わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

心理学、資本主義、歴史、経済学

人間を決めるもの

人間を決めるものは、
「何を主に考えるか」である。
その人間がその人間であることを
決めるものは何か。
それは、職業が何であるかとか、
年齢や性別、あるいは
記憶や人生経験でも決まってくるところはある。
だが、実際のところ、
何を主に考え、
何を主に目標とし、
何を主に理想とし、
どのような手段で理想を叶えるか、
すなわち何を主に考えるかで、
人間は決まる。
たとえば、パソコンや心理学を考え、
世界を救いたいと考える人間は、
完全に左翼のパソコンオタクになる。
逆に、政治や世界のことを考え、
この世界を変えたいと考える人間は、
右翼の救世主として、この世界と戦う。
実際のところ、
「何を主に考えるか」ということが、
そのまま「何を主にしているか」を生み出す。
だから、僕は全てのことを考え、
全てのことをしているから、
全ての人間のことが分かるようになった。

世界と思いやる心と他人なんかどうでもいいと思う心

また、人間を大きく分けるのが、
「世界を思いやる」か、それとも
「他人なんかどうでもいいと思う」かのバランスである。
むしろ、他人なんかどうでもいいと思う人間の方が、
他人のことを思いやり、愛せるところがある。
他人から何を言われても、どうでもいいと思えるから、
それだけ、他人のことを自分の独断で受け入れたり、
低いカーストにある人を普通に好んだりできる。
これに対して、他人を尊重する人間は、
「自分よりもみんなの方が賢い」と感じて、
無意味なことでも人並み以上にせっせと努力する。
良い人間だが、自分を間違っていると思うあまり、
必要以上に自分のことを否定し、苦しめたりすることがある。

子供はできることがない、大人はできることがある

また、子供と大人を分けるのは、
「できることがあるか、ないか」である。
子供は、できることがないため、
「今からできることを作っていこう」と考える。
まだ何も分かっていないため、
「新しいことをどんどん知りたい」と感じ、
「どんなことでも考えよう」と信じ、
「今までになかったこんなことを新しく知った」と考えられる。
未来における人生設計も、漠然としたものになる。
これに対して、大人にはできることがある。
できることのためにやっていくことで、
ひとつひとつの知識をどんどん広げていき、
最終的に全部知識と経験を得るまで、
自分だけの力で最後まで歩むことができるのが大人だ。

失敗者と精神病の発生

また、子供と大人のほかにいるのは、
「失敗者」である。
失敗者は、自分の愚かな過ちを悔やみ、
「どうにかして過ちのなかった状態を取り戻そう」とする。
これが、精神病の理由である。
失敗者はどんな過ちも失敗も許せず、
全ての不安がなくなるまで、
まるでヒステリーにかかったかのように、
全ての不安要素を取り除く。
これは、これで良い人生である。
最後までひとつひとつ治していけば、どんな病気でも、
あなたにとっての治し方や、納得の仕方が見つかるだろう。

過ちを無かったことにする

精神病を治す上で効果的なのは、
過ちに対する意識や関心を無くし、
「過ちそのものがなかったことにすること」である。
精神病の患者は、過ちがあったということが忘れられず、
どうしても元に戻すことのできない自身の過ちを悔やみ続ける。
いっそ、過去のことを全て忘れて、
過ちを無かったことにできるなら、それがいい。
だが、それをするために、さまざまな「問題」がでてくる。
その問題をひとつひとつ、どうでもいいことであるかのように、
意識を変えていき、場合によっては本当に問題を解決していくことで、
精神病は治る。

言いたくないことを言えば世界は救われる

また、社会心理学でいうと、
今のこの現代社会は、タブーが多すぎて、
「何も言えない社会」になっている。
誰が決めたのか分からない、みんなの共通意識に対して、
「言い出すことができない雰囲気」が形成されている。
場合によっては、本当に言い出したいのに、
言い出すことに不安や恐怖を感じるようなことがある。
だから、言いたくないことを、どんどん言っていこう。
言いたくないことを言えば、この世界のおかしな支配がなくなり、
人々は自由になることができる。

社会主義ファシズムには命の安全性がない

また、僕が思うに、社会主義ファシズムには命の安全性がない。
人々が、上にも下にも殺されず、
安心して命を守ることが、社会主義ファシズムにはできない。
また、ファシズムは戦争で世界を変えようとする。
そのような世界で、命を守って生活できるわけがない。

