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社会

民主主義は本当に自由なのか

民主主義について言えることとして、「民主主義の選挙制度は本当に自由なのか」ということが言えます。
たしかに、みんなが選んだ政治家ですから、国民の代表です。代表にはきちんと政治経済の長として、国民を豊かにし、外国と付き合い、素晴らしい社会を作っていってもらわなければなりません。
ですが、選挙という制度は本当に優れた制度でしょうか。僕は、必ずしも選挙制度を採用する必要はないと思います。
今の時代、インターネットがあります。自分の大切な「清き一票」と言いますが、一票の重みは全国民の人口からすればとても軽いものです。全員が多数決で行った投票だからといって、自分たちの意見が示されたと本当に言えるでしょうか。
昔の日本社会のように、「社会全体が均一で、それぞれの意見が無かった」時は、これでも、みんなの意見を多数決で示すことができて、良かったでしょう。ですが、今の日本社会は分断と核家族化が進み、村のコミュニティの意見のようなものは多くの場合ありません。
これでは、自分たちの大切な問題を取り上げられずに選挙が行われて、自民党が大勝し、それぞれの問題は「自己責任」として、結局は家族や友人の間だけで考えなければならないのです。
僕は、今のインターネットの時代に、こうした選挙制度はそのうち崩壊して、別のインターネットを用いたやり方が一般的になっていくのではないかと思います。

今の時代、金なんか誰も欲しくない

昔の日本では、「金がすべて」であるといった時代がありました。金を儲ければなんでもできる、そうした風潮がありました。
ですが、これについても、僕は今の日本は「金や出世」だけが全てではなく、「個人のアイデンティティ」のようなものが大切にされていると思います。
特に、インターネットの時代、多くのものがパソコンとブロードバンドさえあれば無料で閲覧できる時代になりました。情報や知識だけではなく、コミュニケーションや恋愛まで、ネットで楽しめるようになったのです。
その結果、「金は生きるために最低限あれば良い」という人が増え、金に執着しない、自分だけで思索してこの世界の本質について考える、いわゆる「悟り世代」が生まれています。
そう、ゆとり世代はさとり世代になったのです。
確かに、会社に入ればプロのプログラマになって、IT技術を開発することはできますが、IT技術なんか誰も学びたくないのです。会社に入ると、金は入りますが、余裕やゆとりが何も無くなって、何もできなくなってしまいます。今の平成生まれのゆとり世代は、学校でゆとりのある教育を受けているために、会社のような「社畜環境」になじめず、社会から離脱してひきこもりになってしまうのです。
ですが、この先、日本が直面しているのは、それに逆行するかのような「人手不足」です。働く人間が団塊世代の大量退職などで減っていき、少ない人数でまわすために「ブラック労働」や「強制ノルマ」や「パワハラ」へと繋がっていきます。それが、そうした準ひきこもりニートの人々がさらに社会にでて働く意欲をそいでいくのです。
最近はそうした「大人のひきこもり」が後を絶たず、結婚どころか女性経験も無い人が増えています。これは、ネットにあるポルノ画像がいくらでも閲覧できることもありますが、逆に、最近の若い世代は、女にも興味がありません。そういうものが多すぎて、最初からセックスをする意味が無いのです。つまらない、エロいものを見てもエロくない、気持ち悪い、という人が後を絶ちません。
金を誰も欲しくない今の時代の若者は、社会主義も否定します。学歴のある若者が多く、社会主義の何が間違っているのかをきちんと知っているからです。ですが、資本主義のようなものを信じることもしません。彼らは政治や経済から距離を置いて、テレビゲームをします。まさにさとり世代で、日本社会は停滞し、「経済なんかどうでも良い」世代となるでしょう。

民主主義なんか世襲

政治家になるためには、三つのバン、すなわち三バンが必要だとされます。この三バンは、ジバン(地盤、応援してくれる人)、カンバン(看板、知名度)、カバン(鞄、お金)です。
民主主義の政治とは言え、有名政治家には世襲が多いです。麻生、小泉、安倍、石破、岸田、河野、小渕、福田、全部世襲です。これら世襲議員がなぜ多いのか、それはこれらの三バンが最初からあるからです。
三バンが最初からあるため、何の能力もなくても世襲で当選できるのです。これが、民主主義の現実、「ほとんどの有力議員が世襲」です。

