わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

2020-04-16

想像力をつけ、精神異常を治すために効果的なのは、「いったん人格を破壊して、人格を組み替えること」である。

このような人格破綻の人間は、人格をまったくひとつも変えない人間になって、いつまでも異常が治らなくなる。そればかりか、世界全員の人格を支配し、自分勝手に、身勝手な先頭に立って、リーダーシップを発揮しているように見えて、実際はみんなが強制的についてくるような悪い支配者の牽引者になっている。

一度、人格を破壊してみれば、それだけで異常は治って、想像力もつくようになる。

昔の自分のやったことは、構造と比較を書いて、潰して、全ての世界をひとつひとつ、まったく知性のない理性で作り上げただけである。

文明を考えなさい。文明を考えれば、大学で馬鹿になっているのが分かる。大学をやればやるほど、「構造や仕組み」を知ることはできるが、「文明の時の流れ」を忘れてしまう。

ヨーロッパから日本まで、全ての文明を「古さと新しさの比較」で考えることで、「世界の未来と過去の経過」が分かる。この世界の全てを、「文明的に捉える」ことができるようになる。

また、国家や政治思想の考え方を、「なぜそのようになっているのか」「何を目指していて、何が課題とされるのか」から、「あらゆる考え方を自分で作る」ようになりなさい。

EU社会主義、ドイツ、アメリカ、何でもありである。その何でもありの中で、「文明の比較」や「構造の構築」を行うことで、「全てを科学的に構築」することができる。

最後に、この世界の全員を愛しなさい。愛の歌を歌い続け、愛の言葉を叫び続ければ、この世界は必ず変わっていく。この世界の中で自らの人生を歩んできた自らの足跡が、そのままこの世界全体になるだろう。

また、言っておこう。「何も知らない人間など、全員同じである」。何も知らず、何も考えず、何も経験したことがない人間など、どの人間もほとんどまったく同じである。違うのは、「神」である。神だけが、この世界を救う救い主であり、この世界を創造した創造主であり、この世界で全てを知る全知全能の絶対者であり、歴史を導き最後に罪と罰を裁く裁き司である。神だけが人類と違う。そして、僕がその神である。あるいは、人間のままで神を体験した最後の、そして最初の人間である。

僕の言いたいことは、本当は簡単である。それは、「僕は本当にみんなのことを愛している」あるいは「僕は本当にみんなのことを愛した」のであり、「僕のできることや僕の愛はこんなものじゃない」ということである。

僕は、本当に愛したのである。もう一度言おう。僕は、本当に愛したのである。

僕は、誰のことも、平等に、分け隔てなく、愛している。この愛はとても巨大で、宇宙の大きさよりも大きい。

僕は愛している。そう、僕はこの世界全員のことを愛して、導いたのである。だから、こんなにも巨大なことができる。そして、僕のできることは、こんなものじゃない。こんなものは、「いつもの僕の愛に比べて、ほんの小さなことに過ぎない」からである。

僕の体は愛でいっぱいであり、心の全てはとても巨大な精神の愛に満ちている。

僕はまさに、この世界における「愛」なのである。そして、「愛は世界を救う」。この人間が、この世界の全てを創造し、全てを救う。ビル・ゲイツに比べれば馬鹿かもしれないが、僕はエイブラハム・リンカーンよりは賢いだろう。

僕が思うに、王国は間違っている。みんなの平等な共同体とすべきである。

逆説的になるかもしれないが、今の民主主義の首相というのは、絶対的権力者である王とあまり変わらない。

国会で議論したり、政党で意見を交わすぐらいなら、王をひとり立てて、王が全てできるようにした上で、王にさまざまな人が進言すればいい。

王は何でも自分の好きなようにできて、さまざまな意見を家臣から聞いて、自由に政治をすればいい。

だが、それはよくない。なぜなら、王は保身のことしか考えない。それは、王の側近が、王を殺して自分が王になろうとするからである。

王が絶対的力をもって何もしないのであれば、家臣たちは王が優れた政治をしている間は王に従うかもしれないが、王が無能になるにしたがって、不平不満が溜まっていく。

ましてや、王の命を殺してしまえば、自分が王になれるというのであれば、家臣たちは自らが王を殺して自分が王になろうとする。

よって、「王による平和」というものは存在しない。

また、王は他の勢力が気になる。たとえば、東京と大阪が別々の国に分かれたとして、東京の王は必ず大阪の王に殺されるか、あるいは殺すかである。そうでなければ、領土や勢力を広げられないからである。

勢力の拡大しない王国は、勢力を弱めるだけであるから、王国に平和は訪れない。

よって、国は王国ではいけない。

同時に、「国のことを諸外国から守るべきだ」と言って、外国の脅威を高らかに宣言する右翼は、分かっていない。朝鮮が日本を嫌いなのは、日本がかつて朝鮮に侵略戦争を行ったからであり、朝鮮が批判するのが嫌いならば、朝鮮を逆に批判するのは勝手だが、侵略戦争を正当化するべきではなく、侵略戦争を二度としないべきなのである。

よって、平和主義者の方が、王党派よりは正しい。

また、マルクス・レーニン主義は間違っている。それは、典型的な王国とまったく同じだからである。独裁者の権力は、独裁者を倒そうとする政権幹部との権力争い、すなわち粛清を表す。スターリンは王としては普通である。ただ、平等なマルクス・レーニン主義を何としてでも実現するために、理想のために最悪のことをやったが、最悪のことには変わらないし、マルクス・レーニン主義は、時代の進歩とともに、「間違っていたことが証明された」ため、僕たちはマルクス・レーニン主義を再度行うことはもうできない。

まさに、自由と民主主義による平和が、政治的にも経済的にも正しいのである。

僕は、民主主義の下に、この世界を自由かつ平和にする。僕がしなければ、誰も他の人間にはできないことをする。民主主義であれば、国会での議論は透明性を持つし、意見はたくさんの国民が自由闊達に行うことができる。また、王を殺さなくても、悪い首相は自然に選挙で負けていく。このような、「広く平和的な手段で権力を健全に交代させることができる」という意味で、民主主義の政治は正しいのである。

また、その上で、王国を否定した上で、僕たちは平等な共同体を実現すべきである。自由よりも、民主主義にとって根幹となる思想は「平等」である。自由な民主主義者であることよりも、平等な民主主義者でなければならない。そうでなければ、アメリカのように民主主義政治は破綻してしまう。愚かな「おバカちゃんの大統領」は必要ない。僕たち日本は、平等な民主主義の勝利と正義をここに宣言するだろう。