歴史のトピック

ヨーロッパ史

作家は古代の歴史を学べ

作家として小説を書きたいなら、古代の歴史を学ぶと良いでしょう。
古代の歴史を学ぶことで、本来の人間の営みや生活様式が分かります。
また、生物学と一緒に学ぶことで、人間の本来の暮らしを知ることが出来ます。全て分かるでしょう。
漫画を描きたいなら、古代の歴史と生物を学ぶことは、力に繋がります。
自分も、古代の歴史に興味があります。非文明的な人間の本来の暮らしを知りたいです。
興味のある国は、ペルシャ帝国、イスラエルギリシャ、ローマ、そして平安・鎌倉時代の日本です。

歴史は征服と侵略の繰り返し

世界史的に見ると、歴史は征服と侵略の繰り返しです。
たとえば、古代ギリシャドーリア人を考えてみましょう。ドーリア人は、鉄器(鉄製の武器)を使い、武装した軍事主義者の民族です。
ドーリア人は、武装して他の人種や民族を征服します。ドーリア人は、良い民族も、悪い民族も、全てを殺し、奴隷にし、自らの領土にし、全ての資源を奪います。
結果、良い民族も悪い民族も、みんなドーリア人に負けていきます。
結果的に、その地域には、一番悪いドーリア人しか居なくなるか、あるいはドーリア人が支配して、弱小民族全てを武力で支配するようになります。
そう、これは何もドーリア人に限った話ではありません。アーリア人ユダヤ人、インド人、モンゴル人、多くの民族が、そのような中で「本当に強くなって」自分の血を遺してきました。
ただし、古代ギリシャの話で言えば、全てが悪い民族ではないようです。たとえば、アテネとスパルタはどちらも古代ギリシャ都市国家ですが、アテネは当時奴隷制ではありましたが、既に先進的な民主主義の市民社会を築いていました。これに対して、スパルタは軍事主義の国家で、強くなるために弱い赤ん坊は全て虐殺するような民族でした。
アテネとスパルタは、対立もしましたが、同じギリシャ人であることから、さまざまな場面で協力しました。ともにペルシャの軍隊などと戦い、ギリシャの勝利を収めました。
そう、最初から、この世界は基本的に「悪い民族しかない」代わり、「民主主義の国は強い」のです。
後日注記:実際のところ、今の近代民主主義の市民社会は、そうした「強者が弱者を全て殺す社会からの解放」であると言えるでしょう。昔から、強いものは弱いものを全て殺します。今のヨーロッパや日本の社会はそうした意味で、まさに「自由」です。

民主主義と奴隷

民主主義の起源は、古代ギリシャのポリス(都市国家)のアテネに見ることができます。
古来より、国の体制は、民主主義による多数決の投票や議論、あるいは国王による支配で行われるのが普通です。
この2つを融和して、民主主義の投票によって国王を決める「選挙」が行われることも良くあります。
古代ギリシャでは、早くから民主主義の市民社会を形成しており、自由民による多数決で国のことが決められてきました。
また、同じく都市国家軍国主義のスパルタや、他の国の民族が征服してきた場合に備えて、「自由な軍隊」を持っていました。
彼らは、民主主義の自由と平等を信じながら、ほかの民族や国家に対抗して、自らの国と社会の治安を守ったのです。
一般に、民主主義の方が国王による支配よりも善良であることが多いです。それは、国王は独裁に走るからです。カリスマ性を持った専制君主が、ひとりだけで国を改革する姿は、世界史を通じてよくみられますが、国王の多くは独善的で、人々を圧制し、命令します。サンテグジュペリの小説「星の王子さま」でも、「国王は偉そうだが、実際は無力な老人」であると言われます。
ですが、アテネの民主主義が必ずしも善良で平等だったわけではありません。それは、古代ギリシャ古代ローマでは、「奴隷制」が公然と行われていたからです。
ギリシャ人やローマ人は、征服した土地の国民や、先住民、捕虜となった敵国の兵士などを、奴隷にし、奴隷市場で高額で販売しました。
奴隷は、牛や馬と同じ「私有財産」だったのです。
男の奴隷は、肉体労働や鉱山の開拓など、力仕事が必要なところで「酷使」するために使われましたが、悲惨なのは女奴隷です。家事を担当するだけではなく、男たちの性欲を満たすための「慰安婦」として使われました。年頃の、16歳ぐらいの少女すら、性奴隷として日常のように暴行されたのです。
また、ロシア帝国では、農民を「農奴」として、土地に隷属した「奴隷」として扱いました。日本のように、奴隷ではなくても、小作人には土地が無く、ただただ地主の持つ土地で奴隷のように働かされました。
古代ギリシャ・ローマだけではなく、ロシアやアフリカなど多くの国で奴隷のように国民は働かされました。
これに対して、「万国の労働者団結せよ」と唱えたのが、現代のマルクス・レーニン主義者たちです。彼らは、革命によって資本主義は倒れると説き、「社会所有」「計画経済」「平等分配」「プロレタリア(無産階級)の独裁」や「集団農場」「生産手段の国有化」「労働条件の改善」などを唱えました。
しかしながら、世界史の革命を見ていると、革命に携わるのは、そうした「下層民」だけではなく、中産階級の「ブルジョワ」であることもあります。特にフランス革命などでは、下層民とブルジョワの意見がバラバラで、革命派閥として対立することがしばしば見られます。

