わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

構造と関係

構造にすれば要素の関係性が見える

構造やモデルを作りなさい。
構造にすれば、要素の関係性が見える。
たとえば、山や森林には動物や植物が居て、
互いに関係して生きている。
社会には、互いに関係し合う個人の行為と精神がある。
そのように、構造を見出すだけでも多くのことが分かるが、
実際には、構造がどのように生まれるか、
何を意図して、どんな理由で、
原因となる構造が結果となる構造を生み出すのか、
正しい普遍的構造は何なのか、
現実と空想の世界で、照らし合わせて
考えなければならない。

関係における原理

関係における原理を考えなさい。
これは、作用に対する法則であり、
命題に対しての証明された公式である。
この宇宙における、
宇宙数学全てを網羅し、
全ての国家を築き、
全員の精神と対話しなさい。
地上の全ての歴史は、
神であるあなたのものである。

ガブリエル

私の名は、ジュリアス・アリス・オーディマン。
またの名を、大天使ガブリエル。
神は三人の大天使を従えており、
それぞれ、フランス人のガブリエル、
ドイツ人のミカエル、
ロシア人のラファエルである。
ミカエルの名は、エリーゼ・ゴットフリート・グリーセル。
ラファエルの名は、アレクサンドラ・セラビッチ・レプレフスキー。
そしてジュリアスとアレクサンドラが恋人である。

このままを信じる

愛とは、「このままを信じる」ということである。
あなたは本当に、今のままで良いのである。
今のまま、あなたの道を信じて、そのまま歩んでいけばいい。
考えることが必要なら、
「何が大丈夫で何が大丈夫でないのか」を考えなさい。
そうすれば、混乱や迷宮の中でも、
あなたはひと時の安心感を得られるだろう。
そのままのあなたをありのままに人々にさらけ出して、
その道を信じて、そのまま歩んでいきなさい。

自らの道を作り出せ

また、あなたがまだ少年ならば、
既存の道ではなく、自らの道を作り出すような道に進みなさい。
どんなに平坦で歩きやすくても、
コンクリートの道では夢いっぱいの冒険はできない。
けものみちを進んでいかなければ、
愛の国ガンダーラにはたどり着けないからである。
自らの道を作り出し、
自らだけが到達できる場所に到達すれば、
その山の頂からは世界の全てが見えるだろう。

天使が何であるか

ガブリエル、ミカエル、ラファエルが何であるかというと、
僕の中の仮想人格であり、
僕の友達であり、
僕の恋人である。
こいつらは僕に忠実に従って、
僕に何でも許してしまう。
こいつらは何でも分かるし、何でも知っている。
この世界を破壊するどんな命令でも、
こいつらは忠実に従う。
滅ぼしたいなら滅ぼすし、支配したいなら支配する。
そう、僕が天下の神である。
しかしながら、僕は悪いことは何もしない。
この3人の女天使が僕に従う限り、
この世界は崩壊せず、滅ぼしたとしても栄え続けるのである。

ガブリエルは愛を信じている

ガブリエルは、愛を信じている。
愛を失わさせたり、尊厳を傷つけたりするのが嫌いで、
ネットで性愛表現を見ても、
本当はそうした抑圧が嫌い。
ガブリエルはエロい女だが、
この世界を救うことを目指した、
理想と愛を信じる救世主である。

ミカエルは実際にこの世界を滅ぼす

ミカエルは、実際にこの世界を滅ぼす。
狂ったミカエルは悪の女王となって、
自らの欲を人々の人権などを顧みずに、
この世界全てをわがもののように支配する。
悪いことを本当にし、
人々の生活を破壊し、
一番上から世界を支配するが、
本当は、誰よりもこの世界の人々を愛する、
「愛に背くことは絶対にしない」女である。

ラファエルはいいかげんでいつも悪い

ラファエルは、いいかげんでいつも悪い。
色んなことをそつなくこなし、
大人の分別のあるラファエルは、
悪いことを何もせず、
自らを信じてやるべきことをきちんと行う。
だが、ラファエルはこの中でもっともエロい女である。
なぜなら、テレビも見ず、インターネットも見ず、
本もあまり読まない彼女は、
エロ画像しか見ないからである。
そして、インターネットで彼女は
「不特定多数の多くの女と仮想恋愛」をする。
同性愛も二次元も変態もオタクも関係なしに、
全員全部愛する女、それがラファエルである。