マニフェストを守らなかった民主党が悪い

また、自民党を悪いと言いますが、本当に悪いのはマニフェストを守らなかった旧民主党です。
仕方ありません。自民党にやらせるしかないのです。
共産党がもし政権をとったら、昔は、独裁者の軍事主義国家になったでしょう。ですが、今は違います。共産党が、名前を変えて、マルクス・レーニン主義の党をやめて、まともな政党になり、それが自民党と対峙する、それが理想ではないかと思います。
ただ、今の現状から言って、共産党が勝つことは現実的ではないでしょう。僕は立憲民主党を応援していますが、きっとまたマニフェストは守らないと思います。

王は一番強いもの、ただ権力者はふんぞり返るだけ

そもそも、権力者とは王のことを言いますが、王は自由な社会の中で一番強い「王者」のことを言う言葉です。
王は一番強く、誰にも負けず、たくさんの兵隊を従えて偉そうにふんぞり返る、まさに、王とはそういう仕事です。
ですから、政治家や役人は、必ず偉そうにふんぞり返るようになります。それは、王をやらされているからです。
結果、馬鹿になって失言するか、戦争をしたくなって戦争論者にだまされ、戦争に突き進むのです。これは王国でも民主主義でも社会主義でも変わりません。権力は人を馬鹿にするのです。

王国が間違っていて、民主主義が正しい理由

僕が思うに、王国は間違っている。みんなの平等な共同体とすべきである。
逆説的になるかもしれないが、今の民主主義の首相というのは、絶対的権力者である王とあまり変わらない。
国会で議論したり、政党で意見を交わすぐらいなら、王をひとり立てて、王が全てできるようにした上で、王にさまざまな人が進言すればいい。
王は何でも自分の好きなようにできて、さまざまな意見を家臣から聞いて、自由に政治をすればいい。
だが、それはよくない。なぜなら、王は保身のことしか考えない。それは、王の側近が、王を殺して自分が王になろうとするからである。
王が絶対的力をもって何もしないのであれば、家臣たちは王が優れた政治をしている間は王に従うかもしれないが、王が無能になるにしたがって、不平不満が溜まっていく。
ましてや、王の命を殺してしまえば、自分が王になれるというのであれば、家臣たちは自らが王を殺して自分が王になろうとする。
よって、「王による平和」というものは存在しない。
また、王は他の勢力が気になる。たとえば、東京と大阪が別々の国に分かれたとして、東京の王は必ず大阪の王に殺されるか、あるいは殺すかである。そうでなければ、領土や勢力を広げられないからである。
勢力の拡大しない王国は、勢力を弱めるだけであるから、王国に平和は訪れない。
よって、国は王国ではいけない。
同時に、「国のことを諸外国から守るべきだ」と言って、外国の脅威を高らかに宣言する右翼は、分かっていない。朝鮮が日本を嫌いなのは、日本がかつて朝鮮に侵略戦争を行ったからであり、朝鮮が批判するのが嫌いならば、朝鮮を逆に批判するのは勝手だが、侵略戦争を正当化するべきではなく、侵略戦争を二度としないべきなのである。
よって、平和主義者の方が、王党派よりは正しい。
また、マルクス・レーニン主義は間違っている。それは、典型的な王国とまったく同じだからである。独裁者の権力は、独裁者を倒そうとする政権幹部との権力争い、すなわち粛清を表す。スターリンは王としては普通である。ただ、平等なマルクス・レーニン主義を何としてでも実現するために、理想のために最悪のことをやったが、最悪のことには変わらないし、マルクス・レーニン主義は、時代の進歩とともに、「間違っていたことが証明された」ため、僕たちはマルクス・レーニン主義を再度行うことはもうできない。
まさに、自由と民主主義による平和が、政治的にも経済的にも正しいのである。
僕は、民主主義の下に、この世界を自由かつ平和にする。僕がしなければ、誰も他の人間にはできないことをする。民主主義であれば、国会での議論は透明性を持つし、意見はたくさんの国民が自由闊達に行うことができる。また、王を殺さなくても、悪い首相は自然に選挙で負けていく。このような、「広く平和的な手段で権力を健全に交代させることができる」という意味で、民主主義の政治は正しいのである。
また、その上で、王国を否定した上で、僕たちは平等な共同体を実現すべきである。自由よりも、民主主義にとって根幹となる思想は「平等」である。自由な民主主義者であることよりも、平等な民主主義者でなければならない。そうでなければ、アメリカのように民主主義政治は破綻してしまう。愚かな「おバカちゃんの大統領」は必要ない。僕たち日本は、平等な民主主義の勝利と正義をここに宣言するだろう。

