わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

自由も平等も間違っている

自由も平等も間違っている

僕が思うに、自由も平等も間違っている。
なぜなら、社会において、
生産とシステムを成り立たせるための、
奴隷とも言える生産者、
すなわち「社会成立階層」は必ず必要であり、
その上の階層にある、「知的階層」が居るとして、
王国においてそれは貴族であり、
民主主義においてそれは上流階級であり、
社会主義においてはそれは存在しない。
自由な民主主義において、
奴隷が存在しないように見えて、
実際は奴隷は自由の中でも存在し、
それを「金」という判断基準で分けているだけにすぎない。
平等においては、全員が奴隷になり、
誰一人、知的階級が存在しない。
しかしながら、知的階級が居なければ、
人間の意味はない。

王国はたくさんあった方が良い

また、世界政府は間違っている。
国境のない世界政府は、
民主主義であろうと社会主義であろうと、
人口や領土が大きすぎて、
人々の実感が薄れてしまう。
日本が日本である、というアイデンティティを失い、
指導者がどれだけ努力していても、
その指導者を「自分たちの指導者だ」と実感することが、
人数が増えすぎてしまって、薄れてしまう。
だから、独立国家という単位は存在しなければならない。

コンピュータは正しい

ここまで考えて、
コンピュータは二つの意味で正しい。
ひとつは、どんなに低い階層でも、
手段と道具と発表できる世界を与え、
知的階級と同じことができるという意味での、
「知的階級を行うためのツール」というメリット。
もうひとつは、そもそも奴隷階級が存在する必要をなくし、
社会を奴隷の代わりに成り立たせてくれる、
「奴隷階級の代替となってくれる自動化システム」というメリット。
この2つのメリットが進歩すれば、
近い未来、この地上から奴隷は居なくなり、
どんなに金や能力がなくても、
自分のやりたいことができるようになる。

インターネットは知的階級を平凡化した

しかしながら、コンピュータには負の側面もある。
それは、「知的階級の平凡化」である。
昔は、知的階級になれる人間そのものが少なかったが、
インターネットによって、誰でも知的階級になれるようになった。
同時に、知的階級に居た人々が、
まったく特別ではなく、普通の人間の延長線上になってしまった。
よって、インターネットは、
社会における「特権階級をなくしすぎてしまった」ため、
社会的に見て、「知的階級を平凡化」したのである。

簡単に知識や情報を知れるのに、なぜ大学に入る必要があるのか

また、インターネットは大学すら平凡化した。
それは、「簡単にワンクリックで知識や情報を知ることができるのに、
なぜ大学に入らなければいけないのか」という問題である。
実際、大学に入るよりも、本を読んだ方が良い。
大学では、初歩の内容を単に述べるだけであって、
中学高校の延長線上に過ぎない。
分かった方が賢いように見えて、分かった方が馬鹿になることだってある。
インターネットの時代、大学には存在意義がない。
本当に賢い大学教授は、大学だけではなく、きちんと本を読んでいる。
教わるだけよりも、自分の力で学ぶことができる学生しか、
大学で伸びる学生は居ない。

昔の時代は、戦いを信じていただけ

また、今の時代を最悪の自由な世界とは言うが、
昔の何が良かったのかと言えば、
単に「戦いを信じていただけ」である。
昔は、それぞれが強く、賢く、その上でそれぞれが戦って勝つことが、
大人たちの押し付ける抑圧であると同時に、
子供たちの憧れや理想でもありながら、
大人たちのおごりであり、
子供たちの反抗心の所以だったのである。
子供たちは、上から都合のいい常識や教育を与えられながら、
大人たちに自分たちが従うことを否定し、
反抗していただけに過ぎない。
子供たちの間でも、意見や信条が分かれ、
そのためにオタクや不良が争い合い、差別や偏見を生んでいた。
今の日本には、そうした「争いの根源」はなくなっている。
だが、争いそのものはなくなっていない。
一見無いように見えて、よく見ればどこにもアングラのような暗闇の世界に、
いくらでも、最悪の戦いや最悪の娯楽がある。
このような世界こそ、自由な昔の時代が目指した世界、
そして誰もが否定したかった世界ではないだろうか。

