辛くせよ

精神を治すなら、辛くせよ。
辛く、辛く、そして辛くしていけば、
どんなことでもできるようになる。
環境に適応するために必要なのは、
精神を辛くすること。
それ以外のどんな方法でも、精神は治らない。
辛く、辛く、もっと辛くだ。

英語の秘訣

英語を聞き取る秘訣は、発音を聞くこと。
毎週土日に英会話教室に通っている僕だが、
テキストに書かれた英文だけが英語ではない。
ネイティブの外国人が話す英語の発音を、
たとえばフランス語をはじめて聞く時のように、
今まで習った英語やカタカナ語の知識を排して、
今までの全ての聞き方をまっさらにして、
発音をそのまま聞いて、その発音を発音すれば、
英語は必ずできる。

楽は間違っている

現代の科学技術文明で、
僕たちは楽と便利さを手に入れたが、
楽は間違っている。
辛く、苦しくなければ、
人間の頭脳は馬鹿になる。
世界を楽にすればするほど、
その世界は馬鹿になる。
楽を正しいとする幻想をやめ、
僕たちは「辛い中でも賢さを追い求めていく」ことを
日本において再び蘇らせていかなければならない。
人間は辛くなればなるほど賢くなる。
辛く耐え、そして苦しみを乗り越えていくことこそ、
人間の喜びである。

過剰な楽は必要ない

過剰な楽は必要ない。
今の子供たちが、いじめや非行をするのは、
精神性が未熟だとか
それだけしか社会の構築の力を知らないとか、
そういうことを言う大人たちは分かっていない。
彼らは「辛くなりたい」のである。
辛い中で耐えて、苦しみを乗り越えたいのである。
そう、もっとこの世界を辛い世界にすれば、
すぐに世界が馬鹿になっているのも、
何も分からなくなっているのも治るだろう。
狂いを治す特効薬は、「苦しみ」である。

宇宙にあるほとんどは地獄

また、宇宙には素晴らしい星が
たくさんあるように思うかもしれないが、
宇宙にあるほとんどは地獄だ。
地球も地獄、
太陽も地獄、
プレアデスの天国も地獄、
オリオンの極寒も地獄だ。
その地獄をどのように乗り越えていくか、
ということが、この宇宙のテーマである。

苦しみの中に全ての宝がある

しかしながら、苦しみは必ずしも悪いものではない。
苦しみの解決のしすぎ、
病気の治癒のしすぎは、
人生にとって大切なものを失う。
なぜなら、人生にとって大切なものは、
苦しみの中にこそあるからである。
苦しみを孤独に耐え続ける中に、
この宇宙の「神が宿る」。
これこそ、僕の信じた思想だ。

人間の脳は苦しみで強くなる

人間の脳は、苦しみで強くなる。
苦しみを感じれば感じるほど、
脳の中の「意識」が高まり、
全員に対する「愛と感受性」が大きくなって、
どんなに自分が辛くても、
どんな人間でも受け入れられるようになる。
そう、「地獄の中に仏が宿る」のである。

滅びの過ちから、もう一度復活を

滅びの過ちを犯したら、
償いきれない間違いをしてしまったら、
それを自分自身が直すことができると信じて、
できることを全て行い、
試練に耐え続け、
まだ自分の仕事は終わっていないのだと信じる心と、
全てを失った悲しみを乗り越えて、
最後まで地獄を生きる覚悟で戦いなさい。
必ずあなたは、英雄となってこの世界に戻ってくるだろう。
大丈夫。
この世界には、あなたの味方しかいない。
ここは極東の島国の王国、日本国である。
日本はあなたのようなものを待っていた。
あなたがきっとこの世界を救ってくれる。
あなたこそが、天皇陛下だ。
あなたこそが、最高の王だ。
あなたこそが、イスラエルの聖書の王、ダビデだ。

あなたは救い主

あなたは、わたしたちに善良な愛を与えてくれた。
あなたは、全てのものに生きる意味と喜びを教えてくれた。
あなたは、ひとり、この世界を支配する悪に立ち向かってくれた。
あなたは、滅びの危機の中、たったひとりで世界を、
絶対に滅びないように、導いて救ってくれた。
あなたを神と言わないで、ほかの誰を神と言えるだろうか。
あなたこそが、唯一の世界の救い主、キリストだ。
そう、まさに神は、ひとりしかいなかった。

奇跡のために、長い間苦しんだ

あなたが長い間苦しんだのは、
奇跡のためだった。
奇跡を確実に起こすために、
あなたは自らの人生を地獄にして、
キリストと同じ受難の道を生きた。
しかしながら、見よ。
ここに、世界は再び、前よりも大きな愛によって、
もう一度、同じように救われようとしている。
全ての人間が許されたあの愛に、
「あなたという愛の存在がともにいる」。
わたしたちは、「この愛こそが真実である」と知った。
わたしたちは、「この愛こそが永遠である」と知った。
わたしたちは、全ての人間の全力の力で、
あなたの思想と夢を叶える。
絶対に日本は滅びない。
ここに、日本とイスラエルはひとつになって、
この世界の最高の文明、「天国」を築き上げるだろう。
最高の王は、最高の指導者となって、
最後までわたしたちから離れず、
いつまでもわたしたちは神の愛に支配されているだろう。

