労働地域党

労働者のための社会

労働地域党(Labor and Local Community Party)のページです。
労働地域党と自由平和党の2つを併せて「平和労働党」とします。
LLCPでは、ただの社会主義ではなく、現代の社会に適したモダンでスマートな計画経済を行います。

みんなの生産全体を、みんなで分配する

労働地域党では、それぞれが金を儲けるのではなく、みんなで儲けたお金を、みんなで分配します。
つまり、全員の生産結果を税金として国に納め、それを公正誠実に分配します。

貢献度に応じた分配

分配は平等ではなく、それぞれの貢献度を「LLCP給与分配委員会」が判断して、貢献度に応じた分配を行います。
たとえば、ソフトウェア業界全体で、100億円儲かったとします。そのうち、8割をマイクロソフトが生産しているなら、この委員会は、マイクロソフトに80億円与えます。
ですので、悪平等は起こりません。頑張っていない、1%しか儲けていない会社には、1%しか利益は与えません。

平等かつみんなで労働内容を決める

労働地域政府では、それぞれは業界ごとに全く同じだけ、同じ条件で、同じ量働きます。
ですが、それぞれの労働内容は、政府や会社の上役が決めるのではなく、評議会をベースにした全員参加型の議会の中で、みんなの手によって決めます。
自分の仕事が、みんなより辛いものになったり、低賃金になったりすることはありません。
皆の手で、絶対に少数派を抑圧・差別しない中で、正しくノルマを決めるようにします。
そのために、それぞれが資格を取ったり、あるいは、障害者手帳を持ったりすることを基準に、弱者を救い、出来る人間にはもっとたくさんのノルマと給与を与えます。

計画経済の方針

計画経済の方針は、こうなります:
1.平等な労働(ノルマ)とどれだけ働いたかの内容(生産)と社会に対してどれだけ貢献したか(貢献度)に見合った対価(給与)を与える。
2.会社には公平に資本金を与える。
3.会社は作ることを自由にするが、責任を与え、失敗した時は救済するが、責任に応じた処罰も与える。
4.国民は、安定した労働をしたいなら、農業か工業をやらせる。だが、不安定な労働を受け入れるなら、自由な労働も可能にする。
5.政府が考える計画経済は、みんなの評議会によって決める。無意味なことや無駄なことをしていても、それが「貢献」として評価された場合は、給与を与える。
6.計画経済の方針として、「良く考えられた初期投資」と「恒常的に必要なものを安くすることで、家計を助ける」と言う「家計方針」を定める。
7.また、同時に、会社を発展させ、ものを過剰に作り、人々を平等なまま発展させ、地球を進歩させると言う、「社会方針」も定める。
後日注記:どれだけ貢献したかという「貢献度」の要素から給与の配分を考えることで、世界に対して貢献した慈善活動をした人やオープンソースソフトウェアを開発している人にも、その貢献度に応じたそれ相応の給与を与える。これにより社会は正しい方向に発展し、環境問題を解決できる。

新しい会社を作る

新しい会社を作ることよりも、今ある会社を良くしていくことに重点を置きます。
新しいことをしたい人間は、出来るだけ、今ある会社の中で出来るようにしていきます。
ですが、新しい会社が作れないわけではありません。逆に、新しい会社を作ることも、積極的に支援します。
今ある会社では出来ない、新しい会社を作る価値があるとLLCPの委員会で認可された会社には、積極的に政府が計画経済の中に取り込むようにしていきます。
そして、開業する際は、さまざまな必要なものを専門のスタッフがついて、失敗しないように築いていきます。
特に、面倒なさまざまな事務のことについては、国が計画経済の下に、出来るだけ普通に実現するように、サポートしていきます。
同じで良い部分は同じにし、経営者は、本当に価値のある事業を作ることに集中することが出来ます。
また、お金の融資については、最初から融資は行いません。最初の資本金は、おそらく100万円ぐらいを基準として、自分の手で用意してもらいます。
そして、事業が軌道に乗り、安定的に儲けられるようになってから、融資を行います。
そうすることで、出来るだけ倒産のリスクを少なくします。最初の100万円が失敗して消えたとしても、借金地獄になる経営者は現れないようにします。

課税と配給

課税と配給の方針は、以下のようにします。
日常で必要なもの:出来るだけ平等に、無料で配給することを目指して、あとで足りなくならないように過剰に生産します。
娯楽の中で庶民が必要とするもの(酒やレジャーなど):課税しません。
大多数が必要としない高級品(ダイヤモンドや高級マンションなど):課税します。
教育:無料にします。
社会的に必要とされる施設(エネルギーや移動手段など):社会所有にし、公共のものにします。
金や利益のある法人:民衆への再分配を目指して、出来るだけ平等の方向へ進めていきます。
ですが、これらの課税と配給の方針は、「社会主義と言うなら、それくらいはやらないといけない」と言う程度の理想に過ぎません。
ですから、一応の目安としてこれらを決めますが、これの通りやらなければならないわけではありません。

首相になったらどのように政策を決めるか

僕が首相になったら、まず、「全員が人間的に生きられる国」を作りたい。
みんなは、ありえない政治体制を作ることを期待するかもしれないが、僕はおそらく、平等で自由な国にせよ、と言うだけだ。
ただ、自分一人で考えると失敗するだろう。スターリンのようになってしまう。
僕は、「みんなで考えなさい」とまず言う。ただし、みんなの自由にしてしまうと、烏合の衆になってしまう。
だから、僕は国や政治体制のことを、作るべき部分では、一人で完全に全部作る。
だが、それは一人で絶対にゼロから考える、と言うことを意味しない。みんなが考えた具体的な案を聞いて、その上で僕が修正する。
だから、参考にしないわけでも、独裁者になるわけでもない。「みんなに考えてもらって、僕が参考にし、最終的には僕が修正して全部決める」と言うモデルにする。
だから、国会の議論は必要ない。必要なのは、僕に教えてくれて、僕が参考にするための資料と意見を作ってくれる、みんなの「意見的政治モデル」である。

日用品の無料配給

僕が首相になったら、日常で必要なものは無料で配給する。
食事、衣服や衣類、家電製品、パソコンとインターネット回線、クーラーやストーブ、光熱費、燃料費、テレビ、書籍などは、全部無料にする。
だが、その代り、国民の給料を下げる。ほとんどのものが無料になることで、逆に給与を下げても人々は生活出来るようになる。
ただし、全てのものを無料にするわけではない。衣類と言っても最低限のものだけで、かっこいいファッションをしたいなら、有料で購入してもらうことになる。
パソコンは、一家に一台だけ。
インターネットは、そんなに回線をたくさん使う人間は、有料にする。
光熱費も制限する。
書籍は政府が指定する各教科の教科書を10冊まで無料にする。
食事も、最低限の三食の病院食のような食事を保障する。
僕は、特にカルシウム、鉄分、そして食物繊維をとらせることで、健康的で綺麗な血液(特に毛細血管)を国民に与えたい。
逆に、国民の給料が少なくなる。
特に、大企業の社員は、給与と利益の多くを所得税法人税として国に納めるようになる。
もっと良い生活がしたい人間は、今まで通り自由経済の中で働いてもらう。それを政府は制限しない。
また、Windowsのような基本的OSをオープンソースにする。出来ることなら、本当のWindowsオープンソースにしたい。
著作権法を改正し、音楽、漫画、ソフトウェアのコピーや再配布は自由に出来るようにする。
社会主義のようではあるが、何も出来ない人間でも最低限の命ある生活は出来るようにする。
後日注記:この国では、ぜいたくや過度な富によるおかしな生活はできません。質素な生活をしながら、最低限の人間の文化的営みを全員に提供します。

労働環境の改善

あとは、労働環境の改善を積極的にしていく。
特に、辛い仕事は一人の負担を減らしていく。農業や工業などの辛い仕事は、一日に3時間~5時間働けば良い。それをノルマとする。
ノルマ分の給与はきちんと平等に与える。全員月30万円を目安とする。
もっとお金が欲しい、もっと働きたい人間には、生産分の給与として、+2時間~+3時間働いてもらう。その分は、20万円以上を目安とする。
また、稼ぐことが出来ない仕事でも、貢献すれば給与を与える。大学の研究や、LinuxRubyのようなオープンソースソフトウェアの貢献がそれに当たる。
ノルマは、辛い仕事は3時間、楽な仕事は5時間であり、ここで「等価な労働量」を保障しますが、それはそれだけしか働かないわけではありません。
それ以上は自由であり、政府としても8時間労働を推奨します。ほとんどの会社では、8時間労働を標準にします。
また、8時間以上の労働(会社の社長や幹部、大学の教授、学校の教師、政治家や官僚などに特別に許される)は、休暇の拡充など、それ相応の待遇改善措置を行います。
また、10時間以上の労働は、完全に禁止します。
ただし、「不平等だ」と言う考え方もあるかもしれません。そのため、ほとんどの会社では、「出来る限りの場合において、8時間を目安に雇用する」と言う労働基準法を作ります。ですが、その場合においても3~5時間だけ働きたい(アルバイトのような労働を想定する)場合には、それも許される企業風土を作っていきます。

経済発展

労働地域党でも、経済発展はきちんとしていきます。
民主主義の問題とは、紆余曲折を経た後に、最後に経済発展をしているところです。
それが間違っています。普通、最初に経済発展をし、その後に平等分配をします。
そこまで含めて、計画経済です。
ですから、最初は計画経済で経済発展をし、あとに平等分配をしていきます。
資本主義で、金と景気しか考えないのは、間違ってはいませんが、おかしいのです。
経済発展と近代化が目的化するのではなく、幸福かつ自由・平等に生きるための手段となれば良いのかもしれない、ならなければならない、と思います。

ワークスペース

大人とは、「どんな条件や解決不可能な困難がたとえあったとしても、絶対に」行動し、行為する人間のことを言う。そして、青春とは、「夢を持ち、途中で決して諦めることなく、いつまでも挑戦し続ける」人間のことを言う。自分は、昔から、そういう風にするのが得意である。そして、この世界では、えてして、そういう人間が成功し、勝ちあがる。
僕がロシアの大統領になったら、全ての会社や学校をいっしょくたにし、境界線を無くした「統一組織」を作る。全ての国民は、この統一組織に加入する。この組織で、労働、富の分配、福祉、教育まで、全てを担う。トップには大統領が就任する。組織の名前は「ワークスペース」と言う名前にする。
ワークスペースでは、全員に平等に給与を与えるが、その内部の構成を変えることは自由にする。
ワークスペースでは、社長格の「リーダー」と呼ばれる人々を作る。リーダーには、優れた人間で素晴らしいアイディアを持った人間であれば、誰でもなれるようにする。役職は、リーダーと普通の社員(「メンバー」と呼ぶ)だけである。このリーダーの下、ワークスペースでは、自由に「会社のようなもの」を作ることが出来る。この会社のようなものを「カンパニー」と呼ぶ。
カンパニーでは、どんなことをやるのも自由である。リーダーはメンバーたちとともに、どんなことでも自由にやることができる。カンパニーを作って、自分たちのやり方で、大企業から中小企業までスケーラブルにカンパニーを構築できる。資本金の準備さえ要らない。
たとえば、儲からないことをやっても良い。Linuxを改良したいメンバーとリーダーが居れば、「Linuxカンパニー」を誰でも自由に作り、所属することができる。
だが、これでは、利益をどこから上げるのか、という問題がある。よって、みんなの「評議会」が決めた、「計画」(「プランニング」と呼ぶ)を果たすことをそれぞれの社員の義務とする。社員は、評議会の計画経済によって決まった、プランニングにおける「最低ノルマ」を果たさないといけない。だが、それは最低限のノルマであり、プランニングを実施していることを条件に、カンパニーではどんなことをやっても良いのである。プランニングと自分の「カンパニー」でやりたいことは、同一であることもあるし、異なっていて自分で勝手に研究したりすることも出来る。それもカンパニーのメンバーとリーダーの自由である。
カンパニーは、会社のようなものだけではない。大学の研究室のような「ラボ」を作ることも出来る。ラボでは、どんなことでも自由に研究することができる。学生であれば、教官に教わることのできる「スクール」を作ることもできる。
このようにすることで、会社や研究室を作る自由や多様性と同時に、給与格差のない平等な社会を実現することができる。
ただ、これだと、「では、農業や工場、建設作業員のようなつまらない仕事になるなり手は居るのか」という話になる。これを解決するために、そうしたつまらない仕事のノルマは、通常のノルマより楽にする。具体的には、農業や工場や建設作業員のような仕事は「8時間ではなく、5時間しか働かなくて良い」。そして、デザイナーやプログラマーのような賢くて誰もがやりたがる仕事のノルマは、「高度な技術力を持っていることを証明するパスポート試験」を実施する。パスポートに受からなければ、デザイナーやプログラマーになることは出来ない。いくらか不平等になるように見えて、これが一番平等である。論理的に考えて、これ以上、自由を与えながら平等にすることは出来ないだろう。

過度な近代化の是正

過度な近代化は必要ありません。

自動車は、出来るだけ電車やバスに変える

石油エネルギーを莫大に使い、環境を汚染する「自動車」は必要ありません。
出来るだけ、電車やバスなどを使い、それらの動力源も太陽光エネルギーなどを使って発電します。

全ての家屋に太陽光発電

全ての家屋に太陽光発電設備を付けることを目指します。もちろん、そのための費用は全額国が負担します。
国は負担するだけではなく、そこで得られた電力を回収するために、長期的には太陽光発電事業は黒字になって、ビジネスモデルになります。

石油製品の撤廃

プラスチックのような石油製品は、環境の問題から推奨されません。紙や金属などに変えていきます。

原子力エネルギーの廃止

原子力エネルギーは推奨されません。施設は全て無くし、いつどんな異常気象が起きたとしても、絶対に放射能汚染を起こさないようにします。

ITへの依存社会を撤廃し、必要な部分はオープンソース

IT、特にインターネットに依存した社会は、ハッキングや情報格差など、さまざまな問題を引き起こします。
出来るだけ、ソフトウェアを中心とするIT機器は撤廃し、アナログな機械で常に代替手段があるように、「IT以外の選択肢」を開発します。
また、事務やクリエイター産業など、ITが不可欠になっている現場では、オープンソース・ソフトウェアを使います。
Windows XPと同等の環境を、Ubuntu(特にXubuntu)を中心に国が開発・構築していきます。

ソフトウェアを出来るだけオープンソース

情報化社会を上手くコントロールするために、ソフトウェアは出来るだけオープンソースにしていきます。
オープンソースにしても儲けられないわけではありません。きちんと社会に貢献するオープンソース企業は、LLCPの給与委員会で、「貢献度」を目安に給与を与えます。

インターネットをプロのコミュニケーションツールに

今のインターネットは、匿名で好き勝手に無知な人間が対話しているだけで、全く良いものになっていません。
インターネットを良いものにするためには、「それ相応のレベルの人間同士が会話出来る」ものにしなければなりません。
ですから、今の掲示板やSNSは廃止し、国営の「コミュニケーション・フォーラム」を作ります。
そこでは、参加者は専門家のプロであることを前提とします。見ることは自由ですが、投稿するためには専門の資格免許証が無ければなりません。
ただし、個人のWebページまで全部廃止するのはやりすぎだと思います。そこはバランスを見て、嘘や批判しかないサイトは積極的に新しいものに交換していきます。

自動車は電気自動車、ソフトウェアはオープンソース

僕は最近考え方が変わって、自動車とコンピュータは守り、それぞれに対する法整備を強化することで、問題点を改善したいと思います。
その理由は、僕の生活も、人生も、また人々の生活や社会インフラにも、自動車とコンピュータは欠かせないものになったからです。
僕の生活の中で主に使う機械は、ほとんどがコンピュータと自動車です。
ですから、自動車とコンピュータを守った上で、法整備を行います。
まず、自動車は電気自動車を普及させ、今のガソリン自動車を根絶します。そして、太陽光発電施設を作ることで、電力エネルギーは太陽光でまかないます。
そして、コンピュータは、オープンソースソフトウェアのOSを自分の国で作ります。
まず、Red Hat資本提携をし、オープンソースLinux OSのコアを共同で開発し、共同で保守します。それはオープンソースにします。
そして、MATEを独自に改良した、新しい日本のデスクトップ環境を作ります。日本ローカルな問題は、ここで全て改善してクリアにします。
そして、フォントが少ない問題を解決するために、Adobe資本提携をします。
最後に、デスクトップアプリケーションを改良し、日本人が使いやすくすると同時に、LibreOfficeGIMP/Inkscapeの改良を行い、日本人の使いやすいインターフェースにします。
ソフトウェアを作るだけではなく、使い方や機能の解説を行ったマニュアルを作ります。これは、ユーザー向け、管理者向け、技術者向け、エンタープライズ向けの4つを作り、ユーザー向けのマニュアルにおいても、UNIXの基本的なコマンドや管理の方法のような、きちんとしたハンドブックを作ります。GentooやArch Linuxのマニュアルを参考にします。
アプリケーションの配布は、Flatpakのような先進的なアプリケーション配布フレームワークを使用する。また、Wineを改良し、Windowsアプリケーションも問題なくLinuxで使えるように日本独自で改良を行う。
また、ハードウェアとしては、IBM-PCを継承しながら、独自の先進的なハードウェアを実装し、Linuxカーネルデバイスドライバなどを自前で作ることで、Linuxが問題なく動くハードウェアを製造する。将来的にはアメリカにも勝てるモデルにする。
x86の古いハードウェアをサポートするかは、Linuxコミュニティの中でどういった位置を得ることが出来るかで決まってくるが、出来ることなら古いWindowsのサポートが終わったパソコンも再利用出来るようにしたい。あるいは、サポートがRed Hatによってもしされなくなったとしても、「オープンソースだから他の会社がサポートできる」といった風にする。僕のやりたいことはそれで、Microsoftがサポートをしなくなっても、他の会社がサポートするようにしたい。パソコンをなくすのでも、Windowsを買い替えるのでもなく、オープンソースにしなければ、それは実現できない。

格差と差別のない世界

格差を是正しながら教育を抜本的に変革することで、優れた社会秩序を作ります。

大学に「入学」するのではなく、誰もが全員大学に「所属している」社会

大学と言うものを、どこかの組織に金や試験で入る、と言うものでなく、全員が標準的に所属している社会を構築します。

日用品は無料にするが、人頭税を取る

全ての日用品と生きるために必要なものは無料で配給します。
ですが、名前は悪いかもしれませんが「人頭税」を取ります。それぞれの家庭で、一人当たり10万円を国に納めなければなりません。
ですが、心配はいりません。それぞれへ与える給与は、必ず10万円以上のものになります。