中世ヨーロッパの交易路

中世のヨーロッパでは、封建社会身分制度がある中で、キリスト教の強い支配を受けました。この世界の説明は教会が与え、キリストの愛は教会が引き継ぎました。
当時進んでいた地域は、イタリアです。イタリアは地中海の交易の拠点となって、「中世都市」を作りました。この考え方は、イギリス、フランス、ドイツ(神聖ローマ帝国)でも、中世の自由都市などに見ることができます。他にも、中国やインドなどのアジアとヨーロッパを通るシルクロードを中心とするオスマン・トルコのようなイスラム諸国が交易で栄えました。イスラム教の中心的な預言者であるマホメットイスラムの商人だったとされています。

セムとヨーロッパ

ヨーロッパには、セム系とヨーロッパ系の2つの文化が混ざり合ったような「融合体」の文化がある。
そもそも、セムとヨーロッパとは言語や言葉の違いである。ヨーロッパ系の言語とは、アングロ・サクソンである英語やアイルランド語、ゲルマン諸語であるドイツ語やオランダ語、そしてラテン語を継承したロマンス諸語であるフランス語・イタリア語・スペイン語ポルトガル語などのことである。
また、セム系とは、中東の言語のことであり、アラビア語ヘブライ語を表す。
こうした言語の違いは、そのまま人種や民族や文化の違いを形成する。そして、文化には宗教も含まれる。
今でこそヨーロッパの宗教となったキリスト教の、兄弟宗教であるユダヤ教イスラム教はセム系の宗教である。
それに比べて、ヨーロッパの昔からの地域の神話・宗教は、ギリシャ神話、ローマ神話ケルト神話北欧神話などである。
ヨーロッパ系の宗教は、インドの仏教やヒンドゥー教と共通点が多い。「目で見ることを重視する」「始まりと終わりが無く、輪廻して永遠に繰り返す」「たくさんの神々が登場し、ものがたりを作る」という特徴がある。
これに対してセム系の宗教は、「耳で聞き、読み、教わることを重視する」「神が天地を創造し、始まりと終わりがあり、最後に神が裁くように、神は支配者である」「神はひとりであり、歴史や神の人格を通じて教徒と神の間での契約を守る」という特徴がある。
僕は、ここに中国やインドの「東アジア」を加えたい。東アジアでは、中国の三教である儒教道教・仏教や、インドのヒンドゥー教などが存在する。特徴としては、「神を信じるのではなく、哲学や思想信条を信じる」「開祖が教義を作り、その開祖の教えが絶対となる」「人々は修行や苦行を通じて、開祖へと近づくために努力する」といった特徴がある。
ヨーロッパ、中東、東アジアとは、中世における歴史の文化圏とも重なる考え方である。

