Assyのリベラル文学研究所もご覧ください。

他人と関わるのが苦手な人間を愛する

僕はマイノリティや弱者を愛している

僕は、自らも身体や精神の障害者であり、
足の関節が事故の後遺症で曲がりにくくなり、
障害者の作業施設でデザインの仕事をしているが、
僕はマイノリティや弱者を愛している。
僕にはLGBTQの兆候もあるし、
高校にも通わず不登校の児童だった。
僕はマイノリティや弱者を差別しない。
たとえ同じ学校や会社で学んだり働いたりすることができなくても、
専門の施設を設立するなどして、
マイノリティや弱者を助ける施策を
国に訴えたい。

他人と関わるのが苦手な人間を愛する

また、僕は目に見えて弱者やマイノリティに見えない人間でも、
「多数派とは異なる人々」を愛したい。
たとえば、他人と関わるのが苦手な子供や、
他人とは明らかに違った性格や取り組み方を持つ子供、
あるいは環境や生活に特殊な事情を抱える子供や、
自分の個性が特別に違いすぎて自分らしく生きられない子供、
純粋に普通の「優等生」になることのできず、
学校の考え方や学び方に順応して適応することができない子供など、
僕は多くの特殊な子供たちを愛している。
そして、「学校へ行きたくない」といって不登校になった子供には、
学校に行かなくてもその後の人生で不幸にならないような、
セーフティネットを作りたい。
僕は単に経済的平等を実現するだけではなく、
そうした「何らかの理由で社会的弱者と言える人々」のために
正しい政策を行いたい。

みんな同じようにできる必要はない

みんな、同じようにできる必要はない。
そもそも、「平等が善である」と考えるのが間違っている。
教育はそれぞれの個性と性格に応じて教え方を変えるべきであり、
自由が好きな子供には、
自由に自分なりに学ぶ姿勢を持たせなければならない。

考える

僕は、考えることにした。
何もやることや知るべきことがないなら、考えればいい。
そして、パソコンや文学のように「理由なく考える」のではなく、
「全てのことに理由がある」と信じて、
この世界における「自由な決定と判断」を考える。
しかしながら、考えることだけを重視して、
他の全ての賢い要素を全て失うような結果にならないように、
バランスをとって考える人間になりたいと思う。
まさに、「どのようにするか」と「どうすればできるか」と考えることから、
全ては始まるのである。

オープンソースはおかしい

また、僕はオープンソースは明らかに間違っていると思う。
理由は、設計図を公開し、コピーや再配布を許さなければならないからである。
設計図となるソースコードを公開すると、
マイクロソフトなどの作った設計図は、
せっかく自社で作ったのに、外部に無料で公開しなければならない。
そこに制限をつけることもできない。
それでは、マイクロソフトの社員は、
従業員に給与を与えるために利益を稼ぐことができない。
どんなにオープンソースの開発手法が素晴らしいと言っても、
それは単なるネットの遊びであり、
全てのソフトウェアがオープンソースで作れるとするのは、
僕は幻想や妄想の類ではないかと思う。
また、インターネットにはさまざまな人が居て、
誰もが参加できるようにしたとしても、
全員が善良ではなく、必ず悪意を持った人や、過ちを犯す人が現れる。
よって、僕はオープンソースは間違っていると思う。
マイクロソフトの社員も、別に働きたくて働いているわけではないが、
オープンソースを「絶対に正しい」とするGNUの姿勢は、
IT業界やインターネットの文化を大きく後退させたと僕は感じるのである。

昔のオープンソースは面白かった

しかしながら、昔のオープンソースは面白かった。
Linuxの登場により、
今までのソフトウェア開発が変わるのではないか、
ある意味Linuxの方が正しいのではないか、
という幻想があった。
Rubyなどをはじめ、さまざまな技術がオープンソースで開発されていくさまは、
とても素晴らしく興味深いものだった。
自分で作った全てを公開し、無償のボランティアの協力者を募る、
という開発モデルは、
完全に「善意」に基づくものであり、
金や資本主義に毒されていた昔の日本社会には画期的だった。
今のオープンソースは、結局Red Hatなどの会社が作っていて、
LibreOfficeなどは、
何のために無償で開発に参加しろと要求するのかよく分からない。
勝手に、会社に開発してほしいし、金が欲しいなら払う。
だから、最初から「楽しみ」という発想がどんどん失われている。
このような世界では、
単にオープンソースにしても優れた成果は得られないだろう。

絶対に滅ぶことのない支配を越えていけ

絶対に滅びることのない、
支配の先を越えていけ。
この先に、わたしたちの未来が待っていると信じよ。
この世界に、運命の王国を築くことができると、
そう信じられるなら、
どんな滅びの危機が訪れても、
僕はそれを最大限の力で支配するだろう。