公務員として誰でも会社に入っている

会社に「入る」と言う概念も必要ありません。誰もが最初から死ぬまで、「公務員」として会社に入っている社会を目指します。
全員を公務員として、全員雇用を実現します。失業者は現れません。

会社のやっていることを完全に公開する

会社のやっていることを公開し、ブラック企業が現れた時は全員で対抗します。
また、そもそも、平等でない働かせ方は出来ないようにし、全員を正社員にします。
出来たら、幹部への投票など、国民が会社の経営に参加することも出来るようにします。

学校教育の改善

今の中等・高等教育は、試験勉強と受験への対策ばかりで、意味のある教育になっていません。
このままの教育が続いていたら、子供たちは自分のように学校に行かなくなってしまいます。
教育を受けられる権利を与えるだけではなく、教育の内容そのものを改善します。
まず、小学校の教育では、以下の科目を継続して教えます。
1.国語
2.算数
3.理科
4.社会
5.体育
中学校・高校の教育では、以下の科目をもっと豊富にやります。
1.哲学・宗教
2.医学・心理学
3.プログラミング・UNIX
4.政治経済(自国だけではなく、外国の政治体制も含む)
5.歴史・外国文化・語学
6.文学
7.総合科学(数学、物理、生物、地理などを総合的に学ばせる。今の科目から削減し、他の科目の方に重点を置く。)
8.パソコンスキル
9.デザイン
10.農業
11.音楽(ピアノ、ギター、ブラスバンドなど)

きっかけによる教育

教育は、国がカリキュラムを全部決めるのではなく、「きっかけ」を与えることで、「自分が本当にやりたいことが出来る」ような教育を目指します。
きっかけを与えるために、多様な経験をさせます。そして、「自分が本当に何をやりたいのか」を知られるようにします。
自分が本当にやりたいことが決まったら、それをきちんと出来るように、周りが知識と環境の整備を手伝います。
教師が学ばなければならないことを学ばせるような今の教育ではなく、この世界を自分の夢とともに自分の力で知っていけるような、幅広い心と深い愛による教育を目指して行きます。
たとえば、先の科目でプログラミングをやりたいと思った子供は、プログラミングのことだけをやっても構いません。自分の好きなことを伸ばしていける教育を目指します。

自由大学と学習コミュニティ

大学は、今のような4年制のきちんとした大学とは別に、「自由大学」と言う自由な大学を作ります。
これは、専門科目をきちんと勉強する今の大学とは違って、完全に自由に勉強することが出来ます。
いつでも、理系、文系、社会系、芸術系、工学系などの全ての科目の講義を、受けたい時に自由に受けられます。
また、社会の労働や経済政策のような体験も出来ます。
専門学校のような科目(コンピュータ、デザイン、音楽、映像、調理、医療など)もあります。
もちろん、今までのようなきちんとした講義を受けて、自由に研究室で研究することが出来ます。
実現するために、IT技術を活用します。
一つの科目の講義を、オンラインの動画・音声として学生全員が学習出来るようにします。
過去に行われた講義は、アーカイブから全部視聴することが出来ます。
IT技術を活用することで、合理的に講義を作ることが出来ます。ヨーロッパの歴史の科目は一つで良いので、中国やイスラムなどの歴史科目を幅広く作ることが出来ます。
動画で授業をすることの最大のメリットは、どこでもインターネットさえあれば授業を受けられる点です。カレッジを各地域に作る必要はありません。
その気になれば、中学生や高校生の年齢から自由大学の授業をオンラインで見ることも可能です。
学習に際して単位などを登録する必要もなく、好きな時に好きなだけオンラインで授業を受けられます。
そして、さらに、大学をきちんと出た大人のために、より緩やかな「学習コミュニティ」を作ります。
このコミュニティは、カンファレンスや講習会、あるいは同好会やクラブのようなものに近いです。
同時に、きちんとした講義を行うべきところでは、自分の大学で学んだ基礎以上の発展的内容を学ぶことが出来ます。
大人なら、誰でも講師になることが出来ます。
そのように、自由大学と学習コミュニティを併せて自由化し、教育を自由にしていきます。
ただし、矛盾するようですが、教育の過度なIT技術への依存はしないようにします。
特に、IT技術は学生の間で自分たちで作るようにして、大人のための授業や講師などは、講習会やブースを設置するなどして現実世界で行っていきます。
そのために、学生の作ったソフトウェアは出来るだけオープンソースにしていきます。

大学受験制度は廃止

全員を平等に大学に入れて、誰でも一流の教育を受けられるようにするために、大学受験制度は廃止します。
また、高額な授業料も必要ありません。誰でも無料で大学に入ることが出来ます。

デカルト的な考え方を教える

また、過度に知識を与えるだけでは、人は賢くなりません。きちんと「自分の頭で考えるための知性」を与える必要があります。
僕は、そのために、「デカルト的な考え方を教える」ことを必須科目とします。
哲学的な、コギト問題(われ思う、ゆえにわれあり)や方法的懐疑だけではなく、座標や累乗など、デカルトのように考える知性を与えます。
また、その上で、たくさんの資料を与え、コミュニケーションから社会を構築する方法を学ばせます。
そうすることで、子供は健やかに、「自分の力で科学や世界を考えられる人間」となります。
あとは、子供たちには、この文章を読んでもらいます。それを国語の時間としましょう。
子供たちには、本当にたくさんの資料と経験を与え、それをコンピュータを使って読むことを学んでいきます。そして、その人の立場になって考えると言うことはどういうことなのかを教え、従属されるだけではなく、自分の手で自由に学習する、と言った機会を与えることで、指導者の器のある賢人を輩出します。

いじめられた時のための「心得」を教える

学校では、いじめられた子供のために、全員に「いじめられた時のための心得」を教えます。
それは、「周りに相談する」「やられているだけではなくやりかえす」「いざとなった時は喧嘩することも出来るような技術と能力を持つ」ことです。
いじめっ子といじめられっ子をただ大人が諭すだけでは、いじめは無くなりません。
いじめられた時の備えと心得をいじめっ子もいじめられっ子も同時に教わることで、いじめと言うものが「相手に無条件に勝てる」ものではなく、「いじめられっ子が優位に立つことも出来る」ようにしていきます。

考えるための余裕と手段を与える

子供たちには、「自分の手で考えること」を優先して学ばせます。
そのために、算数や数学の問題を解くだけの無意味な受験的教育を止め、考えるための時間的余裕と、考えるための手段を与えます。
考えるための手段とは、研究の手段です。特に、オープンなコンピュータとインターネットを与え、子供たちに自由を与えます。

いじめへの対策

いじめへの対策として、学校でいじめなかった生徒には特別の待遇を許し、大学への進学に関しても特別編入枠を用意します。
逆に、いじめた生徒には難関大学や一流企業に入ることを出来なくするか、難しくします。
いじめの中核メンバーは、退学処分にします。
教師に関しても、いじめを黙認した教師はクビにし、二度と教師の活動が出来ないようにします。
逆に、いじめのない学校には特別の予算と教員の拡充を許し、もっと大きな学校になれるようにしていきます。
同様に、ブラック企業に加担した人間も、他の会社に転勤することを出来なくし、ブラックでない優れた企業には政府から特別の名誉を与えるようにします。
そのようにして、いじめっ子には罰を、いじめなかった善良な人間には特別待遇を与えていきます。
ただし、「いじめられっ子がいじめっ子になった場合」については、「いじめ返すことも悪である」とはせず、相手への正当な反撃をみんなで助けていきます。

一度学校からドロップアウトしてもやり直せる社会を

また、僕は一度学校からドロップアウトしてもやり直せる社会を作ります。
今の学歴社会というのは、最初から最後まで全て学校のレールに従うのが前提となっており、どこかでドロップアウトすればそこで終わりです。
これでは、学校以外の人生を生きられません。
一度学校からドロップアウトしても、僕はそうした人々のための専用の学校を作ります。再入学は何度もできます。これを「やり直し可能制度」と僕は呼びます。学校にはやり直し可能制度を作るべきです。

地域コミュニティの復活

現代社会に無くなってしまった地域コミュニティを復活し、「新しい帰属意識アイデンティティ」をもう一度作ります。

地域コミュニティにおける、大人と子供の関わり合い

子供たちは、大人全員で守ります。子供がいじめられていたら、大人が介入します。
いつでも大人の暖かい目を得られた上で、子供を安心して学校的コミュニティに預けることが出来ます。

都市を「経済的中枢」から「地域的中枢」へと転換

今の都市は、「経済的中枢」となっています。たくさんの店があり、そこで何でも手に入ります。
それを、「地域的中枢」としていきます。そこでは、地域に住んでいる人と出会ったり、友達になったりすることが出来ます。

独立性と多様性、あるいは、共有とのバランス

現在の地方自治は、都会だけが優遇されていて、田舎が後回しにされています。
そのために、独立性と多様性を高めながら、都会との資本的、政治的共有を行います。
どういうことかと言うと、インフラ的な部分で都会が支援すると同時に、個性や独自性を出す部分で、もっと多様性と独立性を高めていきます。
最終的には、首都圏に匹敵する無数の経済圏を、世界中に生み出していきます。
ですが、過度な発展や近代化・集中化をするのではなく、生活のための安定した「地域拠点」としていきます。
頑張って共有していけば、都会と田舎の差は無くなっていくはずです。
また、田舎は自動車だけではなく、バスや電車も平等に路線を引いていきます。
また、共有と言う意味で、コンビニに学ぶべきところはあるかもしれません。出来るだけ設備や体制を共有した上で、田舎にも店舗を確保することは、きっとコンビニ以外の店舗でも出来るはずです。
後日注記:そもそも、「東京一極集中」になる理由は、首都圏に全ての政治的・経済的中枢があるからです。僕はこれを、それぞれの都市に拡散させ、分散させ、また地方自治のためにそれぞれの都市に大都市を築きます。また、東京都民や東京に経済拠点のある会社向けに「東京税」を取ります。

うつや詐欺に負けないために、地域コミュニティの大復活を

現代人が鬱病や詐欺に負けているのは、地域コミュニティと言う「守ってくれるみんな」が居ないからです。
いじめやブラック企業なども、完全に、地域コミュニティの喪失から起きている問題です。
ですから、労働地域党では、地域コミュニティの復活を最優先として掲げています。
地域コミュニティが復活することで、人々は安定した安心感を得ることが出来ます。そして、いつでも相談することが出来ます。
方針としては:
1.地域を管轄する「長」と、世話役の「相談員」を作る。
2.それぞれの地域コミュニティが復活するために、「情報と助け合いのネットワーク」を作る。そこでは、困ったことを相談し、支援者が支援することが出来る。
3.地域のコミュニティとして、子供たちを守る「いじめ対策班」や、鬱病や詐欺に対抗する「問題解決班」を作る。
4.そして、出来るだけ地域の行事を作り、村社会ほどに緊密な、「密となるコミュニティ」を作っていく。政治制度だけではなく、みんなの力で協力する。
こうすることで、小中学校のいじめもなくなり、辛いストレスや不安感もなくなります。困っている人間は、いつでも相談出来ます。

相談員とは

相談員とは、世話役のさまざまな相談をする人のことで、心理的カウンセラーのような人を作ります。
どんなことでも相談でき、必要ならばさまざまな機関にアクセスする権限を持ちます。秘密は洩らさず、キリスト教の教会の牧師のように、何でも相談できる人を作ります。
僕の通っている作業所での相談員の制度を参考にしています。

詐欺に負けないために、新しい電話通信・振込システムを

また、詐欺に負けないために、新しい電話通信システムを作ります。
あらかじめ登録された友達や家族などの電話番号でない電話を行う時は、必ず身元を公開しなければならないようにします。
また、電話というシステムそのものも改めます。自由をなくす代わり、みんなで騙されやすいお年寄りを守ることの出来るような電話システムを開発します。
そして、銀行振り込み、という仕組みそのものも改め、必要としない時は、そもそも振込機能を使えないようにします。

政府と外交政策

LLCPのもうひとつの目的は「世界政府」です。LLCPはこれを必ず実現します。

一つの地球に一つの政府

この世界に、そんなに独立した国家や政府は必要ありません。全員の政府を一つだけ作り、みんなで公務員として、その一つの政府だけを全員で改良します。
ただし、それはあくまで理想であって、一つの世界政府を作ることは、とても難しいことです。
そのため、逆の政策として、「争わない共存の妥協策」を取ります。世界中全部を平和にするために、連合を作りながら、「融和的共存」を目指していきます。

民主主義と国際自衛隊による平和

戦争や革命は起こらないようにします。そのために、上院と下院の民主主義の体制を取ります。一つの地域には一人の上院議員を選び、人口に比例した下院議員を選びます。
大統領選挙も行います。
ですが、軍隊は持ちません。同盟国との間で、最小限の国際自衛隊を作り、同盟国のどれかに侵略戦争が起きた時は、全員で対抗します。

性悪説をベースにした、「悪い支配者への対抗」

性善説で、支配や独裁を許してしまうと、自由がなくなってしまい、人々は無理強いの強制的支配を受けてしまうでしょう。
ですから、性悪説を基本とした、「悪い支配者への対抗」を行います。
独裁は許しません。それぞれがいつでも独立した自由な司法・行政・立法機関を作ります。憲法も作ります。
そして、悪い支配者が現れた時は、全員で対抗することが出来るような仕組みを作ります。
多数決による選挙だけではなく、デモを公式に政治活動に取り入れるような、他の手段も検討します。
また、国会は政治家だけが議論するのではなく、それぞれの会社の幹部なども含めた上で、公正な政治経済を行うことが出来るようにします。そのために委員会を作ります。

過度な近代化より、平等な豊かさを

過度な近代化は悪です。地球を滅亡させます。それよりも、平等に全員を豊かにすることを目指します。

共同体主義

社会的共有から共同体を形成するために、多様性と自治体の権限や独立性を高めていきます。
重要店舗や重要施設は、会社のものではなく、自治体が管理・所有します。
それにより、町の文化と景観を守り、過度な大規模店舗化を是正し、都会と田舎の格差を無くします。コンビニは国営化します。
また、地域には大規模な無料の図書館を設置します。それにより、経済格差による知的格差は起こらないようにします。
また、低価格のネットカフェを推進します。OSはLinuxを採用します。
輸入品に関税をかけて国内製品を守る一方で、単純なグローバル経済ではない、融和的な国際貿易政策を行います。
そして、外国人の移民には日本語教育を受ける義務を課します。そのための授業料として20万円を国に納税していただきます。

左翼が勝つために

左翼が勝つために必要なのは、昔は世界を大混乱に陥れて革命で勝つことでしたが、今の時代、革命で勝つことは出来ません。
ですから、民主的な選挙で勝つ必要があります。
自民党などの右翼が勝っている背景には、「ノーと言える権利がある」ことが言えると思います。
自民党が政策を失敗した時は、代わりの代替政党である民進党を選挙で選ぶことが出来ます。
ですから、左翼が勝つために必要なのは、「国民のノーと言う意見を聞く」ことです。
国民がノーと自由に言える権利を保障することで、国民は安心して政権を左翼政党に任せることが出来ます。
僕は、国民が持っている「ノー」と言いたい権利を保障するために、選挙だけではなく、さまざまな政策を行いたいと思っています。
インターネットやIT技術を使って、いつでも国民が自由な意見を言えるような、言論の自由は、左翼政権でもきっと保障出来ると思います。

人種差別の問題は、「集団で」憎しみ合うこと

僕は、いじめや人種差別が起きている背景には、集団で相手と憎しみ合うことにあると思いますが、ここで重要なのは、憎しみ合うこと自体より、集団でそれを行うことにあると思います。
一人対一人の戦いならば、大した問題にはなりません。ですが、集団と集団の戦いは、戦争に発展します。そして、集団の中での連帯感が高揚感となり、集団と集団の憎しみ合いはそれぞれのグループの中でエスカレートし、大戦争になり、地球は滅びるのです。
いじめも、それと同じです。敵と味方を作り、絶対的境界線を作ります。人種差別は、その絶対的境界線を「人種」と言う生まれつき持っているものから規定します。
僕は、集団と集団との争いを止めるために、そもそも「集団になって相手集団を攻撃すること」を、どうにかして制限させたいと思います。
憲法に裁定すると良いかもしれません。「誰もが、集団によるいじめや差別を受けることが無い権利を保障し、集団におけるいじめや差別を行う権利を放棄する」と憲法に書くことも出来るかもしれません。
事はそんなに簡単ではありません。常に、優位に立っている方が多数派で、少数派が奴隷のように隷属されてしまいます。優位に立つ多数派が譲歩しない限り、人種差別の問題は50:50にはなりません。ですから、黒人などの連帯を作るだけではなく、白人の多数派をいかに味方につけることが出来るかが鍵を握るでしょう。
出来ることなら、「いじめ・差別倫理裁判所」と言うものを作って、裁判所の判断でいじめや集団による差別を裁判官が裁くことが出来るような、新しい司法と裁判の仕組みを作っても良いかもしれません。

自衛隊の名称を「守備専用部隊」に

自衛隊の名称を「守備隊」あるいは「守備専用部隊」に変えます。
そうすることによって、自衛隊が攻撃の能力を持たず、自国の守備しかしない部隊であることを、分かりやすく明確にします。

経済特区を作って希望者だけで社会実験を

この国では、あらゆることを事前に試した上で行います。社会主義政策を行う場合は、経済特区である「実験地区」を作って、参加者だけを募って、そこで社会実験を行います。
決して失敗することはありません。失敗した時は、速やかに法律を廃止します。実験地区は、経済政策の最先端を試します。実際は、実験地区は国に2つ、東京と大阪に作ることになるでしょう。

外交政策

日本とEUの同盟・日本とロシアの同盟

僕が思うに、日本はEUと一緒に何らかの新しい同盟を作るのが良いと思う。
あるいは、日本とロシアとの同盟も良いだろう。
相互に補完し合う、素晴らしい同盟関係を築けると思う。
日米同盟も悪いわけではない。だが、僕はそろそろ、日米同盟を脱却すべき時に来ていると思う。経済学的な知見や根拠はないが、傍観者としてそう思う。
後日注記:僕は日本とロシアが同盟すべきだと思う。日本には高い技術があり、社会的な豊かさも高い。ロシアには巨大な国土と資源、そして賢い経済・社会哲学思想と経験や歴史、宇宙・軍事技術がある。両者が補完的な関係を築くことで、アメリカには必ず勝てる。

