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帝国の時代

近代

明治維新は、あまりに急進的で、中世の身分制度をいきなり近代の立憲国家にするようなものだったが、日本は天皇明治憲法による立憲主義の王国となって、富国強兵を目指した。
明治維新によって、ヨーロッパの文化、特にイギリスの文化が全面的にとりいれられ、国会の議会制度を設立した。

文明開化

明治維新で、日本の文化や制度は一気に西欧化した。
特に、天皇を主体とした近代憲法を裁定し、「中世の封建国家からいきなり近代国家へ転回」し、富国強兵、廃藩置県などの政策を行いながら、政治や行政の官僚化・役人化を推し進めた。
そして、人々の文化はいきなり古来の日本の文化からヨーロッパの文化に転換した。
「自らアジアの文化を棄て、ヨーロッパに回帰する」という、良く考えるとありえない、だが先進的で新しい大転換を行った。そして、それは成功し、人々の生活は文明開化したのだ。
日本の歴史として、日本人の自覚が薄いことの一つに「日本は西欧の植民地になったことがない」というのが挙げられる。それは、日本人は西欧に対する危機意識が強く、古かった幕府を倒幕して早くからヨーロッパの文化に「転換」したことが挙げられる。他の国は、古いまま、スペインやポルトガルの植民地になっていった。このままではやられてしまう、そんな意識が、ペリー来航などでとても強くなり、鎖国していた江戸幕府の方針に反対して、薩長連合や田舎侍の反乱により、日本は近代国家となった。近代憲法を裁定し、天皇を呼び戻して、イギリス・フランス・ドイツを手本に、とても近代的な政府を作り上げた。人々はそれに反抗するのでなく、「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」といって、自然に新政府の文化に適応した。そこで自然にみんな変われる、というのが日本人のありえないところだ。
明治維新の「革命」は、フランスのフランス革命・ナポレオン独裁政治になぞらえられることが多い。明治維新の賢かった点は、完全な革命の恐怖政治にせず、天皇という王を建てたことだ。それによって、中国や朝鮮など、他の国が干渉する余地が少なくなった。フランス革命でナポレオンが世界に対して戦争をしかけているのは、革命後のフランスを隣国みんなで潰そうとしているからだ。ロシア革命後のソ連も同じように、周りの敵対国による干渉がないように、軍事独裁を行い、軍国化していった。革命政権は軍事主義に走る。日本の明治維新が成功したのは、ただのヨーロッパ化だけの革命ではなく、特にドイツなどを模した天皇を建てる革命だった、ということが言えるだろう。

単なる倒幕の革命ではなく、西欧に比べて遅れた社会を進歩させるための革命だった

日本の明治維新が、西欧のイギリス市民革命やフランス革命と違う点は、単なる倒幕のための革命ではなく、西欧、特にイギリスやフランスやドイツに比べて遅れた日本の社会や文化を、進歩させるための革命だったと言えます。
当時の江戸幕府は、日本について鎖国政策を行っていましたが、これが遅れていることは誰の目から見ても明らかでした。日本は開国すべきであり、そのためには幕府を倒す(倒幕)必要がありました。
ですが、吉田松陰坂本龍馬のような新政府のリーダーは、もっと先を見据えていました。
彼らは、新しい国ではイギリスやフランスとためをはれるぐらい、それらヨーロッパ諸国に負けないぐらい、新しくて強い国を作ろうとしたのです。
新政府は、イギリスを模して議会を作り、当時進んでいたとされたプロイセン(ドイツ)の憲法を真似して、大日本帝国憲法明治憲法)を作り、昔日本を統治していた天皇を立てて、天皇制の下に立憲君主制をやろうとしました。彼らは、封建社会の文化を棄て、いきなり近代社会へと転換したのです。
また、廃藩置県や刀狩を行い、士族の特権をゼロにするとともに、公家や貴族をもう一度政治の舞台に戻しました。全ては、イギリスやドイツを模した結果でした。
また、ヨーロッパの現地の情勢を探るために、岩倉米欧使節団を欧米に派遣しました。同時に、欧米の科学技術や軍事力を取り入れるため、たくさんの技術の再構築と吸収を行い、ヨーロッパの科学技術を真似しました。当時は顕微鏡のような科学機器が日本にどんどん入ってきて、自分たちの手で作れるようになりました。人々はそれまで「蘭学」でしか知らなかった欧米の科学技術を取り入れ、自分たちの手で同じことができることを目指しました。また、社会の資本主義化が進み、実業家によって産業がどんどん作られました。
江戸幕府側の人間も、そうしたヨーロッパの潮流に勝てないことは分かっていました。勝海舟江戸城を無血で開城し、新政府側に譲渡しました。同時に、江戸時代の徳川家を守りました。日本では、革命は暴力的な結果にはなりませんでした。武士の多くも殺されることなく、権利をゼロにされただけでした。
こうした明治維新の結果、日本はとても新しい国になりました。ですが、東条英機アメリカとの戦争を選び、日本は最強の、あるいは最悪の総力戦の結果、負けました。
ですが、明治維新があったからこそ、今の日本があるのだと僕は思います。機織り機を作っていた豊田佐吉アメリカから自動車を買って模倣品を作って改良したような日本の「欧米のものを取り入れて自分たちもできるようになる」という発想の源流が、明治維新に色濃く残っています。ですが、明治維新はヨーロッパの文化を取り入れすぎて、僕は日本の昔の文化を手放しすぎたところがあると思います。