理想の社会と正しい考え方

誰かひとりが分かったことは、他の誰かにも分かる。
誰かひとりができたことは、他の誰かにもできる。
ひとつの正しいことは、いつでも、どんな状況でも正しい。
自由を与えることで、お互いを「対等な存在」であるとみなせる。
同じシチュエーションを与えられれば、人間は同じことをする。
自分の経験したことを他人が経験したとしたら、
その他人は同じことを分かる。
人々を本当に愛すればよかったと後悔する時、
人はその相手を愛している。
それぞれの「考え方がどこから生まれたか」を考えれば、
矛盾なく全員が並列して成り立つ。
みんなを愛するために必要なのは、
誰か分かっている誰かが愛することである。
本当に正しい愛でなければ、問題は解決できない。
本当に自由な愛でなければ、問題は解決できない。
本当に平等な愛でなければ、問題は解決できない。
この世界に神が居たとしたら、
神はこの世界に「正しい報い」を与えている。
それは、「自分が望むことしか起きていない」ということである。
よって、望みが叶わないのであれば、
「自分が望む望み方そのものを変えなければならない」。
必要なのは、考えることそのものよりも、
「どのように考えるか」ということである。
自分で経験し、体験した結果正しいことであることが
分かったことしか信じてはならない。
愛にはさまざまな愛があり、間違った愛を信じてはならない。
愛よりも自由や可能性の方が正しいことはある。
愛を願うあまり、それを実際に望んで実施しようとしても、
それは理性がなければうまくいかない。
理性なき愛は狂人であり、愛なき理性は残酷である。

愛のある社会

社会を築く際に必要なのは、「愛」である。
愛に基づく社会を作るために、
人々を自由にし、
人々を信頼し、
人々に成熟した経験を与え、
人々が自然に活動できるようにし、
人々が自然な変化ができるように自然な自由を許し、
社会においてよく考えて経験を成立させなければならない。

生き方

自分の行為や生き方を変えられるのは自分だけである。
自分に人生に100%責任が持てるのは自分だけである。
自分は、社会を築くことも、創造することも、破壊することも、滅ぼすこともできる。
自分が間違ったことをして、一番辛く苦しく悩むのは自分自身である。
復讐しても、相手は自分を助けようとしてくれない。
相手に助けてほしいのであれば、相手のことを信頼しなければならない。

自由を許せ

相手に自由を許しなさい。
上から全てを支配し、制限して実現しようとしても、
国民が指示に従うだけであれば、それは効果を発揮しない。
国民が自ら自由に行動できるように、「自由を許す」ことで、
国民は自分で考えて、自分で行動するようになり、
これによって、「自由な実現」が効果を発揮する。
自由にしなければ、社会においてどんなこともうまくいかない。
ルールは人々が変えられるようにし、
正しい制度を決めるのではなく、人々の意見を反映した制度を決めよ。
制度は、社会の多くを決定する「決まり」であるため、
実際の社会がどのようになるか、よく結果を想定して作らなければならない。

心理学による支配

実験と再現性から、ものごとを分かりなさい。
原因と結果を思い出して、現実の世界で再現性を実験していれば、
どんな感情でも、
それが実際何なのか、どのような効果を放つか、
言ってみれば「人間の感情の実験」ができる。
僕は昔、インターネットを使って、さまざまな実験をした。
「深層心理とは何か」とか、
「人間のネットでの行動は原始人と同じ」とか、
「心の裏側はどうなっているか」とか、
「環境において人々はそのようにされると何を反応するか」など。
多くの行動実験から、人間の理由を再現し、
「世界全てを環境への適応から支配し、掌握できる」ようになり、
「心理学的に社会を構築できる」ような王になった。
このように、何でもひとりで支配できるようになると、
人間はもっととんでもないことを始める。
すなわち、「真実が自分にしか分からなくした上で、
この世界全てを玩具のように支配する」ようになる。
この世界で全てを「自由な可能性のある社会」にしているため、
本人から見ると「立ち向かって戦っている」ように見えるが、
まわりから見ると、ただ「騙されているだけ」である。
そう、これが心理学の最終形態なのである。