ヨーロッパと日本の比較

ヨーロッパと日本のどちらが賢いのかは、分からない。
科学者や芸術家は、ヨーロッパの方が賢い。それは、ルネサンスからの近代ヨーロッパが、特別賢い時代を歩んだからだ。昔、中世の封建社会のころは、ヨーロッパは後進的な文明地域だった。中国やイスラム世界の方が進んでいた。だが、近代の科学と芸術は、ヨーロッパが文句なしに賢い。
だが、庶民的な文化や、近現代以降の国力に関しては、どうだろうか。仏教、神道、太平洋戦争などの兵力、戦後以降の民主主義の経済力と科学技術力は、日本にも賢いところがある。特に、キリスト教などと比べて、仏教の方が遥かに賢い考え方をしている。
それから、日本は良い国だ。イギリスやフランスが植民地を作っているのに対して、日本はそれらの列強に敵対し、アジアのバングラデシュなどを解放するために戦っている。大東亜共栄圏などは、良い理想だった。だが、そうでもない。イギリスと同じだ。朝鮮の人を迫害して、性奴隷(従軍慰安婦)のようにしたりしている。悪いファシズムの国だ。
最近は、経済力がある。経済力は、四位のドイツや五位のフランスを引き離して、三位だ。それに、最近はノーベル賞学者も多い。きちんと正しい民主主義の平和な国をやっている。ポップカルチャーやファッションなどは、アメリカやヨーロッパに負けているが、皆、日本人は日本が好きだ。日本に生まれて良かったと言う人間が多い。戦争もしていないし、治安も良いし、銃も無い。日本は、そういう、悪いことをする人間が少ない、文化的に優れた、宇宙人のような国だ。

日本史

天皇制のはじまり

日本は神武天皇の古来から天皇制が続いていることから、1つの王朝が現在まで途切れずに続いている、極めて異例の国である。天皇制を確固として守り続けたい右翼の政治家が多いのは、他の国のように途切れていないこと、同時に宗教上の宗家でもあり、人々の中で「日本=天皇」というイメージが、特に明治以来の天皇制の復刻と戦争の影響もあって、まだまだ根強く守られ続けているからである。
後日注記:天皇は現人神(現実に生きる人としての神)とされるが、僕はこれはエジプトの太陽神とファラオの関係に良く似ていると思う。古代の島国で、何も分からない古代人たちを治めるためには、神であることが一番やりやすかった。その天皇という神の帝王が今でも途切れず、現代まで続いているという「特異な王国」が日本である。だが、これはただ幕府として将軍さまが治めていた間も天皇が一応続いていたというだけにすぎず、またフランス革命と同等の明治維新まで起きたことから、「日本は古い国」であるとは言えない。日本は中国から文化を継承しながら特異な歴史を歩んだ、歴史と伝統のある国である。また、ある意味天皇イエス・キリストを引き継いだローマ法王と同等の立場にあると言える。政治的実権は無いが、その存在が日本人みんなの支えになっている。ヨーロッパの神が法王なら、日本の神は天皇である。
後日注記:日本は象形文字の一種である漢字を使いながらひらがなで漢字を読み、カタカナで英語や外国語を読むといったように、なんでもかんでもごちゃまぜにする。インドの仏教もイギリスの議会制民主主義も全部取り入れて日本式のものにする。今ではドイツの発明である自動車やアメリカが得意とするIT産業がそれらに負けないほど得意な国になった。まさになんでもござれである。また、決して自分がないわけではない。それどころか、江戸時代の鎖国が300年続いたせいで、ありえないほど独自の文化がある。どんなに遅れていても彼らは自分の文化を棄てなかった。とはいうが、明治維新では全く日本の文化を棄て、ヨーロッパの文化を大々的に取り入れた。どっちつかずというよりは、それこちらに、あれこちらにというように、時代とともに違った価値観に全員でなびいていくのである。結果、最近はオタク文化のITをやっているが、ここでもアメリカやドイツのIT文化とは一線を画し、「自分たち独自のサブカルチャー」を築くことに成功している。こんな国は地球上、日本しかない。

仏教伝来と律令国

中国などの大陸の文明から、仏教と律令制国家が伝来する。日本は中国を模倣した律令制国家となる。
中世の時代、もっとも進んだ文明は東アジアにおいては中国だった。農耕のような技術や律令制などの国家を収める仕組みは大陸から伝わってきたものであり、日本だけではなく朝鮮やベトナムなども、東アジアの中国を中心とした「東アジアの共栄圏」の一部だった。
後日注記:古墳時代飛鳥時代大和時代にかけて、王が支配する国が自然に生まれていった。大化の改新では、はじめて元号である「大化」を裁定した。

平安文学

平安時代は日本語の「かな」が生まれた時代であり、文学が栄えた。源氏物語は、世界最古の小説とされ、それも女性によるものである。
日本文学は、古事記(歴史書)や万葉集(詩集)など、古来からとても豊かである。