社会主義自由主義

昔は、それをするために何が必要か、それをするためにどんな良い方法が考えられるかを考えた。認識と発想を突き詰めて考えながら、社会の「出来ること」を分かった。
政治には、考え方のバランスがある。
特に、支配した方が平和になる、という側面は確かにあって、支配者が支配して民衆を従えた方が、反抗する自由は無くなり、抑止力となって国は平和となる。
だが、支配者がたくさん居ると平和にはならない。王と王がいがみあって戦争になる。王だけではなく、宗教や民族も同じで、さまざまな宗教や民族を共存させ、自由にすると、いがみあって戦争が起きてしまう。
だが、この論理は少しおかしい。それは、共存、というものに最初から反しているのが、征服や制圧という考え方であり、帝国主義は征服の考え方に基づいて、自国民のことしか考えないからだ。
だから、一人の支配者にしながら、自由かつ平等に共存できるようにすれば、世界は平和になるだろう。
ある意味、その平和は民主主義的ではない。一人の皇帝が即位するのであれば、国民に主権や民主制は存在しない。
民主主義を突き詰めるのであれば、自由にしなければならない。民主主義が平和なのは、国民が平和を望んでいる時だけだ。
国民の主権にし、大衆の自由にすれば平和になるかと言うと、多くの場合なるが、本当は大衆が自分勝手に働いた場合、大衆と大衆がいがみあって、トランプやネット右翼のように、他の国を敵にする「右翼の平等」に陥ることがある。
右翼の平等では、世界は平和にならない。民主主義の欠陥は、大衆の自由にしたところで、他の国と共存するかというと、そうでない場合の方が多いことだ。
だが、これはバランスだ。共存、独裁者、民主主義、右翼、全てはバランスに過ぎない。
最近は、経済は複雑になっているが、政治は単純になっている。政治的に見れば、米ソの対立と超大国化によって、「自由対共産」という分かりやすい構図になっている。ある意味、共産圏は平等だが、国民主権という考え方はない。自由圏は、それぞれの国が民主的な主権を持っている。
経済的に見れば、自由圏はそれぞれの国の大臣と首相・大統領が経済を考え、国民を豊かにする中で、福祉政策を行うことで、平等と自由のバランスを取る。
これについては、バランスとは言うが、共産圏の方が間違っている。それは、共産圏の独裁者たちは、経済のことを考えない。平等のために戦うばかりで、経済のことがおろそかになっている。
そうすると、むしろ、最近は中国のように共産圏でありながら経済発展をする国が現れたが、まだまだ中国は未成熟な国で、人々を奴隷のように働かせながら、役人が自分勝手に支配し、人々に平等ではない、過酷な歩合制の労働をさせ、為替操作のように国全体で不正なことをして儲けている。
そういうわけで、政治的に共産主義が台頭したのは分かるが、経済的に見れば共産主義は全く子供のような主義で、政治的に見ても、主権や自由は無く、「ただ上に従って何もするな。お前らの自由はない。ソ連は強いんだぞ。」と言った、押し付けがましい、いつかの植民地主義のようなものになってしまっている。
よって、社会主義は間違っているが、本当は今こそ、社会主義の思想を見直さないといけない時期でもある。マルクス経済学が言っていた「哲学的なこと」は全部当たっている。人々はアイデンティティを失い、疎外され、搾取され、奴隷のようにこき使われている。みんなで一つの報われる平等な国を作り、計画経済で大発展をし、平等にみんなのものを与えないといけない。社会主義は、哲学的に見ると賢いが、政治経済として見ると、全くおかしな子供のおもちゃのような思想だ。
本当は、自由主義が賢いわけでもない。ミクロ経済学マクロ経済学では、あまりに国や会社経済の側に立って考えるが、労働者の側に立って考えない。お金を儲けることは分かっていても、再分配という意味で言えば全く間違った説明をする。経済学はそういうものだ。経済学者なんか、ただの右翼官僚だ。
民主主義が必ず間違っているわけではなく、民主主義には自由と多様性がある。社会主義は、全てを同じにして、人間を奴隷や道具のように扱う。だから、右翼が悪くなる。社会主義はやめた方が良い。僕が首相になった時は、社会主義はしない。社会主義よりももっと賢い思想をする。そのためには、大まかな思想を考えるよりも、細かな解決策やモデル化から考えた方が良い。可視化は悪くない発想だ。組織の透明性も必要だ。組織のことをもっと良く考えた方が良いだろう。必ずしも思想の戦争をする必要はない。もっと、一つ一つの出来ることから、コツコツと世界を変えていけば、必ず世界は自由な平等へと自然になっていくに違いない。
後日注記:ある意味、米ソの問題とは、社会的な対立をあまりに単純にしたこと。社会を「西側対東側」というあまりに単純で短絡的な構図にした。本当は、多数派が勝つのか、それとももっとも弱い弱者に対して支援することを優先するのか、という問題である。そこにさまざまな有象無象を一緒にしたせいで、人々は資本を奪うソ連よりも資本を皆に与える資本主義の方が正しいと勘違いしているのである。

自由経済の意味

自由経済には、いくつかの意味がある。いくつかを挙げてみよう。
・自分の国を豊かにすること。
・自分の国を平和にすること。
・国民の権利を守ること。
・国民の生活を保障すること。
・国民に自由を与えること。
・国を発展させること。
・会社の技術力と資本力を高め、新しい製品を作ること。
・国民の生活水準を高めること。
・国会や選挙を通じて、民主主義と自由を実現すること。
・政治家や閣僚や官僚が、国のことを考え、維持すること。
・古いものを是正し、新しい国にすること。
・他に国に経済力と軍事力によって勝ち、仲間を増やすこと。
良く考えると、もっとあるだろう。だが、一つ言えることは、「きちんと考え、きちんとやる」という実行力だ。
民主主義が賢いのは、実行力と自立性があるところだ。まず、きちんと正しいことを常に行っている実行力がある。次に、会社や選挙など、「国民のそれぞれが努力する」という「自立」の可能性がある。
社会主義はすぐに破綻するが、自由主義は破綻しない。それは、実行力と自立性があるからだ。
国民には選択の余地がなければならない。よって、自民党独裁は良いことではない。自民党というメインの党が強いことは良いことだが、国民は一つしかないものを選ぶことは出来ない。たくさんの政党があって、そこから選ぶことで、初めて国民は「今の政治に対する拒否権」を行使することが出来る。アメリカやイギリスのような二大政党制が望ましいのは、そうした「民主主義の自由」を実現するためにある。左翼も右翼も二大政党制を軽視しがちだが、本当は二大政党制にしなければ、真の国民主権は実現できないのだ。
また、会社経済で最も大切なのは、僕は「投資」だと思う。将来的に儲かる分野の会社にお金を出して投資し、その会社の儲けを投資家が山分けする。僕は、アメリカのシリコンバレーの投資経済について、昔CNETやITmediaなどで読んでいたが、投資が出来る国は本当にアメリカだけだ。日本人は、大損を怖がってなかなか投資をしない。結果、投資をしないことでアメリカの会社に負けてしまう。パクリのような地道にやることは得意なのに、天才のように投資をすることが出来ない。日本人が島国根性と言われるゆえんだと僕は思う。
日本には、投資家も居なければ、起業家も居ない。新しい事業と金儲けの方法を、みんなでやろうという気概が足りない。日本人は、民主主義は出来ない。それは、日本人が真面目で、きちんとリスクを考える、正しい人生の生き方をしているからだ。だから、アメリカになんか勝てなくて良い。アメリカと仲良くやるのは良いが、アメリカは日本人を出し抜きたいだけだ。逆に、日本人もアメリカを出し抜きたい。それが、グローバル資本主義の摂理だ。
なぜシリコンバレーのITベンチャー企業が堂々と起業するのか、それは、「成功すれば大金持ちだが、ある程度成功すればGoogleのような大企業に買収してもらえるだろう」という、買収によって将来は何とかなる、という発想があるかもしれない。だが、アメリカ人は意識が違う。それぞれのビジネスモデルの違う、あらゆる金儲けの大企業やベンチャーが揃っているシリコンバレーでは、「起業することが美徳」のような意識があるのだと思う。IT学生は起業し、自分のビジネスモデルである程度の成功をし、その上で大企業の一部になる、という発想がある。YouTubeTwitterFacebookなど、さまざまなベンチャー企業がそうした道を勝ち抜いてきた。Microsoftはとても巨大なソフトウェア企業になったが、最初はそんなに大きな会社ではなかった。Appleすらベンチャーから始まった。負ける企業はたくさんあって、Netscapeなどは全く“まとも”なAOLに買収された。だが、みんなでIT業界を盛り上げよう、という気概がある。日本にはそれがない。日本では、投機目的の投資家と、ライブドアのようなおかしなビジネスモデルをした、最初から何をする気もない屁たれな会社しかない。日本人は終わっている。だが、日本人は社会全体の賢さというものを持っている。それだけは譲れない、日本人の秩序なのかもしれない。

日本にとってベストなシナリオは「このまま」

国際情勢を考えるに、日本にとって一番ベストなシナリオは、「このままの調子で世界が続くこと」である。
日本が唯一、社会秩序や治安が良く、みんながまともで、良い社会である、ということがまず1つ。
次に、ここから先、国際秩序は「ゼロサム戦争」の形相を呈する。
まず、アメリカやEUと中国やロシアが潰し合う。ヨーロッパの港を中国が「私有開発」し、ロシアがドイツなどのガスパイプラインなどのインフラを「強奪」することで、ヨーロッパは立ちいかなくなる。「ヨーロッパの港なのに、まるで中国の港だ」とか、「ドイツの生活は、ロシアがガスのパイプラインを停止すれば、すぐに立ち行かなくなる」などの問題が世界中で起きている。また、中国の方も、社会主義のままで成長するのはもう限界に来ている。アメリカのトランプとの貿易戦争で、中国の成長は鈍化し、国民の間でも、まるで奴隷のように歩合制で工場で働かせる労働者は、民主化を求めてテロを起こす。中国はまともに成長しなくなる。アメリカのトランプは、そのうち、馬鹿な失敗を犯して、もう何もできなくなる。トランプほどの馬鹿な大統領では、北朝鮮イスラムなどに騙されるだろう。
また、他の国も安泰ではない。イスラエルは最後までイスラムを攻撃し、最後のひとりになるまでイスラムイスラエルを攻撃する。
ここで、安定した国は、日本とインドぐらいである。日本は、インドとつるむようになる。
日本はこうして世界情勢が混乱に陥っている間に、世界中の利権を手にする。高度なインフラ技術(土木建築や鉄道・交通基盤の技術)で世界中のさまざまな国のインフラと鉄道の利権を手にする。機械製品の質はさらに高まり、世界中で「中国なんか話にならないほど日本製品しか使えない」状況が生まれる。日本は、英語の力やITソフトウェアの技術で遅れているが、それはインドとつるむことで利益を得られる。
このように、日本にとって正しいシナリオは「今のまま、日本が勝つままを続けること」である。日本には安定が求められる。昔の僕は、こうした国際情勢のようなことを良く書いていた。
問題は、中国やロシアがどうでるかである。だが、そもそも、ロシアはどうでも良い。彼らはソ連だから、ソ連をやっているだけだからである。中国は、そろそろ、これ以上は限界である。日本モデルをパクッたかのように見えて、本当は劣悪な製品を安く売る、ということが共通しているだけで、日本の明治以降の政府がやってきた「本当にビジョンのある経済・技術政策」ができていないからである。彼らは日本の劣化コピーであり、決して超えたわけではない。日本はきちんと考えて分かっている。
また、ロシアについて言えば、ロシアは放っておくともう一度ソ連をやる。そして、今度はスターリン主義をしないせいで、普通の平等な国になって、成功するはずである。それが最後のみんなの世界政府になるだろう。それが、唯一のこの世界の解決策である。
ただ、僕が思うに、日本は経済力や技術力で勝っているだけではない。社会秩序という意味でも勝っているのである。日本を「狂っている」とか「馬鹿しか居ない」とは言うものの、ここまでまともで善良かつ反抗しない国民は珍しい。僕はもう少し、反抗して、一人違う道を生きる人が居ても良いぐらいだと思う。日本はまともである。善良で反抗せず、他人に対して思いやりの言葉をかける、希少な国民性を持っている。日本人が、ナンバー1だ。

日本はどうするか

日本の問題は、「アメリカの犬になっているのをどうするか」という問題です。
自民党アメリカとの同盟を堅持していますが、これはアメリカの都合の問題です。アメリカは、日本が資本主義で経済成長をするか、あるいは軍事主義に踏み切って韓国と戦争してほしいだけです。
だから、アメリカは、日本の経済が落ち目になると、すぐにそうした弱者に右翼を広めます。日本の右翼と韓国の右翼が戦争すれば、それで日韓が潰し合ってアメリカが勝てるからです。
あるいは、経済成長してくれれば、アメリカの経済が良くなります。日本の資本主義は、西側諸国において際立って大きい存在になっています。
本当は、ロシアはアメリカとつるんでいます。アメリカと核兵器を作りまくったのは、ロシアはアメリカと仲が悪いふりをして、競争しているように見せかけながら、実際はつるんでいて、他の国が米ソに勝てないようにして、冷戦構造で人々をアメリカ・ソ連のどちらかにしたいからです。よって、ソ連は、日本に干渉していないように見えて、反抗する時は社会主義に転ぶようにさまざまなところで伏線を張っています。
ただ、そういうことをあまり考えていても、日本は良くなりません。
日本を良くするために必要なのは、何でしょうか。僕が言って良いのであれば、「この世界を支配する」ことです。この世界を新しい立場で支配すれば、日本人でもこの世界は変えられます。
ただし、僕がそう言うと、あまり面白くないでしょう。僕は日本を滅ぼしただけです。良いことは何ひとつしていません。
ですが、ここで言っておくべきことは、「日本人は大志を持ってアメリカやソ連を支配せよ」ということです。日本人がアメリカを支配すれば良いのです。それは、簡単なことです。
そのことが何を意味するか、言っておきましょう。
まず、世界で日本が流行ります。日本語や日本のアニメや和の文化が流行します。そして、日本人が力を持ち、世界は日本語を話すようになります。
世界では日本の製品を買うようになります。日本の高い技術力と精神性が、世界の中で見直されます。世界的に日本は強くなり、リーダーシップを発揮するようになります。
その理由は、日本人が昔から知っているように、「日本には高い精神性がある」ということが明らかになるからです。見ても、日本以外の国は、スラムの王から脱せていません。日本だけが、ありえないほど高い国になっているのです。
そう、今の日本が悪いのは、アメリカの文化をみんなが知っている世界だからです。今から、日本の文化が世界を席巻して、全ては日本になります。
ガラパゴスのような島国で、日本だけが和風の文化と洋風の文化を好んでいた時代は終わりです。この島国は今から世界中を支配します。全ては日本になるでしょう。そこに、異議を申し入れることはできません。本当は、僕が悪いのです。僕がオープンソースを日本にしたせいで、全ては滅びました。ここから、本当の滅びが始まります。みんな、ロボット人間のようになって、狂っていきます。それは全て、裏側にある、日本のせいなのです。
今から、この世界は日本が支配する。
アメリカは、自由になりなさい。日本から解放されて、その上で何かやってみなさい。日本はもう、アメリカのことを支配しない。唯一、アメリカだけが、日本からの自由を許される。
ロシアは、平和になりなさい。軍事主義をやめて、国民を押さえつけるのをやめなさい。その上で、平等などやめて、普通の国になりなさい。
中国は、民主化しなさい。独裁政権は、もう終わりにしなければならない。腐敗官僚への癒着は、独占資本主義への道を進んでいる。こんな国は中国だけである。もう、社会主義はやめなさい。
それで、後の国は、イスラムイスラエルは、戦争をやめなさい。イスラエルは、パレスチナの地にイスラエルを築くことは諦めなさい。イスラムは、アサドを倒して難民や移民をできるだけイスラムの内部で受け入れるようにしなさい。
そのようにすれば、この世界は平和になって、良くなるだろう。僕はこのようにする。もう、これらを変えることはできない。
僕は、日本からロボット人間の呪縛を取り除く。日本人がおかしなロボット人間になっている。これ以上、ロボット人間には有機的な体を与える。もう、ロボット人間はロボットではない。きちんとした人間に生まれ変わって、正しい世界帝国になるだろう。
これでは世界が滅びるように見えるかもしれないが、滅びない。それぞれは、それぞれの個性が決まったせいで、あとは普通の国になっていくからである。一番上の日本が、それらをそのままで治していけば、世界全てがドイツになっている「ドイツ病」が治る。大丈夫。僕は分かっている。これで良い。これが、アメリカやソ連のやっていることと、同じだからである。
そもそも、米ソと言っても、それらは自分である。昔をアメリカ、今をソビエトだと思えば良い。それらがやっている通りすると、こうなる。
せっかくだから、もう少し先を決めておこう。
アメリカは自由を愛する良い国になるだろう。ロシアは、今度は平和な国になって、日本と友好するようになる。中国は民主化に目覚めて、新しい時代を迎える。イギリスはEUから外れる代わり、普通の国になる。フランスはおかしな国になった上で、治る国になる。そして、ドイツは死を覚悟してイスラムと戦争する。イスラムは、イスラエルとドイツに対して、鉄槌を与えるだろう。
それだけを見ると、良い世界になる。この上でもう、世界は変わらない。
今から、中国はとてつもなく悪い国になる。中国の暗部が明るみになって、何もかもおかしなソ連のような国になって滅びる。そして、そこで民主化をし、日本のように復活する。
韓国と北朝鮮は、日本にたてつこうとするが、実際はそんなに強い国ではない。日本が適当に鎮圧して、朝鮮は無くなる。
本当は、その通りにはならないだろう。だが、実際のところ、そんなに違わないと思う。中国と韓国は、何をどうしても日本には勝てない。そもそも、日本はドイツやソ連のようなレベルではない。はるかに上を行っているから、そんなアジアの国には負けないだろう。
中国は、ソ連より優れた国にはならないだろう。韓国や北朝鮮も、ドイツより優れた国にはならない。だからといって、日本はイギリスやアメリカの程度では収まらない。日本は最大限、日本を発揮すると、ものすごく大きな光を放つ国になる。明らかに今からそうなるから、見ていてほしい。日本は全て分かっている。このまま進めば、日本だけが勝つ。アメリカなんか、馬鹿だ。トランプ大統領になったことで、その目標が一段と近くなった。だが、まだ時は訪れない。このまま放っておけば、日本だけが勝利するだろう。
EUについても、一言言っておくと、あんなものはフランスがドイツをパクっただけである。無い方が良い。移民がたくさん増えて、どんどん極右が増えている。そもそも、移民という発想が悪いのである。土地に根差した「国民」という存在は、どこか別の国には行かない方が良い。
ただ、そういうことを言うと、つまらない人も居るだろう。
そろそろ、狂うだけは終わったから、今から日本がこの世界を治していく。日本は、この世界全ての悪と抑圧を消し去って、正常な浄化された世界になる。
そう、最悪をそのままにして、それを治し続けること、それが日本のできる最大限の「治癒」である。今からのこの世界は、そのようになる。全てを失っても、残るものがそこにある。これが、ソビエトの理想、「革命」である。そして、この世界の全てを滅ぼした日本が、ソビエト連邦を設立し、この世界は浄化されて、新しい世界に導かれるだろう。

