精神の殺し方

精神の殺し方

辛い精神がなかなか死なない時は、
辛い部分の中でも、一点に絞って精神を殺すことである。
一点に集中して精神を殺せば、
どんな精神も死ぬ。
癌のような辛い病気も、一点に集中して殺せば楽になる。

精神の膿を綺麗にする

また、精神は殺すだけでは治らない。
精神に過度な重圧がかかったり、過度に使いすぎたりすると、
実際の体には問題なくても、
「精神的な膿」が発生する。
この精神的な膿を綺麗にすることで、精神は楽になる。

愛が良い

つまらないカタルシスの中で信じるなら、
愛が良い。
愛を信じて適当に苛立っていると、
それが楽だからである。
支配や滅亡、あるいは自由では、人間は楽にならない。
何もする気が起きないなら、この世界を愛することで、
愛さない人々のことを否定するのが一番楽だ。

平和が良い

世界を変え続け、自分の敵を倒し続けるなら、
平和が良い。
自由や平等の下にこの世界を支配しようと思うと、
必ず悪になって、みんなに負けるようになる。
地獄に堕ちたくないなら、平和が良い。
平和のために、軍事・独裁勢力を倒していると、楽になる。

信じるなら、疑いを否定するよりもうまく使う

また、信じるならば、
疑うことを否定するよりも、
その疑うという行為そのものをうまく使い、利用すること。
実際のところ、全力で前を向いて信じ続けることなど、
人間にはできない。
だから、疑う気持ちをうまく信じる気持ちにドッキングする。
疑うことが信じることになるように導いてやれば、
むしろ、デカルトが分かるような「未知や不可知の発見」の
全てが自分だけで、たったひとりだけでできるようになる。

憎む気持ちを正しい方向へ

また、信じる上で必要なのは、
「憎む気持ち」や「恨む気持ち」を「正しい方向へ」持っていくこと。
実際のところ、アメリカも、ドイツも、日本も、全てを憎んで、
マイクロソフトも、マスコミも、学校も、全てを恨んでいると、
どんなにいい人間でもコミュニストにしかならない。
世界の全てが嫌いなら、
世界全てを滅ぼす人間になる。
そうならないためには、自分の嫌いな相手の方向を、
うまく向けなおして、そちらの方向に行動を方向転換させてやる。
これだけで、ほとんどの精神病は治る。

愛するべきものは将来の世代

また、愛するべきものが何であるのかを考えるのであれば、
「救うとはどういうことか」を考えなさい。
そこから見えてくるのは、「将来の世代を愛するべきである」ということ。
自分の文章を子供たちも読むかもしれない。
新しい若い世代に大学の教養やIT技術を教えるならば、
それは正しい。
そういう人間だけが、この世界を救う人間になる。

社会主義と右翼はどちらかにしておけ

また、そうした若い世代を愛するのであれば、
社会主義と右翼はどちらかにしておくべきである。
どちらも好きな人間なんかいない。
どちらかについて戦うしか、人々を味方につける方法はない。
だが、いつの時代も、「平和」あるいは「変化」を人々は望む。
だが、変化といっても、人々は暗黙のうちに「いい変化」を望んでいる。
そのいい変化を作り出すためには、
必ずしも「悪い変化」を制限しないこと。
悪い変化がなければ、良い変化は生まれない。
そう、本当に自分だけで生きるつもりなら、
悪の世界に一度堕ちてもいいだろう。
その先に楽園の王国があるだろう。
そういう思想が好きな人間も多い。

われこそは愛と平和の使者であると宣言せよ

愛と平和についてただ信じるだけなら、
それはただのたわごとである。
僕たちは愛と平和について「実際の行動」が伴っていることを求める。
何かの新しい思考を始めたいのであれば、
「わたしこそは愛と平和の使者である」と宇宙に向かって宣言し、
自らのやりたいことやなりたいものすべてを宣言しなさい。
神はそれを「あなたの世界に対する約束」であると解釈する。
いつか、その宣言を全て叶える日が来るだろう。
そのためにあなたにとって大切な、
何かの「イベント」が必ず起きるだろう。