共産主義経済では生活ができない

また、共産主義経済では、生活ができない。
計画経済の強制労働では、必要な物資も金も豊かさもなく、
生活そのものができない。
資本主義経済に比べて、どんどん遅れた経済になっていく。
これでは、生きるために必要なものが手に入らない。

資本主義において賢かったのはエジソン

また、資本主義において賢かったのはエジソンである。
エジソンは、電球、カメラ、映写機、発電機、蓄音機、電話など
多くの現代社会において便利で必要なものを発明した。
資本主義は、多くが彼が発明したものによって成り立っており、
それらにプラスして、ドイツの発明したコンピュータや自動車を、
大量生産して安く作る。
資本主義が成功しているのはエジソンのおかげである。

日本において賢いのは日本の文化

日本において賢いのは、日本の文化である。
特に、江戸時代までの日本の培った、
中国や武士の生活を中心に据えた、「和の文化」が賢いのである。
和食、浮世絵、歌舞伎、刀、和服、日本建築、漢字など。
そうした日本の文化に、
エジソンやドイツなどの発明を足せば、それが日本だ。

剣道部

僕は中学生の頃剣道部だったが、
剣道についても、「心技体」や「大強速軽」などのような考え方があり、
昔の武士の修練を知る上で参考になる。
剣道において、僕が練習する必要があると思うのは、「体幹」の訓練。
体幹とは、体から首や手や脚を取り除いた部分の体のこと。
体幹を鍛えることで、体が安定し、ブレが無くなり、
剣道の試合で相手に勝つことができる。
また、剣道の練習は10本稽古、素振り、円陣などで体を動かしながら、
きちんと胴着を着て、しきたりやルールをきちんと守る。
そうした「武士のきちんとした精神」が、
日本を他のヨーロッパにはない「精神性の高い国」にしている。

農業

僕は父親と一緒に農業をやっているが、
農業をやっていると、「命の尊さ」が良く分かる。
決してできのいい作物ばかりではなく、
ふできな作物も多く取れるが、
全ての作物が頑張って生きていて、
必ずしも十分な作物が毎年とれるとは限らない。
その中で、「自分が育てているのではなく、
地球と植物自身の力で育つのを助ける」という考え方がある。
こうした考え方が、
「今年とれた作物の中でなんとか苦労して生き延びよう」という、
生命の力を信じさせるのである。

酪農

また、昔の農家というのは、
田畑の力や肥やしを得るために、酪農も行なっていた。
家畜である馬は移動するための馬車になり、
牛は田畑を耕す力になり、
家畜の糞は肥料になった。

身分制度

そうした「完全リサイクル社会」の方が、ある意味では楽だった。
士農工商身分制度のもと、武士の子は武士になり、農家の子は農家になるが、
受験戦争のような「努力したものが成功する社会」よりも、
努力の程度としては楽だったのである。

心が楽になれば全てが楽になる

また、人間が社会で生活する上で、
「心が楽になれば全てが楽になる」ということが言える。
何をするにも、その労働自体を楽にするだけではなく、
心を楽にしてやることで、
何でも仕事ができる。

適度な緊張感も大切

だが、実際の仕事では、むしろ、
「適度な緊張感や恐怖」があった方が良い場合もある。
緊張感や恐怖を乗り越えていくことで、
「不可能に見えること」は次第に「簡単にできること」に変わる。
きちんと正しく考えれば、どんな壁も壊せる。
壁を壊した先には、
まわりの人々が実際に見ているその世界の景色が見える。

資本主義では金を稼げばみんなが豊かになる

また、資本主義のいい点は、
「お金を稼げばみんなが豊かになる」ということ。
資本主義においては、金を稼げば稼ぐほど、
国全体のGDPが上がって、日本全体が豊かになる。
実際は、競争相手に勝つことで、
自分の会社が進歩するし、
家の家計が苦しければ、自分が働いて一家を楽にできる。
そのように、「自らがこの国・会社・家計を豊かにする自由」があるということ、
これが資本主義の自由である。