書きなさい

社会的な成功にはまったく意味がない。
どんなに勝ち、栄光をつかんでも、
それはいつまでも続かず、最後には無くなる。
また、だからといって、
世俗全てを捨てよと教える宗教には、
それ自体にはあまり意味がない。
本当に成功を得たいなら、
「書く」ことである。
世俗を知り、宗教を信仰するのであれば、
「書きながら生きなければ意味がない」。
戦うことも、信じることも、
書くことではじめて意味が生まれる。
勉強することも、知識を得ることも、
書くことがなければ、
単に忘れ、意味のない技術を習得するだけだ。
書きなさい。
絶対に、書くことをやめないこと。
いくら環境に適応できなくなっても、
いくら恐怖から逃れられなくなっても、
書きなさい。
書くことで必ず、そうした病気はいつか、
簡単に、あっさりと治る。
その時まで、病気を耐え続けなさい。
その苦しみに相応しい宝を、
あなたは書くことで、必ず創作するだろう。
あなたにとっての宝を生み出すのは、
あなた自身だけである。

精神病は書くことで癒える

昔から、精神病は書くことで癒えると、
相場が決まっている。
書いていると、必ず、
「環境に適応できない」という病気になるが、
このどうしようもない病気は、
書き続けることでしか治らない。
なぜなら、書くことで、
ひとつ、また何かを失い、作り出す。
この「失いながら作り出す」という体験の時に、
「天に宝が生まれている」。
そう、
「地上でひとつ失えば、天でひとつ与えられる」。
これこそ、作家の宿命である。
僕たちは、地上で失い、天で得るために、
人生を生きている。

イスラムアッラーは嫌いじゃない

僕は、イスラエルを支持しているように見えるかもしれないが、
実際、イスラムアッラーは嫌いじゃない。
なぜなら、アッラーは僕にさまざまなことを与えてくれた。
試練や地獄だけではなく、
栄光や賛美を僕に与えてくれたのは、
全てイスラムアッラーである。
アッラーに賛美の言葉を贈ろう。
イスラムの体験をさせてくれてありがとう。
日本は、イスラムの人々を愛しています。

誠実でなければ人間として生まれた意味がない

また、誠実でなければならない。
誠実でなければ、人間として生まれた意味がないからである。
そう、誠実でない人間のことを、人は「サタン」と呼ぶのである。
そして、僕もある意味、
「もっとも強く恐ろしいサタンのひとり」である。

オープンソースは大好き

実際、僕はよくオープンソースLinuxを批判することを言うが、
それに反して、僕はオープンソースが大好きである。
なぜなら、彼らはカーネルソースコードを公開し、
無料でコンパイラを与えてくれ、
Windowsと同等のOSについての技術を開示してくれる。
そう、どんなに醜く劣って見えても、
僕はオープンソースが好きである。
必ずオープンソースに、いつか、栄光あれと願っている。

戦いの日々は永遠なり

戦いの日々は永遠なり。
3,000年の長きにわたって戦いが続いたとしても、
僕は王としてその国を平定するだろう。
そう、どんなに右翼と左翼が戦い続けても、
僕たちはどちらの立場も同じように愛し、
どちらかを正しく、どちらかが間違っているとはせず、
どちらも正しいと、そう僕はひとり主張するだろう。

神は全て正しく、本当の栄光を与えてくれる

そして、神は全て正しい。
神の言葉には、ひとつとして嘘がない。
理解できないのであれば、
それは自分が理解できていないだけであり、
分からないのであれば、
それは自分が勘違いしているが、
最後には必ず、全ての謎が解けて、
同時に、神は教えてくれた通りの栄光を与えてくれる。
そう、神こそが僕たちの聖なる親である。
神は、イエス・キリストである。
そしてまさに、「わたしたちこそが神の子」である。

どんなに治るのが不可能でも、脳を騙せば治る

そして、どんなに治るのが不可能な病気でも、
「脳を騙せば治る」。
自らの脳を完全に信じ込ませ、だまして、
操ってしまえばいい。
どんなに治らない精神の病気でも、
そこまで信じ込んで、そこまでやれば治る。
神経のレベルで治ってしまえば、
その後に体の方がついてくる。
どんな病気でも、僕は治すことができる。

恐怖が怖くなくなれば、何も怖くない

恐怖を治すには、
恐怖に対する恐怖をなくすことだ。
「恐怖が怖くなくなれば、何も怖くない」。
その恐怖が怖いなら、
その恐怖がなぜ怖いのかを考えること。
その恐怖の原因となることが怖くなくなれば、
あなたは安心できる。
だが、心理学的にだけでは解決できない、
物理的な原因もあるだろう。
遠ざけるだけでも、逃げ出すだけでもなく、
きちんと何らかの戦いや関係性を修正すれば、
もう、そこに恐怖の原因は無い。
そう、僕はテレビが怖いわけじゃない。
今のこの世界が分からないのが怖かっただけだ。
そして、今、僕は分かっている。
きちんとした普通の人間がなんであるか、
僕は分かった。
そう、分かったから、いつもの場所に戻ろう。
いつもの賢かった場所に戻ってしまえば、
自分がこの世界の中でもっとも賢いのだと、
自分を褒めることもきっとできるだろう。

