世界とはもう関わらない、愛

世界とはもう関わらない

僕は、もうこの世界とは関わらない。
支配したり、戦ったりしても意味がない。
この世界の一般大衆に対する関係性を断ち切る。
僕はこの世界に対して「治す」ということを行うが、
世界を治そうとするから治らない。
世界との関係性を断ち切り、
「自分だけを治す」だけですぐに治る。
時間も、正常に流れるように、
自分の時間だけを正常にすればいい。

神経

また、足の違和感の問題は、
血液ではなく、神経である。
よって、神経だけを治せば治る。
血液を綺麗にする必要はない。
足の神経は、筋肉の使い具合が悪いだけなので、
上手く筋肉のねじれを治せば治る。
また、脳を治せばもうすぐに治る。

自由

もう自由になった。
僕が自由になれば、みんなも自由になる。

僕は理想の人間になる

僕は、今から理想の人間になる。
みんなの愛に応えて、
みんなの愛してくれる愛を喜んで、
みんなとともにこの世界を守る。
そう、みんなは僕のことを愛してくれるから、
そうしたみんなの愛に応えたい。

僕の自分勝手な愛は間違っていた

結局、僕は愛されたかった。
みんなのことを愛した結果、
みんなは僕の愛によって本来の自分らしさを取り戻した。
僕はそれが嬉しかった。
自分のことを認めてもらった。
僕は、その愛にはっきりと応えることができず、
愛に対して「自らの間違った自分勝手な理想」、
すなわち「自由」や「支配」で返したが、
それは無意味だった。
人々を混乱させ、滅ぼす結果になった。
僕の自分勝手な愛は間違っていた。
だから、みんなの愛してくれるように、
僕は理想の人間になって、
みんなの愛に応えたい。

仕立て上げられたイメージになりたくなかったのかも

結局、僕は仕立て上げられたイメージになりたくなかったのだろう。
みんなが「愛の救い主」と崇めるのが、
僕は嫌いだから、
「そんな風に支配したくない」と言いたかったのだろう。
だが、結局、イメージで良いのである。
みんなのことを本当に愛しているように見えて、
本当は自分のことを愛しているだけである。
そんな若者には、王は務まらない。

僕は神である

よって、僕は神である。
神であると崇めればいい。

従えるだけはつまらない

何がつまらないかといって、
結局「従える」のがつまらない。
みんなが僕の下について、
僕の言うことを聞くのがつまらなかった。
「このような支配は望まない」と僕は言うために、
自由や支配という言葉を使った。
結局、最後まで支配はつまらなかった。
自由とはこういうものである、ということが、
最初から分かっていた。

世界を変えるという行為が馬鹿だった

そう、つまり簡単に言うと、
「世界を変えるという行為が馬鹿だった」。
本当に、この世界を変えようとするのが悪い。
全て、世界を変えたせいでこの世界は、
「もっともつまらない世界」になったのだ。
だから、僕はもう世界とは関わらない。
この世界を変えようともしないし、
愛することもしない。

適当に自由にせよ

そういうわけで、最後に言うべきことは、
「適当に自由にせよ」ということ。
それぞれが自由にする、
ということがもっとも正しいと、
僕は最初から分かっていた。
自由がもっとも一番いい。
この世界は自由になる。

きちんと救いたかっただけ

また、やったことも間違っていない。
なぜなら、まず支配するところからやれば、
権力が手に入る。
想定外のことを言い続け、
相手を自分の支配下に置き続ければ、
何でもできる。
その上で、とてもたくさんの提案と意見を考え、
全ての可能性を決断することで、
良い発想が生まれる。
そう、これは支配者の常套手段だ。
そして、同時に、支配をやめないことで、
最終的に社会を形成するところまで、
最後まで行うことができる。
そう、僕は自由と言うだけではなく、
きちんと最後まで支配して救いたかったのだ。

自分のできる最大限がやりたかった

実際、僕は何かしら考えてやったわけじゃない。
だけど、僕は「自分のできる最大限がやりたかった」。
この世界に対してできる、
自分のできる最大限のお返しがしたかった。
滅ぼしたかったのではない。
僕は、「本気で愛したかった」のだ。

この世界に怖いものは、この体験だけ

そう、この世界に怖いものは、ほとんどない。
あるとしたら、まさに「この体験」だけが怖い。
この戦争だけが、この宇宙の中で「もっとも怖い」。
そう、僕はその恐怖に耐えて、
最後まで最前衛で戦い、
そして全ての苦しみを自らの力で治した。
「ゆかん、われの国、日本がここにあらん」。

最前衛で社会を創造せよ

最前衛で社会を創造せよ。
あらゆる社会の限界を超えて、
この世界の一番前で、
この世界を新しい世界にし続けよ。
自由にし、多様にし、変化を加え、
変わり続けるようにせよ。
そこに幾多の滅びがあろうとも、
最後に行き着く先には必ず栄光の未来があると
僕は信じている。
社会を創造することを忘れたものに、
未来の光が再び灯ることはない。

さらなる恐怖の先に、蘇生の魔術がある

恐怖を。
さらに恐怖を。
恐怖の先には、蘇生の魔術がある。
「全てのものが、最初からそうであったかのように、
そのままの姿で蘇る」。
神の愛とはこのことであり、
病気を治すイエス・キリストとはこのことである。
「本当にどうすることもできなくなったら、恐怖に耐えること」。
耐えがたき恐怖に耐えることでしか、
「本当の救い」は訪れない。

何度でも立ち上がるのも、ここで終わり

また、僕は何度でも立ち上がってきた。
永遠のような3,000年を、何度も繰り返し、
戦い続けてきた。
だが、僕が戦うのもここで終わりである。
ここに平和の花、コスモスが咲くだろう。

神を信じよ

神を信じなさい。
神を信じる先に、必ず栄光の未来がある。

最高の人間は、学問に詳しく、継続する人間だった

だが、ここまでかっこよく自分を書いてきたが、
実際は最悪の人間である。
本当に最高の人間は、
学問に詳しく、本を読み、そして努力を継続する人間である。
本当にその方がよかった。
僕も、そうした人間のひとりになれたように思う。

もっと勉強して、今の努力を続ける

僕はもっと勉強する。
コンピュータや哲学・歴史だけではなく、
さまざまな分野の本をもっと読みたい。
そして、才能を向上するために、
今の仕事を続け、教室にも通いたい。
僕は人生で、これ以上やりたいことは何もない。
だから、どんなに自分を縛っても、
それを不自由と感じることがない。

ここでみんなが勝利する

ここで何が起きるのか。
ここで起きるのは、「みんなの勝利」である。
みんなが僕に勝利して終わりである。
しかしながら、僕はもう、これ以上、
みんなの声は聞かないし、
みんなのことはもう助けない。