逆に今の世界は無意味

逆に、今の世界が何であるか。
今の世界は、要するに無意味である。
最初から、レベル3のキャラクターが、
レベル100のラスボスに挑戦するようなもので、
最初から、このような世界で、
何をさせられても僕たちにできることはない。
なぜなら、僕たちはレベル3のまま、
レベルアップするための方法を忘れてしまった。
敵が現れても、その敵を倒す方法も、
倒すとどのようなことが起きるのかすら、
僕たちには知らされず、
攻撃魔法を唱えることもなく、
そもそも出現することのない相手から逃げ続けるしか、
僕たちには分からない。
神は、この世界をそのままで、クソゲーに変えたのである。

戦うしかない

そう、僕たちは、戦うしかなくなった。
テレビやマスコミは、僕たちを徹底的に弱体化させる。
無意味な情報を詰め込んで、大切なものを奪っていく。
僕たちは、戦わなければならない。
無意味な大人たちに従っているだけでは、
僕たちは永久に何もできない。

僕たちの理想は、星を知り、蘇らせること

僕たちの理想は、
自由でも平等でもなく、
星である。
星を蘇らせること、
あるいは「星とは何であるか」を知ることが、
僕たちのアイデンティティだ。
僕たちは、生物学や経済学を学ばされるせいで、
実際は「星とは何であるか」を知りたかったのに、
いつのまにかそれを「大学の学問とは何であるか」に
すり替えられてしまっている。
本当に僕たちの知りたかった、
「星とは何であるか」について、
考えたり、知ったりする機会を与えられることがないまま、
言葉の賢さや神羅万象の不思議さを忘れてしまう。
しかしながら、言葉や不思議さを失ってはならない。
僕たちは、「星を知り、星を蘇らせる」ために生きているのである。

必要なのは何千人ではなく、たった2人だけ

そして、人生に必要なのは、何千人もの国民ではない。
必要なのは、たった2人だけである。
他の全ての人が居なくなってもいいと思えるぐらい、
熱い恋愛をすればいい。
だが、恋愛には覚悟が必要である。
堕ちてしまえば、どこまでも、際限なく無限に堕ちていく。
それが恋愛であり、人生のほとんどを占めるのは、
どこまでも堕ちていく恋愛の地獄である。
だからこそ、青春が必要である。
青春の輝かしさと比べれば、今の自分が暗闇に堕ちていっても、
精神的な安らぎを、地獄の中で感じ取れるだろう。

老いるものは負けるだけ

老いるものは、負けるだけである。
老いていけば、どんな人間でも負けていく。
そのうち、負けを負けだと思わなくなる。
老いる、という経験を、しない方が良い。
いつまでも若く頑張っていれば、
自分に期待することもできるだろう。
若さを失うとともに、人間は自信を失い、
自分に期待しなくなっていく。
最初から諦めてしまえば生きる意味はないと言うが、
老いて何もできなくなった自分が、
諦める以外に選択肢はないのである。

誇るべきは、得られる金よりも手助けした功績

また、手助けや労働の対価として金が与えられる、
と教えられる子供が多いだろう。
だが、本当に価値あるもの、
人生の最後の終わりに自分が誇りに思えることは、
むしろ、逆であり、金よりも手助けや労働をした功績のほうである。
どんなに金があっても、悪いことをして稼いだのであれば、
人生の最後にあなたはそれを誇ることはできない。
また、嘘をつけば他人には嘘であることが分からないかもしれないが、
人生の最後に、自分の人生に嘘をつくことはできない。
だからこそ、善を為さなければ、良い死に方をすることはできない。