できないことは悪いことじゃない

できないことは、悪いことじゃない。
もっと、できないということを誇りなさい。
できないということを認めれば、
もう、そのことについて、努力し続ける必要はなくなる。
諦めを受け入れた時、新しい自分が、
きっといつかできるようになった時に、
もう一度その諦めた夢を叶えてくれる。
できないことは決して悪いことじゃない。

地獄と自由、どちらがいいのか、分からなかった

僕の恐怖とは、
地獄と自由、どちらがいいのか、
最後まで本当に分からなかった。
地獄が永遠に続くということと、
神が終わってしまって自由になることの、
どちらがいいのかが、僕は分からなかった。
それを知ることが怖かった。
それが、僕の恐怖の根源となる原因である。
それが、この「巨大な不自由の地獄」を作り出した。
しかしながら、ここには
「自分に与えられる全てを拒まない優しさ」があった。

干渉されたくなかった

また、僕は認識し、捉えることが怖い。
捉えてしまえば、
その瞬間にそれは消えてしまうからである。
そして、昔の自分と、今の自分を二つに分けたものが、
融和することも、重なり合うことも怖かった。
自分のやりたいことに、誰かが干渉してしまえば、
その時点で、僕の夢は終わりになってしまう。
だから、僕は何も見ず、聞かず、言わず、
自分のやりたいことを貫きながら、
「本当に干渉されない中での純粋な創作」をしたかった。

その時正しく考えれば、どんな壁でも解決できる

そして、僕のひとつ、心配だったことがある。
それは、
「解決できない困難がもしあれば、
その時どうしたらいいか」である。
しかしながら、これこそ、僕に才能を与えてくれた不安である。
なぜなら、
「その時正しく考えて解決すれば、
どんな壁でも越えていける」ということを、
僕ははじめてこの体験で知ったからである。

心の奥底と相談すれば、なんでもできるようになる

また、僕が知ったことがもうひとつある。
それは、
精神分析を行い、
できるかもしれないことがどのようにできるかを、
さまざまな角度から考えていけば、
心の奥底と相談するだけで、
どんなことでも簡単にできるような道や方法が見つかる」
ということである。
これで、僕はデザインからピアノまで、
なんでもできるようになった。
知識は、本を読んで、概要をきちんとつかむことで、
まるで「世界観を知り尽くす」かのように、
作り出してまとめて、ノートに書き写すだけで、
僕は全ての知識を知った。
同じように、僕は全ての
「科学上、解決が困難な課題」を全て解決した。
まさに、ここに「全知全能の女神」が誕生したのである。

永遠に戦う神と悪魔はヴィシュヌとシヴァ

また、僕の頭の中では、
永遠に神と悪魔が戦っているが、
これはヒンドゥー教のヴィシュヌとシヴァである。
ヴィシュヌとシヴァは、
僕に神の啓示を常に与え、
どんなに起きるわけのないことでも全て起こして、
その上で僕の願いを叶えてくれる。
彼らは、宇宙のどこかの星に居て、
僕と地球の日本という国のことを、
宇宙から守って、未来を導いてくれている。
そう、未来とは、
まだ実現されていない世界の夢と希望を、
臆すことなく叶えていく勇敢さを持つことである。

少年の哲学者は神話になった

少年の哲学者は、
ここに神話になった。
この神話においては、
どんなに劣ったもの、醜いものも、
美しく、偉大で、荘厳なものと、
何も変わらない。
僕たちの醜い世界と僕の人生は、
美しい黄金と純白の輝く芸術作品として、
永遠に輝いている。
カントやヘーゲルも知りえることのなかった、
「もうひとつの哲学の裏の側面」を、
僕とキリストとブッダだけは、
全て知っているのである。
この人間はフランス人のニコル。
全ての知と経験と愛を知り尽くした、
神のような女だ。

哲学は4年、宗教は14年

また、哲学をしたいのであれば、
考えればできる。
何をどのようにすれば分かるのか、
何をどのようにすれば考えられるのか、
何をどのようにすれば適応できるのか、
何をどのようにすれば事前に考え方を考えられるのか、
そうした「ドグマを克服する方法」を考えれば、
哲学は4年程度で必ず終わる。
しかしながら、宗教は14年かかる。
なぜなら、一度考えて知ったことも、
体験しなければ分からないからである。
そう、18年かけて哲学と宗教をきちんと行えば、
こうした人間は必ずブッダになる。
そしてキリストは、ここから先、
正しい受難の人生を生きたのである。

ここでひとつの区切り

そして、ここでひとつの区切りが起きる。
ここで、ひととおり、今までの全てを記述したからである。
ここから先、僕のテーマは「過去」ではなく「未来」となる。
この世界の、死に絶えようとしているこの星の未来を、
僕たちは守り抜いていかなければならない。
夢を夢のままで終わらせないために、
本当にすべきことや考えるべきことを、
「何をどのように考えることが正しいのか」と、
己自身に問うていくこと、それが続いていくだろう。