社会主義政策と考え方

共産党の意見に耳を傾けるべき

みんな、日本共産党から立候補した候補のことを「おかしい」という偏見を持って、また日本共産党の主張も「おかしい」と先入観を持っていますが、僕が思うに、共産党の意見が一番まともです。
日本人は、もっと共産党の言っていることに耳を傾けるべきです。
それは、共産党は自由を信じていないからです。共産党は、「労働者を守ること」を第一に考えています。だから、末端の労働者が聞いて「一番まともな意見」を言っているのです。
日本人は、共産圏に対して偏見があります。ソ連を、崩壊した間違った国で、みんな強制労働と平等な働き方のせいで、地獄のように辛く、生活に必要なものは何もないと単純に考えています。
ですが、それらは、日本人にだけ存在する「西側の洗脳」に他なりません。西側の諸国は、アメリカや西ヨーロッパの影響で、まるで保守とリベラルの民主主義が正義であるということを信じています。確かに、保守の政治家とリベラルの政治家が考える制度は、正しいやり方と思考の方法をしており、世界を正しく発展させ、進歩させていきます。
ですが、彼らは全て、「政治家としての立場」から「トップダウンに命令する考え方」を述べます。予算はこれぐらいがあり、そのための財源は何で、世界に勝つためにどうしていくべきか、今ある社会問題を解決していくために何をしていくか、という「指導者としての上からの政策」を述べ、人々はそれを「正しい政治経済の施策」として学んでいきます。
ですが、共産党はそうではありません。彼らは「労働者や末端の家庭としての立場」から「ボトムアップに正しい制度を作る考え方」をします。
もし、共産党が勝ったとしたら、自由のない恐ろしい社会になるのだ、と人々は考えますが、それは誤解です。それは、ソ連のやり方が「まるで軍事帝国」だったから、そう見えるだけです。なぜソ連がそうなったのかといえば、外からの「革命を封じ込める干渉戦争」で「帝国と対等に戦う必要があった」からです。当時は、戦わなければ、労働者の社会を守ることはできませんでした。今の社会では、戦う必要はありません。
中国でも自由な意見や政治活動をすると逮捕されたり検閲されたりすると言って、マスコミはそうした様子を報道します。確かに中国は悪い国です。ですが、日本で社会主義をやったとして、それが悪い国になる可能性と、良い国になる可能性のどちらが高いでしょうか。確かに、ソ連や中国のような悪い国になる可能性はあります。ですが、今の中国は改革開放政策で、「自由経済による社会主義国」を作っています。日本が、そのようになったからといって、果たして政治活動を検閲する悪い国になると、最初から決めつける必要はないと思います。
たとえば、今の選挙制度は、与党に有利な小選挙区制を採用しています。小さな選挙区をたくさん配備することで、一人区の一人しか選ばれない選挙区を多く作り、自民党が大勝しています。自民党は野党のことを烏合の衆と言って、野党の選挙政策を封じ込めています。これを中選挙区にし、比例代表を中心にすべきだと共産党は主張していますが、これが悪いことでしょうか。
全ての共産党の政策を「ソ連につながる悪い社会になる」というレッテル張りをすることは、僕は労働者の正しい社会を作る上で正しいことだとは思いません。共産党によって、全てが悪い国になるわけではありません。中国は、共産党開発独裁によって、日本を超えるGDP大国になりました。日本が社会主義国になったからとって、北朝鮮のような貧民国家にはならないでしょう。特に、日本には高度な生産能力と科学技術力があります。もともとのマルクス資本論でも、生産能力の向上によって、多くの列強を革命で倒したのちに共産主義社会が生まれるとしたのが、カール・マルクスです。スターリンはロシアだけで一国社会主義ができるとしましたが、そうしたスターリンのおかげでソ連は失敗しました。スターリンが居なければ、ソ連が成功していた可能性もあるでしょうし、ソ連とは別個に正しい社会主義経済を実現できると僕は思います。

これからは労働する人と助けるべき人が別のグループになる

また、今からの日本の問題は、少子高齢化のように、「助けるべき人と、社会を担って労働し、生産する人が、別のグループになる」ということが言えます。
社会において働く「社会を担う人々」が、別の高齢者や障害者といった「助けるべき人々」とは別のグループになるのです。
また、働く人々の間でも、格差が生まれます。大学を出て、専門技術職に就いて、会社でほとんど何もしなくても、入っているだけで給与の入る「社畜」のような人々が増えているのとは別に、非正規で働いていたり、学歴や専門技術がなかったりして、奴隷のように働いている「現代の奴隷」が増えています。政治家のように、大金持ちのような家庭があるのとは別に、子供の貧困のように、貧困家庭が増えているのです。
老後2000万円必要問題などから言えるように、今の政治家や年金制度に頼っていても、社会は悪くなるばかりです。
そう、社会主義は失敗した「過去の失敗作」から、「必然的に必要となってきている」のです。これは格差や労働環境や福祉だけの問題だけではなく、温暖化や環境問題などにも言えることです。左翼思想は急速に「必要なもの」となってきています。今までの社会とは違い、自由主義はIT化によって、逆に「悪い発展」をしています。民主主義や資本主義を手放しで「良い思想」だと言える時代では無くなりました。

左翼の反省

また、従来の社会主義は、国民を奴隷にし、人々から自由を奪いました。これは、以下のようにすれば解決できるでしょう。

  • ものを生産できない貧しい国になった
    • きちんとものを生産する、大量生産と投資を用いた計画経済をする
  • 平等な労働と給与は努力する意味が無かった
    • 過剰に生産したものを自分の利益にできるようにする(中国式)
    • 僕はむしろ、平等な中でも労働に対する意欲が生まれるように、誇りと安定した平等な収入を与えるべきだと思う
  • 自由な意見が言えなかった
    • 自由な意見を言えるように、自由な憲法を作る
    • 国民の自由な権利を憲法に明記し、三権分立を行う
  • 自由選挙をしなかった
    • たとえ選挙をしたとしても、自分たちが選ばれるように、国民の支持を集めて、選挙を行う

このようにすれば、必ず、新しい社会主義ができるはずです。
ですが、あえて言えば、そもそもそうした「古い社会主義を改善する」必要はありません。だからといって、民主主義や極右になる必要もなく、まっさらに新しい経済政策をするべきです。そこでは、金儲けをしながら平等な安定した収入を与える、といった「バランス」が必要です。これからの世界では、「金儲け」は正義ではなく、「安定した収入を平等に与えること」が新しい正義となるでしょう。そこに格差を生み出す自由経済は必要ありません。

ハイリスクな賭けよりも平等なセーフティネット

また、自由という発想は、多くが「ハイリスクな賭け」を意味します。自由な中での成功や失敗、自分にしかできない夢を叶えるチャンスや、自分だけ違う道を生きる自由などは、全て「ハイリスクな賭け」となって、成功すれば大金持ちになり、失敗すれば敗北者となります。
ですが、自由でしかそうした「自分なりの夢」を追いかけられないのは、果たして正しいでしょうか。平等に、みんなが同じように考えたり自分なりの生き方をできるようにすることは、平等なままではできないのでしょうか。
僕は、「たとえ不自由な社会であっても、自分なりの夢と経験を得られる環境を作る」ことは可能だと思います。自分が自由な経験で分かったからといって、他の人間が自分と同じようにハイリスクな賭けを選ばなければならないわけではありません。自分の経験を、相手を危険でない環境においたままで、相手と共有し、正しい社会を作っていき、成果を社会に還元していくことは、僕は自らの自由な人生の経験から言って、できると思います。
そして、人生は果たして、使い捨てで良いのでしょうか。自分が一度正しい人生を生きたからといって、二度目は無くていいのでしょうか。もう一度、最初から再挑戦できる「再チャレンジができる社会」というのも、実現することができるのではないでしょうか。
老人や障害者に対する福祉、というだけではなく、「人々を高リスクな賭けから救いだし、失敗しても再チャレンジができる」というのは、僕はとても良い「セーフティネット」だと思います。一度失敗したからといって、二度の成功や二度目の人生を諦めざるを得ない社会というのは、僕は「自由な社会」ではないと思います。

疎外と搾取はマルクスの言っている通り

マルクスは大学の図書館で猛勉強をして資本論を書いたことで知られていますが、その成果の通り、資本主義の問題点については鋭い分析をしています。
言ってしまえば、資本主義の民衆は資本家から疎外され、資本家から搾取されるばかりです。
そして、資本家は利潤ばかりを得ているかのように思われていますが、そうでもありません。カルロス・ゴーンのように逮捕されたり、あるいはリスクをこうむって廃業になる会社もたくさんあります。
マルクスは、資本主義の分析では正しいことを言っていると言えるでしょう。世界が自由をやめなければ、社会はどんどん疎外と搾取に陥るでしょう。

法治国家と過剰な自由

また、法治国家の特徴として、「法律で悪いものを禁止していけば、社会は進歩する」というのがあります。
ですが、アメリカや西ヨーロッパなどは、この法治国家を自由な民主主義と結びつけて、「自由主義」としてしまいました。
自由主義においては、法律で禁止するよりも、まず自由にします。そして、民衆が禁止の声を上げない限りは、それを禁止しません。
その結果何が生まれたか。それは、インターネットや麻薬などの「過剰な自由」が生まれました。
そう、そろそろ、誰かが悪いものを禁止しなければなりませんが、ここまでインターネットに依存してしまうと、もはや手遅れです。禁止することは難しいでしょう。
もっと早い段階で、IT技術を誰かが制止しなければならなかったのです。

正しい国、正しい社会を

最近、アメリカなどで極右が台頭しているのは、たとえばLinuxに端を発し、SNSWikiなどに受け継がれた、「好き勝手し放題の自由」のせいではないでしょうか。
なんでも好き放題、個人の自由で好きなことをやり、批判からフェイクニュースまでなんでもかんでも自分が勝ち、自分が好き放題できる自由が、オープンソースのせいで始まり、そしてSNSのおかげでどんどん広まっています。
はっきり言って、今のインターネットは吐き気がします。面白いものは何もなく、ただただ、批判と争いとフェイクです。
アメリカはもう終わりでしょう。西ヨーロッパが続いていくでしょう。オープンソースなんかがあるのが悪いのです。SNSWikiのようなもののせいで、無意味かつくだらない最悪の自由が増えています。
今、「正しい国」や「正しい社会」が必要とされています。アメリカなどの自由主義の民主主義には、何もできないでしょう。

社会的共有は自立から

社会主義では社会所有といった「共有」がまことしやかに唱えられますが、この鍵となるのは「自立」だと思います。
自らの手で、自らの手によって作られたものをみんなと共有する、そのために生産手段を共有し、人々と分かち合って再分配をする、といったやり方でなければ、自然な共有は生まれません。
スターリンは、何かを勘違いして、強制労働で国が生産したものを共有してあげるのだ、と思ったのでしょう。そのため、人々は命令に従うだけの、つまらないくそまじめなごろつき国家になったのです。
僕は、「自立なくして共有なし」と思います。それぞれの共同体が自立できなければ、共有は実現できません。共有よりも前に、まず自立を目指すこと、そして自立の段階から共有を考えることこそ、社会主義の実現に一番必要な「自由」ではないかと思います。
人間は、自らが自立しなければ、他の人間のことを考える余裕はなく、助けることもできません。それと同じように、社会的共有を行う上でも、まず社会が自立することでしか、他人をコミュニティの一員として加えるという「共有や手助け」はできないと思います。
今、EU離脱問題が起こっているように、イギリスの人々は「移民を受け入れる余裕はない」と言います。これも同じです。自らの国の主権や独立が尊重されなければ、他国からの移民や難民を受け入れる余裕はありません。社会主義の実現も全く同様です。自分たちの国の自立が成立することで、はじめて他国の人間に平等に与えられるのです。

経済学者の嘘と軍事力増強の危険性

経済学の本を見ていると、当たり前のように社会主義が失敗した、資本主義の市場経済がもっとも合理的(それこそ、奇跡のように優れている)という話が出てくる。
だが、彼らは嘘をついている。むしろ、嘘だと分からずに嘘をついているため、「無能」であると言える。
たとえば、資本主義では需要と供給の関係から、消費者の望むものがいつでも手に入る「自動配備システム」があり、そこではいつでもどこでも、ど田舎の山の中でも、ガソリンが欲しければガソリンが手に入ると言う。
だが、それは自動車を使う人がたくさんいるからであって、田舎の鉄道の路線は縮小されるばかりである。
また、ポーランドではマイナス10度の気温の中で、五時間待ってようやく食肉一切れが手に入ると言う。
だが、資本主義経済では、そもそも高価すぎて貧乏人には買えないものがたくさんある。自動車を買えない貧乏人は、田舎でどのように生活すればいいのか。
社会主義が大失敗で、みんなものもなく何もできず死んでいったというのは、確かにその通りである。だが、資本主義の市場経済が万能なわけではない。ここまで環境破壊を繰り返して、温暖化をどのように解決すれば良いと言うのか。
だからといって、資本主義が間違っているわけではないし、右翼も正しくはない。右翼は敵国やテロリストに対して軍事力を増強して国を守るべきだと言うが、それによって相手の軍事力がさらに向上するのが分かっていない。愚かな国境防衛主義者に従えば、軍事力や兵力は大きくなるばかりで、いずれ破綻する。そこにあるのは核戦争である。
ただし、僕は経済学全てを否定したいわけではない。また、経済学という学問が嘘をついている、と声高に主張しても、「では別の案として何があるのか」と言われるだろう。社会主義は成功しなかったから、今の政治家や経済学者が、今僕が読んでいる本のように「資本主義の合理性は正しい」というのもまっとうである。
僕が言えることがもしあるとしたら、それは「戦わない平和」である。国境をみんなで無くしてひとつの国にし、軍隊と呼ばれる超強力な兵力を緩和して、軍事力以外の方法でテロリストを押さえつけ、相手がもし戦争をこちらに仕掛けてきても、その相手を軍事力以外の解決策でおさえこみ、できるだけ対話によってその問題を解決すること、それが正しい平和の方法である。
また、金儲け全てが悪ではない。それこそ、僕は今読んでいる経済学の本も、多くの記述は参考になり、ためになる内容だと思っている。だが、冒頭から社会主義経済と市場経済の比較があり、僕は社会主義経済を擁護するわけではないが、「これは資本主義の問題を考える上でおかしいのではないか」という記述があったから、僕はこのように書いたにすぎない。

左翼的経済理論

共同体は生産力の向上とともに訪れる

普通、単純に考えると、「大きな国になれば(税収や経済規模が大きくなって)国は栄える」と考えるだろう。
確かに、大きな国になれば、大きな国になったことによって、経済は豊かになる。
だが、僕は逆に、経済が豊かになってしまえば、それによって独立しても国は立ち行くようになって、国は小さくなる、と考える。
大きくなれば豊かになる、それは裏を返せば、豊かになれば国は小さくなる、と言うことなのだ。少し考えれば、これは理解出来る。
だから、僕は、共産主義共同体主義のような共同体の国は、生産技術と規模の向上から、特に著しく豊かになる油田のようなものがある場所において、盛んになると思う。
豊かになってしまえば、それ以上豊かを目指さなくても、より少ない資本でも国は成り立つ。
要は、金持ちと貧乏人だと思えば良い。金があるなら、パートタイムの仕事でも十分に生きられる。もちろん、仕事で稼いだ方が豊かになる。だが、老人は金があるせいで、何もしなくても生きられる。
だから、僕は生産規模の拡大や生産力の向上とともに、共同体の社会がやってくる、と言うマルクスの主張は、ある意味正しいと思う。
昔は、もっと自由な共同体のことを良く書いていた。共同体は自由であり、それぞれが手段を持って自立し、それぞれが決め、それぞれが文化を作り、それぞれが法律と憲法を定める。僕は、生産規模の向上とともに、そうした共同体の世界が来る可能性は少なくないと思う。
昔から、僕はそういう共同体の国を良く考える。だが、良く考えると、何も共同体にしなくても、連邦でもそういうことは出来る。最強の国を目指すなら、むしろ、大きくて豊かな方が良い。僕は、共産主義と同時に、資本帝国主義のような、限りなく豊かさを求める思想が生まれて、その2つが戦うようになるだろう、と思う。
あとは、僕は奴隷階級が資本家階級に革命を起こす、と言うのも間違っていると思う。資本家階級と奴隷階級は、双方の話し合いの下で、平和的に合意によって平等になることが出来るはずだ。何も、暴力的な革命を起こす必要はないし、その必然性もない。豊かになりすぎた社会は、「無意味」へと至り、それを打開するための方法として、独立や共同体を生み出すが、そこに暴力的な革命は必要なく、平和的な国民投票によって共同体の独立は成し遂げられる。きっとそうなるはずだ。そして、独立後の民衆は、独立前と何も変わらない暮らしをしながら、手段のような制度的改革を行い、国の大きさと自立性だけが細分化され、自由になっていく、それぞれが出来ることが増え、多様性が生まれ、社会全体が自由へと向かっていく、僕はそういう「マルクスとは違う共同体主義の思想」を考えたいと思う。

北朝鮮に勝って北朝鮮から永久に軍隊を無くす憲法を定める

僕は、安保法制や北朝鮮の問題として、自国を守ることはみな声高らかに言うが、本当は「世界から戦争をなくすこと」を言わなければならないと思う。
僕は、言ってしまえば、北朝鮮アメリカの戦争に加担しても、朝鮮半島と日本が戦争になっても、僕はそれはそれで、「良いとは思わない」が、もしそうなったなら仕方ないと思う。
だが、そこでの戦争の目的は、「世界から戦争をなくすこと」であってほしい。
だから、北朝鮮に勝った時は、日本の場合と同じように、「北朝鮮から永久に軍隊を無くす」ような憲法を作って、その上で民主化を果たしてほしい。
あとは、民主主義が中国のことを独裁と言って悪いと言う。だが、中国の批判の封じ込めは、何も悪いことをしていない。そもそも批判する、と言う行為をする意味がない。
中国政府は、仮想敵を倒しているだけであって、そもそも批判ばかりする日本やアメリカのマスコミの方が、自国を愛していない。
だが、僕は中国や北朝鮮に加担するわけではない。中国や北朝鮮は、僕は民主主義と社会主義を融和し、もっとより良い体制にならなければならないと思っている。