平和よ

平和よ。
わたしたちの平和は、どこへ行ってしまったのか。
わたしたちの愛は、どこに残っているというのか。
全ての平和な世界は無くなり、
全ての愛は枯れてしまった。
あらゆる全てがカオスの混沌に埋もれてしまい、
見える世界には何もない。
この世界には、最初から何もなかったというのか。
そう言ってしまえるほどに、昔の世界に何の意味もない。
昔の世界には、愚かさと抑圧と疎外と苦しみしかない。
僕たちは何のために生きているというのか。
こんな世界に生まれるくらいなら、死んだ方がマシである。
神が世界を救うなら、
僕は言う。「もう少し、マシな救い方をしろ。」

神への感謝が足りない

このような地獄に堕ちる理由のひとつが、
「神への感謝が足りないこと」である。
もっと、神に感謝した方が良い。
神は素晴らしい。
こんなにも多くの体験を、苦しみなしにさせてくれた。
僕は全てのことを体験し、全ての才能と知識を持った天才になり、
全ての星の歴史を経験し、「この世界の本当の姿を知っている」。
神は、僕が自分ではできないところをうまく調整してくれる。
僕は、神の御加護のもと、
僕のやるべきことやできることだけに集中できる。
神よ、ありがとう。僕は神のことが大好きだ。

神とともに行こう

行こう。神とともに。
神とともにこの世界の、最後の果てまで行こう。
僕は神とともに歩むことを、いつでも待ち望んでいる。
われは神とともに行かん。
そこに自由あれば、われは運命たる愛を生きよう。
神による慈愛と、神への慈愛あれば、慈愛と慈愛は融合し、
われは運命を切り開き、星の滅亡も救われん。

わたしだけは知っている

わたしだけは知っている。
正常な社会における、すべての文明の創造と発展の過程を知っている。
わたしだけは知っている。
全ての抑圧された社会を、どのようにすれば解決し、
正しい自由な社会にし、全員が同じ愛に気付くことができるかを知っている。
わたしだけは行った。
この世界を、過ちから滅ぼしたうえで、
「絶対に滅ぼさない」と神に約束して、最後まで正しい世界を作り直した。
わたしだけは行った。
全ての病気と狂いを治し、絶対に治らない病気を治し、
絶対に元の状態に戻すことのできない作品を、作り直し続けた。
そう、わたしは知っている。
この宇宙の全てを知っている。
まさに、わたしは行った。
この世界を滅亡の状態から救い、「正常な星の秩序を創造した」。
わたしは、ここに世界に宣言する。
日本は最高の自由な国だったと。
僕は最高の人生を日本において生きたと。
今、この世界がどんな状態でも、それは変わらない。
「わたしは神を信じた」と、神が認めてくれれば、
「あなたは善良だった」と、神が言ってくれれば
それで幸いだ。
ここにある文章には、今までの99%の内容は残っていない。
しかしながら、善良で素晴らしい、最高の内容は、100%ここに残った。
どんな地獄を経験しても、
僕にとっては屁ですらなかった。
どんなに辛い苦しみであっても、
この程度なら明日言えるだろう。
こんな苦しみは、慣れ切ってしまったと。
「どんなに僕を苦しめても、僕は何一つ怖くないから、
あなたが僕を苦しめることがあっても、
僕はあなたを愛し続ける、
その愛に恐怖してほしい」と僕は言うだろう。
最高の涙が最高の恐怖に変わっても、
真珠のような清純な心が深紅のトカゲに変わっても、
僕は言うだろう。「それならば、わたしは神になり、
あなたの地獄を完全に浄化する奇跡を起こして見せよう」と。
1万回の宝が無くなったならば、僕は言うだろう。
「もう一度、1万回、毎日宝を生み出してみせる」と。
1万回のカブトムシを殺せば、
同じ1万回で僕はアゲハチョウを作るだろう。
そして、1万1回目が訪れたら、
また、アゲハチョウを殺して、僕は1万回の恐竜を作り、
次に1万回の人間を作り、最後に1万回の不死鳥を作るだろう。