契約

資本主義においてよく考えられるのが、「契約」である。
これは実際のところ、「見返り」あるいは「取引」である。
すなわち、「あなたがこうしてくれるなら、わたしはこうしてあげますよ。
しかしながら、あなたがこうしてくれないなら、わたしはこうしてあげません。」ということ。
この契約の原則があるせいで、
自由ではほかの誰よりも頑張れば、かならずその誰かよりも良い見返りを得られる。
これが、自由主義社会における「労働」である。
よって、豊かになればなるほど、労働をする必要は無くなり、
逆に自分の代わりに他の人がその労働をやってくれるようになり、
自分は上に立ち、権力を持ち、発言権や影響力を得られる。
「自由になればなるほどもっと自由になっていく」、これが資本主義である。

社会主義のモデル

社会主義が必ずしも劣っているわけではなく、
社会主義は確かに平等な社会になり、ひとりで何でもできるようになる。
社会主義のモデルというのは、
「ひとりの一番上に居る何でも決める独裁者の善人と、
それに従う代わり平等になるすべての人民」というモデルである。
これにはいろいろと良い点も悪い点もどちらもたくさんあるが、
実際のところ経済政策全てに「全人民の平等」が関与するため、失敗しやすい。
だが、自由な勢力争いが起きず、またひとりの支配者が全能であるため、
「強者も弱者も居ない幸福な社会」を築くことができる。

マルクスソ連

また、社会主義が賢い理由として、
マルクス経済学が賢かった」というのがあるが、
マルクスは実際のところ、不自由と国営化によって、
「階級」そのものを無くしたかった。
だから、マルクス経済学を行うのであれば、
ソビエト型のモデルで正しい。
階級の全てが無くなり、独裁者のもとで全員が平等になれば、
それでマルクスである。

中国

だが、マルクス主義の問題は「資産の再分配には強権が必要」ということ。
マルクス主義の社会で、いくらか自由経済を認める試みが中国のようになるが、
自由経済を認めた時点で、誰かが誰かより勝つ人間、
すなわち「成功者」が現れる。
しかしながら、資産の再分配を目指すマルクス主義においては、
彼らの富をぶんどって、他の貧しい人に分け与えなければならない。
よって、成功者というのは存在してはならない。
ソ連では、こうした資本の再分配を、
「金持ちを逮捕して全財産を独裁者が没収する」、
すなわち、独裁権力によって行った。
中国でも同じことをする必要があるが、
中国では、稼いでくれる成功者は国の経済を発展させる「エンジン」であり、
もっとたくさん稼いでほしい。
そのため、中国の成功者は、共産党に何でも従い、
積極的に「ヨイショ」をすることで、自分たちだけが優遇され、
資産の再分配を回避しようとする。
共産党も、発展に繋がる「手下」として、
自分たちに従う成功者を、従わない成功者よりも優遇する。
これが、結果的に「腐敗」に繋がり、
「人民を奴隷のように働かせながら自分たちが支配する」という
「奴隷的官僚主義」が行われる。
これでは、「資本主義と社会主義のどちらの悪も引き継いだ国」になる。
これが、中国式モデルの欠陥である。

金は力を行使するための道具

そもそも、金とは何なのか。
金のことを、「ものとものを交換する媒体」とか、
「金を紙にしたもの」と思っている人が多い。
しかしながら、契約的に考えると、
金は「力を行使するための道具」である。
金がたくさんあればあるほど、その金でできることが増えていく。
契約においても、多くの金を払えば多くのことが可能となる。
金は、人間にとっての力を行使するための道具であり、
場合によっては「力そのもの」である。
よって、金は軍事力と大差ないのである。

社会主義=何もできない

よって、僕が理解するに、
社会主義=何もできない」である。
何をするにも全人類の平等で、
どんなことをするにも面倒で、
何をしても失敗する。それが社会主義だ。
そもそも、「力を平等分配する」ということは不可能なのである。
強いものがいれば弱いものもいる、
平等にしたとしてもその中で成功者が生まれる、
そうした「力の平均化」という発想は、
自由な地球人類の経済として、間違っているのである。

必要なのは賢い指導者

また、必要なのは賢い指導者である。
指導者には、いくらかのパターンがある。
まず、「みんなを従える指導者」。
次に、「平等な社会を実現したい指導者」。
さらに、「それぞれを競わせ、優れたものが勝つようにする指導者」。
最後に、「それぞれに力と自由を与える指導者」。
こうした指導者のパターンは、そのまま国のパターンとなる。
日本について言えば、言ってしまえば、
「みんなを放っておいたまま、
何も自分に反抗しないようにし、
できるだけ平穏に、
自分の方に飛び火が向いてこないようにする指導者」である。