仕事は納期を守るだけだが、意外と面白い

最近の僕の思うところとして、「仕事は納期を守るだけだが、意外と面白い」というのがあります。
僕は、最近、デザインの仕事がよくできるようになりました。
僕は老人ホーム向けの通信の仕事をしていますが、レイアウトやデコレーションが難しく、これが面白いのです。
写真にはさまざまな大きさの写真があり、これをパズルのように上手くはめ込んでいきます。また、デコレーションの指示が多い時もあれば少ない時もあり、大変な作業になることもあります。
しかしながら、やっていると、これはとても楽しくて面白い仕事です。
皆さんにはおすすめできないかもしれませんが、納期を守るだけと言っても、仕事は面白いものです。これがもしエンジニアの技術の仕事であったとしても、納期を守るのは大変かもしれませんが、面白いでしょう。

必ず分かっている人に相談する

仕事で分からないことがあったら、必ず分かっている頼りになる人に相談すること。
分からない自分がいくら考えても、分かるわけがありません。考えるのも率先的にすべきではありますが、まずは相談です。
自分が上役になるためには、何事も経験です。さまざまな仕事を経験すれば、そのうち分かるようになります。
雑多なことを任されても不満を押し殺して頑張ってください。雑多なことが本気で出来ない人間には、職人技も本気では出来ません。

大企業の無意味さ

また、会社や市場競争について言えることは、「大企業での仕事はつまらない」ということです。
たしかに金も力も技術も人の数も中小企業よりも大企業の方が上ですが、仕事として見た時に、「上から与えられた仕事をやれと言われるだけ」で、つまらない、ということが言えます。
自分のしていることがなぜ必要なのか、自分で知ることもできない場合もあります。「やれ」と言われたことをやるしかないのです。
ある意味、中小企業で働く方が、仕事として充実していることも多くあります。特に、本当に優れた技術は、町工場で部品を製造している中小企業メーカーにあったりします。大企業は工場を使いながら、組み立てさせているだけで、オフィス作業はつまらない、ミーティングや会議でも企画を発表させられるだけで、自分の言いたいことは何も言えなかったりするのです。
ただし、誤解のないように書くと、実際のところ、どの会社もやっていることは大して変わりません。チームを組んでシステムを開発したりデザイン作業を行ったりするのは、大企業でも中小企業でもフリーな独立系でも同じです。なので、大企業に入って、脱サラして自分の会社を興す、などと言ったことも十分可能です。
ある意味、リナックスアカデミーのような専門の学校で学び、大企業でキャリアを積み、独立してベンチャーを興す、といったことも十分できる社会です。あなたの可能性を多いに高めてください。意味がないのは誰もが同じです。