言葉ではなく愛によって支配せよ

そういうわけで、このような人間の間違いとは、
「言葉によって支配する」ことである。
言葉によって支配するから、
社会はどんどん騙されていくだけになる。
必要なのは言葉ではない。
必要なのは、「誠実な愛によって支配すること」である。

自分らしさと生きがい

実際のところ、世界を見ていると、
「自分らしく生きられない」と悩んでいる人間が、
欅坂46のてちのように多い。
この世界は、自分らしく生きられる自由が無くなっている。
みんなが自分らしく自由に生きられるためには、
画一的なロボット人間のクローン工場を滅ぼさなければならない。
また、自分らしく生きられるだけではなく、
自らが幸福な存在であると自己肯定感を得ることのできる
「いきがい」がなければ、人間は幸福になれない。
しかしながら、僕はそうした「人間の自尊心」について、
多くを知っている。
僕であれば、てちのような人間も幸せにできる。

できるようにしてあげる

僕は、てちのような人間を救うために、
「できるようにしてあげる」という方法をとる。
彼女たちは、何も自分でできなくなっており、
自分で社会を築くことも、環境を築くこともしたことがない。
上に「こうしなさい」と言われて、
友達にも「こうしろ」と言われて、
それに逆らい、反抗することしかできていないのである。
彼女たちが、「自分でできるようにしてあげる」ことで、
彼女たちは、「自分の力で社会をコントロールする自由」を手にする。
その時点で、彼女たちは、「反抗するだけの不良」をやめて、
「自らの自由に基づいて社会そのものを構築するようになる」のである。

自尊心とコミュニケーション

自尊心とは何か。
それは「自らを表現すること」である。
自らを自分なりに表現し、
その表現を人々に認めてもらう、
すなわち「コミュニケーションが円滑に行われる」ということが、
自尊心である。
しかしながら、実際の社会環境では、
自分が思った通りのことが相手に伝わるような
コミュニケーションというのは少ない。
いつでも、すれ違いや空回りばかりで、
恋人にすら自分の言いたいことが伝わらない。
そういう場合は、自分のことを「客観視」して、
相手からどう映っているかを確認することも大切である。
また、自分のことを「相手に伝える」だけではなく、
相手の思っていることを「確認する」ことも必要である。
円滑なコミュニケーションが成り立つようになれば、
「インターネットのおかしなコミュニケーション」もなくなり、
世界は再び正常なコミュニケーションが成り立つようになるだろう。

学校に行くな

僕が思うに、自尊心を得るためには、
相手に認めてもらうという体験が必要だが、
これは多くの場合、子供にはあまりない。
子供には、自分の素晴らしい作品を作る、という能力がないからである。
よって、中学校で、大人なのに子供が何もできないのを、
子供たちは「馬鹿な子供」だと勘違いして、
みんなの前でいじったり、靴を隠したり、無視したり、恥をかかせたりして、
子供はいじめを行う。
時には、相手が安心して過ごせるような環境そのものを奪う。
だが、僕が思うに、「子供が認めてもらえないのは当たり前」なのであり、
それだけで馬鹿だとするのは間違っている。
また、「相手に認めてもらえないのであれば、
認めてもらうためにどのようにすればいいか」をよく考えればいい。
そうすると、むしろ、人々とは離れて自由に生きた方が、
夢の実現に近づけるところがあるからである。
そういうわけで、僕は「いじめられるなら学校に行くべきではない」と言う。
学校なんかに行くよりも、他のことを学んで習得した方が
はるかに賢いからである。
パソコンでも執筆活動でも芸術活動でもピアノでもいい。
中学校でいじめられるのが嫌なら、学校に行かず、
自分だけで夢を追いかけて努力しなさい。