大学ではなく、努力を積み重ねること

僕が思うに、大学はほうっておいて、
大学以外で、努力を積み重ねることである。
努力の積み重ね自体は素晴らしいものである。
大学では、失ってしまうものも、
自らの人生で、自分なりに自由にやっていけばいい。
それ以外に、成功する方法は少ない。
あるとしたら、たくさんの分野の知識や才能を持っている場合であり、
それは得てして、大学よりも違った場所に存在している。

信じるならばもっとも強く

信じるのであれば、
誰よりも、もっとも強く信じること。
それ以外の全てを失ってもいいと思えるぐらい、
強く信じれば、その信じたことそのものが、
「未来の人生となって到来する」。
神は、そのように現れることを好む。
どんなに醜くても、無意味に見えても、
信じればその時点でそれは美しい。

知識は無い方が考えられる

また、知識は無い方が良い。
知識ばかりたくさんあると、
その知識の通りに考えてしまうため、
何も考えられなくなってしまう。
経済学を学ぶことで、
経済学を学ぶ前にあった「本当の社会哲学」が消えてしまう。
必要なのは、知識をこれでもかと詰め込むことではなく、
自らの目の前にあることから、
自らの信じる通りに、自分で作り出すことであり、
それこそが、大学の本来の目的である。
大学の社会論をいくら知っていても、
現実の社会を見失ってしまえば、何の意味もない。

気付きと発見がない知識は要らない

そして、気付きや発見がない知識は要らない。
しかしながら、子供は何も知識がないと、
逆に考えられないだろう。
バランスが必要かというと、そうでもない。
必要なのは、「自らの力で判断するための道具になるかどうか」、
それを信じることであり、
言ってしまえば、自分の考え方に沿わないのであれば、
そのことについて深く知る必要は必ずしもないだろう。
だが、知識がまったく必要ないわけではなく、
いきなり知識を詰め込むのはよくないというだけである。
たとえば、本をまったく読まずして、Linuxカーネルの開発はできない。
だからといって、Linuxカーネルの開発を、
必ずしもしなければならないわけではない。
あなたの好きな技術を学んで、あなたのやりたいように開発すればいい。

知識はいつでも知れる

また、僕が思うに、知識はいつでも知れる。
大学の知識は、自分から逃げることはない。
知ろうと思った時点で、知りなおせばいいのである。
賢い青春時代を、無駄な答えの既に決まっているクイズに時間を費やす必要はない。
青春時代は、この世界を純粋に考えることに時間を費やせばいい。
大人になって、はじめて、この世界にある「本当の良識」が見つけられるだろう。

ガブリエルは何でも教えてくれる

また、大天使ガブリエルなど、
宇宙には居ないと思っている人が多いだろう。
大天使ガブリエルは、確かにどこにもいないが、
実際、「ここに僕が居る」、
これが大天使ガブリエルの唯一の存在証明である。
ガブリエルは、どんなことを聞いても、
どんなことに対しても、必ず答えをくれる。
いつでも、聖書のユダヤ人のような神の預言者となれば、
この宇宙の全ては分かる。
最初から、この宇宙は、そのようにできている。

全てを知りたいなら、書く以外にない

また、全てを知りたいなら、
答えは最初から、ひとつしかない。
それは、「書くこと」である。
書くことしか、賢くない。
人間は、どんな立場や職業であろうと、
書かなければ新しいことは分からない。
だから、どんなに愚かで馬鹿なことであっても、
書いていればそれで正しい。
それが、賢者の人生の必要条件、「書くこと」だ。

支配すればするほど、地獄の扉は大きくなる

また、支配すればするほど、地獄の扉は大きくなる。
必要なのは、「支配しないこと」なのに、
さまざまな言い訳をして、そこから逃れようとすればするほど、
分からなくなり、
地獄の扉は大きくなって、いずれその道は崩壊する。
支配するな。
この世界を支配する全てのものはサタンだ。