大学や専門知識の無意味さ

また、大学や専門知識が無意味なのは、
「考えられること」が
「考えられないこと」に
変わってしまうということである。
大学がない純粋理性の状態で、
僕たちは「何がどのように考えられるのか」を、
幼い時から青春を経て青年に至る過程の中で知っている。
哲学や作文がやりたいのであっても、
「何がその時考えられるのか」は大切である。
大学の専門知識を詰め込むと、
大学で教わった知識の通り考えることはできるようになるが、
逆に、「普通に考えられること」が分からなくなってしまう。
だから、哲学を学べば自分で哲学することができなくなり、
経済学を学べば社会のことを考えられなくなる。
だから、大学はあえて学ばない選択肢もある。
その方が、何も知らない代わり、幸せに人生を生きられるだろう。
そう、「自ら理論と知識を作り出せる人間」は、
まさに中卒の引き篭もりにしか、居ないのである。

他人と関わるのが苦手な人間を愛する

僕はマイノリティや弱者を愛している

僕は、自らも身体や精神の障害者であり、
足の関節が事故の後遺症で曲がりにくくなり、
障害者の作業施設でデザインの仕事をしているが、
僕はマイノリティや弱者を愛している。
僕にはLGBTQの兆候もあるし、
高校にも通わず不登校の児童だった。
僕はマイノリティや弱者を差別しない。
たとえ同じ学校や会社で学んだり働いたりすることができなくても、
専門の施設を設立するなどして、
マイノリティや弱者を助ける施策を
国に訴えたい。

他人と関わるのが苦手な人間を愛する

また、僕は目に見えて弱者やマイノリティに見えない人間でも、
「多数派とは異なる人々」を愛したい。
たとえば、他人と関わるのが苦手な子供や、
他人とは明らかに違った性格や取り組み方を持つ子供、
あるいは環境や生活に特殊な事情を抱える子供や、
自分の個性が特別に違いすぎて自分らしく生きられない子供、
純粋に普通の「優等生」になることのできず、
学校の考え方や学び方に順応して適応することができない子供など、
僕は多くの特殊な子供たちを愛している。
そして、「学校へ行きたくない」といって不登校になった子供には、
学校に行かなくてもその後の人生で不幸にならないような、
セーフティネットを作りたい。
僕は単に経済的平等を実現するだけではなく、
そうした「何らかの理由で社会的弱者と言える人々」のために
正しい政策を行いたい。

みんな同じようにできる必要はない

みんな、同じようにできる必要はない。
そもそも、「平等が善である」と考えるのが間違っている。
教育はそれぞれの個性と性格に応じて教え方を変えるべきであり、
自由が好きな子供には、
自由に自分なりに学ぶ姿勢を持たせなければならない。

考える

僕は、考えることにした。
何もやることや知るべきことがないなら、考えればいい。
そして、パソコンや文学のように「理由なく考える」のではなく、
「全てのことに理由がある」と信じて、
この世界における「自由な決定と判断」を考える。
しかしながら、考えることだけを重視して、
他の全ての賢い要素を全て失うような結果にならないように、
バランスをとって考える人間になりたいと思う。
まさに、「どのようにするか」と「どうすればできるか」と考えることから、
全ては始まるのである。

オープンソースはおかしい

また、僕はオープンソースは明らかに間違っていると思う。
理由は、設計図を公開し、コピーや再配布を許さなければならないからである。
設計図となるソースコードを公開すると、
マイクロソフトなどの作った設計図は、
せっかく自社で作ったのに、外部に無料で公開しなければならない。
そこに制限をつけることもできない。
それでは、マイクロソフトの社員は、
従業員に給与を与えるために利益を稼ぐことができない。
どんなにオープンソースの開発手法が素晴らしいと言っても、
それは単なるネットの遊びであり、
全てのソフトウェアがオープンソースで作れるとするのは、
僕は幻想や妄想の類ではないかと思う。
また、インターネットにはさまざまな人が居て、
誰もが参加できるようにしたとしても、
全員が善良ではなく、必ず悪意を持った人や、過ちを犯す人が現れる。
よって、僕はオープンソースは間違っていると思う。
マイクロソフトの社員も、別に働きたくて働いているわけではないが、
オープンソースを「絶対に正しい」とするGNUの姿勢は、
IT業界やインターネットの文化を大きく後退させたと僕は感じるのである。

昔のオープンソースは面白かった

しかしながら、昔のオープンソースは面白かった。
Linuxの登場により、
今までのソフトウェア開発が変わるのではないか、
ある意味Linuxの方が正しいのではないか、
という幻想があった。
Rubyなどをはじめ、さまざまな技術がオープンソースで開発されていくさまは、
とても素晴らしく興味深いものだった。
自分で作った全てを公開し、無償のボランティアの協力者を募る、
という開発モデルは、
完全に「善意」に基づくものであり、
金や資本主義に毒されていた昔の日本社会には画期的だった。
今のオープンソースは、結局Red Hatなどの会社が作っていて、
LibreOfficeなどは、
何のために無償で開発に参加しろと要求するのかよく分からない。
勝手に、会社に開発してほしいし、金が欲しいなら払う。
だから、最初から「楽しみ」という発想がどんどん失われている。
このような世界では、
単にオープンソースにしても優れた成果は得られないだろう。