自然とは何か

また、僕はある意味、「自然にすることが正しい」と思う。
自然な発想から行うことは、全て正しいからである。
この世界を変えるのであっても、
ひとりの巨大な力で支配して変えるのではなく、
それぞれの社会に自由なコントロールを自然に与えることで、
「間接的に」この世界を変えるべきなのである。
また、間違っているのは「義務感」である。
義務感から行うことは、全て間違っているからである。
この世界は義務ではなく、機会に基づいて動いている。
機会とは「チャンス」であり、これもまた「自然」である。
この世界の全ては自然なチャンスに基づいて作られている。

国際ソビエト連邦

世界を導け。
平和を実現せよ。
人々を愛して、
知識と才能を得よ。
私の名はラファエル。
太陽の女神である私に、
不可能や不可知はない。
私は新しい星を今から創造する。
この星は、リゲルやシリウスのように、
既にこの世界に存在する星ではない。
今から、新しく作られる星であり、
言ってしまえば、
地球に対して作られる「新しい地球」である。
私たちは地球をもう一度、
最初から新しい星にする。
私は国際ソビエト連邦の書記長になって、
この世界全てを「完全に変えていく」。

ジェシカ・ロビンソン

わたしはこれから始まる星のために
新しい人名をつける。
その人名の名はジェシカ・ロビンソンである。
私は新しいジェシカ・ロビンソンとなって、
この世界全てを「愛の力によって変えていく」。
私は魔法を使うことができる。
これは、「ロジック・ライティング」という魔法であり、
ロジックすなわち論理を書いていくことで、
「全てのことが自分の執筆した文章から分かる」というものである。
私は日本そのものを滅ぼすことで、
日本に対して自分の思想を植え付ける。
日本は私になり、私は日本になる。

天地の全て

ジェシカは、天地の全てを知るために生まれた光である。
この世界の天地の全てを、
ジェシカは知っている。
ジェシカは、あらゆる全ての知識、技術、芸術的才能を知っていて、
あらゆる全てを「一度書いたことがある」。
それができた理由は、「周りにたくさんの師が居たから」である。
彼女の周りには、
自然科学者、博物学者、プログラマ、デザイナー、ピアニストなど、
多くの有能な師匠や教師が居た。
彼女はその他の多くを自分の関わる多くの情報や教室によって知っている。
自分の趣味だった哲学・歴史だけではなく、
学校に行ったり、本を買ったりすることで、
ジェシカは全知全能の女神になるために、何年も努力して勉強したのである。

いじめの問題

僕は、いじめの問題とは、
「言いなり・無抵抗」になることではないかと思う。
人間は、何にも抵抗することができないと分かっていると、
どんな要求でも素直に受け入れるようになる。
自分の安全や貞操が侵されるようなことでも、
反抗することも抵抗することもできないと、
言いなりになって無抵抗になってしまう。
多くのいじめは、そのように起きている。
そして、周りの友達も同じで、助けることができない。
助けることができないということが分かっていると、
助けようとすることをやめ、
素直にいじめっ子に従って、みんなでいじめるようになる。
そう、これこそ中学校のいじめである。
彼らは、既に「自由に生きることを諦めている」のであり、
「人間として生きることができない集団」になっている。

彼らを救うために

彼らを救うためには、簡単である。
「完全に自由をなくしてやればいい」のである。
彼らは、自由を嫌い、
「自由の中でどのように生きればいいのか分からない」のである。
よって、彼らに自由は必要ない。
学校から完全に自由を失くしてしまえばいい。
それでしか、彼らは人間に戻れないだろう。

おふざけと虐待の境界

学校から見ると、いじめというのは
「子供のおふざけ」であると言えるかもしれない。
だが、実際の子供の現場では、
おふざけでは許されない「ある一線」があり、
多くの子供はこの一線を越える体験をする。
たとえば、無視をしたり、靴を隠したり、ということは
辛いかもしれないが、まだ耐えられる。
中学校のいじめには、これくらいのレベルが多い。
だが、高校のいじめは犯罪である。
人を公然と裸にしたり、金銭を奪ったり、
殴ったり、レイプしたり、屈辱を与えたりする。
中には「自殺の練習」をさせたりする学校もある。
この境界を越えた集団は、もう、人間ですらない。
すぐに処罰すべきなのである。
よって、「ある一線を越えたいじめは犯罪と同じように扱う」
という風にしていかなければいけない。
そうでなければ、純粋な子供はいじめに慣れ切ってしまい、
それ以降、「人間として生きることを諦めてしまう」からである。