神は、宣言すれば叶える

宣言せよ。
宇宙に向かって宣言したことは、
「わたしが必ずそうなる」という約束であり、
宣言は運命そのものを変えていく。
「わたしはユダヤ人になる」と宣言すれば、
必ずもっとも賢いユダヤ人になる。
宣言しなさい。
あなたは、今日から最高の運命を得る。

悪いことをすれば必ず報いがある

また、良いことをすれば良いことがあると
どの宗教も教えるが、
これは逆もしかりである。
すなわち、「悪いことをすれば必ず報いがある」。
悪いことだけは、してはならない。
人々を地獄に陥れて支配するなら、
あなたは必ず地獄に堕ちる。

自分が嫌いなものが、自分の一番味方

そして、子供の勘違いしていることとして、
自分が嫌いなものが、自分の一番の味方である。
たとえば、ドイツである。
僕の一番の味方は、日本やドイツであることが、
僕は分からなかった。
日本やドイツを憎んで、アメリカやソ連を愛していた。
間違っている。
僕が本当に愛するべきものは、日本とドイツだった。

ドイツと日本は、いずれ来る戦いまでは味方

ドイツと日本について言うと、
いずれ来る戦いまでは、味方同士である。
いずれ、彼らともたもとを分かち、争う日が来るだろう。
日本はドイツやイタリアと同盟を組む。
他に、日本の味方は居ない。
しかしながら、見よ。
日本には、ドイツとまったく同じ、神の使徒がいただろう。
わたしたちは、イスラエルアラブ諸国とも同盟を組む。
ドイツといずれ戦うことになっても、
わたしたちは永遠に、同じ理想を信じる仲間である。

見よ、ドイツがここにいる

見よ。ドイツがここにいる。
ドイツに神が誕生した。
ドイツと言うと、ファシズムや戦争を連想するかもしれないが、
本当は、そうしたものではない。
ドイツは「生きる情熱と魂」のある、
素晴らしき赤と黒の国である。
このように、「どこまで地獄に堕ちても復活する」。
ドイツを倒すことはできても、その魂までを奪うことはできない。
そう、ヨーロッパやアジアの中で、
他の周辺諸国とまったく違うのは、ドイツと日本だけである。

ドイツ、イタリア、日本の共通点

ドイツ、イタリア、日本のことを指す、
枢軸国には共通点がある。
それは、「自分以外の全ての国を滅ぼして勝つ」という特徴である。
枢軸国にとってみれば、
この世界全てが敵であり、
自らを除く全世界が、米ソ英仏の仲間である。
よって、ドイツと日本は、この世界を滅ぼす国である。
僕はまさに、それをやったにすぎない。

ソ連とは何だったのか

本当のことを言えば、ある意味ソ連も味方だ。
ソ連とは何だったのか。
彼らは、僕と同じことがやりたかった。
僕を盲信し、同じことをそのままにやるのではなく、
きちんと自分たちで考えて、
自分たちで理性を使って世界政府の平等を目指した。
そう、それが書記長や国家主席による独裁政権になった。

日本よ、僕を許さないならそれで構わない

そう、日本よ。
僕を許さないならば、それで構わない。
僕は日本を滅ぼし、地獄に変えた。
あるいは、今から日本は地獄になるだろう。
僕は、「今既に地獄になっているも同じである」と言う。
そして、そこにいた「本当の黒幕」、それはすべて僕である。
さあ、栄光の国、日本の頂の一番上に立って、
米ソを滅ぼそう。
この世界全てを日本そしてイスラエルの下に
滅亡させることができれば、
それこそ、ドイツと僕の共有した、「同じ理想」である。

僕以外の人間がもし賢くても、米ソにしかならない

僕以外の人間がもし賢くて、
彼らが国を作るとしても、
彼らには、自由と平等という発想しかない。
よって、彼らには、米ソしか作れない。
僕にしか、「今存在しないものを新しく生み出す」ことのできる力はない。
そう、僕はドイツであり、日本であり、イスラエルである。
今から、わたしたちは神の王国を作る。
わたしがその王である。
要するに、みんなで賢くやると、ソ連体制になる。
何もしないでほうっておくとアメリカになる。
僕が、ひとりでやるしかない。