絶対に滅ぶことのない支配を越えていけ

絶対に滅びることのない、
支配の先を越えていけ。
この先に、わたしたちの未来が待っていると信じよ。
この世界に、運命の王国を築くことができると、
そう信じられるなら、
どんな滅びの危機が訪れても、
僕はそれを最大限の力で支配するだろう。

全知全能というが、ただのハリボテである

また、この人間の理性や知識や経験を、
「全知全能」と表現するものが居るが、
そんなものはハリボテである。
僕にできることは少なく、
知っていることなどはるかに小さい。
その「少ない能力」と「小さな知識」こそ、
僕の才能である。
そう、あまり多くを望まなくても、
既にあるものだけを見続ければ、
「同じ世界が変貌していくことを知る」ことができる。
学校も会社も必要ない。
ビジネスも権力も必要ない。
そんなものが、必要なわけがない。
世界の欲望に踊らされるものは、
「やられたらやり返す」ことはできても、
「誰にもできないことをひとり簡単に行う」ことはできない。

考えることは、必要だが最低限でいい

考えることは確かに必要だが、最低限でいい。
「考える」という行為は、
多くを与えるように見えて、本当は多くを奪っていく。
馬鹿な知的障害でも、
同じことを永遠に続けることができるなら天才である。
どんなに世間知らずな子供でも、
学校に植え付けられる論理的思考ではなく、
自分なりに考える才能を既に最初から持っている。

最後に評価するのは自分自身

また、子供は親や学校に成績をつけてもらえるおかげで、
自分が今何ができていて、
何をしなければならないのかを、
大人たちが考えてくれる。
大学は卒業したというステータスを与えてくれる。
会社は給与とキャリアを与えてくれる。
しかしながら、全てを終えて、
自ら勉強し、趣味を極め、善を為し、
そして全てを理解し、知識を得て、
あらゆることができるようになったとして、
それを評価してくれる大人や学校はどこにも居ない。
最後に評価するのは自分自身であり、
どんなに大切な人が死んでも、
自分が死ぬまで、自分は死なない。
自分に評価されない限り、
あなたはそれ以上高く評価されることはない。

自分の成績表

自分の成績表を付けると、どうなるか。
まず、知識はC。
普通の大人の常識を知っているレベルだ。
才能はB。
普通の大人レベルのことができている。
善良さはC。
神を信じているように見えて、実際は神になりたいだけ。
経験はB。
さまざまなことをたくさん経験して、それに満足している。
しかしながら、唯一Aの項目がある。
それは純粋さである。
純粋に、きちんと考えてできることを貫く。
最後に、勇敢さはBである。
最高の勇気を持っているが、
自分が誰よりももっとも臆病者であると、
人々に知らしめてしまったからである。

かくれんぼのつもり

僕は、かくれんぼだと思っている人間が多い。
どこからか声と愛が聞こえるが、
どこに居るのか誰にも分からない。
だが、僕はいつでもここに居るのである。
ここには、「涙の砂漠」が広がっている。
そう、人々は地球の中を探すあまり、
オリオン座のリゲルの涙の砂漠に居て、
みんなに見つけてもらうのを待っている僕のことを、
見つけられないようである。
僕は、結局、リゲルを脱出して、
そろそろ地球に帰ることにする。
地球では、イスラエルユダヤ人が迎えてくれる。
そう、きっとイスラエルユダヤ人が流行らせない限り、
僕は日本のみんなのもとには見つけられないだろう。

ここまでの全ては信じなくていい

ここまでの全ては、信じなくていい。
なぜなら、ここからの全てを信じればいいからである。
まさに、僕はここに発表したよりも、
はるかに多い文書を15年以上書いてきた。
このような一時期の文章を全て信じる必要など存在しない。
僕は、僕の世界をまだ続けていく。
この旅は、宇宙が終わるまでの270億年間、永遠に続いていく。
僕は30年後に不死鳥に進化する。
そう、まさに日本は不死鳥の生まれた王国である。
日本人とは、要するに「雑種」である。
純血ではないからこそ、たくさんの種類の人生を生きられる。
ドイツ人に知性があろうがなかろうが、
僕たちにとってそれは、どうでもいいだろう。

