支配しないこと

支配するな

僕が思うに、支配しないことが、
平和のために大切ではないかと思う。
支配など、ひとりの人間にしか自由がない。
僕が思うに、みんなに自由がない自由など、
自由ではない。
ひとりしか自由でない自由など、
自由ではないのである。

平等にみんな自由

僕が好きなのは、平等にみんな自由な社会である。
どんなに階層が低くても、資産を持っていなくても、
自由だけは、人間にとって生まれ持った平等な権利であると信じる。
そのため、僕は、「自分のできることを他の全員に許す」。
僕がやったことを、他の誰がやってもいいし、やらなくてもいい。
自分のやったことは、全て他人に対しても認める、
これが僕の「自由なスタンス」である。

経済成長と福祉政策はどちらもしなければ意味がない

また、僕は経済成長と福祉政策はどちらもしなければ意味がないと思う。
たとえば、生活において、
お金がたくさんあれば、楽になるだろう。
だが、お金がもし困っても、生きられればいいだろう。
経済成長は、一番目の「お金がたくさんある」を実現し、
福祉政策は、二番目の「お金がもし困っても生きられる」を実現する。
これはどちらもなければ、まったく意味をなさない。
僕は経済成長と福祉政策を、どちらもバランスよく行う。
また、今の現代社会においては、
「頑張って働く人」と「助けるべき弱い立場に居る人」が、
必ずしも重ならない、同じ人にはならない、という特徴を持っている。
だから、働く人が弱者をどうにかして助けなければならない。
極右のポピュリストは、それを拒んでいるが、
実際、今からの地球が自然災害などを起こしていけば、
そのうち「弱者なんか助けない」という言い訳は通用しなくなっていくだろう。

経済と福祉はみんなどちらもやってほしい

また、右翼と左翼、あるいは与党と野党で争う意味がない。
なぜなら、経済と福祉は、みんなどちらもやってほしいからである。
国民みんなが豊かになると、楽に生きられるし、
福祉政策が進歩すると、それもそれで楽に生きられる。
誰もが「どちらもやってほしい」のに、政治家はそれで対立する。
だから、おかしく福祉が後回しにされるような与党の政策になるのである。

とにかく英語教育

あとは、学校で何を教えるべきかというと、
もっと英語を教えるべきである。
なぜなら、日本のIT技術の何がアメリカなどのIT技術に負けているかというと、
それは英語ができないことだからである。
英語ができれば、Linuxカーネルなんか誰でも開発できる。
英語ができないせいで、
日本人はLinuxカーネルなんか「開発不可能なソフトウェア」だと勘違いしている。
英語が必要である。
僕は英会話学校で英語を習っているが、
それでも、高校時代に英語をきちんと学ばなかったせいで、
今でもLinuxカーネルが開発できていない。
何よりも英語である。数学や理科や社会はそんなに必要ない。