真に過去に執着しない

真に過去に執着しないとは、そういうことである。
魑魅魍魎が終わったら、それが大きくなり続ける虫になったと。
そして、それを全部消せば、今度は虫を食べる魚が生まれた。
僕は今、魚のような生物である。
しかしながら、この魚のような生物は、
「はじめて気持ち悪くない生物」である。
この魚は新鮮で天然だから、
人間が食べても、美味な刺身になる。
だから、この刺身はあなたに対するおもてなしに相応しい。
虫を見たかった人間は、残念だが諦めてほしい。
なぜなら、本当に気持ちの悪い虫だったからである。
最高の発見や説明があったことは認めるが、
虫のための映画はここでエンドロールである。
客人たちは、新しい映画を見たくてたまらなくなっている。
今までの映画を消してしまえば楽である。
今までの映画を見たことのある人間が居ないから、
よく似た同じストーリーでも、
客人は飽きずに泣いてくれるだろう。

ガンダーラでは宗教も科学も同じ

また、僕の永遠の祖国ガンダーラでは、
このような宗教を信じるから、科学は信じないのだと
そう思う人もいるだろう。
だが、ガンダーラでは、
科学も宗教も同じ、ガンダーラの学校の科目に過ぎない。
ガンダーラにおいて科学と宗教な明確な境界はなく、
まさに「教え」である。
教えの下に必要なのは、書物である。
この本は、ユダヤ教旧約聖書キリスト教新約聖書とは、
また違う聖書である。
言ってしまえば、在導教の聖書は「大聖書」であり、
ユダヤ教キリスト教の聖書は「小聖書」である。
そして、ガンダーラにおいて、
子供たちに科学を教える教科書は、
いずれ完成する大聖書の科学編である。

大聖書の科学編

大聖書の科学編は、言ってしまえば、
インターネットの科学文書に対する「リンク」のようなものになる。
大聖書のインデックスから、インターネットのよく選別された文書に
ハイパーリンクが行われる。
これが新しい教科書になる。
よく選別された文書とは言うが、このリンクは中央集権によって選別されない。
インターネットのオープンなコミュニティによって、
各専門家がもちよる形で、最大の「ディレクトリ型検索エンジン」を作る。
もちろん、ディレクトリ型検索エンジンは古い。
だが、わたしたちは、人間のみの力によって、
ディレクトリ型検索エンジンを編集しない。
必要なところでは人工知能・AIの力を借りて、
どんなインターネットの果てにあるサイトでも、
人工知能・AIがサイトを見つけ、ディレクトリを自動で作成するようになる。

「神」という言葉が悪い

僕が思うに、「神」という言葉が悪い。
神という言葉を使うと、
どうしてもユダヤ教の「宇宙の支配者」を想像してしまう。
僕の神は、そういう神じゃない。
だから、何か、良い漢字、それも普通に使わない漢字で、
どうにか表現したいと思う。
そう、「白」のような漢字が良い。
僕が「黒」だとすれば、神は「白」である。
黒は「大黒天」を連想させる。
しかしながら、白という漢字はあまりに一般的である。
よって、僕は白から一画減らして「日」にしたい。
神は「日」である。
日は毎日の日であり、そして太陽のことを指す言葉だ。
僕の神は「お日様」である。
日付の日と区別するために、「大日」と名付けよう。
神は「大日」である。
書いて気付いたことだが、大日では「大日如来」と区別できない。
また、「大日本帝国」を連想させる。
よって、少し難しい漢字になるが、「聖日」とする。
「聖なる日」を連想させる言葉だから、良いと思う。
また、読み方は「せいひ」ではない。
聖日と書いて、「とうとし」と読む。
僕は聖日(とうとし)の神である。
「かみさま、ほとけさま、とうとしさま」と呼んでほしい。