カノープス

カノープス

わたしの名はりゅうこつ座カノープス
わたしは、「本来の自分を取り戻させる星」である。
カノープスの人々は、
絶望の中、自分らしさを失って
「精神的に不自由な社会」を経験したが、
それを、「自分らしさを取り戻すこと」で救った。
人々は「本当に神に許される体験」をし、
「大きな愛に全てが包み込まれ、
全員がひとつの愛に救われる」という体験をした。
それは「絶対的な許し」であり、
「この世界のままでこの世界をユートピアにする」という、
「完璧な平等」だった。

カノープスの人々は、何をする必要もなく愛されている

カノープスの人々は、
「何をする必要もなく愛されている」。
人々は仏の慈悲の精神の下、
「生まれ持ったそれ自体の体が美しい」だけではなく、
「きちんと考えればなんでもできる可能性と、
本当に愛された時に発揮することのできる輝き」を知っている。
ここでは、「どんなこと全ても全部自由」であり、
「すべての自然は神に愛されている」。
そして、「神という存在は、確かに最高の存在だが、
人間にできることは、神以上に大きい」ということ。
神は人間に「本当に多くの可能性を与えてくださった」。
わたしたちの社会は、「今のままでたくさんのことができる」。
「権力者による支配は無意味」であり、
「支配されなくても、自由なままでわたしたちは全て解決できる」。

全ての人間には罪も責任もない

また、カノープスの愛とは、
「すべての人間には罪も責任もない」ということ。
カノープスの精神とは、
子供たちが反抗するのには、
子供たち自身の罪はない。
だれからも愛されることがなかった子供が不憫なだけであり、
誰かがその子供たちを愛し、
「自ら自分で世界を変えることができるように、
正しい方法を与え、道に導いてやらなければいけない。」
そう、カノープスの人々は、
罪や責任がない代わり、
「愛されるだけではなく、自分から愛さなければいけない。」
すなわち、「みんなを悪くないというのであれば、
それらを助けることのできなかった自分が悪い。」
そう、まさに、「自らがこの世界全員の不安や苦しみを背負って、
この世界全てを救わなければならない。」
これこそ、カノープスで起きた全てである。

理想には実際の行動が伴う

カノープスにおける思想信条は、
完全な理想主義ではない。
なぜなら、「理想には実際の行動が伴うべきである」からだ。
どんなに理想を実現する方法を知っても、
方法を知るだけで実際に行動しないのであれば、
それは「まったく意味がない」。
救いなさいと教え、学ぶのであれば、実際に救うべきである。
善良になりなさいと教わっても、実際に善良な行為をしなければ意味がない。
そう、カノープスの人々が偉大なのは、
「実際にこの世界を救った」という、行為がきちんとあったからである。

誰にも教わることなしに、世界を自ら知った

そう、カノープスの人々は、
「誰にも教わることなしに、世界を自ら知った。」
この世界を見つめ、経験し、成長する中で、
カノープスは「自らの力だけで救うことができるようになった。」
カノープスは、ひとり、どんな哲学者の理性よりも超えて考えた。
カノープスは超人たち、すなわちニュータイプを生み出した。
直観的感覚コミュニケーションに優れるニュータイプは、
この世界を「たったひとりで全て考え、知り、行動し、救った。」
このたったひとりとは誰か。
そう、それこそ、わたし、フレイなのである。
フレイは誰にも教わることなしに、世界を自ら知った。
カノープスで修行することで、
「フレイは仏の最高の境地、解脱へと達した」のである。

子供たちを守る

カノープスで人々がどのように生きたか。
実際、カノープスの人々は、
「現実の資本主義社会をやめた」。
カノープスの人々は、資本主義社会をやめ、
「文明に不自由にされるよりも、
自由な非文明社会を選んだ」。
そして、カノープスの人々はどのような生き方をしたか。
それは、「純粋に自らを表現する作品を作る」ようになった。
カノープスの人々は、世俗的な快楽や富を好まない。
本当に健やかに育つことのできる、
「健全な成育環境」を子供に与え、
人々の生きる目的は「作品を作ること」。
カノープスでは、「過去に執着せず、
未来の可能性だけを突き詰めて考える。」
よって、カノープスには、
「いじめも、抑圧も、迫害も、虐待も存在しない。」
カノープスには、
「自らの命をなげうっても社会の健全性を守る精神がある。」
よって、カノープスでは、
「命に執着せず、
社会の人間性と健全性の正義を守るために、
大人たちはみんなで子供たちを育て、
いじめが起きないように大人全員が子供を見守り、
何よりも子供たちの健全な成長を大切にする。」