資本主義の意味

会社とは、金儲けの集団です。ここで、金儲けとは、契約と取引によって、労働と価値を交換することを意味しています。
資本家は、対価として金を与える代わりに、条件として労働者に製品の生産活動、すなわち労働をしてもらいます。
消費者は、会社の製品を得られる代わりに、対価として金を与えます。
ここで、消費者の金は、そのまま直接与えられるのではなく、生産手段を持っている「会社」を通じて与えられます。ここで、「搾取」をすることで、資本家は何もせずに利益を上げることができます。
資本家とは何か。それは、「生産手段の所有者」であり、「消費者や顧客の金を労働者に渡す仲介者」です。
自由な中で、労働者は会社と契約を結びます。そのため、お金が欲しいなら、代わりに労働をする必要があります。
そして、ものが欲しいあるいは働いてほしいなら、代わりに対価を払う必要があります。
ここで、メリットとして言えることは、
・会社は自由な中でさまざまな製品を作る会社があり、国のような中央組織が計画しなくても、自由に取引と契約が生まれ、どんどんものが生まれていく。
・需要と供給の関係から、価格はものが増えれば安くなり、欲しい人が増えれば高くなる、という風に自動で調節される。
・会社は自由に作ることができ、経営者は国のような上に従う必要が無く、自分がやりたいような労働や生産を自己責任と自分の持つ資本で行うことができる。
ということが言えます。逆に、
・中央が支配しないために、不必要なものがたくさん生まれる。
・金儲けのことしか考えないために、環境を破壊したり、消費者を騙したりする。
・搾取によって、資本家だけが生産手段を独占して儲け、消費者と労働者を不当に低く扱う。
といったことがあります。そして、これらの全ては「条件と取引」によって行われます。

会社以外の仕組み・パイの再分配

しかしながら、生産と労働の形態について、会社以外の仕組みが考えられないわけではありません。
ソ連が計画経済でやったように、所有権を否定して平等な生産と分配を行う仕組みは、ソ連がはじめてやったわけではなく、古くから平等な経済のスタイルとして存在するものです。
また、帝国の皇帝は、実は巨大な力を持っていること自体が、多くのことができる証であり、悪いことばかりしているように見えて、「悪徳を行使することで善をしている」ような場合が多々あります。荘厳な宮殿を作ることで文化に貢献したり、錬金術を行うことで科学力が向上したり、さまざまな征服活動をすることで国の富を増やしたり、といった「王侯貴族の悪徳」は、マキャベリのように時には善であると見做されることもあるのです。
また、現代の経済学では、単にカネだけで生産を行い、全てを自由放任に任せて、警察と軍隊だけの夜警国家にするような政治家はあまり居ません。リバタリアニズム自由至上主義)という考え方もありますが、これはアナーキズム無政府主義)と同列の過激な考え方です。多くの資本主義の政府は、外貨を稼いで、国のお金を増やし、経済成長を景気回復手段(減税、金融緩和、あるいは公共事業など)を行うことで、国全体を豊かにする、もっと言えば国の経済規模を大きくすることで、国全体の資本を増やして、弱者にも恩恵が得られるようにします。
ただし、ここには格差の問題があります。国の全体の富をもし100とするなら、99を金持ちがひとりで持っていると、残りは1しかありません。これでは、国の全体の富が1であるのとあまり変わらない、と言えます。ですから、平等な分配も必要です。ですが、平等な分配を行う際には、国全体の富が大きくなければできません。税金による福祉政策をしようものにも、財源が必要だからです。国の全体の富のパイを大きくする必要もあれば、合理的な手段で全員にある程度の富を分け与えられるほどの公正な政策が必要とされます。
このためには、単に奪い合うだけの競争ではなく、新しい分野に「初期投資」を行うような、「ビジョンのある計画」を立てなければなりませんが、これは政治家にさせることは難しく、多くはスティーブ・ジョブズのような先見のある経営者が起業によって行うものです。最近の経済が停滞しているのは、そうした「カリスマの天才経営者」がどんどん少なくなると同時に、フロンティア(未開領域)そのものが無くなってきている、ということが言えます。残る未開拓の市場はアフリカぐらいしかなく、技術にもめぼしい技術はSNSスマホぐらいしかないのです。その上で多くのパイの大部分をGAFAのような巨大企業が全部持っていっているため、日本の末端の労働者には、100のうち1や2程度しか降りてこないのです。いくら金融緩和や円安政策をしても、大企業が儲かるばかりで、そもそも何も作らずに儲けたお金は、あぶくのように消えていくのです。