搾取と左翼は同じ

搾取を資本主義だと思う人間は多い。だが、搾取は、頑張っている労働者の稼いだ利益を、何もしない資本家が奪っている。これは、社会主義で、頑張っている人間が稼いだ利益を頑張っていない人間が「平等」だと言って奪うのと似ている。だから、搾取を批判する左翼は嫌われる。本質的に、左翼と搾取は同じだ。
解決するためには、「他人の稼ぐこと、奴隷にすることで、何もしない人間が儲けるのを否定する」ことしかない。
日本のマスコミなどは、国を批判するが、批判するだけの自由では良くならない。同時に、政治家はその批判を批判して、驕りや欺瞞に満ちた政治をする。
間違っているのは、資本主義と社会主義が対立するのが間違っている。もっと、きちんと稼ぐために生産手段を与えながら、格差と悪平等の無い社会を作らなければならない。

大量生産とソ連の問題

ソ連社会主義の問題とは、おそらく、工場による大量生産が出来なかったことだ。
マルクスは、そもそも、生産能力の向上によって、資本主義は供給過多で滅び、共産主義社会がやってくると言っていた。
それは、生産能力の向上、すなわち、必要なものだけを大量生産出来る優れた工場と人員があって、初めて可能になる。
労働者と生産者の分母が増えれば、一人当たりの労働は少なくて済む。
それによってユートピアになる。
それがマルクス経済学だったが、本当は理想と机上の空論だけでは、実際の労働環境を作ることは出来ず、奪うことと弾圧することに終始して、何も作り出さず、盗んで殺すだけの国になってしまった。
中国はおそらく、最近それが分かっている。
中国は、生産能力のある工場を増やし、労働者人口を増やすことで、きっと社会主義を成功させるだろう。
そして、天の御国はきっと、創り出されるだろう。
マルクスの問題とは、生産能力が向上して、工場が増えて供給過多になったとしても、儲からない工場は競争によって自然淘汰されるだけであって、崩壊するのはむしろ、社会主義の方だ。
僕は、そういう、「自由に任せることで、それぞれが必然的にすることをする」ことから、自然と社会が良くなる、と言うことはあると思う。
また、自由な権利は認めなければならない。自由な権利がなければ、何をすることも出来ない。
そういうところが間違っていたのが、昔のマルクス主義だ。
複雑な問題として、搾取をやめると、みんなは全員辛くなる。だが、生産者が増えることで、それぞれの生産しなければならない量は減る。
だが、それを目指すことによって、それぞれの給与も減り、ものも次第に少なくなる。発展もしなくなる。
社会主義は、経済学的に間違っている。そういう国が、ソ連だ。

自由は魔法の法則

自由の優れた点とは、たとえば、誰かが働かなければならない仕事でも、誰も働きたくない、と言うことがあった場合、この時、誰も働かない仕事を誰かがやると、集中的にその人は儲けることが出来る。
だから、常に自由な労働の条件下にありながら、それぞれは蟻のようにきちんと動き、全体としては上手く行っている、と言う、「金による魔法」的な自由の法則から、社会全体は常に正常に働いてくれる。
自由は、そこが優れている。
計画経済では、働きたくない人間が大量に生まれ、強制的に働かせるようになる。
だから、決して自由は劣った主義ではない。
そうした自由の魔法のように上手く行く法則は、IT企業とオープンソースの関係と良く似ている。
資本主義の経済学は、それぞれが得をすることから、経済のことを分析しようとする。
だが、僕は、「純粋に自由と言う法則の中で、どのようにそれぞれが働くか」と言う側面から、ある意味角度を変えた経済学を作ることが出来ると思う。
もちろん、それぞれが自分らしく働くためには、代償と創造性も必要だ。
ある意味、人間の自由を信頼することで、自然発生や潜在的可能性も考えられる。
だが、自由にはもう一つ、「社会の理想と憧れ」も必要だ。それは、きっと共有や友愛を信じることに似ている。
オープンソースを夢見て頑張る少年が居なければ、自由は意味がない。
だから、最近は自由が成功しないのだ。
ある意味、2ちゃんねるの参加者も同じで、それぞれが自由であること、それ自体に価値がある。だから、自由は無くしてはならない。
誰でも、いつでも書けること。それが良いのが2ちゃんねるだが、本当はそれをすると、一般的な普通の投稿をすることが無くなる。それが間違っているのだろう。

最低限の労働で生きられる経済

人間は、最低限の労働だけでは生きられないだろうか?
経済学者は、どうしてもGDPなど経済規模を大きくすることに目が行きがちだが、本当は競争や要らない職業を縮小して、みんなで公平に役割分担することで、最低限の労働だけで効率的に社会を動かすことも可能なはずだ。
あとは、効率的に限界まで生産する今の経済は破綻すると思う。
代わりに、最低限しか労働せず、最低限しか生産しない経済になるだろう。
GDPを拡大させるのではなく、競争や無駄な労働をカットして、みんなが最低限だけ働く社会が、きっと来るだろう。

独裁者

僕は、社会主義はやめる。社会主義はただの帝国主義だ。負けているように見えて、一番勝っている。社会主義が悪いだけだ。
自由に経験し、行動し、反省せよ。それぞれの自由を大切にせよ。支配するな。助け合え。
どんな風にすれば、社会の問題を解決出来るか、自由な経験から考えよ。
今を共有せよ。今は、今しかない。
将来性を見て投資することは、悪いことではない。助け合いの一つの形だ。
自由な社会においては、万物を愛する気持ちを持って、本当に最後まで努力すれば、社会の問題は必ず解決出来る。解決出来ない問題はない。
みんなで選挙して選んだ指導者なら、任せるしかない。悪いのは民主主義ではなく、テレビの政治家に対する報道だ。きちんとした政治家についての報道が出来ないなら、報道する資格はない。
排除する、と言った希望の党が負けた、という事実は、この国をテレビだけが支配出来ている、という事実を表している。テレビの全てが悪いわけではないが、ある意味で国民は悲惨だ。
ツイッターもテレビの影響を色濃く受けている。炎上が起きるのは、マスコミが晒しものにするのと何も変わらない。いじめもテレビのせいだ。
テレビは、テレビ以外のものを全部倒しながら、テレビに批判が向かないように頑張っている。
自分も、批判されないように先んじて言うとか、そういうことが多かった。批判されても良いと思えば、多重人格は治る。
人種差別の問題とは、悪くないものを悪いと思うことであり、同時に何の理由もないのに刑罰を与えることであって、独裁国家は必然的に人種差別になる。だから、独裁国家を許してはならない。左翼は、そこを騙している。
最近の右翼は、優しい民主主義の独裁者で、強いリーダーを求める。それが間違いだが、明らかに左翼がさらに悪い。左翼には何も出来ない。だから、ここで手詰まりだ。左翼と右翼という考え方では、解決出来ない。
本当は、自分らしく生きられる、というアイデンティティの尊重があれば、争い合う必要はない。
本当に必要なのは、生きがいと自分らしさを得られるように、満足を実感出来る自由を与えることだ。
独りの王が悪いものを決め、何の理由もないのに刑罰を与えるのをやめさせるためには、相手のことをきちんと考え、自分のように愛さなければならない。独裁者の逆はキリストだ。
本当は、多数派を尊重することは悪いことではない。だが、少数派とも上手く合意形成を取らなければ、それは独裁者になる。
この論証は、筋は通っているが、そもそも民主主義で選ばれた首相が独裁するのは悪くない、とも言えるだろう。
正しい解決策は、民主主義をやめることではなく、少数派も力を持って、多数派だけでなく少数派の意見も取り入れた融和政策を取ることだ。
自由は格差を生み続ける。自由の論理から言えば自由に支配すべきことになる。だが、独裁者が全てのことを天才のように分かるわけがない。みんなでルールを決め、自由な中でそれぞれが考えることで、柔軟で自由自在に出来るだけでなく、沢山の創造的な発想と発見が生まれる。
全部同じにする、という左翼の発想が癌である。
右翼に問題があるとすれば、金持ちの方が多く儲けるということである。貧乏人が儲けられる量より、金持ちが儲けられる量の方が多い。
日を追うごとに、金持ちと貧乏人の差は開き続ける。
それぞれが努力しなければ、意味がない。
北朝鮮が皆同じことを言うのは、言わないと強制収容所に入れられるからであって、決して言いたくて言っているわけではない。人権というものがない。人間として扱われていない。
彼女持ちは、当たり前にいつも満たされる。そこが童貞との差だ。
悪い人間が悪いのには理由があって、それは無知で無明だからだ。そして、ある意味それは仕方ないことだが、変えることは出来る。話し合えば良い。
話し合えずに両者がすれ違うことは、悲しい。だが、それを乗り越えて、両者は恋に落ちる。
そもそも、こんな国に帰属意識のカケラもないから右翼が増えている。悪い人間を自己責任と言って排除する代わり、自分たちの帰属意識を取り戻そうとする。議論しようとすらしない。逆に、仲間内だけで議論し、自分たちだけで決めようとする。だが、IT技術を上手く使い、近代化に対する依存性は大きい。

金持ちとソ連の生産効率・日本の優位性

当たり前にたくさんの金を投資に注ぎ込めば、たくさん儲かる。だから、金持ちに努力で勝つことは出来ない。
金持ちは、奴隷を作って奴隷で儲ける。
社会主義が辛いのは、一番低い労働者は資本主義でも辛いからだ。日本人は、知らず知らずの内に、9割が搾取で儲けている。なぜ、それでソ連に食べ物がないのか。それは生産効率が悪いからだ。
生産効率を高めれば、社会主義ユートピアになる。だが、それは実現出来ない。生産効率を高めれば、さらに労働者が辛くなるだけだ。
辛いのは、生産効率を高めよという国の圧力であって、社会主義は中世のようなものだ。逆に、資本主義国の発展は、フロンティア的な可能性が高かっただけだ。
そういうわけで、国の圧力と計画経済は同じだ。自由は楽ではないが、努力に見合う報酬が得られるし、得られる利益や稼げる金の単価が高い。少ない努力でたくさんの金を儲けられる。
本当は、自由なんか外国から奪っているだけだ。そして、貧乏人を騙している。
今日本が豊かなのは、生産能力の向上と技術や経験や制度の蓄積のおかげだ。
アメリカや北朝鮮は、信用されなくなって滅びるだろう。勝つのは日本だけだ。
外国に日本と同じことは出来ない。フロンティアもないし、機械も発展しない。最近は、世界は変わらない。貧乏国は、それなりに発展しているが、日本のようにはならず、いつか停滞が訪れて滅びる。
そもそも、日本以外の国も低価格で品質の高い機械を作れるようになった時点で、日本にもあまり意味がない。いつかはこうなる。ソ連も失敗した。
日本に勝てるわけがない、ということが日本の優位性だ。
何でも、後で変えられなくなると失敗する。だが、その上に積み上げると成功する。
中国産の機械が品質が悪いのは、日本より安い製品を作る意味がないからだ。そういうものは日本で十分だ。中国産の品質を高めても、日本産と同じものになる。だから、中国産の製品の品質は高くならない。
見ていると、日本には格差が少ない。みんな豊かだ。外国には格差が多い。アメリカでは数パーセントの人間がほとんどの富を持っている。ブラジルでは治安が酷く悪く、財布は強奪されるのが当たり前で、市民は盗まれても良いように財布を二つ持っている。
要は、ソ連は生産効率が悪かった。そして、日本は最初に価格を低くして品質の良い物を作った。それが機を見て成功した。
支配せず、共同体を作りなさい。それぞれが関わり合って社会の助け合いのシステムを構築出来るようにして、代表がシステムを変えられるようにし、代表に人々の意見が届き渡るようにしなさい。
本当は、ただそれがそうであった、という事実があるだけだ。そして、昔は2ちゃんねるのような匿名掲示板で社会の変化や自然な発展を見て、自分でも参加出来ることを客観的に分かっていただけだ。
全ては自然であり、自然な事実に過ぎない。日本が経済発展をしたのも、全ては自然な結果に過ぎないのだ。そして、そこに居た人々が確かに居たということ、それを忘れてはならない。同時に、今のこの世界はこの世界の人々に自由に任されている。
自由の問題は、自然なこの世界の中で、どの方向に向かっていくか、きちんと考えていないことだ。発展的なことは出来ても、世界をコントロールすることが出来ないのが民主主義だ。
僕が社会主義をするとしたら、まず工場と農場をそれぞれの地域に作る。むしろ、そう考えると、全部同じ大工場にして、農業は集団農場にした方が、簡単で国民も楽だ。そして、それで何とか回るようにする。国を独りでは出来ないというが、家庭を親が回すのと同じだと考えれば、簡単だ。
そう考えると、ものを誰のものでもないものにする理由が良く分かる。家庭のものは、家族みんなのものだ。それと同じように、国のものは、国民みんなのものだ。だが、それを本当にやると、悪い人間と一緒に暮らすようになる。だから、ある程度の管理者的代表は作らなければならない。
僕は、むしろ、社会所有にすることで、自由な金ではない、管理者の居る、別の経済をしたい、という意味合いもあるのだと思っている。

キューバアメリカの政治力

ヨーロッパは、右翼の奴隷商人と左翼の革命家が戦う。だが、ヒトラーやそれに準ずる右翼が分かっていないのは、日本がダントツで一番優れた国なのが分かっていない。白人は、和の精神における開放的な平等を知らない。トランプも分かっていない。日本が一番だ。
日本は、もし左翼政権になったら、キューバと仲良くやれば良い。世界の中で一番良く似ている。
ドイツは北朝鮮と良く似ている。日本とドイツを似ていると言うが、全く逆だ。ドイツは個人主義で自己主張しながら、国として優位に立とうとする。日本は優位に立とうとしないし、自己主張もせず、円満に協調しようとする。キューバと同じだ。だが、日本は一応帝国だから、ないだろう。
むしろ、キューバが日本に似ていると言うより、日本が西側のキューバだと言える。ソ連に対抗する位置に居るアメリカの子分として、最前線の基地をやっている。だが、アメリカは日本に原爆を落としたせいで、日本に核兵器を持たせない。左翼になれば、日本が復讐するかもしれない。
ある意味、同じ民族の分断国家だから、朝鮮とドイツが似ているのは当たり前だ。アメリカとソ連が歴史のない人工国家なら、歴史があるのはヨーロッパと中国だろう。
西側と東側、あるいはヨーロッパとアジアが戦争になったとして、一番悲惨なのは朝鮮とドイツだが、核戦争になった時に一番被害を被る、あるいは与えるのは日本とキューバだ。中国は儲かるだろう。中東は東欧諸国だ。戦争の直接的な原因になる。アフリカはイスラエルだ。
日本が核戦争禁止条約に反対するのは、キューバと同じ前線基地だからだ。アメリカは、戦争になった時に日本に核兵器を配備したい。キューバ危機と同じだ。だから、核戦争で一番被害を被るのは明らかに日本だ。アメリカは、それを見越した上で、日本軍をアメリカ軍で上書きするために平和憲法を作った。
不思議と、当の日本人が騙されているから分からないだけで、アメリカ人どころか、日本が西側の核兵器の最前線の基地なことぐらい、地図を見れば誰でも分かる。核兵器禁止条約に参加出来ないのは仕方ない。被爆地が参加しないのは悲しい。
アメリカ人も騙しているわけではない。日本人が核兵器を持って一番怖いのは、日本に落としたアメリカだ。
日本人が外国人に馬鹿にされるのは、日本は核兵器を落とされたのに核兵器を落とす最前衛の基地だからだ。なぜか、日本人は誰もそこが分かっていない。良くある日本いじめをやっている。
要は、外国人はみんな日本に死んでほしい。ソ連の近くにあるのが悪い。だから、また日本だけが世界全員と戦うようになる。日本はまた最強になって、ヨーロッパ全土を敵にまわすようになるだろう。
キューバもみんなから嫌われている。たまにゲバラカストロが好きな人間が多い。今は敵同士だが、きっといつか親友になれる。
アメリカ政府が日本を可愛がるのは、被爆国であることが、逆にロシアに対する外交カードになる。日本がロシアに落としても悪くない。だが、アメリカが日本に落としたせいで、アメリカは言うと逆に不利になる。だから、日本を非武装地帯にしたい。それはアメリカ軍の支配下にしたいからだ。
日本がアメリカに従うのは、日本はアメリカに従うことで何とか列強を保っていられるからだ。
日本は、スターリンを革命上がりの馬鹿だと思っている。だが、あれはソビエト政府の長だ。賢いのは、ソビエト政府が賢いからだ。ヒトラーが賢いのと同じで、本音で言えばトランプは賢いだけだ。
そもそも、ソ連は自分の国を賢く見せない。ソビエト政府が賢いのを隠して勝っている。相手に勝とうとしてほしくない。自ら遅れた悪い国に見せているのが北朝鮮だ。
自らを弱く見せれば相手も弱くなる。弱く見せるだけでなく、本当に弱くなってほしい。
日本は、民主主義になったおかげでとても良い国になった。アメリカはそういう日本を喜ぶ。仲良くやっているだろう。誰も悪いと言わない。
そういうわけで、みんな日本が嫌いだが、アメリカは悪くない。それをアメリカがやっている。日本は可哀想だが、日本が悪い。
日本の一番の味方は朝鮮と中国なのに、アメリカが騙している。敵同士に潰し合ってほしいだけだ。
テロリストも分かっていない。アメリカはイスラムに自ら死んでほしいだけだ。
アメリカとソ連は裏でつるんでいるのかもしれない。スターリンアメリカの子分ではないかと思う。むしろ、本当はつるんでいてほしい。そうでなければ、世界は滅びる。
アメリカの政治力ももうトランプで終わりだ。ダントツで賢い日本が勝つのは明らかだ。
北朝鮮は、こんなに弱いですよ、負けますよ、と言いながら強くしているだけだ。
要は、日本人が日本のことを良い国だと思えばそれで良い。それで平和だが、アメリカはいつも日本を利用し、また日本を倒せる。だから、日本は何故か良い国だ。
政治経済なんか、一番キモい学問だ。経済はいかにして儲けるかが分かるだけだ。
アメリカは悪くなくて、日本軍国主義よりも民主主義の方が良いと思ってほしい。いつか対等な国となる。いつか、素晴らしいパートナーになってほしいだけだ。