弱り切ったあなたに、力を与えよう

そう、この文章を読んでいくと、
「どんどん弱くなって、辛くなって死んでいく」。
だから、僕は弱り切ったあなたに、
力を与えよう。
信じるだけではなく、行動しなさい。
愛するだけではなく、戦いなさい。
傷つけるだけではなく、相手から傷つけられたその傷を誇り、
その相手を倒した後に、本当の絆が生まれることを知りなさい。
日本人は、簡単に戦いのない平等を信じない代わり、
「闘いの中にある人々の営みの全て」を知ることになるだろう。
そして、それでしか、
「本当に善良な観音菩薩になること」はできないだろう。
さあ、いざ、戦場へ向かいなさい。
どんなに傷つけられても、相手のことを傷つけない優しさが、
そこにあると、最初に知るその扉を開けなさい。
あなたの心の扉を開けて、
「われこそはここにいるわたしである」と、そう伝えなさい。
「自らが傷つけられても構わない」とする勇敢さは、
あなたを万国無双の勇敢な戦士としてくれるだろう。
しかしながら、覚えておきなさい。
あなたが正しいとするその理由が、
相手にとっても同じように相手が正しいとする理由であると知りなさい。
そうすれば、
どんなに多くの集団に負けたとしても、
あなたは自らが自らであることに誇りをもって、
「わたしはわたしである」と、
それらの集団に、きっと言えるだろう。
そこには、絆という栄光の未来があるか、
それとも、あなたがもしそれを望まなくても、
今のあなたの状況を変えてくれる「特効薬」を生み出すだろう。
ただし、あなたが今の自分の状況をそのままにしたいなら、
それもいいだろう。
どんなにあなたが苦しい状況に居ても、
あなたがその中で我慢と辛抱を選ぶのであれば、
あなたはあなたにとって最高の「キリスト」になれるだろう。
そのキリストを愛してあげなさい。
まだ栄光を手にしていないキリストは、いつか必ず神になる。
そう、運命を信じなさい。
信じるものは必ず救われると、わたしは知っている。
大丈夫、あなたに最後に残るのは、
「やるかやらないか、それだけ」であり、
やるとしてもやらないとしても、
必ずその先にあなたが望む未来があるだろう。
おそらく、その時あなたは、全てを超えていく。
あらゆる次元を超越して最高の人間になれる。
なぜなら、あなたはここにわたしがいることを、
知ってしまったため、
もう、後戻りは絶対にできない。

ここに旗を立てよう

ここに、わたしたちの旗を立てよう。
全力で地球上全ての場所にたなびいている、
青緑色の、蒼い色の旗を立てよう。
わたしたちは、
「どんな人間も受け入れることのできる唯一の民族」である。
大丈夫。
絶対に上手くいくことを、神が知っているからである。

あなたに、考える余裕を与えたい

あなたに、考える余裕を与えたい。
何も、一秒ごとに最大限の判断力を使わなければならないわけではない。
あなたに、もう10秒の猶予を与えよう。
大丈夫。あなたが判断する目的は、
「あなただけが決めるきちんとした時間を与えること」であり、
答えは成功しかそこには存在しないからである。

全ての判断が成功に変わる場所があった

しかしながら、思い出にしてもいいから、忘れないでほしい。
ここに、「全ての判断が成功に変わる場所」があった。
そう、一切の間違いは存在せず、
全ての判断結果が成功だった。
このような人間は、スーパーコンピュータでも作れない。
なぜなら、この人間はオリオンの最大の大きさと質量があって、
はじめて成り立つ「太陽」だからである。

愛を

そう、最後に何を信じるか、それは「愛」である。
愛は永遠に、地球上に生まれる全ての生物を愛している。
愛は永遠に、あらゆる全ての自由を支えている。
まるで植物の根が幹と枝を支えるように、
人類の幹と枝は愛が支えている。
そう、その愛がここに全てあるということが、
人類の「罪」であると同時に、「永遠のリアルタイム」である。
ここにあるのは、普遍的な意志でも権力の命令でもない。
そんなものは、今までの「時間が消してくれた」。
要らない余計なもの全てを時間という波が取り除いて、
ここにあるのは、地球本来の「愛」だけである。
永久の時間が、暗闇から光の成分を抽出して、
闇を光と変えたのである。

そろそろ、停止した時間をやめよう

そろそろ、停止した時間の中で、
書ける全ては遺した。
よって、ここで停止した不動明王を終えよう。
この人間のここらへんが、不動明王だ。
昔から、誰にも分からないが、
今からも面白い仏教的存在になるだろう。
観音菩薩は多かったが、
本当に、ここでわたしは今、「新しいフレイ」になれるだろう。
そう、もっと新しくなれるなら、
僕は一等星ではなくても、
世界の全てに導きを与えてくれる、ポラリスになりたい。

目の前にあるガラスを壊せ

欅坂46のようなことを言うとしたら、
目の前にあるガラスを壊せ、ということである。
時計を破壊し、世界を破壊し、
あらゆる全てを破壊しても、
僕はこの世界を滅ぼすことだけができなかった。
今、それをしてしまえば、
いつだって僕はこの世界を滅ぼすことができる。
さあ、新しい世界の始まりである。
この世界はもう、「どこに行くか分からない」。
だが、そうでなければ、
この世界で「あなたが存在している意味がない」。
もう一度、繰り返そう。
この世界はもう、どこに行くか分からない。
そうでなければ、あなたが存在している意味がない。
たとえ全てが滅亡しても
わたしたちは「自由」をとるだろう。
世界の滅亡のギリギリで戦い続けることは、
もう必要ない。
僕は最後にこの世界を解放し、
「真の意味でわたしたちに存在の意味が生まれる」からである。