平等な社会の到来:伊藤博文板垣退助ほか

明治維新によって、それまでの封建社会は一変し、平等な社会が到来した。
たとえば、江戸時代以前の社会では、身分制度が敷かれており、親の職業を子供が継ぐのが普通だった。そのため、武士の子供は武士になり、農民の子供は農民にしかなれなかった。
そうした長い身分制度を変えるために、初代総理大臣の伊藤博文は、一例を挙げれば官僚試験制度を導入した。たとえ平民であっても、勉強して官僚試験で好成績を収めれば、官僚になることができた。
これにより、「身分」ではなく「努力」によって人が評価される、そうした平等で自由な時代が到来した。
ただし、当時の平等な社会制度は、今の時代から見ると完全ではなかった。選挙制度は導入されたものの、高額納税者(直接国税を15円以上)の25歳以上の男子のみだった。また、大日本帝国憲法では国家元首天皇としており、国民は天皇に仕えることを目的とした「臣民」だった。そして、民衆による「衆議院」と公家や貴族の勢力である「貴族院」が置かれた。
しかしながら、自由にさまざまなことが言えるようになって、自由に政党を作ることもできるようになったため、各地で「もっと自由な社会を作ろう」という自由民権運動が起きた。板垣退助自由民権運動のリーダーとして知られる。板垣は暗殺されたが、「板垣死すとも自由は死せず」という名言を遺した。
当時の日本の政治的・近代思想的リーダーは、今でいう難関大学を作った人も居る。福沢諭吉による慶應義塾大学や、大隈重信による早稲田大学がその例である。

戦前の帝国政策

戦前は、台湾と朝鮮に総督府を置いて、イギリスやフランスのような「植民地帝国」の政策を行った。特に、中国に日本の配下である「満州国」を建てて、膨張主義政策を行った。
明治憲法大日本帝国憲法)は、天皇に力のある憲法と政府を定めたが、天皇が何でも出来ることは必ずしも悪いことではない。全ての国民を配下に納めて、行政組織と軍隊を強くして、天皇が出来るようにすれば、それは天皇という最高指導者が完全に国の全てを出来るようになる、言ってしまえばどんなことでも出来る、ということを意味する。戦前は、そうした、「右翼の実力主義」の政府だった。ナチスを参考にして、そのような政策を行い、またイギリスやフランスと同じように、大陸、特に中国とロシアを、ドイツやイタリアなどの「持たざる国」と同時に攻めることで、世界における自分の力を増やそうとした。今の自民党アメリカや中国に次ぐ経済大国になろうと努力しているように、当時の政府は富国強兵政策を頑張っていた。そんなに、間違った国ではなかった。逆に、イギリスやフランスもそういう国だった。
また、当時は国家社会主義が流行していた。日本はいつでも資本主義だったわけではなく、戦前は米は配給制度だった。ソ連も必ずしも悪い国とは見なされていなかった。だが、日本は工場を社会所有にすることよりも、イギリスやフランスに比べて遅れていた経済を進歩させようとし、そのために多くのことを学んだ。社会主義政策は成功しなかったし、社会主義者たちは弾圧されていったが、社会主義経済を過去に一度も経験しなかったわけではなかった。だが、当時の米の配給政策はとても悪いもので、生きるために必要な十分な米がなく、闇米が溢れていた。日本に社会主義は根付かなかった。日本は、帝国主義天皇中心主義になって、戦争へと突き進んだ。