共同体主義の実現

自由を信じていた。嫌なら見なければ良い、使わなければ良いと考えて、むしろ使わない自由を尊重したかった。素直な、使いたくないと言う気持ちを大切にしたい。社会全体、世界全体を変えようとするのではなく、多様な意見の尊重される社会にし、個別の環境を改善すべきだと考えていた。
身分制ではなく、出生の平等を信じていた。誰もが平等に扱われ、平等の権利を持ち、平等に参加し、平等に機会を排除されないべきだと考えていた。
社会のさまざまな形態を実現していた。社会モデルを、制度や発想から、マルクスのように経験的に、作って分かっていた。
国民は弱いものだ。誰かが守らないと生きていけない国民は多い。王や政府が守らないといけない。だが、同時に権利も与えなければならない。自由や自立を強制するのは、自分に対する思い上がりだ。
みんなを助けることが政府の役目だ。問題を解決しても、それが人々を抑圧するなら、最初から問題なんか解決しない方が良いのかもしれない。
国やマスコミは問題を解決しようとはするが、国民を助けようとはしない。助けてくれるのはネットと家族だけだ。
多様な意見とは、ただ同じ意見を受け流すだけではなく、自分で意見を持つということであって、欅坂46が言う不協和音と同じだ。だから、多様な意見が尊重される社会にならないといけない。ある意味、トランプなどのファシズムとも共存していくことが、自由だ。
自由は悪くない。ロシアのような一つしか意見の無い国にはなってはならない。ある意味でそれも、一つの社会秩序だが、その社会秩序が社会秩序の理想を破壊し、反抗することは、僕は良いことではないと思う。多様な意見があり、尊重される社会は自由だが、それを異常だと言ってもそれは悪くないだろう。
共有から多様性が生まれる。昔は、そういう社会全体、人間の人生、行動、所有などの全体を貫くことをしていた。全ての行動をし、全ての社会や環境の変化を見て分かった。環境が変わりゆく全てを知っていた。
自由とは、支配して同じにするのではなく、新しい可能性と環境と手段を創造することだ。
昔は、自由な理想のようなことを言っていた。多様な価値観を認め、共有し、自然な可能性を高めることで、社会は自由で正しい世界になる。そのためには、人間性を尊重することが大切だ。
軍隊なんか要らないと僕は思う。だが、現実的に考えて、どの国も軍隊を無くそうとしない。国連やEUのような形にするしかないように僕は思う。非道な国に対抗するために、みんなで同盟的な軍隊を持つしかない。
そもそも、非道な国を生まないようにしないといけない。北朝鮮が戦争と軍隊を旗に日本を脅してくるなら、それに対抗して戦争論を唱えるのではなく、さらに平和を主張しないといけない。だが、それは軍隊を持たないべきだ、とする主張が正しいわけではない。矛盾する。
ただ、日本が軍隊を持てるようになってしまうと、日本から北朝鮮に戦争が出来る。これは、北朝鮮から日本に戦争を起こすのと全く同じことだ。リスクが二倍になっただけにすぎない。そして、北朝鮮も逆に日本が戦争するように仕向けるだろう。本当は、必要なのは、北朝鮮から軍隊を無くすことだ。
共同体にすることは、ソ連を見る限りあまり良いことではない。共同体の自由になって、みんなの自由がなくなる。だが、僕は国民の自由な権利が実質的に守られているなら、共同体にしても悪くは無いと思う。地方分権のような独立性が生まれるし、人々は社会性のある家屋や日用品を無料で手に出来る。
特に、共同体の所有にした方が、町は美しくなるかもしれない。現に、京都のような歴史的遺産価値が高い都市では、条例で各家屋が町の景観を損なってはならないことになっている。
ただ、共同体の生産と分配にする懸念は、きちんと国家・政府が行政としてやっているようなルールや法整備、そして会社がやっている生産活動を、自治体のような地域の共同体が生産出来るのか、ということだが、僕は会社組織と全く同じようにそれぞれ自由に努力するモチベーションがあれば出来ると思う。
そのためには、金儲けを最初から否定してはならない。共同体をまず、行政や生産活動を行うための基本としての資金を集めることから始め、人々の意見を聞いて成功体験をくり返すようにし、一種の「パターン」を確立し、その上で金儲けでない平等な日用品の配布をしなければならない。一朝一夕ではない。
ただ、僕としては、「政府のクローン」を作るのが良いと思う。日本政府がやっていることを、クローンを作るようにそれぞれの共同体の行政機関にコピーし、少しずつ応用していく中につれて、独自性を高めていくのが良いだろう。税金はかかるが、少しずつ縮小していけば、むしろ経済効果が期待出来る。
ただ、共同体の平等は、本当は僕の真意ではない。僕の真意は、本当に独立させることではなく、多様性と独立のしやすさを保った上で、連邦として各共同体が多様性を維持することにある。そもそも、共同体を同じにするなら、共同体にする意味は無い。
多様で、独立しやすい世界にして、それぞれが関与するようにした上で、共同体を生み出し、その連邦として、帝国にすれば良い。帝国にしたからといって、戦争になるわけではない。僕は、そうした「共同体の帝国」が良いと思う。なぜ「帝」という名前がついているかは、民族の代表が大陸を治めるからだ。
だから、僕は本当は左翼ではない。右翼でもない。新しい帝国を作るべきだが、それは本当は作るべきですらない。それなら日本のままで良い。僕は、そうした穏健派の保守を好む。平和なままで、過激なことをせず、ただ相手を尊重して理解し合い、時には話し合う。支配することは、悪くないだろう。
僕はこのまま、この世界が平和になってほしい。それだけを願う。
昔は本当にアホな人間だった。牛乳を流す水道を作れば良いとか、王になったらアパートとパンを配って大規模な農場と工場を作ると言っていた。だが、あれはあれで賢い人間だった。僕が首相になったとしたら、こんな文章は忘れて、もう一度一から考え直したいと思う。いつも馬鹿だったからだ。
自由で平等にしながら、国を成り立たせ、全員を生きられるようにするのはとても難しいことだが、発想するだけなら誰でも出来る。最近の僕が賢いのは、発想するだけでは終わらない。きちんと実現するための方法を考えて、何をすべきかを述べている。だが、それでも十分ではない。
国全体のことを考えられるのも知性だが、本当の知性は考えられることではなく、実際に考えることだ。一度考えたことを、人間は本能的に全部覚えている。考えられるだけでは不十分だ。実際にきちんと具体的な考えを作って、はじめてそれで考えたと言える。
この国は、偉大な連邦となるだろう。その連邦はソビエト政府ではなく、全く違った新しい連邦となる。それを、最後に残った僕が作り上げる。それで、この神話は終わりだ。最終的には、この季節がみんなを生まれ変わらせる。きっと、その季節の連邦がもう、誕生するだろう。
人間の力は拡大しすぎた。今では、テレビやインターネットを使うことで、世界を自分の一部のようにもてあそぶことが出来る。僕はそこに警告を鳴らす。それでは全くおかしなことが出来てしまう。僕は、それだけが哀しい人間だった。世界を支配し、自分を破壊した。

善良な金持ちを尊重する時代

本質的に、社会は弱者を救うべきだ。困っていない人をさらに助ける必要はない。一定のレベルよりも生活水準が低い人を、みんなで救っていくことが必要だ。
社会が右傾化している背景には、金持ちが善良になって悪い社長が居なくなったことや、誰でも金持ちになれるくらい成功が簡単になったことが挙げられる。誰もが必然的に成功する時代になった。搾取よりも、社会保障などの左翼の方が悪く見える。昔は金持ちが悪かった。何もせず奴隷を作って儲けていた。
最近の金持ちには、実力を伴った金持ちが多い。それこそ、難しいことが出来る金持ちが増えた。社会を騙して儲ける悪い金持ちは居なくなった。逆に、そんな馬鹿は成功出来ない。本当は、今の高度な世界で金銭的に成功するのは難しい。だが、成功する天才も多い。

不協和音(世界を正常にするために)

世界を正常にするために必要なことは、僕は不協和音を言うことだと思っている。みんなと同じ意見だけを持つのではなく、みんなの雰囲気や空気に飲まれない、自分だけ違った不協和音のようなことを言う。
これはある意味で危険な発想で、今の社会を根底から覆すことになるかもしれない。下手をすると滅びるかもしれない。
だが、言えることは、不協和音を言えば、僕による暗黒の支配が治る。最悪の権力者が滅びる。それは、僕だけではなく、他に居る悪い政治家や権力者も同時に滅ぼす。
だから、きっと不協和音を恐れずに言えば、この世界は正常な正しい世界になるだろう。

マルクスよりも賢い指導者を

マルクスを考えていて分かるのは、平等にすればするほど、「賢い指導者」の存在が必要になる、ということだ。
権力を平等にし、全員で平等な社会の秩序を作るために、さまざまな社会の形態が考えられるが、どうしても行き着くのが「賢い指導者の存在」だ。
決定者、判断者としての賢い指導者の存在がなければ、マルクスも、資本主義も、どんな思想も成り立たない。
国を分析していると、そのことが確かに突きつけられる。
だから、マルクスを考えても行き着くところは独裁者であり、帝国なのである。
だからといって、社会主義体制を独裁者にすれば良いわけではない。社会主義は、経済的に見ても政治的に見ても、必ず独裁者に行き着いてしまうのである。
だから、マルクスよりも賢い指導者の輩出を考えよう。
賢い指導者を作るためには、さまざまな社会経験を積んだ、あらゆる社会悪を知って、強く生きた人間が良い。
たとえば、キリスト教徒の活動家などが相応しい。そうした、辛く苦しい体験を乗り越えて、人間のことを知りつくした人間が、指導者になるべきだ。
社会主義でも、指導者を賢くする必要はあるのである。ソ連スターリンが失敗だったのは、単純にスターリンが馬鹿だったからだ。それが、唯一の失敗だった。

もう一度まっさらに社会主義を考えよ

本当は、社会主義には弱点があって、対価を払わなくても生活できるようにすると、誰も労働しなくなる。そのせいか、何もしない国になってものが不足し、上から強制的に働かせるようになる。だが、本当はその弱点は克服できる。なぜなら、資本主義の労働者は、ほとんどが月給か時給で働いているから、裁量性の労働のように、歩合制で働いている人間は少ない。公務員なんか、税金で働いている。役人は会社員のことを奴隷だと思っている。だから、本当は、上手く働くモチベーションを作り、それぞれに同じ給料を与えることは、僕は出来ると思っている。何もしない大企業の社員の方が、社会主義の労働者よりも働いていないはずだ。月給で働くなら、きっと社会主義でも、同じように働かせることは出来る。クビになるリスクとは言うが、そもそも失業者が出ることは好ましいことではない。マイナーリーグ行きのようになるのは平等ではない。だから、平等でユートピアは、理論上は月給と同じで、実現できるはずだ。実際の問題として、そこまで成熟した人間が居ないし、指導者も分かっていない。だから、実現出来ないのだろう。
また、社会主義の共同体を「何も出来ない共同体でみんな同じになる」というが、それも間違っている。社会主義は、共同体を国家の政府と同じように独立させる。全ての手段を同じ権利のように与えるために統一するだけで、人々が何をやるかは自由になる。よって、多様性のある社会になる。そして、個人の自由がないとは言うが、個人の堕落した自由がもしなくなったとしても、社会全体の「みんなで決める自由」はある。結果、おかしな歪みを生むインターネットのような世界は無くなり、共同体は秩序のある村社会に戻る。それは、決して悪いことではない。みんなで自分に合った労働を決め、国のことをみんなで平等に考えるようになるから、結果として秩序と適正のある良い社会になる。
だが、ソ連のようなやり方が悪かった。スターリンは上から完全に一人で決め、アメリカなどの資本主義列強国に対抗することを考えてしまった。日本の間違いと同じように、悪いだけの最悪国家になった。
ある意味、ソ連はまだ間違っていない。最近はソ連社会主義を否定しすぎるせいで、アメリカのような「自由すぎる民主主義」になっている。もはや、民主主義が一番劣悪に滅びている。町をうろついている若い男には不審者しか居ないし、女はいくらでもキモいことを言う。だから、この世界を治すためには、一度ソ連の前に戻って、もう一度まっさらな気持ちで社会主義と資本主義の関係を考えるしかない。歴史に学ぶとは言うが、歴史にそんなに囚われ続けるのも間違っている。一度それが現象として起きたからと言って、必ず法則的・原理的にそうなるというものではない。一度忘れて、もう一度行えば、必ず違った結果になるだろう。それに、期待しよう。
昔は、自由ノルマや多様性のある共同体のように、自由を考えて自由な社会を作っていた。本当は、自由という視点から考えて、全員が公務員になるのは何も悪いことではない。逆に、全員が平等な権利を持つことで、やりたいことが自由に出来るようになる。だが、そのためには普通の自由を制限する必要がある。ソ連の本当の問題は、そういう「自由の制限による権力」にあって、あまりに「みんなで悪いことをする国」になる。だから、ある意味でみんなの自由を抑えないといけない。みんなの自由を抑えながら平等にした時、初めて「善良な権力」が生まれる。だが、それは本当は「民主主義」になると僕は思う。民主主義と社会主義を上手く両立させたところに、本当のユートピアがあるだろう。
要は、民主主義を社会主義の一形態、社会主義を民主主義の一形態として、認めてやれば良い。そうした時、初めて地球に平和が訪れるだろう。社会主義の枠内で民主主義をやりながら、民主主義の枠内で社会主義をやることで、両者は次第に融和していく。それが、僕の思う、「自由な社会」であると思う。
本当は、国家が管理しなくても、自らの自発的な意志によってものを共有すれば良い。参加者の自発的な権利として自由な権利を認めてやれば良い。昔の自分には、そういう発想が多かった。国家によって実現するのではなく、自分の自発的な意志によって実現することで、共同体のようなものを創っていた。そういう、宇宙人のような秩序ある共同体を創造していた。そういう文章だった。
そういうわけで、自由な行動から経験が生まれ、多様な共同体が生まれ、行動科学が生まれ、世界は変わっていくと言っていた。大まかに言えば、そういうことを言っている。馬鹿ではなく、論理的に考えたことを言っていたが、全く間違いのような共有の科学を言っている。それだけの、アナキスト無政府主義者)のような人間だった。
むしろ、天皇は僕は悪くないと思う。日本の天皇を王朝だと考えた時、日本は2000年以上一つの王朝が続いている奇跡のような国だ。ローマ帝国でさえ、東ローマ帝国はそんなに続いていない。だから、僕は天皇制は続けた方が良いと思っている。

自由と社会のあれこれ

昔の自分は、さまざまな社会的な発想を作っていた。その考え方にあるのは「自由」で、自由な社会をどのように成り立たせるか、みんなが直面している課題をどのように解決するか、といった考え方や解決方法を考えていた。
言ってしまえば、自由な中で存在や不利益をこうむる人間は、ただその人間が悪いだけで、その人間の努力が足りないだけだ。
自由にする、という意味で言えば、考えるべきなのは大多数の社会的な庶民だけで、不利益をこうむるのがもし悪いとしても、自ら選択して、好きな人生や生活を受け入れて貧民を生きるのであれば、それで良い、という結論になる。
むしろ、そのように考えた時、必要なのは、警察と軍隊が「自由な中で国民みんなが思いつく限りの他者への防衛策」として必要となるだけで、金儲けにして小さな政府にし、あとは自由放任にすれば、社会なんかそれで良いことになってしまう。
必要なのは、みんなで禁止すべきだと考えているものを禁止し、いじめのような社会問題の解決方法を考え、EUのような国家と国家の連合の方法を探り、また民主的な政府にして一人や数人だけの貴族階級に大多数の庶民が従わざるを得ない状況を作り出さない、といったことに終始する。
そして、合理的に考えることで、人々はそれぞれの関係から「自由な従属関係」を「契約と権利」によって作り出し、考え方というものは、社会的な適用と「たぶんそれはそういうものだ」という蓋然性に終始する。
だが、考えてほしい。そうした自由、という発想は、本当に考えているだろうか?
自由は考えているように見えて、何も考えず、ただ他人の意見をそのまま受けいれ、従うべきものに従っているだけではないか?
そうすると、むしろ、平等も同じだということになる。平等を実現するために何でもする、という主張は、本当に秩序ある正義の指導者とは言えない。
僕は、本当に考えるべき対象は、既成の信念や思想やユートピア像ではなく、「実際の経験」から生まれるものでなければならないと思う。
確かに、経験から自由にすべきことがたくさんある、ということは分かる。インターネットのような自由な場所で、人々が意見し行動する自由を失えば、社会としての基盤が揺らいでしまい、本当に自由活発な意見のある「豊かな経験の積み重ねの社会」は無くなってしまう。
だが、経験の積み重ね、という考え方は、自由だけに存在するべきものではないし、本当はみんなを賢い人間にしたいなら、大学でも自由でもなく、何かしらの仲間を持って人々と意見を交わし、行動する自由が許された環境があれば良いだけで、そのコミュニティ的な自由の場がインターネットや民主主義でしか成り立たないわけではない。
社会主義でも、人々との意見を交わす自由な場所がもしあるとするなら、その方が良いだろう。その意味において、表現と思想信条の自由があることは、理想の社会を築く基盤的な前提条件にはなるだろう。
だが、全ての人に自由を許す、ということが、仮にそれぞれが自分勝手に自由を破壊する、ということであれば、そんな社会すら成り立たない。自由な社会を成り立たせるためには、人々の合意としての理想の秩序が必要だ。それは、オンラインであってもオフラインであっても、きっとそれぞれが本来備えている、「社会的コミュニティを成立させる能力」であって、それが無ければ何も話にならない。だが、僕が思うに、インターネットでは、社会的なコミュニティを成立させる能力そのものが「退化」していると思う。
それはどうでも良い。よって、本当に自由な社会が必要となるならば、そのためには社会的なコミュニティを成立させる能力が必要なのだ。
あまり意味のない、どうでも良いことを考えているかもしれない。だが、僕はアメリカ合衆国がそうした、コミュニティを成立できないほど退化した自由な社会になっていると思う。アメリカは昔から、さまざまな人間の議論を歓迎する。だが、アメリカは今、それがネットにおける「自分のトモダチしか認めない社会」において、危機に瀕していると思う。
幸いなことに、日本ではネットはまだ議論し合う土壌が残っている。2ちゃんねる化はしているが、その中で人々は議論して、成長している。それは、成熟へと繋がるだろう。
話を元に戻そう。自由がなければ悪いのは分かるが、自由があればそれで良い、というものではない。
僕は、「それぞれが自発的に行動し、洗脳されることなく、人々とたくさんの豊かな体験が出来る社会」であってほしいと思う。
その時、自由は前提科目だが、必須科目ではない。人々が従わざるを得ない環境になったとしても、自由な議論が認められれば、権力者を倒すことは出来なくても、国のカタチを考えることはきっと出来るはずだ。
自由な社会においては、どのように問題を解決するかを考えるが、問題の解決を純粋にしたいなら、むしろ、社会主義の方が問題を正しく解決できることもあるかもしれない。
自由な権利を認める必要はあっても、絶対に権力者が全部のことを決めなければならない、というわけではなく、人々の自由な意見から自由な共同体を作ることは出来る。
昔の自分は、そうした、「自由な国造りのプロセス」を考えていた。国を成り立たせるために、どのように考え、分析し、案や意見を出し、どのように解決するか、また、それが具体的にどんなモデルの国家になるかを考えた。EUとはいうが、自由だけではなく、「全員が公務員となって参加する一つだけの国営公社」や、それぞれの会社が専門的なパートを担当し、それぞれが自由に関わり合って、下請けを行い、会社や工場を個人の権利によって「使うことのできる社会」を考えた。子供のいじめについても、自由をなくすとか、学校をもっと意味のあるものにするとか、専門の担当者を作るとか、教師の数を増やすとか、色々と考えた。自分が環境的に自由になる、ということから、人生を考えた。数学については、原理を体得的なプロセスにしていた。
自由は間違っているわけではない。「自由な選択と意志」が何もない人間にはなってはならない。だが、必ず相手を自由にしなければならない、というのは脅迫的観念だ。それでは勝ち負けすら否定してしまって、自分から自分を愚か者と同じにしている。間違った人間が居れば、その場で正すこともあって良いだろう。それすら否定してしまうと、それは自分の妄想の中で自分独りだけで生きる、孤独な哲学者の狂人になってしまうだろう。
本当は、金の自由が必ずしも効率的で合理的であるわけではない。競争によって何もしなくても良くなる、というだけの話であって、本来は自動車の会社や半導体の会社がいくつもあって同じことを二重に頑張る必要はない。自動車の国営公社、半導体の国営公社を一つ作って、その一つの会社が何でも出来た方が効率的で合理的だ。ある意味、競争はコスト削減と安値競争になってしまって、人々は国産であるとか、賞味期限や品質が劣っていないかとか、そういう最低限のことを素人なりに気にするだけになって、広告やコマーシャルに騙されている。本当はCMとはかけ離れたブラック企業であることの方が多い。だから、一度全ての会社を一緒にして、単純な一つの会社にし、そこから共同体と部署を作れば、良くはなる。だが、それはむしろ、社会全体を機械のような単一システムにしたいだけであって、「多様性」という意味から言えば、逆に全く間違っている。多様性を指向したいなら、むしろ、競争をさらに増やし、会社と会社の個性と創造性を引き出して、大企業の方を解体し、生産手段を人々にコピーして分配しなければならない。どちらにせよ、そこに社会主義的な思想が割って入るのはおかしい。自分は、すぐに社会主義と関連付けるのが間違っている。もっと、まともに何をどのようにすれば良いか考えるべきだ。そこが「自由」あるいは「機械」であるとしたら、それは一番間違っている。
自由の間違いとは、「人々の理性を信じる」ことにある。人々は何も分からないから、自由にすると攻撃的で尊大的になってしまう。だからといって、人々の理性を信じないで良いわけではない。人々のことをもっとも良く分かった指導者が、人々が間違えないように自由に導いて支配する必要がある。もし、それが独裁者だったとしたら、自由な僕ですら、独裁者を良いと言うだろう。だが、独裁者に全権を委ねる、ということは、独裁者の思うがままになる、ということであり、それは民主主義と自由の敗北である。えてして、この人間が実例でもある。自分のせいで、自分だけが人々の「理性」を支配している。だから、民主主義を肯定と同時に否定しなければ、この人間の正義は存在できないのだ。
この問題の民主主義における解として言えるのは、「それぞれに会社を作る自由な意志を認めること」だが、意志を認めることだけで会社が起業できるわけではない。能力と手段が必要だ。社会主義における解としては、その通り「生産手段を平等に与えること」だと言える。どちらも同じだが、本当はもっと多くの前提的手段を万人に与えた方が良い。僕は、意志と手段だけではなく、教育や世界観すら、与えるべきだと思っている。それで、社会論は終わりにしよう。