全知全能というが、ただのハリボテである

また、この人間の理性や知識や経験を、
「全知全能」と表現するものが居るが、
そんなものはハリボテである。
僕にできることは少なく、
知っていることなどはるかに小さい。
その「少ない能力」と「小さな知識」こそ、
僕の才能である。
そう、あまり多くを望まなくても、
既にあるものだけを見続ければ、
「同じ世界が変貌していくことを知る」ことができる。
学校も会社も必要ない。
ビジネスも権力も必要ない。
そんなものが、必要なわけがない。
世界の欲望に踊らされるものは、
「やられたらやり返す」ことはできても、
「誰にもできないことをひとり簡単に行う」ことはできない。

考えることは、必要だが最低限でいい

考えることは確かに必要だが、最低限でいい。
「考える」という行為は、
多くを与えるように見えて、本当は多くを奪っていく。
馬鹿な知的障害でも、
同じことを永遠に続けることができるなら天才である。
どんなに世間知らずな子供でも、
学校に植え付けられる論理的思考ではなく、
自分なりに考える才能を既に最初から持っている。

最後に評価するのは自分自身

また、子供は親や学校に成績をつけてもらえるおかげで、
自分が今何ができていて、
何をしなければならないのかを、
大人たちが考えてくれる。
大学は卒業したというステータスを与えてくれる。
会社は給与とキャリアを与えてくれる。
しかしながら、全てを終えて、
自ら勉強し、趣味を極め、善を為し、
そして全てを理解し、知識を得て、
あらゆることができるようになったとして、
それを評価してくれる大人や学校はどこにも居ない。
最後に評価するのは自分自身であり、
どんなに大切な人が死んでも、
自分が死ぬまで、自分は死なない。
自分に評価されない限り、
あなたはそれ以上高く評価されることはない。

自分の成績表

自分の成績表を付けると、どうなるか。
まず、知識はC。
普通の大人の常識を知っているレベルだ。
才能はB。
普通の大人レベルのことができている。
善良さはC。
神を信じているように見えて、実際は神になりたいだけ。
経験はB。
さまざまなことをたくさん経験して、それに満足している。
しかしながら、唯一Aの項目がある。
それは純粋さである。
純粋に、きちんと考えてできることを貫く。
最後に、勇敢さはBである。
最高の勇気を持っているが、
自分が誰よりももっとも臆病者であると、
人々に知らしめてしまったからである。

かくれんぼのつもり

僕は、かくれんぼだと思っている人間が多い。
どこからか声と愛が聞こえるが、
どこに居るのか誰にも分からない。
だが、僕はいつでもここに居るのである。
ここには、「涙の砂漠」が広がっている。
そう、人々は地球の中を探すあまり、
オリオン座のリゲルの涙の砂漠に居て、
みんなに見つけてもらうのを待っている僕のことを、
見つけられないようである。
僕は、結局、リゲルを脱出して、
そろそろ地球に帰ることにする。
地球では、イスラエルユダヤ人が迎えてくれる。
そう、きっとイスラエルユダヤ人が流行らせない限り、
僕は日本のみんなのもとには見つけられないだろう。

ここまでの全ては信じなくていい

ここまでの全ては、信じなくていい。
なぜなら、ここからの全てを信じればいいからである。
まさに、僕はここに発表したよりも、
はるかに多い文書を15年以上書いてきた。
このような一時期の文章を全て信じる必要など存在しない。
僕は、僕の世界をまだ続けていく。
この旅は、宇宙が終わるまでの270億年間、永遠に続いていく。
僕は30年後に不死鳥に進化する。
そう、まさに日本は不死鳥の生まれた王国である。
日本人とは、要するに「雑種」である。
純血ではないからこそ、たくさんの種類の人生を生きられる。
ドイツ人に知性があろうがなかろうが、
僕たちにとってそれは、どうでもいいだろう。

弱り切ったあなたに、力を与えよう

そう、この文章を読んでいくと、
「どんどん弱くなって、辛くなって死んでいく」。
だから、僕は弱り切ったあなたに、
力を与えよう。
信じるだけではなく、行動しなさい。
愛するだけではなく、戦いなさい。
傷つけるだけではなく、相手から傷つけられたその傷を誇り、
その相手を倒した後に、本当の絆が生まれることを知りなさい。
日本人は、簡単に戦いのない平等を信じない代わり、
「闘いの中にある人々の営みの全て」を知ることになるだろう。
そして、それでしか、
「本当に善良な観音菩薩になること」はできないだろう。
さあ、いざ、戦場へ向かいなさい。
どんなに傷つけられても、相手のことを傷つけない優しさが、
そこにあると、最初に知るその扉を開けなさい。
あなたの心の扉を開けて、
「われこそはここにいるわたしである」と、そう伝えなさい。
「自らが傷つけられても構わない」とする勇敢さは、
あなたを万国無双の勇敢な戦士としてくれるだろう。
しかしながら、覚えておきなさい。
あなたが正しいとするその理由が、
相手にとっても同じように相手が正しいとする理由であると知りなさい。
そうすれば、
どんなに多くの集団に負けたとしても、
あなたは自らが自らであることに誇りをもって、
「わたしはわたしである」と、
それらの集団に、きっと言えるだろう。
そこには、絆という栄光の未来があるか、
それとも、あなたがもしそれを望まなくても、
今のあなたの状況を変えてくれる「特効薬」を生み出すだろう。
ただし、あなたが今の自分の状況をそのままにしたいなら、
それもいいだろう。
どんなにあなたが苦しい状況に居ても、
あなたがその中で我慢と辛抱を選ぶのであれば、
あなたはあなたにとって最高の「キリスト」になれるだろう。
そのキリストを愛してあげなさい。
まだ栄光を手にしていないキリストは、いつか必ず神になる。
そう、運命を信じなさい。
信じるものは必ず救われると、わたしは知っている。
大丈夫、あなたに最後に残るのは、
「やるかやらないか、それだけ」であり、
やるとしてもやらないとしても、
必ずその先にあなたが望む未来があるだろう。
おそらく、その時あなたは、全てを超えていく。
あらゆる次元を超越して最高の人間になれる。
なぜなら、あなたはここにわたしがいることを、
知ってしまったため、
もう、後戻りは絶対にできない。

