自由、魂

自由が好き

今日はドイツのような物語を書いたが、
実際は、僕は自由と民主主義が好きである。
僕はこの世界を、希望と愛あふれる、
自由で平和な世界にしたいのだ。
決して、フレイのように、
指導者として野望のために戦争することはないだろう。

良心と自制心

世界は滅亡しない。
それは、「できるからといってしない」という、
僕たちには「良心」あるいは「自制心」があるからである。
たとえば、人々を簡単に支配して、
快楽も欲望も全て満たせるような、
そんな状況があったとしよう。
僕たちは、その状況でどう行動するだろうか。
リスクがとても低リスクならば、
悪の道に染まってでも、快楽や欲望を満たすだろうか。
しかしながら、そうではいけない。
自分の権力が目の前にあっても、
それを使うことで世界が滅びるならば、
その権力を自分から遠ざけ、
自分にしかそれが今できないとしてもそれを選ばず、
この世界を守らなければならないのだ。

人々の過ちを主張するな

人々の過ちを主張するな。
人々が間違って自分に権力を与えるとして、
それが間違っているにせよ、正しいにせよ、
あなたがその過ちを高らかに批判しても、
あなたは結局その権力に溺れてしまう。
そう、わたしたちには、
「自らの悪を自ら禁止する」という、
自制心を持ったうえで、
「人々の過ちを主張するのではなく、
自らの過ちのみを反省する」ことが大切なのだ。

自由とは堕落の代名詞

自由とは何なのか。
自由とは、要するに「堕落」という言葉の代名詞だ。
自由を望んでいるように見えて、
本当はあなたは堕落を望んでいる。
そう、僕たちは、自由な平和を望んでいるように見えて、
実際は人々が堕落しきった社会を築こうとしている。
自由とは堕落であり、
正しい社会を作るためには、
「堕落のない社会」を築く必要がある。

今ある幸せがなくなっていく時代

今までの日本の社会というのは、
「常に幸せな今」があった。
人々は、常に「大丈夫」と言い、
幸福に喜びながら生活していた。
だが、今の社会は違う。
人々は、「大丈夫と言えなくなった」。
常に不安を感じ、希望を見失い、
人々が何を間違っているのかが分からず、
自分がどう生きていけばいいか分からない。
そう、今のこの日本社会は、
「今ある幸せがなくなっていく時代」なのである。

この文章はインドそのもの

今、この文章を見ていると、
この文章はドイツというよりも、むしろインドである。
インドの古代からの神話や教えにしか見えない。
また、仏教の教えとも似通った点がある。
そう、まさに「愛の国ガンダーラ」である。

運命

わたしは、あなたのことを愛している。
わたしは、全ての人間のことを愛している。
わたしは、この世界の自由のことを愛している。
人々は、運命から全ての時空を超えた定めを知るが、
それは自分の行為による報いであり、
まさに「縁起」である。
なぜ、そのような「宿命」が起きるのか。
それは、未来における出来事が既に決まっていて、
それに対する出来事が過去において決まっているということだが、
本当は、生まれた瞬間にあなたは全て決まった人生を生きている。
そして、それはひとりの人間だけではなく、
この世界全員の、「本当の運命の英雄」というのがある。
そして、その英雄こそ僕である。
僕は、宿命において、
この文章を書くことが既に決まっていた。
既に決まっていたということは、
歌手の音楽がこの文章との出会いを歌っているように、
はるかに昔から、この文章はあった。
そして、この文章を書くという未来のイベントにたどり着くために、
絶対に、ここまでの耐えがたい、「とても苦しい地獄」があり、
僕はそれを乗り越えてここまでやってきた。
そう、この地獄も、文章も、
そしてそれ以前の「自分だけで全てを解決する哲学者」も、
全て、僕の生まれた瞬間に決まっていた。
いや、ドイツの例などを考えると、おそらく、生まれる前から決まっていた。
そう、僕たちは、生まれる前、精神の世界、魂の世界に居た時に、
みんなで地球上のすべての人生を最初に決めた。
みんなで決めた人生で、それぞれが役割を分担して、
「さあ、ものがたりを体験してみよう」と思って、
僕たちは互いのことを知らないふりをして、現世で人生を生き始めた。
だけど、僕たちは、本当は違う存在じゃない。
僕たちは同じ存在であり、「魂の世界では、僕も家入レオも分かれていなかった」。
だから、魂の世界に戻ったら、僕たちは再び融和し、
「永遠のひとつの生命」になる。
これが、誰が考えても言える、「魂と人生の宿命」、すなわち「運命」である。

この世界のままで僕たちはひとつに戻る

また、僕が思うに、
ひとつになるためには、「必ずしも魂の世界に戻る必要はない」。
僕たちは、この現実世界に居ながらにして、
魂の世界のようにひとつになることができる。
そう、僕たちは、最後にこの世界でひとつになる。
すべての考え方、人生、知識、経験、
すべてがひとりの状態で、
「みんなの集約した考え方が自分の考え方」、
「みんなの集約した人生が自分の人生」と言ったように、
まるでWikipediaのように、「あらゆるものは全員のものを集約してひとつになる」。
そう、ここに、人間の個人と個人の「永遠の離別」は無くなり、
「全ては神とともに、しっかりと二度と離れないように、再度結びつく」。