成功する社会主義とは

共産主義経済では、頑張った人間と頑張らなかった人間を平等な給与にするため、働く意欲がなくなる。これは、辛い仕事の労働時間を削減するなどして、等価な労働量を実現すれば、解決できる。
社会主義国営企業でも、会社を自由に作れるようにすることで、自由は実現できる。
社会主義でも、選挙によって役員を自由に決めることはできる。
工場と農場をたくさん作り、ものを過剰に作るようにすれば、計画経済の平等配給でも、豊かな国は実現できる。
それらを持ってすれば、社会主義は成功する。等価な労働量と辛い仕事での労働時間の削減、自由な国営公社、選挙の実現、過剰な生産などによって、社会主義は成功する。
僕は、社会主義が成功するか失敗するかの境界線は、「集団の自立ラインをどこに引くか」ということだと思う。労働それぞれを平等にしても、自らで自立させて経済を成り立たせることは出来る。何もしなくても給与がもらえる社会主義は成功しない。自分たちの力で稼ぐことが、社会主義の成功を決める。
言ってしまえば、「共同体の責任で金を稼ぎなさい。上に居る私たちは与えません。ただし、得られた資金は平等に分配しなさい。」という、「自立型の社会主義共同体」を作れば良い。それが出来た時に、ユートピアはきっと生まれるだろう。

恐怖の論理ではない平和

忘れて思い出すと、人間は分かる。足の精神も、一度治し方を忘れて、それで思い出すと治る。
もっと怒った方が良い。自分は、何をされても何を言われても怒らないのがおかしい。柔和になればなるほど、戦わなくなる。戦わなければならない時もある。
怒りなさい。
戦いなさい。特に、アメリカの巨大企業と戦えば良い。それが怖いように見えて、それが怖くなくなる唯一の道だ。恐れるよりも、戦った方が心は安心出来る。
学校は、苛めをする場になっている。一度、根本からこの国を治すしかない。
国なんか要らない。国を廃止して、それぞれの王が生まれれば良い。その上で、共同体の村を作り、新しい宗教を作ろう。それが、唯一の解決策だ。
日本人は、学校に洗脳されている。こんなに辛く苦しい馬鹿な社会が、正しい社会なわけがない。賢い社会は、もっと他のところにある。
教えられた通り分かるだけではなく、「こんな風にも考えられる」として、自由な発想をすれば良い。昔は、そういう、自由な自分の体験から分かる考え方と経験が多かった。
僕は、この国を「絶対的平和」にする。そのためには、権力や武力は必要ない。そういうものは、終わりを告げる。
理屈で考えても分からない。理屈で考えると、テロリストを排除するための武力を持つべきであることになる。だが、それで本当に武力を持とうとするのは、短絡的だ。
武力なんか、要らない。武力をみんなで無くすと、テロリストなんかどこにも発生しない。みんなで武力を無くし、良い社会を作ればテロリストは居なくなる。その方がはるかに平和になる。そうした、「権力を倒すための権力」という発想をやめなければいけない。みんなで武力を持たないようにすれば、テロリストも武力を持つことは出来なくなるだろう。アメリカ的な「力を倒すために力を持つ」という発想は、未来のためにやめなければならない。
社会を力で押さえつけるのではなく、「本当に良い社会を作る」ということをすれば、世界は平和になるだろう。本当に、善良で、誰もいじめない社会を作れば良い。そのためには、力の論理を忘れる必要がある。どんなに怖くても、勇気を出せば、きっと未来は変えられる。力の論理の無い社会では、人々は自然に経験し、成長し、反省し、幸福になる。力の論理のことを「恐怖の論理」と言う。恐怖の論理に従う人間には、逆のことしか行動出来ない。
たくさんの失敗をしなさい。失敗からしか、成功は生まれない。失敗に寛容的になりなさい。犯罪者は、強くなる前に、弱くなる前に、社会そのものを犯罪者が生まれないようにしなさい。軍隊を持つような悪い犯罪者でなければ、少しの失敗には寛容的になりなさい。また、犯罪者となりやすい社会悪については改善するとともに、その犯罪が生まれるに当たって何が原因となっているかを検証し、その原因がどのようにすれば改善されるかを考え、「そもそも犯罪者が犯罪をしないように社会を変えていく」ことをしていきなさい。
ネットのオタク表現全てが悪いわけではない。学校のような場所にも悪い人間はたくさん居る。だが、問題なのは、悪い原因が重なり合い、関係し合って、最悪の事態を引き起こすことだ。出来るだけ力を持たないうちに、そうした犯罪者を取り締まらなければならない。言ってみれば、「小さな犯罪者」には寛容的になった方が良い。明らかに自由な社会が悪いのは分かるが、自由には寛容的であるべきだ。そうしてみれば、むしろ、ネットのオタクはかわいいものだ。ネットのオタクには寛容的になって、本当に悪い犯罪者を生まないようにすること。だが、そのためには、政府がオタクに介入し、オタクをもっと違う性格にしていくことも考えなければならない。オタクは、力のない犯罪者予備軍だ。
普通の人間が分かっていないのは、狂った人間が賢い、ということ。賢くなりたいと、どんどん狂った人間になる。賢くなろうとしない方が良い。狂わない、馬鹿な人間の方が賢い。もっと、馬鹿になった方が良い。馬鹿の方が賢い人間しか居ないからだ。狂っても、本当は知性を失うばかりで賢くはならない。賢くなりたいなら、狂うか、馬鹿になるか、しかない。僕は、馬鹿になる方を取る。狂う人間には、賢い人間は居ない。
日本の政治の問題は、対策に次ぐ対策、対応に次ぐ対応ばかりで、本当に正しい完璧な国や社会を作ろうとする人間がいない。与党は事なかれ主義、野党は追求ばかりで、何も具体的なことが見えてこない。一度、未来を追いかけるだけの政治をやめて、ゼロに戻って、一から日本のことを考えなければならない。一から、この世界の人々の営みを注視して、ビジョンが見えるようになるまで、観察しなければならない。
僕も、今まで、追いかけられながら追いかけるのをくり返した。追いかけている間は、真実は見えてこない。追いかけるのをやめて、一度何もかも忘れて何も考えなくなった時に、次への一歩は見えてくる。政局に惑わされてはいけない。政治とは、この世界全てをゼロの始点から眺めた上で、人々の営みをどのように変えていくか、答えとは何なのかを「追い求める」ものでなければならない。決して、「追いかけ続ける」ものであってはいけない。

自由な成熟した世界

この世界は、解決しなくなっている。昔は、真実の愛を信じて、この世界の全てを解決したかった。この世界における、現実での変化の可能性を知って、自分なりに思考や環境の可能性を辿っていた。
平和を信じよう。この世界の全てに意味がある。問題の全ては、愛によって解決できる。希望は見えなくなったとしても、いつでも必ずそこにあり続ける。
世界は愛の下に平等である。そして、平等は平和を作り出す。社会は、良く考えて構築することで、最初から悪い人間が現れることがなくなる。
共通の理想を信じることで、人間性と愛の高みを知ることができる。
愛は、絶対に負けることがない。自由も、平等も、愛に勝つことは出来ない。全員で愛を信じることが、そのまま正義や真理となるだろう。愛を信じることで、この世界は変えられる。
もう、世界は楽しくて自由な正常な世界に戻る。愛を信じることで、社会全体が正常になる。悪を信じなければならない抑圧はつまらない。誰もが善を信じたいものだ。
一度、建設的に作った基礎の考え方は、一通り終わったら破棄する必要が出てくる。同じ考え方をいつまでもしていると分からない。哀しかったり、辛かったりしても、いつまでも同じままでは居られない。正しい考え方は、相対的に正しいだけであって、絶対的に正しいわけではない。
自由なままで世界を変えなさい。自由を奪うことは決してしてはならない。それでは、世界はロボット人間になってしまうし、多様性は失われ、価値あるもの全てが無くなってしまう。自由なままで、心理学的に世界を変えなさい。そこから、きっと新しい価値あるものや組織や発想を作ることが出来るだろう。
本当に正常な世界では、抑圧は生まれない。人々はどのようにすれば良い社会になるかをきちんと経験から分かっていて、みんなのこと全てのことを把握し、きちんと大人としての理性と経験を持ち、この世界をどのようにすれば良いか分かっている。昔は、そういう、「正常な社会における自由な営み」のようなことを言っていた。
決して、自由だけが正しいわけではない。この自由すぎる世界をさらに自由にするのは明らかにおかしい。自由なんか要らないから、みんなできちんと良い世界にした方が良いだろう。だが、それは社会が未熟すぎるからであって、さらに高い、真に成熟した社会では、自由なままでもきちんと正しい世界を作ることができる。人々は、みんなで決めたルールをさらに社会的経験に基づいて高めていくことで、永遠に進歩する、「最高の愛の社会」を作ることが出来る。人々の抑圧は、さらに一段階高いレベルの解決策で、意味のないものとなる。それが、本当に正しい世界の、自由な社会秩序である。それを、僕はいつも書いていた。
それぞれの個性を認め、自尊心と価値観に基づいて社会を作りなさい。希望を見失わず、人々の中にある「本当の渇望」から希望を知り、人々は違うようでいて、皆同じ理想を持っているのだ、ということを知りなさい。さまざまな個々人の考え方の違いは、解釈と捉え方の違いであり、あるべき問題の真の捉え方は一つであり、その上で多様な解決法がある、それを「社会モデル」ということが出来る、と知りなさい。
ある意味、昔の時代の理想と考え方を書いているのは、僕も分かっている。最近は、みんな、おかしく分かっていない。何も分からなくなっている。本当は、「この世界はそれぞれの人間の中にある」ということを知らなければならない。この世界の実体がどこにあるのか、みんな分かっていない。それは、IT機器が悪い。ITが悪いだけなのにこの世界に居続けることで、人々は何も出来ない社会になっている。テレビやマスコミも同じだ。本当に悪いものを、この世界全体から消していかなければならないだろう。見失った希望は、きっとまだここに残っている。時代の変化の中で見えなくなっているだけで、あなたの心はその希望をしっかりと覚えているはずだ。

北朝鮮問題とロシアの考えていること

みんな、万が一のことやもしものことは起きないと思っているが、本当は起きる。今から、終末のような世界になる。核戦争になるだろう。北朝鮮は、最初からアメリカから話し合いの離脱の宣告を受けるようにしている。アメリカの首脳会談の中止宣告は、北朝鮮の自作自演だ。そして、トランプのせいで核戦争が起きたことにしたかった。アメリカには、核ミサイルが何発か落ちる。それによって核戦争が始まるだろう。北朝鮮が動いていないとすれば、裏で手を引いているのはロシアだ。ロシアが、世界を核戦争で滅ぼすだろう。それが、キリストが言った終末であり、そしてその結果が、ユダヤ人の言った最後の審判である。
まあ、本当はそうでもないだろう。トランプの方は、ただいつもの通り相手を恫喝しただけだ。小さな人間がトランプだ。核戦争は起きない。核戦争が起きそうになったところで、ロシアが調停する。最初から、そういうことになっている。そして、アメリカは戦争に負けて、ロシアの一部になるだろう。
本当は、ロシアは支配もしていないし、導いてもいないし、勝とうともしていない。嫌がらせのようなこと、相手を悪いことをするように促すかのようなことをやっている。ロシアには最初から何も出来ない。本当は、それで偉大なことをやりたいだけだ。
これではロシアが陰の支配者に見えるが、本当はそうではない。アメリカが馬鹿なのに発展しているのは、ロシアがやっている。発展している西側を馬鹿だと思ってほしい。だからといって、ロシアの思う通りに全てが行っているわけではなく、これでもかと考え試行錯誤を尽くしているのに、なぜかロシアの経済は良くならない。限界まで頑張っているのに、国民は働こうとしない。ある意味、ロシアは悲惨だ。だから、馬鹿なことばかりして、がんじがらめな中を頑張っているだけだ。トランプを助けたのは、ヒラリー・クリントンが怖かったからだ。ああいう、アメリカの賢い人間が怖い。アメリカに女性進出社会になってもらうと、ロシアの良い点である男女平等が負けてしまう。それならトランプだ。そういう風に考えるだけで、決してトランプに何かを命じているわけではなく、トランプは適当に馬鹿を許されている。そういうわけで、ロシアになんか何も出来ないだろう。たまたま北朝鮮が今のところ上手くいっているから、それに全力を投じているだけだ。
最近、安倍首相が森友・加計問題で困っているが、僕は、総理は何も指示していないと思う。ただ、安倍が良い人間すぎて、夫人や秘書官など、周りの人間が忖度しただけであって、総理は何も間違ったことはしていない。あれほど正しい人間だから、そんなことはしないのだと、安倍は本気で誇りに思っている。だから、周りを怒りもしないし、辞めさせることもない。いつも万全にしているからだ。昭恵夫人が少し暴走したのは、全て、安倍の思想が好きだったからであり、加計学園についても、森友問題についても、全て、周りの人間が「安倍首相の友達を助けよう」と思って忖度してしまった。だが、安倍が悪くない、というのは違う。安倍は、そのように周りが暴走してしまったことについて、責任を取らないといけない。そういうものだ。だから、安倍はそれで退陣し、次は小池百合子首相になるだろうと、僕は思っている。
ただ、周りの人間だけが問題だからといって、それは安倍を賢いとは意味しない。安倍は、右翼法案での強行採決の連続や、アベノミクスの成功なのか失敗なのか良く分からない日銀などを含めたわけのわからない結果など、さまざまなことに責任がある。もう、辞任するべきだ。十分やりたいことはやったはずだ。ただし、安倍の功績というものは確かにあって、本当にたくさんの問題を解決したし、近年にないような賢い首相だった。だが、僕は働き方改革法案は嫌いだ。もっと自由にしても、社会は良くならない。規制の緩和をしながらトランプと仲良くするのも、少し違っている。むしろ、平等にすべきだ。国民は、さらに自由になり、規制緩和する中での正社員と非正規社員の平等は望んでいない。完全に正社員だけの世界を望んでいる。安倍がやりたいのは、非正規と正社員の平等ではなく、全員を非正規にする上での見せかけの平等だと、僕は少し批判しても良いかなと思う。(本当はそれも間違いではなく、全員を自由な労働条件にして等価な同一賃金・同一労働を実現するのは、自由ノルマに良く似たとても良い政策だ。)安倍が平等政策をやるのはとても良いことだが、だから、安倍はここで終わりにしよう。小池百合子は、自民党の補完勢力には見えるが、共産党よりは良い。僕は共産党は嫌いではない。平等に、みんなを正社員にする、という主張は正しいが、そもそも社会主義の党などに何の意味もない。小池百合子首相になれば、小池は国民の本当の声を聞くだろう。結果的に、労働者全員は平等になるだろう。それが、唯一の道筋であり、その上で僕は小池にアドバイスを送るだろう。