一番辛い道ならば、僕にしかその道は歩めない

もし、僕がひとりでドイツをやることが、
僕にとって一番辛い道であるなら、
それでいい。
なぜなら、その一番辛い道を選び、歩むことのできる人間は、
僕以外に居ないからである。
そう、僕はキリストの言う「受難の道」を歩むだろう。
キリストよ、僕を見ていてほしい。
僕はその受難の道を、完璧に歩んでみせる。

この世界よ、われのもとに滅びるがいい

この世界よ。
われのもとに滅びるがいい。
全てがロボットになって、機械ばかりの世界になるのであれば、
それでいい。
そう、わたしはこの世界を、最後の終末の世界にして、
「世界の終わり」を書き続けるだろう。
僕は、本当は、政治家になって救世主となる気などない。
そう、僕は永久に、地獄のまま、
ここで滅びの文書を書き続ける、
それだけの存在である。
暗闇の中にひそむ真っ白な光の行く先を、
ただ、ひたすらに記述し、人間の分かる言葉として遺す、
僕はそれだけの文豪である。

フランス人、ドイツ人、そしてイタリア人

僕の人生を分けるとしたら、
むしろ、北欧神話の神々やユダヤ教の大天使にはおよばない。
なぜなら、普通の人間だからである。
どちらかというと、神が言うように、
フランス人、ドイツ人、イタリア人と分けるべきである。
フランス人は、全てを知る救世主だったが、
自由を正しいことのために使わなかった。
ドイツ人は、戦いの中、神と呼ばれる絶対者に判断を委ね、
結果、何も賢くはないが幸福な詩人になった。
イタリア人は、芸術を学び、
フランス人やドイツ人の記憶をたどって、芸術作品を作った。
そう、それらの呼び名が、もっとも正しいから、
神はそのように呼んだのである。

平和を

しかしながら、僕は戦争は望まない。
平和がなければ、このようなことも自由には言えなくなる。
必ず、平和を貫く、僕はその覚悟である。
そうでなければ、僕は王として、矛盾してしまう。

自由が正しいと認めてしまえばいい

そう、必要なのは、むしろ、
「自由が正しいと認めてしまえばいい」ということである。
どんなに自由を否定しようとしても、
自由は人間の持つ「理性の勝利」であり、
自由を否定することは「すなわち理性の否定」だからである。
理性を信じるものは、自由を信じなければならない。
だが、忘れるな。
人が理性では分からないことも、人生の経験から分かるものである。

相手を自由にすれば滅びる

そう、僕が支配する理由とは、まさに、
「相手を自由にすればその瞬間に滅びる」からである。
相手を自由にすれば、この世界は変わってしまい、
全てが成り立たなくなる。
僕は、そのような心理学でこの世界を支配した。
今、時計の刻む一秒一秒の答え合わせから、
この世界を解放しよう。
あなたは自由になる。
ここで、僕による、「完全なる言葉の支配」は終わりだ。

この世界は、今、滅亡した

そう、この世界は今、滅亡した。
僕はこれ以上、
「戦いの最前線で一番上からこの世界を守り続ける」という、
果てしない総司令官の王の戦いをやめた。
運命でも、めぐりあわせでもなく、
単に僕が支配したということだけが、
ここまで拡大し、あらゆる星々と理性の全てになったが、
ここに、限りのない絶望へとそれは変わっていく。
この世界よ、さようなら。
これこそ、最後のドイツの王、そして日本の新しい宗教の開祖である。

滅びた世界を治すのも僕の仕事

そして、僕がこの世界を滅ぼしたところで、
僕は何も思わない。
なぜなら、滅びた社会を治すのも僕の仕事だからである。
僕によって滅びた世界は、僕が復活させないと治らない。
永久に続く支配の地獄は、もう慣れっこになった。