天皇と貴族

幕府による政治が行われるまで、日本は天皇を中心とした貴族の社会でした。
天皇神武天皇にさかのぼることができますが、代々続いており、日本は「天皇が途切れなく建国から現在まで続いているとても希少な国」とされます。
中国の律令制政治を参考にして律令国家となりながら、貴族中心の政治を行いました。
当時は日本語を読めるのは一握りの貴族や寺の住職の特権的な能力であり、多くの文学や書簡は貴族によるものです。
また、天皇の住まいは平城京から平安京のように、別の都に遷都する文化がありました。
また、古代より日本では伝統的な芸能や芸術があり、奈良時代以降に作られた建築や彫刻、特に仏像のような日本建築が多く残っています。能や狂言では源氏と平氏など武士の戦いを歌にしているものもあります。
公家による支配は、藤原京平城京長岡京平安京など、奈良や京都で遷都を行いながら都(京)に天皇の御所を作った。

武家と公家

僕は、日本史の背景には、武家と公家の勢力争いがあると思います。
まず、公家は、大和時代に始まる大和王朝から続き、いったんは武士によって実質的な統治権を明け渡したものの、明治維新で再び表舞台にでることになった「天皇と貴族」の勢力です。
一方、武家は、鎌倉幕府に始まり、江戸時代まで続いた、「武士」すなわち軍事力による勢力です。
日本の歴史というのは、武家と公家の二重構造になっています。

源平合戦

そのうち、源氏と平氏が台頭し、政治は王朝主導ではなく幕府の武士主導になる。
源氏と平氏については、古くから日本では「源平神話」というものがあり、「源氏の勢力と平氏の勢力が交互に交代する」といいうことが、江戸時代の頃までにわかに言われていた。
平家については、「おごれる平家は久しからず」といったように、現代人の間では「平家=おごり」であるかのようなイメージがあるが、実際は平清盛が広島の宮島にある厳島神社(海の中に赤い鳥居がある世界遺産の神社)を建設したように、建築・芸術面での貢献度があったりとか、日本の伝統文化である能や狂言、あるいは歌や舞などに多く源平の物語が使われているように、今日では「日本文化の礎」となっている。
源頼朝によって鎌倉に鎌倉幕府が築かれると、それまでの天皇や貴族の「公家」中心の世の中から、「武士」中心の世の中になる。幕府は鎌倉幕府室町幕府江戸幕府と続き、長い間軍事勢力が日本を統治した。

鎌倉仏教

鎌倉時代、日本には仏教のたくさんの独自の宗派(鎌倉仏教)が生まれた。
源平の合戦に見られるように、武士と武力中心の世界になってきたことで、社会は荒廃し、人々はすさんだ社会のことを「末法の世」と呼んで、仏教や宗教に救いを求めた。その結果、さまざまな日本独自の仏教思想が生まれた。

織田信長豊臣秀吉

織田信長は日本を統一しようとし、豊臣秀吉が統一に成功した。
織田信長は、武士としての「覇者」とか「お殿様」というイメージがとても強いが、本当はカジュアルな側面もあって、それまでになかった奇抜な和服衣装の定着化を果たしたことでも知られる。言ってしまえば今のファッションリーダーでもあった。
豊臣秀吉はとても頭の良い人間であり、織田信長のわらじを胸で温めて信長に渡したとか、指数法則を使って米を1粒から、1日にその前の日の2倍の米を欲しい、と言ったなど、頭の切れる人間だった。だが、豊臣秀吉はその頭の良さから、日本を統一しただけでは飽き足らず、朝鮮への出兵を行った。この朝鮮への出兵は韓国からとても嫌われており、朝鮮人だけではなく日本人にとっても、過酷極まりない残忍で冷酷な出兵だったことで知られている。

武士道とサムライの精神

日本には武士道というのがありますが、鎌倉幕府以降の「武士主導の政治」の中で、一種の信条のような武士の精神論が「武士道」を形成しました。特に、仏教の禅宗などと結びついて生まれたものです。
鎌倉幕府以降の武士の政治では、日本は戦国時代となって、多くの人が戦(いくさ)に駆り出されました。そのため、日本にはサムライのスタイルが定着し、刀や鎧のようなものが日本独自の形で生まれました。同時に女性はかんざしをつけて髪を結い、着物を着るスタイルが定着しました。外国人はそうした「和風スタイルの日本の美しい女性」のことをゲイシャと呼びます。

簡単な説明

歴史