さまざまな社会施策

また、市場経済とは、単純に売り、買う全てのことに当てはまりますが、多くが「安いものだけを買う」ようになり、生産者側も「儲けるためにコストをカットする」ということだけになりがちです。
このため、こうした単純な市場経済をもっとより良いものにするために、たとえば、お金ではなく商品券や専用カードなどを配布したり、製品に品質保証のラベルを付けたり、あるいは労働者が資格を取ったり、労働基準法最低賃金を決めたりなど、「法律側からのアプローチ」というものがあります。
ですが、こうした「市場経済を捻じ曲げる」ような政策には注意が必要で、単純な市場経済の売り買いの「単純さ」を破壊してしまいます。
特に、そうした最たる例が、近く導入される消費税10%と併せて、「日用品は8%に据え置きし、ぜいたく品だけ10%にする」という「軽減税率」です。
僕は、軽減税率は天下の悪法だと思っています。ですが、これは野党のチャンスだと思います。軽減税率はおそらく、日本経済を一瞬にして倒壊させるほどの混乱をもたらすかもしれないと僕は思うからです。逆に、すんなりと普及する可能性もあり、それは国民がどれだけ適応できるかにかかっています。
もし、軽減税率が混乱と失敗を生めば、これは自民・公明の責任です。ここで、野党が選挙で大勝し、軽減税率を廃止する可能性もあります。あるいは、国民はこうした混乱を冷めた目で見ていて、「消費税を上げるだけなのになぜこんなに混乱が必要なのか」という冷ややかな目と、たかが消費税、どうでも良い、という傍観する視線があると思います。
また、ポイント還元制度は、一部のIT強者だけに利益をもたらし、何も知らないお年寄りなどのIT弱者から、不当に差別されてお金を払わされていることにもなります。
実際のところ、経済学でも、こうした市場経済を捻じ曲げるような仕組みを法律で導入することは良いことではありません。特に、社会主義的なこうした政策は、多くが消費者をがっかりさせる結果になります。それは人々がお金、というものを単純に考えていて、「お金というものは単純であるべきもの」だとしているからです。単純に、紙幣とコインを与えて、それで何でも手に入るなら、こうした「余計な心配」が必要なくなります。僕は、その方がはるかに良い国、良い社会になると思います。それが「シンプルな自由」であるお金の仕組みを、経験から国民は知っている、あるいはそれに飼いならされているのです。
全体のパイを新しい事業で増やして、それをみんなが生きられる程度に公平に分配し、自分の生活が成り立つぐらいのお金が入ってくるようにし、安定した仕事が楽しい職種に就けること、これを目指していかなければ、いくら経済学でお金をジャブジャブ増やす方法を考えても、良い国にはならないでしょう。さらに言えば、ただ金を支援金として与えるだけではなく、自らの手で「稼げる」ようにしていかなければ、支援したお金もすぐに尽きてしまいます。自立的に人々が自分の力で儲けられるようにしていくこと、そのためには、透明性のあるビジョンと、自らが協力して参加できる組織のあり方が必要です。労働者から経営者まで、みんなが同じ目標に向かってビジョンを共有し、「労働者が自分の手で会社の未来を開ける」ようになった時点ではじめて会社は成功するのです。

仕事は納期とノルマ

仕事は基本的に納期とノルマです。納期を守ってノルマをこなさなければなりません。
例えば、スタジオジブリのような有名アニメ会社は、華やかな環境に思えますが、実際は過酷で、決められた納期を守るために作品をそれまでの間に仕上げる必要があります。宮崎駿監督も、とても大変なハードワークだと言っています。
また、工場のような単純労働では、ノルマがあります。毎日数千個の部品を作って、それで少ない給与がもらえます。多くの現場で、正社員は管理しているだけで、多くをパートや外国人実習生が行っています。
オフィスのビジネスマンも楽ではありません。WordやExcelでデータ入力の仕事を期限までにしなければなりません。営業や企画も大変で、ノルマの数だけ成果をあげなければ給与を減らされます。
彼らはとても大変なハードワークをしていて、資本主義だからといって楽に仕事ができるわけでは決してありません。資本主義が楽で、社会主義が辛いという右翼の考え方は嘘です。
ほかに言えることは、競争やコスト削減は決して社会のためになっていません。つぶし合う大人の意識が格差と差別を生み、またコスト削減によってどんどん製品の品質・クオリティが下がっています。これに深刻な人手不足が重なって、日本の会社はこのまま行けば何も作れなくなると思います。