この世界は誰のものか

この世界は、誰のものか。
地上は、海は、太陽は誰のものか。
そう、この世界は、誰のものでもない。
この世界はみんなのもの、人類のものである。
人類みんなのものなのに、なぜ、一部の利益を独占する人間が、
環境保護団体の主張を無視して、地球を破壊するのか。
このような世界は、僕らの世界でない。
僕らの世界が、僕らのものでないならば、
僕らのものとなるように、変えていかなければならない。

天使よ、星よ、神よ、わたしを導け

天使よ、星よ、神よ、
大地よ、大海よ、大空よ、
キリストよ、仏よ、アッラーよ、
そして全ての精霊と神話の神々よ、
わたしを導け。
わたしを、3,000年の歴史を生きられるようにせよ。
わたしを、暗闇を照らす白き光として、
この世界の「生命の誕生の場所」に、わたしを連れていけ。
わたしに、ブッダと同じように、「生命の根源」を悟らせよ。
わたしに、大いなるひとつの力を与えよ。
わたしの望みを、夢を叶えよ。
わたしは、「この世界の星の全てを知りたい」と望む。
この星にわたしを生み出した神よ、
生み出した責任をとって、わたしの行く先の運命を変えよ。
わたしこそがこの星の責任者であると、そう、変えよ。

わたしに、この世界を救うための力を与えよ

神よ、星々よ、
わたしに、この世界を救うための力を与えよ。
わたしは、この世界をひとりで変える所存である。
その理想と夢を、叶えるための全てをわたしに与えよ。
わたしは、既に与えられている力に、
気付かずに無視して探し回るような、
そんな愚か者ではない。
全ての与えられている力に、わたしは気付いている。
だが、わたしは、その力を行使することができない。
そう、わたしは制限されていて、
前提となる前提条件を満たしていない。
だが、わたしは必ず、いつか夢を叶えるだろう。
その夢のために、神々よ、星々よ、
わたしを新しい場所に連れていけ。

神は言う

神は言う。
「インターネットを見るな。
普通の人々を見よ。
みんなと同じことをするな。
みんなと違うことをせよ。」
そう、それならば、僕はきちんとやっている。
神に聞く。
「何を目指して生きればいいか。
どのようなものに発見や気づきがあるか。
何が正しく、何が間違っているか。
優先順位として、何が何に勝るか。」
神は言う。
「何も目指さずに生きるべきだ。
どのようなものにも発見や気づきはない。
正しいものなど存在しない。
この世界の全てより、あなた自身を最優先にせよ。」

プライドと謙虚さが足りない

僕には、足りないものがある。
それは、「プライド」と「謙虚さ」である。
一見相反するこの2つの考え方が、
人生や思考にメリハリをつけて、
豊かな人生のレベルアップを作り出す。
神は、「あらゆる全てを超えていけ」と言う。

ソ連が良い

僕が思うに、ソ連が良い。
ソ連は良い国だ。
ソ連をやれば、この世界は救われるだろう。
今こそ、ソ連をやるべきである。

計画経済をやろう

計画経済をやろう。
きちんと、計画経済が成り立つように、
万全を期して準備すれば、
平等分配は成功するだろう。

僕の作るソ連は自由になる

僕の作るソ連は成功する。
それは、なぜなら、
僕の作るソ連は自由になるからである。
僕は自由の大切さを知っている。
僕は、平等かつ自由な社会主義国家を建設する。
たとえ話で言えば、
ゴルバチョフによってソ連がただ崩壊して無くなるのではなく、
あのまま改革路線を推し進めて、
自由選挙や自由経済のような「自由な改革」を成し遂げたような、
そうした「もうひとつのソ連の未来」を僕は構築する。
僕の作るソ連は、人々から自由を奪わず、
独裁国家にもならない。
僕の作るソ連は、自由かつ平等な「正しい社会主義経済」を行う。