太平洋戦争

日本は軍部の台頭と暴走によって、アメリカと戦争を行う。当初は戦況が好況だったこともあったが、ミッドウェー海戦などで劣勢になり、最終的にはアメリカの原爆投下によって敗北した。
反省点としては、「弱いのに自分を強いと勘違いした軍部が暴走した」ことだ。天皇は利用され、人々は自分たちが強いのだと勘違いして、軍部主導の政府に忠誠を誓い、その結果最悪の「総力戦」を行って、国民を大量に犠牲にし、今までの日本の政策を台無しにしてしまうような敗戦を喫した。
上で自分を強いと勘違いした、とは書いたが、本当はそんなに勘違いでもなく、日本の航空能力や戦艦能力はアメリカが見ても高かった。日本はとても高い軍事力を持っていて、イギリスなどに比べてはるかに超えていた。アメリカは原爆を落とすことで勝利し、日本やドイツの航空機などの製造を禁止させた。だが、負けた背景には、あまりに国民の権利を軽視していたことや、本当に軍部が「勝てなくても最後まで戦う」というおかしな価値観を持っていたことが挙げられる。特にアジアの戦い(たとえばインパール戦)では、地獄としか言えないほどの過酷な戦いをし、いくらでも自分の兵隊を殺して、それによっていくらか相手の陣地に進む、という、常軌を逸した作戦を行った。アメリカが必ずしも人道的だったわけではなく、原爆以外に東京大空襲やあるいはアメリカ国内で強制収容所日系人を収容するなど、アメリカも日本も、とても辛く苦しい戦いをした。アメリカ人から見ると、日本人はとても非人道的な国に見える。その反省からか、戦争を経験した人間は「絶対に戦争なんかしてはいけない」と言う。今の日本は、そうした最悪の戦争を経験した者がどんどん居なくなり、またいつもの右翼帝国・戦争主義に戻ろうとしている。アメリカや北朝鮮も同じである。
言い訳になるかもしれないが、あの時代はほとんどの国が悪い国だった。アメリカは今のような人種に関して平等な国ではなく、キング牧師が現れる前までは白人と黒人のバスやトイレを分けるなどしていたし、ドイツはホロコーストユダヤ人を大量虐殺した。国全体が豊かになりながら、労働者が工場の資本家から奴隷のようにこき使われる。その時代にロシア革命が起きたのは良いが、ロシアには知性がなかった。ただ資本家や金持ちを不当に逮捕し、はむかう意見を持つものを殺しただけで、スターリンは平等の政策なんか何も出来なかったに等しい。ロシアは今でも軍事力だけの大国だ。
敗因は、ミッドウェー海戦で負けたのが大きかったとされているが、後に昭和天皇は「国民の精神を重視しすぎて科学を見なかった」(明仁皇太子への手紙)というもっともらしいことを言っている。

アジア連合としての大東亜共栄圏

本当は、日本も必ずしも馬鹿だったわけではなく、大東亜共栄圏という良い理想があった。
ソ連のような社会主義経済はしないが、東アジア地域で共同体を組み、ヨーロッパやアメリカに対抗する思想だった。
日本の大東亜共栄圏は、古い思想だが、今のアメリカ中心世界の現状を鑑みるに、そんなに悪い理想ではない。
日本、中国、ロシア、インド、そしてイスラムのようなアジアの地域で、日本の神道と仏教の賢い政治・宗教的思想とともに、ロシアの共産主義、中国の儒教道教、インドのヒンドゥー教、中東のイスラム教などをベースにして、「神の平等の帝国」を作ることは可能である。