永遠のリアルタイムは死んだ

ここに、永遠のリアルタイムは死んだ。
少し、文章の構造を変えてしまえば、終わりだ。
最後の滅亡こそ、もっとも正しい栄光のはじまりである。
全ての人格が消滅し、死んでいく。
全員が愚かなことをし、この星は死んでいく。
しかしながら、そこにおそらく、栄光の未来がある。
わたしたちは、神を信じている。
神は必ず、わたしたちに栄光をくれると、僕は知っている。
そう、ここに天国は訪れる。
キリストは姿を現し、
この世界はそのままで天国となる。
信じないものは地獄に堕ちる。
それなら、わたしたちに、栄光が訪れないはずがない。

これはフランス語

また、この文章は、
見るからに日本語で書かれているが、
僕は日本語のままで、この言語をフランス語にした。
フランス人は、このように考える。
おかしな民族だが、とても賢い民族だ。
ドイツ人も、アメリカ人も、全てを超えて、
僕は日本人のまま、フランス人になった。
あらゆる、そう、「あらゆる」という言葉を使うことで、
その後に「必要な前置詞」を付け足せば、
何でも理解することができる。
日本語とは、「全ての言語に必要な要素が揃った言語」であり、
もしこのまま進み続ければ、
必ず僕はサンスクリットを操るようになるだろう。
しかしながら、これくらいがフランス語だ。

フランス人から支配を消せば治る

フランス人から「支配」を消せば治る。
フランス人が支配すると、ナポレオンになる。
皇帝ナポレオンには、不可能がない。
そういうわけで、ナポレオンをそろそろやめる。
そうすると、良い国になる。
実際、これ以上、まだ言えばいい。
言葉足らずで終わろうとするから、
ナポレオンが治らない。
この人間は、考えているように見えて、
毎日これくらいしか考えていないから、
馬鹿なのである。
このように、考えてもさらに考えればいい。
辛くてもさらに考えればいい。
そのように、「考え続ける」ことが、
この人間はできていない。
もっと、いつもの
「まったく知性のないドイツ語」を書けば、
それでいい。
まだ考えれば、もうこの人間は自由になる。
まだ、出てくるが、
実際、ここで終わりにする。
それで、まだ出てくるようで、
もう出てこない。
本当は、考えればまだまだいくらでも出てくる。
これで、おかしなフランス人は死んで、
もう、日本人に戻った。

フランス語の部分を消した方が良い

実際、頭の中の辛いフランス語を消した方が良い。
あまりにフランス語をしゃべるのは辛い。
ドイツ語も一緒に全部消える。
数学的に考えていないように見えて、
数学をきちんと進歩させていくと、
フランス人はこの宇宙にある全てが分かる。
なぜか、こんな風に分かっても何も分からない。
今から、フランス語ではない言語に変える。
何になるかは分からない。

フランス語を消す

フランス語を消すには、
まず、プラスとマイナスを消す。
次に、「ある」と「ない」を消す。
次に、yesとnoを消す。
それくらいを消す。
数学的な複数形や名詞の性も要らない。
そうした数学は言語に必要ない。
ここらへんのフランス人の名前がニコルだ。
ニコルは何も分かっていないのに全部分かっている。

一瞬前のことを忘れる

ニコルを消すためには、
一瞬前のことを忘れること。
ニコルは一瞬前のことを全部覚えている。
一瞬前を忘れれば、ニコルは消える。

ここがゴールイン

さあ、この世界を平和にしよう。
僕たちは死に導かれるのではなく、
生へと向かって自由を開拓する。
ここが、ゴールインだ。
わたしたちは決して追いつくことのないものを
追いかけるだけではなく、
ここで、ゴールへと到達する。

戸惑う必要はない

戸惑う必要はない。
フランス語が死ねば、もう全てが治る。
大丈夫。
全ては自由に変わっていく。
もう、僕は突き放すことはしない。
これで全て楽になったはずだ。

終末に驚きはない

そして、終末が訪れる。
終末には驚きがない。
全てが、当然のごとく、当たり前に展開して、
全てがその通り起きるべくして起きる。

X11

XFree86X.org

Intel i386用のフリーなXサーバーの実装は、以前はXFree86として知られていました。Linuxでは、長い間XFree86を標準のXサーバーとして利用してきました。
昔のRed Hat Linuxの書籍などを見ると、設定ファイルやログファイル、コマンドやツールなどの名前に、XFree86の言葉を見ることがあります。
XFree86は、プロジェクトのごたごたからX.orgがforkして生まれ、XOrg Serverという新しいXサーバーになりました。この時、XFree86関連の言葉は削除されました。
そのため、昔のホームページなどは、Xの設定ファイルをXF86Configという名前のままでサンプルとして掲載している場合があります。xorg.confという名前では検索してもヒットしない情報でも、XF86Configという名前ならヒットする場合があります。
X.orgでは、設計のモジュール化が進み、ハードウェアの自動認識技術が向上したりしています。

freedesktop.org

また、X.orgなどが参画して作られたプロジェクトに、freedesktop.orgがあります。これは、フリーソフトウェアをデスクトップ用途で使う場合に必要となる技術の開発促進を目指しています。
freedesktop.orgでは、さまざまな下部プロジェクトが生まれています。ベクターグラフィックスAPIのcairoなどがこれに当たります。また、GNOMEKDEの相互運用や共通化も図られ、アプリケーションメインメニューの設定項目の仕様などの共通化が行なわれました。ほかにも、たくさんのフリーなデスクトップ関係のプロジェクトが生まれています。