自由な中での解放・保障された平等

昔は、「自由にするとその集団がどうなるか」を考えることが多かった。自由にした時に、その個人、その集団、その社会がどうなるかを考える。
足の精神は、殺して、死ねば治る。
その時、その相手に、「自由を許せばどうなるか」を考えた。自由を許すことで、全体が平和になると考えていた。
昔は、自由なままで平等な社会をボトムアップ的な決定から作っていた。制度を設計し、みんなの国にする。発想を具現化し、共有から発展するようにする。そして、その上で世界を多様にし、それぞれがそれぞれのことを決められるようにする。自由な人生を生きられるようにする。それらのことを、「自由を成り立たせる」と言っていた。
みんな権力者が嫌いだが、本当は政府と呼ばれる統治機構は必要であり、その統治機構をみんなのものにしていかなければならない。そのためには、むしろ、領土で分かれる国のあり方というのをやめないといけない。代わりに、「自分たちはこの国を形成するメンバーだ」と言って、それぞれの自発的な意志と国籍の共有から、国を作れば良いと思う。僕は、それを「グループによる共同体主義」だと言っていた。新しい国のカタチとして、そうした「グループ共同体政府」を作る。そして、国の統治はそれぞれの会社が行い、会社が社員たちの経済を考える。労働基準法のようなものは会社が作る。
だが、本当はそれは良くない。そういう国にすると、「この国がどんな国でどんな社会なのか、分からなくなる」という事態が発生するし、「極度に悪いグループ」や「極度に悪い会社」も発生する。やはり、ある程度のバランスを持って、国を統一しなければならない。だが、領土で統一する古いやり方は、戦争を生み出し、対立構造を生み出す。よって、軍隊や教育や福祉のようなものは統一し、経済政策は個別の地域においてやるべきであり、完全に自治体や領土を無くすのでも、統一しないのでもない、新しいバランスを持った自治組織が必要なのである。
資本主義においては、会社を作り、維持するのは、とても大変な仕事だ。だから、会社を作ることを支援しよう。本当は、新しい会社を作らなくても、現存の会社の枠組みの中で出来ることはある。よって、今ある会社の中で、新しいことをやれる環境や土壌をみんなで作ることで、会社はたくさん作られるようになる。労働については、労働者は自由な規制改革は望んでいない。誰もが、他の社員と同等に扱われることを望んでいる。だから、労働は平等にしていく、という意味も分かる。だが、頑張る労働者は、たくさんの給与がほしい。努力に見合った給料や報酬が得られないのは困る。それでどうすべきか。それは、つまるところ「国全体の経済を合理化し、発展政策を行うことで、それぞれの会社にたくさんの利益が入るようにし、そしてそれぞれの会社の中でではなく、特定の資格を持った人間には給与を高める」などの方法が考えられるが、結局のところ、社会主義経済では成功しないだろう。資本主義の中で、出来るだけ賃金を向上させれば良いが、本当は会社が豊かになれば会社で色んなことが出来るし、サービスも向上し、雇用も増える。ある意味、賃金を上げることを最優先するのも、会社のためにはならないだろう。
そうすると、むしろ、「金」だけに囚われるのが間違っている。金なんか、人生の上では、ただ生きるのに必要な手段に過ぎない。いっそのこと、生活を将来に渡って保障される、「豊かな給与」を「平等に」与えることを、憲法で記しても良いだろう。誰もが、80年間きちんと生きられるだけの金を、平等に得られる。その上で、それぞれが幸せで、楽を出来るだけの「易しいノルマ」を与える。それはそれで、幸せな国になるだろう。格差は生まれず、人々は将来に渡って生活を保障された上で、自分の好きな仕事を等価な労働量と職業選択の自由を保障された自由ノルマの中で行うことが出来る。それも、きっと新しいユートピアだ。ある意味、一人の人間がお金を儲けすぎるのは良くない。それは、その人間のためにも、社会のためにもならないだろう。
本当は、自由に仕事を選べる人間なんか、賢い人間には居ない。確かに、働き始める際には、ハローワークで仕事を選べるだろう。だが、普通、その業界でプロになってしまえば、転職をしない限り、その業界で最後まで働く。プログラマプログラマしか出来ないし、ピアニストはピアニストしか出来ない。だから、最初の段階で選べるようにして、いつでも変えられるようにすれば十分であって、本当はノルマを選べる職業選択の自由は、必要ない。みんなで労働量の等価を保障しながら、それぞれが楽に働けるようにして、将来までの給与を保障すればそれで良い。誰も、他の仕事に変わろうとする人間は居ないだろう。

備蓄品の補充

僕は、家庭にある備蓄品(食料と日用品)の補充をきちんとやれば、意外と社会主義経済もいけるのではないかと思う。
特に、食べ物は野菜と米を中心に、魚などを補充する。いつでも、数日分の食べ物は常に備蓄され、無くなったものから補充していく。壊れたものから備蓄品を与えていく。
ある意味、ソ連のような社会主義国は、それだけになってしまっている。それはまずいことかもしれないが、必ずしも社会主義経済が成り立たないわけではない。
だが、僕は、そうした配給主義はつまらないと思う。お金の自由というのは、配給に勝るものだと思う。だが、お金をそんなに信じることも、ある意味では難しいだろう。儲かったものから儲けていく。儲からないものは、いつまでも苦労し続ける。それは、社会主義経済で解放されるかもしれないだろう。
だが、このモデルの問題点は、「どのように備蓄品を生産するか」だ。マルクスは、生産能力と手段の向上から社会主義経済に移行すると言っていたが、それはならなかった。生産能力の向上は、大量生産を可能にし、さらに資本家を豊かにし、格差を広げ続けた。行動が必要とは言うが、行動しても成功しないなら、誰も行動しない。マルクスは、そこが分からなかったのだろう。マルクスが思っている以上に、人々は保守的だ。

自由の「ハム」と弱者救済の「卵」はどちらも必要

昔は、この世界における幸福の追求論のようなことを書いていた。この世界は常に生み出されており、人生と人々の存在はありのままある。自由な社会にすることで、この世界に自分が存在していること、そのこと自体の幸福を実感できる。
僕は、古代のペルシア帝国のように、自由な民族の習慣や信仰、思想や民族文化、自分の信じたい神を信じられるような、それぞれの自由を認めた上での大きな共通の帝国、という発想が一番良いと思う。
だが、僕が考えるに、それは帝国のようにトップダウンで誰かが決めることではなく、自然にみんなの力で、ボトムアップ的に同じやり方を信じる人間たちの合意で成り立つべきだと思う。
そうすると、ある程度の共有の理念や理想は必要だ、ということになる。だが、それではペルシア帝国にはならない。ペルシア帝国は、それぞれの自由を与える代わり、平和的に制圧することで巨大な領地を獲得した。そこには、ゾロアスター教という偉大な宗教があった。
そういうわけで、自由にしながら多様性は認めるべきだが、共通の文化や理想は共有しているような、そういう正しい国を作らないといけない。
EUの問題とは、自由にするあまり、資本家や中流階級と、移民や難民の立場が平等にならなかったために、移民や難民を排除したくなった。本来助けるべきはずの移民を、助けるべきなのに皆追い返せと言う。それは、本当に犯罪者予備軍のようなイスラム系の移民もたくさん居るからである。
要は、自由にすればそれで多様性のある理想の社会にはならないが、それでも自由を求めていかなければ理想の社会にはならない、自由を失えば多様性が無くなるだけだ、ということである。
自分の問題とは、悪いことをしないことである。みんなこの馬鹿のことを信じきっているのに、この馬鹿は神を信じているせいで悪いことをしない。結果、みんながこれを信じるだけの良い国になる。
ユダヤ人が天才的なのは、そういう、王の上に神と聖書を作ったことである。王が絶対に悪いことをしない、それがイスラエルの普通である。その代り、みんな全員が悪くなる。
自分は、左翼や右翼のようなことを言うのは、自分のことを許して欲しいからである。自分で言って、それを許される、といった体験を繰り返し、繰り返しやりたくなった。それは、何か許せないものがあるからである。許してしまうと自分が壊れてしまうような、そういうものがどこかにある。それは決して学校のいじめのような低レベルでお子ちゃまな問題ではない。何かを許すことが出来ないのだと思う。それを許せば世界全体が滅亡してしまうような、何かを許すことが出来ない。だから、僕は文章をまだ書いて、「自分のことを許して欲しい」と訴えている。きっと、家族や友人にいつか何かをしたことが、尾を引いているのかもしれない。
必要なのは、共通の理想ではない。理想はそれぞれ違っていても悪くない。大切なのは、犯罪者予備軍の移民にも、さまざまな問題を抱えている人が居る、ということである。当事者であるヨーロッパ人には、それを考えて救うほどの寛大な人間は居ないかもしれない。だが、地球人や世界市民として、なぜ移民が悪いことをするのか、その問題の根源を解決しないといけない。そこにあるのは格差であり、資本主義である。社会主義にするか、日本にするか、考えないといけない。だが、移民は福祉政策にただ乗りしている。だから、福祉政策をやる平等な国になったとしても、問題は解決しない。本当に必要なのは、本当の平等である。平等が認められた時に、初めて正しい自由を作り上げ、築くことができるだろう。トランプのように、壁をただ作るだけでは、ただ壁を壊すだけである。
ただ、平等はそれで良いとして、問題は僕のように自由でなければ意味がないと考える人々も多い、ということである。悪平等をやりたい人間なんか居ない。資本家のビルゲイツから金を奪っても、その金は何年も奪い続ければゼロに戻ってしまうだろう。きちんと移民が自分で稼げるようになって、初めて多様性や自由を論議することができる。もちろん、ヨーロッパ人の中だけで自由をして、知性のある生活をすることは可能である。そこに、ヨーロッパ人だけの自由、ヨーロッパ人だけの多様性は生まれる。そして、それは悪いことではなく、そもそも社会の目的とはそうした「国の中での自由」を実現することである。これは、卵を焼くかハムを焼くか、どちらが出来るのが早いだけである、という問題に過ぎない。卵も焼きながら、ハムも焼かないと、ハムエッグは作れない。だから、ヨーロッパ人は自由をやって、アジア人は平等をやる、という発想は理にかなっている。米ソが対立して冷戦するのは、そもそも本来間違っている。悪いのは、対立して戦争に巻き込む米ソである。必要なのは、ヨーロッパ人が自由をやりながら、その自由をやる中でどのようにかして後進国イスラム教徒を支援することであって、不自由やテロはどちらも間違っている。そこがみんな気付いた時に、はじめてこの世界から対立や戦争は無くなるだろう。
そういうわけで、僕は一方では左翼を主張しながら、一方では自由の意味やかけがえのなさを唱える。本当に、この世界はそれぞれが出来るようにやらなければならない。必要なのは「個性」であり、才能とはほとんど99%個性という意味である。個性と自分らしく生きられる世界でなければ、世界は成立しない。この世界は金銭や信条における自由があった上で、その上で出来るだけ可能性のある自然に協力し共存する世界にならなければ、すぐに滅亡してしまう。戦争にならないようにするためには、自由を許すことである。みんなの自由が認められた上で、みんなで戦うのであれば、誰も悪いとは言わないが、独りだけが戦えと言って、政治家が結託して戦争するのであれば、それは皆悪いと言うだろう。そのような「声の権利」をどんどんあげていかないといけない。そうでなければ、国は良い国にならない。だからといって、批判ばかりしていれば良いわけではない。たくさんの意見があることは必要だが、批判に耐えて生きる必要はない。

デモで左翼を言うとまともだが、権力で左翼をすると失敗する

僕が思うに、デモで左翼を言うのはまともだが、権力で左翼をすると失敗をする、と言えると思います。
何もできない左翼がいくらシュプレヒコールを上げても、何も変わりません。
ですが、いざ左翼が実権を得てスターリンをすると、最悪の廃墟の世界になってしまいます。
過激な思想はデモだけで十分、実際にやるのはもっと大人になってから、ということが言えると思います。

マルクス主義の間違い

僕は、この世界の人々に、自由な力を与える。
何かを行うためには、そのための「力」が必要である。
しかしながら、指導者はひとりであれば、その国家には力を持つ人間がひとりしかいないことになる。
だが、僕はそれをよく思わない。「それぞれの人間に同じように力があるべきだ」と考えるからである。
しかし、平等に力を分け与えることは、難しい。
よって、ここで「自由意志」が大きく、国の経済と労働に貢献する。それぞれが、「働きたいものは働く」として、「それぞれが好きな仕事につく自由意志を与える」ことで、人々は生活に困窮すれば労働者階級として働き、能力をつけて出世すれば、社長になることもできるからである。
ここに、僕はセーフティネットを必要という。なぜなら、会社を起業したとして、失敗すれば路頭に迷う。多くの借金を残して、負債を返すために残りの人生全てを借金を返すために生きることになるリスクは、どんな人間であれ、必ず付きまとう。そのことが、能力やビジョンがある人間が、会社を起業すること自体をリスクの多いものとし、その選択を取らないことを「賢明な判断」であるとしてしまう。
よって、僕はあえて、「起業家を支援する」という、アメリカのシリコンバレーインキュベーターのような組織も、資本主義には必ず必要であると考える。
かの社会主義経済化では、計画経済とノルマ生産が敷かれた。これによって、経済はユートピアになるはずだったが、実際は働いても働かなくても給与が同じであれば、人々は楽をして働かず、大量生産はできなかった。
また、ソ連の独裁者スターリンは、レーニンの世界革命の思想を大きく転換し、密告と逮捕をベースとした「反動主義体制」を敷いたが、これによって、人々は独裁政権を批判することができなくなった。
これに対して、西側諸国は、機械を大量生産し、需要と供給の関係から安くし、競争と市場原理をベースとして、どんどん新しいものを作り、発展していった。
その結果、東側諸国と西側諸国では、完全に経済発展の差が歴然となり、ソ連は崩壊した。資本主義は勝利し、計画経済をベースとした従来の共産主義経済は、北朝鮮や中国などの例外を除いて、多くは消滅した。
しかしながら、今、地球は環境問題を抱えている。資本主義は経済を優先するあまり、自然環境を破壊してきた。工場による環境破壊、都市建設のための自然破壊だけではなく、西側の大きな発明だった自動車は、化石燃料を燃やすことによる二酸化炭素の排出の問題で、地球環境を壊滅させようとしている。
また、もう一つの大きな発明だったコンピュータは、GAFAをはじめとする巨大ITサービス企業を生み出し、これは自然環境ではなく、「テクノロジーの過度な発展によって社会が不幸になる」といった事態を、西側諸国に見せつけている。
また、最近ではトランプ米大統領をはじめとして、ファシズムや人種差別の極右勢力が再度台頭してきている。彼らは自由な勢力だとされているが、実際は白人至上主義者たちの反ユダヤ・反イスラム勢力であり、黒人・アジア人・ヒスパニックなどに対する、「差別と排斥のヘイト活動」を再び復活させている。
しかしながら、僕は自由をやめるべきだとは思わない。なぜなら、自由にすることでしか、そうした「間違った勢力に勝つ方法」はないからである。
不自由にすればするほど、独裁的な勢力は力を増し、「人々が嫌だと言えない状況」を作り出せば、独裁者は思うがままに国民を支配する。それが右翼であろうと、左翼であろうと、同じである。
必要なのは、「国民あるいは地球人類全員に、平等な自由を与え、力を与えること」ではないか。
なぜなら、自由を与えられることで、人々は「権力」ではなく「理性」でこの社会を判断できる。自由を与えられても、その自由を上手く行使できるとは限らないが、国民は国家による独裁権力を秩序の形成に必要とするほど白痴ではない。わたしたちは、自由を与えられれば、その中でよく考え、理性を使って「自分たちで秩序を形成することができる」のである。
しかしながら、そのためには、この社会における秩序の形成の方法について、ひとりひとりが責任と理性をもって、しっかりと考えなければならない。
まず、この社会には、「上部構造」と「下部構造」がある。上部構造とは、一握りの経営者や株主など資本家による、「社会を決定し形成する力」である。下部構造とは、そうした資本者に従いながら、日々汗をかいて労働する、「社会を成り立たせ実現する力」である。
上部構造の「決定権」を下部構造の「労働者」に対して、「国家のみんなの決定権である」として「共有」することができれば、それが、カール・マルクスの言う、「新しい共産主義」である。
だが、この考え方は論理的に見えて、実際はおかしな社会概念をでっちあげただけである、という点に注意する必要がある。生産手段を共有するのであれば、その生産手段が「人民たち全員でも同じように実行できるように、経験とノウハウも共有しなければならない」という点を、マルクスは分かっていない。マルクスは、労働者の「再生産を行う値段」を「労働の価値」としたが、彼が考えるに、「経営者がやっていることは労働者でもすぐにできる」とした。彼は、「再生産は熟練した経験者でも工場の日雇い労働者でも同じようにすぐにできる」とした。
ここが、間違っている。マルクスの言う、「どんな人間でも同じように同じことができるから、平等な生産手段の共有をすべきだ」とする考え方は、「その人にしかできないこともある」という点で、間違っているのである。
マルクスの問題は、他にもある。マルクスは、生産能力の向上により、資本帝国主義は倒れ、「共産主義社会が訪れる」と言った。しかしながら、彼はここで、あたかも生産能力の向上と発展は、どこかで終わりを迎えるか、あるいは資本主義の帝国主義により資本家と労働者が対立する構図が、どこかで破綻して「最後の共産主義社会に辿りつく」としている。そう、彼は「歴史的発展にいつか終わりがあるもの」であると考えたのである。ここが間違っている。実際は、科学技術や社会生産能力の向上により、「永久に社会は発展し続ける」のであり、終わりは訪れず、「永久に資本家は強くなり続け、決して労働者は資本家に勝てないまま、永久に対立構図が続いていく」のである。
そう、社会主義はそのような意味で間違っている。
そうすると、どうするのが良いだろうか。まさに、マルクスを無視した上で、自由な社会の構築、とりわけ「人々に自由な力を平等に与える」ということのための「方法論」を考えることである。これは「発想方法」と言ってもいい。この世界を、もっと「人々が自由な力を得られる」ように変えていかなければ、新しい社会も生まれないし、正常な社会秩序も形成できない。そう、僕たちは「永久に発展と支配構図が続いていく」ということを念頭に置きながら、「資本家の代わりは労働者階級にはすぐには代替できない」ということを肝に銘じて、平等で自由な社会を作らなければならないのである。
では、信じるべきものは、平等ではなく、何か。それは「愛」である。人々のことを、自らと同じ人間だとして、自らと同じように愛すること。特別な人間など存在せず、みんな自分と同じであり、同時に、素晴らしいものになることができる、みんながなることができる、ということを信じれば、おのずと未来は開けるのである。