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保守はどうでもいいから平等

保守なんかどうでもいい

今まで保守派のようなことを散々書いてきたが、
実際書いてみると、
「保守なんかどうでもいい」だけである。
自分の人生だけを完全に正しいと思うと、
あんな人間になる。
自分以外の人類全てをどうでもいいと思っている。
実際、そういう人間が日本に多い。

平等の方が良い

平等の方が良い。
どんなに馬鹿で愚かであるかのように見える理想でも、
その理想がある限りはその理想は美しいものである。
理想が現実から乖離した時は考えないといけないが、
理想全てを否定し、現実だけを見るのは愚かだ。

子供を自由にしないのはロボット人間

また、子供を自由にしないのはおかしい。
子供を自由にしないのはロボット人間である。
自らに自由がないと、
他の人間の自由を奪ってでも確固たる地位を得ようとする。
これは戦う本能というよりは、
人間全てに備わっている「当たり前の心理」である。

孤独を選ぶ人間は馬鹿

また、孤独を選んで世界の全てを知っても、
それは単に知っただけであり、
言ってしまえば「過去の全てを捨てて変わった」だけである。
そのような人間は多いが、
そのような人間に限って、
「無責任に変わることは悪である」ということが分からない。
きちんとした正しいビジョンがないのに世界を支配しても、
何もできず、人々は離反し、
自分は悪の指導者のひとりになるだけだ。

当たり前の心理

もし、子供について考えたいのであれば、
「当たり前の心理」について考えることだ。
子供たちは、当たり前の心理の通りにしか行動しない。
何から何まで、その子供たちがさらされている状況で、
その状況に置かれたものであれば必ずそうするような、
そうした心理で行動している。
そのように考えれば、誰でも心理学はできる。
認識から学習まで、人間全ての心理学が分かっても、
実際には子供が当たり前に行動する心理しか分からないが、
今の大学の心理学は、ほとんどがそれしか分かっていない。
成長や発達についても同じで、
子供が何を知って何を間違いであり何が本当に正しいか、
ということを知っていくというプロセスは、
全て「当たり前」である。
親がこう言ったから、学校でこのようなことをしているから、
といったことの全てが子供の成長や発達に当たり前に影響する。
子供とは、そういう生き物であると思えばいい。

自由になってLinuxの研究がしたかった

実際、僕はあんな中学校から早く自由になりたかっただけである。
だから、自由になった時に、やることが何もなくなったが、
自由になる前に「PerlUNIXのことがしたかった」ということを
覚えていたのも併せて
僕はLinuxの研究をすることに決めた。
同時に、この世界をもっと自由な世界にしたかった。
全部、自由が好きだった。
Linuxについて言えば、破壊活動なんかしていない。
単にWikiを読みながら、研究活動をして分かったことを書いただけである。

戦いの経験

あとは、なんだったか。
もっと大きなことをしようとして、
マスコミと戦ったあたりから、
この世界全てのものを敵にまわしたが、
結局、そうした戦いの経験の方がよかった。
同時に、神が対話するようになって、
僕はさまざまな何百という宣言をしたが、
特別な宣言は、
「女になる」「ドイツ人になる」「イスラム教徒になる」「永遠に生きる」という
4つの宣言であり、
神はそれを叶えたにすぎない。
あとは、永遠に、魑魅魍魎のようなありえない世界を生きていたが、
いつでも神は僕の味方で、
全てについて正しい判断をしてくれた。
その後は、単に放っておいただけであり、
なんとも見事に全てのことを知ってできるようになった。

歌手が好き

僕は歌手が好きだが、
ここでも不思議な体験をした。
なぜか、出会ってもいない歌手から、僕への賛美の歌が送られてくる。
よくわからなかったが、
結局こういうことだった。
逆に、僕がこれほど文章を書くようになる、
ということはつゆほども分からなかった。
これで、このものがたりは完結である。
自分でも面白いぐらい、感動できるものが書けて大満足である。
そう、ここで僕はこの世界に登場し、
普通の作家として名をはせるようになるか、
あるいはそのまま消えることだろう。
さようなら。ここで、このストーリーは完成である。
タイトルをつけよう。「アメージング・マイライフ」というタイトルはどうか。
あるいは、「僕の人生は奇跡」という名前でもいいだろう。