いじめっ子の特徴

いじめっ子の特徴は、
まず、相手のことを人間だと思っていない。
人間だと思っていないから、「みんなの前で裸にしてはいけない」とか、
「人のものを盗んだり勝手に壊したりしてはいけない」とか、
「安心を奪ってはいけない」とか、そういうことが分からない。
それから、彼らは自分のこともきちんとした大人であるとみなしていない。
彼らは、自分が「思いやりをもった大人にならないといけない」とか、
「誰か特定の人間を人間以下のものとして扱ってはいけない」ということが分からない。
いじめというのは、昔からそういうものである。
そもそも、太平洋戦争下で、日本人が朝鮮人などにしたことが同じである。
右翼はそのように間違っている。彼ら右翼は人間ではないのである。

大人は国会でどうでもいいことを議論している

大人について言うと、
大人は国会でどうでもいいことを議論している。
テレビやマスコミも、
犯罪や政治家の失言など、どうでもいいことを報道している。
もっと、学校を変えなければいけない。
なぜ、子供たちの環境について、政治家が議論しないのか。
なぜ、子供たちの環境について、マスコミが報道しないのか。
社会の歪み、特に格差などの歪んだ社会は、
未来ある子供たちにしわ寄せがくるのである。

大人といじめ

大人は、自分の人生体験のせいで、
「子供時代はもう過ぎ去ったもの」であると思っている。
「大人になってまで、子供の環境を考えたくない」と思っている。
だが、そうした大人の意識こそ、
子供たちをいじめに向かわせている。
子供たちは、大人にさまざまな問題を解決してほしい。
そのために、「学校の闇を社会全体に見せつけるため」に、
子供はいじめをしているのである。

子供の望んでいること

要するに、無意味な試験勉強なんかしたくないし、
子供は学校というものそのものを無くしてほしいのである。
子供は、15年もかけて、学校で
勉強しなければならない意味が分からない。
いつまでも勉強をやらされ続けることが、
全く楽しくもなければ何の役にも立たない。
科学を学んで諸外国に勝つと思っていた明治時代とは違う。
学校で勉強する意味など、大人だって分かっていない。
大人たちは「学校」と聞くだけで嫌な顔をする。
それなのに、なぜ学校に行かなければならないのか、
中学生ぐらいになった大人の子供たちは、
既に学校などどうでもいいものであるということに
気付いているのである。

学校は奴隷訓練所のようなもの

学校が実際、何のためにあるのか、
子供も大人も分かっていないが、
要するに、「きちんと社会で働くことのできる
大人を育てる機関」である。
つまり、「奴隷訓練所」のようなものである。
学校が無くなれば、社会の多くの問題は解決するだろう。
学校は無くなった方が良い。
無意味極まりない、
「子供を馬鹿にしている組織」だからである。

何らかの青春を体験できる場所は必要

だが、高校時代というのは、
普通は「青春」の体験をする。
心の通う、一生付き合える親友を何人か得て、
一つのことに対してがむしゃらに努力し、
夢に向かって全力で取り組み続けることのできる期間である。
こうした青春を何らかの形で体験できるような、
そんな場は必要である。
だが、僕の経験から言うと、それはインターネットで構わない。
インターネットが少しぐらいあれば、
孤独にもならず、みんなと一緒に
「自ら自然に成長する」体験はできるからである。