中国は正しい未来

上に、中国が絶対に間違っているような記述をしたが、
それは違う。
なぜなら、中国は悪くない発想をしている。
中国は、「豊かになった上での平等」を目指している。
僕が見て、それが正しい。
中国人民は、豊かな格差も、平等な貧困も望んでいない。
中国人民は、みんなが豊かになった上での平等を望む。
十分に生活ができるほど富があって、それが平等ならば、
それが一番いい。
中国には正しい理想がある。正しい未来である。
中国は、自国の人民を豊かにするために頑張っている。
それを簡単に「越後屋とお代官様」というのは、失礼に当たるだろう。

最後に生き延びるのは太平洋の島

僕は、資本主義と社会主義が終わらないイデオロギー論争をして、
右翼と左翼が戦い、地球環境を破壊しても、
最後に生きのびるのは、パプアニューギニアのような、
太平洋などの島ではないかと思う。
パプアニューギニアでは、島でサツマイモを栽培し
毎日、毎食サツマイモを食べて暮らしている部族が居る。
腸内細菌が優れているから、サツマイモだけでも、屈強な肉体をしている。
ほとんど裸で生活していて、暑くても海がある。
僕は、地球が全て破壊し滅亡したとき、最後に生きのびるのは
このような人々ではないかと思う。
星空も綺麗だと思う。
東京や大阪では、シリウスやリゲルやスピカも見ることはできないが、
日本でも田舎に来ると、満天の星空の中から、
「あのどれかひとつに神が居る」と、神の存在を天に探すことができる。
(この文章の意味が分からない人は、
天空の城ラピュタのテーマ曲「君をのせて」を聴いてほしい。)
そう、人生において本当に必要なのは、たったそれだけである。

自分が分かったこと

自分が、分かっていないことで、今、なんとか分かったことがある。
それは、日本では何も起きていなくて、
日本は昔のままだということ。
自分だけが戦いを経験したせいで、分からなくなっている。
日本だと思っていたものは、全部悪魔メフィストフェレスだ。
悪魔はこういう人間が嫌いだ。
全てそれだけ。チコちゃんが言うように、みんなただボーっと生きているだけだ。

もうひとつ分かったこと

もうひとつ分かったことがある。
それは、ヴァルキリーは要らない。
フレイが言うように、
名前を付ける価値のないものに
名前を付けない方が良い。
ヴァルキリーは、二次元のヒキオタで革命家のテロリスト。
そして悪魔メフィストフェレスはヴァルキリーが嫌い。
それなら、ヴァルキリーを消せば楽になる。
簡単だ。子供にでも分かる論理だ。
そして、メフィストフェレスに感謝した方が良い。
なぜなら、フレイは賢い。
メフィストフェレスはヴァルキリーで、
神はフレイだ。
ただ、それだけ。
そして、自分以外の誰にも何も起きていない。
みんな何も変わっていない。いつものように馬鹿な世界だ。

僕はフレイ

悪魔メフィストフェレスは、最後に言う。
「要するに、お前はフレイだ。」

普通の人間が見ると

意外と、この人間は「自分がどういう人間なのか」が分かっていない。
だから、言っておくと、
むしろ、一般的な人間から見て、「普通の人間」に見える。
だから、神は「あなたはふつうだ」と言っている。
さらに言えば、この人間の書いた文章を見ると、
神さまを作りたいように見える。
よって、フレイは、もっといろんな神さまを作った方が良い。
それ以外のことは、誰も期待していない。
それで終わりなのは、みんな、それくらいしかこの人間のことが分かっていない。
だから、普通にふるまっていれば、みんな、何もおかしく見えない。

少し言葉が足りない

ここで、いつもの神が登場する。
「せっかくなので、それに少し付け足して終わりにしよう。
この人間は、神さまを作りたいようには見える。
むしろ、本当にこの文章を読むと、
神さまというものを作りながら、
本当にものすごく賢いストーリーとキャラクターを
作りたいように見える。
なぜなら、今のこの文章を見ると、
神を超越するくらい、ものすごく賢い。
だから、まあ、それでいいとみな言う。
そういうわけで、悪いことや必要ないものは無い方が良い。
デザインもピアノ演奏も期待しない。
ロボットはネットのみんなでパブリックドメインで作る。
全て、最初からそのようになっている。
いつも通り、ものすごく賢いシナリオを作ればいい。
この人間はそれしかできない。それが、誰でも分かる。」