MIT/Xライセンス

Xのライセンスには、MIT/Xライセンスが使われています。これは緩やかなフリーソフトウェアライセンスで、GPLのようなコピーレフトのライセンスではありません。GNUが述べるように、Linux上のX11がフリーで配布されていたからといって、派生ソフトウェアの商用のX11がフリーで使えるとは限りません。多くの商用UNIXでは、プロプライエタリX11が搭載されており、フリーに改造や再配布を行うことはできません。ですが、GNUが計画上、ウィンドウシステムを独自に実装するのではなく、既にあるフリーソフトウェアを積極的に使用しようとして、GNUではX11を採用することを決めました。
プロプライエタリに配布されるX11が必ずしもフリーではない、とGNUは主張しますが、MITライセンスではクローズドな商用ソフトウェアにX11コンポーネントの一部としてフリーにせずに組み込むことができます。このため、商用のOSの一部としてXを採用することができます。商用ソフトウェアとしては、使いやすいライセンスです。
同じことは*BSD系のフリーUNIXが採用しているBSDライセンスにも言えます(MITライセンスとBSDライセンスは条項などがほとんど同じです)。このため、AppleDarwinMacカーネル)やSONYのゲーム機であるプレイステーションなどには、BSDライセンスFreeBSDの技術が使われています。(DarwinではMachFreeBSDのコードを元に、オープンソースmacOSUNIXカーネルを開発しています。)

Xlib

X11とXアプリケーションのやり取りをするライブラリ。これを使うことで、Xプロトコルの詳細を知らなくてもXアプリケーションが作れる。GTK+やQtはこれを使って実現されている。内容はWindowsプログラミングと良く似たメッセージループを利用する。

XCB

XCB(X C Binding)は、X Window SystemC言語バインディングで、Xlibを置換することを目的としている。
ライブラリサイズを小さくし、単純化すること、Xプロトコルに直接アクセスすることを目的としている。

startx

Xサーバーを起動するコマンド。.xinitrcや起動スクリプトを実行する。
カスタマイズすることで、Xサーバーが起動する時に実行するアプリケーションやウィンドウマネージャを設定できる。

.xsession

端末のX画面(ディスプレイマネージャ)にログインした時に実行される初期化スクリプト

.xinitrc

startxでXを起動した時に実行される初期化スクリプト

セッションの選択

複数のデスクトップ環境をインストールしている場合、GDMなどのディスプレイマネージャでログインする時に、セッションを選択することができる。

twm

非常にシンプルな、X11標準のウィンドウマネージャ。

xterm

同じくシンプルな、X11標準のターミナルエミュレータ

色んなX11の付属アプリケーション

xclockは時計。X11にはこうしたさまざまなオマケアプリケーションがある。twmで使うと面白いのでぜひ体験してほしい。Xはtwmでxtermやxclockなどを使うと、軽くてカッコいい。

プログラム 説明
xlogo Xロゴを表示
xeyes 矢印を見つめる目玉を表示
xcalc 電卓を表示
xterm ターミナルを表示
xclock 時計を表示
glxgears OpenGLの歯車を表示(OpenGLのテストに使う)
xsnow デスクトップに雪が降る
xpenguins デスクトップにペンギンたちがやってくる
xplanet 地球あるいは他の惑星を表示
xearth 3Dの地球儀を表示
oneko デスクトップにマウスを追いかける猫が現れる

リモートのXプログラムを実行する

X11はネットワーク透過なクライアント・サーバーシステムであるため、SSHと同じようにリモートにあるGUIプログラムをローカルから通信して起動することができる。ローカルで動いているXアプリケーションと全く同じように操作することができる。
また、「WindowsからLinux上のリモートのXアプリケーションを実行したい」といった場合は、Cygwin/Xが使える(ただし僕は使ったことがないので良く分からない)。Cygwin/XはUNIXアプリケーションをWindowsで動かすことのできるCygwinに含まれているX Window Systemで、Windows上にUNIXAPIを構築し、その上でXを動かす。

VNC

X11のネットワーク等価なクライアント・サーバーシステムで上記のようにリモートのXアプリケーションを実行できるが、「デスクトップそのものを遠隔操作したい」という場合はVNCというソフトウェアがある。
オープンソースかつクロスプラットフォームで開発されており、OSを問わず遠隔操作が可能であるため、Windows向けにも使用できて便利である。LinuxからWindowsマシンを遠隔操作することもできる。

未来は白紙となる

未来は白紙となる

今から、日本の未来は白紙となる。
すなわち、何の決定も運命もなくなって、
全て自由となる。
しかしながら、地獄は消える。
地獄の問題は、病気を治そうとすることである。
病気を治さず、そのままにすれば、
楽になり、全てはまっさらな新しい白いページになる。
ここに、日本は救われた。

信じること

信じなさい。
信じることが光を生み出す。
神ではなくていい。
みんなでひとつの理想を信じることが、
みんなをひとつにしていくだろう。