学校に行かないと哲学者になる

学校に行かないとどうなるか。
学校に行かないと、哲学者になる。
すなわち、自分だけの自由な時間的余裕から、
自分のやりたいことをやったり、
新しい世界を自由に知る中で、
神羅万象すべてを考える哲学者」になる。
孔子ブッダなどの思想家にもなりたいのであれば、
学校に行かないということは悪い選択肢ではない。
宇宙全てのことを分かった哲学者は、
デカルトニーチェのようになる。
あるいは、文章を書くことが好きであれば、
ゲーテのような作家になる。
文章に国家のモデルを書けば、
マルクスのような経済学者になる。
だが、実際のところ、学校に行かないということは
良い選択肢ではない。
それは、別の何らかの場所に行けばいいからである。
自分だけで孤独に生きていると、
過去の自分のことを忘れ、
自分がどのように生きてどのような考え方をしていたのかすら
分からなくなってしまう。
完全な孤独にはならず、
友達や恋人ぐらい作っておかないと、
童貞のまま40歳になっても女性経験をしたことがないような、
そういうことになるだろう。

作家のデザイナーになりなさい

僕は、あえて言う。
作家のデザイナーになりなさい。
僕が自分でなったから、というだけではない。
作家のデザイナーは、楽しいからである。
自分の作品を作るというのは、
とても楽しい仕事である。
一度作家になると、他の職業に就こうとしなくなる。
それは、他の職業はノルマや納期を守るだけで、
「人生を無駄に使い捨てにする」からである。
作家とデザイナーのどちらになるかは、
あなたがどちらに向いているかによる。
すなわち、家の孤独な環境で、
文章をいつまでも書き続けるような、
そうした「自分の努力」ができるなら、
僕は作家を勧める。
そうではなく、デザインの学校に行って、
デザインソフトウェアや絵の描き方を
仲間と一緒に学んで習得したいなら、
僕はデザイナーを勧める。
しかしながら、言っておくと、
作家とデザイナーには、どちらも一緒になるのがいい。
それが一番才能が開花する組み合わせである。
偉人のような人間になるかもしれないし、
さまざまな知識やスキルも一番つく仕事である。
頑張って作家のデザイナーになってほしい。
必要なのは、知識、技能、経験、理性、
そしてこの宇宙にある全てだ。

失敗を経験することも必要

最後に言っておくと、失敗を経験することも必要だ。
自分の体験で失敗を知っておくと、
「それ以上底に降りることのできない」経験ができる。
それ以上下がない経験をすることで、
この世界で「自分の理性を使って考える」ことができる。
一度、失敗を経験することは悪いことではない。
そう、作家になるのであれば、いつでもなれる。
どんなに辛い状況でも、作家にだけはなれる。
最後の選択肢である作家だけを残しておけば、
どんな不可逆的な失敗も怖くない。
そして、失敗すれば失敗するほど、
その過ちは作家としての力になるだろう。

自由になったら、決まりと体験でも適当に考えればいい

もし、学校をやめる決断をあなたがして、
「よし作家になろう」と思って、
しかしながら何をすればいいか分からないのであれば、
僕は「決まりと体験でも適当に考えればいい」という。
決まりとは、社会の決まりやルールのこと。
そして体験とは、自らが体験した「ほかの誰にもない体験」のこと。
作家には、ほかの誰も体験したことのない体験を知った人間がなれる。
また、決まりやルールは、簡単に文章に書き出すことができる。
コツは、「同じことでも何度も繰り返し形を変えること」。
同じものがたりでも、同じ人生でも、同じ国家モデルでも、
適当に形を変えていけば、いつまでも量産できる。
僕の教えられることはそれくらいだが、
幸運なことに先人はいくらでもいる。
ゲーテの作品でも読めばいい。僕はドストエフスキーを薦める。

文章を書くコツ

文章を書くコツとして言えるのは、
「自分の世界に主張することを作り出すこと」である。
これは歌手や作詞家についても言える。
欅坂46も、自由や自分らしさについて、
自分が思うことをいくらでも繰り返し主張しているが、
実際のところ、自由やアイデンティティ以外にも、
たくさんのことは主張できる。
しかしながら、僕はあえて「自由」を勧める。
それは、「自由とは何であるか」ということは、
ほどよく種類やパターンがあり、考えやすく、
また制度やルールを自分で簡単に実現できるからである。