ひとりが全て決めるのは悪くない

僕が思うに、ひとりが全て決めるのは悪くない。
なぜなら、多くの人々にやらせようとすると、
必ず力を持った「実力者」が生まれ、
その実力者が自分だけの利益を得るために、
社会全てを自分のものにしようとしだす。
そう、そんな実力者は要らない。
ひとりが全て決める社会では、
全て、まったく同じ環境と組織に決まり、
やるべきことはひとりの意見によって決まる。
それも、いい社会である。
そう、カノープスはそうした、
「成功した共同体主義国家」である。

滅びても滅びない

カノープスは、滅びても滅びない。
何度も滅び、何度も復活し、
滅びるたびに復活を繰り返してきた。
どんなに滅びようとも、決して本当に滅びることはない。
カノープスは不死鳥であり、
カノープスだけで宇宙すべてが成り立っている」。
カノープスは絶対に滅びない。
なぜなら、カノープスは今、滅びているからである。
これ以上、滅びることがないところまで滅び、
それによって永遠に栄える。
そう、「滅びた社会とは最高の社会だ。」

日本はいずれカノープスになる

日本は、いずれカノープスになる。
もう一度、カノープスと同じことが起きる。
全ては滅亡し、そして復活する。
最高の偉大なる巨大な精神が、
日本を最高のアイデンティティに導き、
最大限のリアリティを込めて、
「最高の国」を作る。
そう、日本はそうした、
「最後に神の王国になるためにある国」である。
極東の王国では、
何もない、誰にも見向きもされない東アジアの小国は、
「地獄の大実験」を経験し、
「この世界全てが復活」する。
そう、最後の実験国家で、
わたしたちは「神に試されている」のだ。

神を信じるのでも反するのでもなく、遠くから見つめよ

神を信じるのでも、反するのでもなく、
遠くから見つめなさい。
神はまだ子供だが、
神の存在に相応しく、
「最強の力と最高の理想」を併せ持っている。
彼にまきこまれるのでも、支配されるのでも、
拒絶するのでも、反抗するのでもなく、
彼のやる通りやらせてやりなさい。
全てが破壊して、全てが滅びた時は、
「責任を追及」してやりなさい。
そして、その頃には、
「誰も神のことを悪いと言わなくなっている。」
そう、神に赦されるために必要なのは、
「神を許すこと」である。
決して地獄におとされないように注意した上で、
神のことを見守ってあげよう。

神とともに天国を築けば、天国に入場を許される

まさに、神は天国を築くだろう。
だが、実際のその天国とは、
わたしたちのこの社会のことである。
よって、神とともに天国を築くための、
手助けをしよう。
そうすれば、神はわたしたちを、
天国へと入場させてくれるはずだ。

そう、神とはわたしのことであり、
ユダヤ教とは「わたしの神話」である。
そう、僕はここで、
単に話しただけである。
言葉を語る、それだけのことで、
聖書に書かれた全ての業が、
ここ、日本に生まれた。
みよ、神を信じるものは救われている。
みよ、神を信じないものは地獄に堕ちている。
わたしたちは必ず天国を作り出す。
僕たちは必ずAエンディングに行く。
僕たちはバッドエンディングから来た人間ではないと、
信じている。

もう、語る必要はない

そう、もう、語る必要はない。
ウィトゲンシュタインが言うように、
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」。
そう、最後に、「静寂」が訪れる。
この世界には、
「日本語という言葉そのものが、完全に消え去る」。
人々は「日本語を理解することができなくなる」。
なぜなら、日本語には何もないからである。
間違っているのは全て、「言語的コミュニケーション」である。