経営の基本

注意:以下の内容は独自研究です。既存の経営学に基づくものではありません。
経営の基本は、
1.経営者が他の会社を買収すること。
2.低コストで高い付加価値の製品を作ること。
3.事業で今まで得ていた利益を使って、さらに利益が生まれるような他の事業を作り出すこと。
4.株価を上げること。
5.会社としての価値を維持すること(自分たちの持つ技術力を高めるなど)。
6.最低限、利益を赤字ではなく黒字にすること。
本当に会社の経営が立ち行かなくなった時は、良ければリストラや事業縮小、悪ければ身売りする(他の会社に買収される)ことになるか、最悪の場合、倒産になります。

失敗しない起業の提案

失敗しない起業の仕方として、最初は自分の手で資本金を用意し、利益や金儲けが軌道に乗ってから銀行に融資してもらうようにすると良いかもしれません。

シリコンバレーと起業

僕は、昔ネットでIT系のニュースを見ていた関係から、シリコンバレーやIT企業について詳しいです。
僕が知っている限りで言うと、見るべきニュースサイトは、CNET、ITmedia、gihyo.jp、@ITマイナビニュースなどです。そして、梅田望夫氏やポール・グレアム氏のエッセイやブログが参考になります。
シリコンバレーでは、多くの人が自分のビジネスモデルを持って起業しますが、そこでは「インキュベーター」というベンチャー企業の投資に関するサポートと支援を行う会社が居て、彼らがそうしたベンチャー企業を成功させます。シリコンバレーでは「起業することが美徳」であり、そこでは「大企業による自分のベンチャー企業の買収は成功」であるという暗黙の共通事項があります。
こうしたやり方は、日本ではまだ見られませんが、アメリカでIT企業がどんどん成功していくのは、彼ら「シリコンバレーの社会風土」があるからです。

正規雇用の増加だけは何とかすべき

僕は、非正規雇用の増加だけは何とかすべきだと思います。
正規雇用は、働いても、働いても、報われません。きちんと8時間働いているのに、生活は苦しいままで、正規の雇用との格差と差別がそこに生まれます。
左翼の政党が言っている通りです。8時間普通に働けば、生きられる社会にしなければいけません。
僕は、社会主義的な労働の施策を取ることは、間違っていないと思います。自由にすることで、「いつまともな報酬が得られなくなるか分からない」という、不安定さが生まれるのです。必要なのは、歩合制による自由労働ではありません。誰もが平等に「安定して生きられる権利」がある、そんな社会にするためには、僕はもっと左翼の政党が勝たなければいけないと思います。
後日注記:そもそも、自由主義の労働のことを「自分で働いた分だけ給与や報酬が得られる」と思っている人が多いですが、実際にはそれでは安定した仕事が無くなり、生活のために安定した収入を得ることができなくなってしまいます。平等な福祉厚生政策とのバランスが必要です。

ブラック企業は、産業の増加による働き手の不足

ブラック企業は、産業の増加による働き手の不足、つまり人手不足が原因です。
ブラック企業を無くすためには、産業構造を抜本的に変える必要があります。意味のないサービスをやっている会社を全て消し去れば、ブラック企業は消滅するでしょう。
法律で、労働基準法を作ったり、労働環境を変えることも必要ですが、意味のないサービスを消せば、すぐに良い社会になります。
後日注記:最近の日本では、ブラックをブラックだと言わなくなりました。人手不足がとても深刻で、人々は何時間も何人分・何仕事分も働かなければなりません。貧乏人はダブルワークやトリプルワークが普通です。このままでは日本経済はもう破綻するでしょう。