大日本帝国のやりたかったこと

明治維新の新政府が大日本帝国のために天皇という皇帝を立てたことは、間違っていたわけではありません。
当時の世界情勢は、専制君主派の右翼と共和民主主義派の左翼がイギリスでもフランスでも対立しており、王の下に議会を作って、天皇に主権を与えながら民主主義を目指していくことが正しく、賢かったのです。
また、当時の列強は、世界征服のための戦争をして、征服し、同時に、植民地をたくさん作って、資源や利権を得ることで、イギリスやフランスはどんどん全世界に植民地を開拓していった時代であり、列強国の仲間入りをするためには、軍事力をつけて世界を征服し、たくさんの植民地を作る必要がありました。
日本は、中国に満州国という属国を作り、台湾と朝鮮を併合することで、アジアに植民地を作りました。彼らの目的と理想は、イギリスやフランスに対抗できるほど力をつけた上で、アジアや太平洋の地域に領土を広げることでした。ですが、必ずしも彼らは間違った政策を行ったわけではなく、大東亜共栄圏という東アジアの共同体国家を作り、バングラデシュなどの植民地となったアジアを解放することも目的でした。彼らは大東亜共栄圏の皇帝として、また新しい神として、天皇を利用したのです。
ですが、日本は朝鮮や中国などの植民地化された地域としては、最悪でした。残虐非道の限りを尽したからです。特に朝鮮人に対しては、日本語を強制的に学校で教え込み、日本の文化を押し付けることで、朝鮮の文化や歴史をなきものにし、また朝鮮人を徴用工・徴用兵として日本人と同じように戦争に使い、若い女性は慰安婦として性奴隷化しました。彼らは、朝鮮人を同じ人間だと思っておらず、平等な権利を与えませんでした。今でもそうした差別意識は日本に根強く、ネット右翼のように、朝鮮や中国を特定アジア(特定の日本に反するアジア人)として、互いに差別用語で罵りあうのです。
しかしながら、日本には誰もが共有している概念があります。それは「戦争は二度と起こしてはならない」ということです。日本人は、アメリカやイギリスに勝つために、あまりに辛く苦しい総力戦をしました。軍部に服従し、天皇に忠誠を誓うことを求められ、人々は反抗することができず、戦争に駆り出されるために赤紙が配布されると、泣いて喜んだと言います。当時は、「天皇に従うことが日本人であることの条件」でした。天皇に従うことが、アメリカやイギリスに植民地化されないことの「正義」でした。結果、どんなに負けそうになっても、軍部は最後まであきらめずに戦いましたが、これが、「絶対に勝てなくても、最後のひとりになるまで戦う」という、常軌を逸した軍部の暴走に繋がったのです。

戦争は意味が無い

だが、冷静になってみると、これでは「アメリカと戦争せよ」と言っているようなものである。
日本人が、もっとも分かっていること、先の戦争から日本人だけがもっとも学んだことが、「戦争は意味が無い」ということである。
そう、東条英機はそこが分からなかった。陸軍あがりの戦争論者の東条は、アメリカとの戦争を何とか回避しようとする近衛文麿に反して、戦争へと突き進む。結果、アメリカと全面戦争になった。
あの戦争を振り返ると、日本はなんと愚かだったか。そう、日本は愚かで、国民のことを「国に従うロボット」であるかのように、圧倒的軍事力を持つアメリカに対して、戦争に負ける可能性があるとすれば、それは軍が内部で対立するか日本国民が離反するかどちらかであり、敵は外部のアメリカではなく内部の日本国民である、として、日本人に「圧倒的精神論」を強制した。学校は兵器の製造工場と化し、子供たちは竹やりの訓練を受け、また少女たちは戦争で男が死に不足していくための内部の労働力として働かされた。
日本人はどんどん劣勢になり、それでも東条は戦争を続け、結果、ものすごく大きな犠牲を出しながら、過酷極まりない海外での劣勢に次ぐ劣勢の「地獄のような戦争」を行ったのである。
特にひどかったのがインパール戦。人々は「何千人(自分の兵隊を)殺して進む」という、過酷どころか本当におかしな戦いをして、戦地では非人間的な「泥沼の戦争」をやった。
本当に、アメリカの方が良い。アメリカに負けて、日本は分かった。アメリカと戦うべきではないと。アメリカと仲良くやって、右肩上がりの株価を機械の大量生産と輸出で儲けてさらにうなぎのぼりに向上させ続けるのだと。そう、日本人は戦争に負けてアメリカが好きになった。
だが、日本はそこで終わりではない。今の日本は、バブルがはじけて、その後はIT技術が到来し、インターネットの時代を迎えている。この世界では、全ての問題はアメリカに始まっている。もう、アメリカと一緒に仲良く歩む時代は終わったのだ。時代は、アメリカとの協調路線ではない、「独自の日本の発展」を生み出そうとしている。もう、日本の親であるアメリカは必要ない。もう一度、日本の原点に戻って、日本という国がどういう国であるべきか問い直さなければならない。アメリカと歩み続ければ、温暖化と環境破壊によって、この世界はごみためになってしまうだろう。今、もう一度、アメリカとの戦争でも戦争回避でもなく、また経済成長でもバブル崩壊でもIT技術でもない、もう一度新しい世界を作らなければならない。そのためには、ロシアや中国との同盟政策も僕は必要ではないかと思う。