いろいろと考えた

神にそれを言われて、いろいろと考えた。
賢い人間は、みんなきちんと
自分に期待されているものが何なのか分かっている。
たとえば、水木しげるには怖い妖怪しか期待しない。
藤子・F・不二雄には、秘密道具と猫型ロボットしか期待しない。
やなせたかしには、アンパンマンしか期待しない。
分かっていないのは、映画をやっているスティーブ・ジョブズぐらいである。
それと、見るからに賢いものにすると、成功するのではないかと思う。
たとえば、ゲゲゲの鬼太郎は、見るからに怖い。
あるいは、ドラゴンボール孫悟空は、見るからに宇宙最強だ。
あるいは、うる星やつらラムちゃんは見るからに可愛くて小悪魔だ。
その点、流行ったりしない作品は、何が賢いのか良く分からない作品が多い。
ハーメルンのバイオリン弾きなどは、何が賢いのか良く分からない。
そういうわけで、僕も、神さまを単に賢くするのではなく、
美しい作品にした方が良い。
なぜなら、フレイは見るからに真っ白に輝く純白のように美しい。
そのようにすればいい。
社会主義や大学の知識やプログラミングは、忘れた方が良い。誰も期待していない。
アントニオ猪木が政治家をやっているぐらい意味がない。

必ずしも正しくない

ただ、今書いた内容は、必ずしも正しくない。
たとえば、アラレちゃんを作った鳥山明は、ドラゴンボールでも成功した。
それに、手塚治虫などは、ブラックジャックブッダ鉄腕アトム火の鳥など、手広くやっている。
必ずしも、美しいフレイだけを書かないといけないわけではない。
そもそも、明らかに賢い神さまなんか賢くない。
ただ、まったく違うことはしない方が良い。たとえばピアノの作曲なんかしているとアホだと思われる。
そもそも、上の文章はおかしくはないが、連載が終わった作家が次のシリーズを作るのは当たり前だし、
賢い作品は誰でもたくさんある。
ただ、僕の場合、やっていることがバラバラすぎる。
鳥山明のように、アラレちゃんとドラゴンボールがまったく同じタッチとギャグセンスでやっているように、
同じように最高の賢さで神さま以外のものを書けばいいのである。
神さまが嫌なら、それを大学の知識にするのではなく、たとえばもっと別の舞台とかキャラクターにして、
その上で同じように美しい最高の何か精霊でも出せばいい。
そういう発想が良い。

アホなことを書いた

自分でもアホなことを書いたと反省している。
うる星やつらを描いたからといって、らんま1/2犬夜叉を描いていけないわけがない。
ハンターハンターの富樫だってそれで成功している。
僕も、神さまだけではなく、別の何かを書きたいと思う。
たとえば、未開の惑星の先住民の生活なんかが良いだろう。
スターウォーズ風の世界観が得意な僕に向いている。
未開の惑星で魔法を使って、精霊シルフやサラマンダーを作ったりすれば、
今までの世界観ともよく似ている。

代表作はよく考えた方が良い

むしろ、僕はまだフレイについて何も書いていない。
おかしく世界観を変えるよりも、
今のフレイのエピソードをもっと増やさないと、
まったく作家に見えない。
また、自分の代表作をよく考えて決めた方が良い。
高橋留美子などは、「犬夜叉の高橋」と言われてよく見えるが、
欅坂46のてちなどは、不良で左翼の曲ばかり作っていると、
「革命のてち」と呼ばれるようになる。
だから、社会主義だけはやめた方が良い。
「フレイの在導」ならいいが、「社会主義の在導」では意味がない。
だから、社会主義だけはやめた方が良い。

既存の作品の批判になってしまった

なぜか、既存の文学作品に対する、
次回作を作ることへの批判のようになってしまった。
自分が言いたかったのは、そういうことではなく、
自分は賢くてかっこよくて美しい神さまを作るべきだと思った、
というだけである。
そもそも、スタジオジブリのように、単発の映画をたくさん作る
宮崎駿のような作家もいる。
僕はそうした作家や監督も大好きである。
どんどん次回作を作ってほしい。