会社はそもそもが利益追求の組織

会社というものは、そもそもが利益追求の組織です。会社の目的とは「より稼ぐこと」です。
これに対して、政府は税金で行われる代わり、より公的な責任があります。それは憲法や法律に定められた人権を保障するために活動しているからです。
言ってしまえば、会社というものは、儲かればそれで良いのです。儲からないことをするよりも、儲かることをする、それが会社の大原則です。
ですから、かんぽ生命のような郵便局で行われているノルマの達成を社員に課す組織が生まれるのは、郵政民営化をしたことが大きな要因です。彼らは、儲けなければクビにされたり降格されたりします。こうした公共のサービスは、まだまだ、公営化してやっていかなければならない部分もあります。
問題はかんぽ生命だけではなく、資本主義の会社の多くが、社員にノルマを課して、詐欺まがいのことをやっています。こうしたものは全て、「利益追求」とそれが行き着く「競争・市場原理」によって生まれています。IT化やアメリカ社会の模倣の結果「自分たちのアイデンティティ」も失った現代の会社は、社員を奴隷のように考え、パワハラをしながらブラック的労働をさせるような結果になっています。
こうした利益追求の組織から離れた組織として、NPO法人のような非営利組織があります。こうした法人は、職員の生活を満足させる程度の最低限の利益を上げて、公的な目標のために活動しています。環境保護や動物愛護、子供たちのための施設のようなNPO法人は、利益にならないことでもやりたい人々にとっては良い環境です。ですが、職員が満足に集まらない場合は、少ない給与でハードワークをしなければなりません。
また、オープンソースのようなネット上のコミュニティも、全く利益を取っていません。こうしたネット上のコミュニティは、参加者が好きでやっているため、楽しければそれで成り立ちます。意味は全くなくても、楽しければそれでいいような、最近はそういうコミュニティがネットの内外で増えています。子供たちに食事と世代を超えた地域のきずなを培う「こども食堂」もこうしたもののひとつではないかと思います。こうした「みんなで楽しく働く」のような無給とボランティアを前提とした労働環境は今後増えていくでしょう。どのように彼らの生活を保障するのかが、新しい時代の社会の課題になると思います。オープンソースのプログラムを開発しても、楽しいと言われるだけで、全く金は入りません。ホームページを趣味で作るのと同じで、逆に自分からリソースや手間を提供しなければなりません。ですが、そうでなければ、きっとそこまで多くの「善意の貢献者」は現れなかったでしょう。

競争原理主義とは何だったのか

昔は、「競争原理主義」とか「市場原理主義」というのが叫ばれ、「競争することで社会が発展する」といったことがまことしやかに叫ばれていました。
この競争原理主義とは何だったのか。僕は、その問題を紐解くカギは「企業のブランド価値」にあると思います。
昔は、SONYや松下といった会社の企業が、一種のブランド価値を持っていました。「その企業にしかできないこと」が確かにあり、SONYSONYらしく、松下やナショナルはナショナルらしく、それぞれの会社のできることをして、競争していたのです。
ですから、ナショナルのやったことを、「SONYならばこのようにする」といって、SONYらしい製品を作る、こうした「ブランド価値」が企業にあったのです。
それが、IT技術の発達などにより、企業のサービス化が進み、「日本の大企業なんかどれも同じ」であるかのように、アメリカ企業のITサービス化がなされました。アメリカ企業は、大胆に自分の会社しかできない、「Googleらしさ」や「Facebookらしさ」を打ち出したのです。
これは、アメリカの会社においては、ブランド価値の追求の結果であり、先ほどと矛盾しませんが、日本企業から見ると、「相対的な日本の会社のブランド価値」がどうでも良いもの並みに低くなり、結果、SONYも松下も似たような類いの「何もできない日本企業」になった、ということです。
また、最近のIT企業というのは、実がありません。ただ過当競争のようにたくさん出来ては消えるだけで、楽天ソフトバンクのような会社は、会社としての「実」が無く、結果「長期的な企業価値」よりも「短期的な利益追求」のようになってしまい、結果、日本企業は新しい実のない企業の過当競争と、昔のブランド価値の低くなった日本企業になってしまい、このような「競争に何の意味もなくコスト削減とブラックばかり起きる社会」が生まれ、「競争なんか何の意味も無い」という最近の風潮を作り出したのではないでしょうか。
実際のところ、今のSONYに、かつてあった情熱や先進性のようなものは無くなってきています。逆に、東芝や松下だから安心できる、という人も居ません。GAFAのようなアメリカ企業も、同じ道を辿ると思います。Googleのようななりふり構わず悪いことをする会社ばかり増え、どんどん競争原理主義はつぶし合いと滅びの原理主義に変貌していくでしょう。