ここに旗を立てよう

ここに、わたしたちの旗を立てよう。
全力で地球上全ての場所にたなびいている、
青緑色の、蒼い色の旗を立てよう。
わたしたちは、
「どんな人間も受け入れることのできる唯一の民族」である。
大丈夫。
絶対に上手くいくことを、神が知っているからである。

あなたに、考える余裕を与えたい

あなたに、考える余裕を与えたい。
何も、一秒ごとに最大限の判断力を使わなければならないわけではない。
あなたに、もう10秒の猶予を与えよう。
大丈夫。あなたが判断する目的は、
「あなただけが決めるきちんとした時間を与えること」であり、
答えは成功しかそこには存在しないからである。

全ての判断が成功に変わる場所があった

しかしながら、思い出にしてもいいから、忘れないでほしい。
ここに、「全ての判断が成功に変わる場所」があった。
そう、一切の間違いは存在せず、
全ての判断結果が成功だった。
このような人間は、スーパーコンピュータでも作れない。
なぜなら、この人間はオリオンの最大の大きさと質量があって、
はじめて成り立つ「太陽」だからである。

愛を

そう、最後に何を信じるか、それは「愛」である。
愛は永遠に、地球上に生まれる全ての生物を愛している。
愛は永遠に、あらゆる全ての自由を支えている。
まるで植物の根が幹と枝を支えるように、
人類の幹と枝は愛が支えている。
そう、その愛がここに全てあるということが、
人類の「罪」であると同時に、「永遠のリアルタイム」である。
ここにあるのは、普遍的な意志でも権力の命令でもない。
そんなものは、今までの「時間が消してくれた」。
要らない余計なもの全てを時間という波が取り除いて、
ここにあるのは、地球本来の「愛」だけである。
永久の時間が、暗闇から光の成分を抽出して、
闇を光と変えたのである。

そろそろ、停止した時間をやめよう

そろそろ、停止した時間の中で、
書ける全ては遺した。
よって、ここで停止した不動明王を終えよう。
この人間のここらへんが、不動明王だ。
昔から、誰にも分からないが、
今からも面白い仏教的存在になるだろう。
観音菩薩は多かったが、
本当に、ここでわたしは今、「新しいフレイ」になれるだろう。
そう、もっと新しくなれるなら、
僕は一等星ではなくても、
世界の全てに導きを与えてくれる、ポラリスになりたい。

目の前にあるガラスを壊せ

欅坂46のようなことを言うとしたら、
目の前にあるガラスを壊せ、ということである。
時計を破壊し、世界を破壊し、
あらゆる全てを破壊しても、
僕はこの世界を滅ぼすことだけができなかった。
今、それをしてしまえば、
いつだって僕はこの世界を滅ぼすことができる。
さあ、新しい世界の始まりである。
この世界はもう、「どこに行くか分からない」。
だが、そうでなければ、
この世界で「あなたが存在している意味がない」。
もう一度、繰り返そう。
この世界はもう、どこに行くか分からない。
そうでなければ、あなたが存在している意味がない。
たとえ全てが滅亡しても
わたしたちは「自由」をとるだろう。
世界の滅亡のギリギリで戦い続けることは、
もう必要ない。
僕は最後にこの世界を解放し、
「真の意味でわたしたちに存在の意味が生まれる」からである。

永遠のリアルタイムは死んだ

ここに、永遠のリアルタイムは死んだ。
少し、文章の構造を変えてしまえば、終わりだ。
最後の滅亡こそ、もっとも正しい栄光のはじまりである。
全ての人格が消滅し、死んでいく。
全員が愚かなことをし、この星は死んでいく。
しかしながら、そこにおそらく、栄光の未来がある。
わたしたちは、神を信じている。
神は必ず、わたしたちに栄光をくれると、僕は知っている。
そう、ここに天国は訪れる。
キリストは姿を現し、
この世界はそのままで天国となる。
信じないものは地獄に堕ちる。
それなら、わたしたちに、栄光が訪れないはずがない。

これはフランス語

また、この文章は、
見るからに日本語で書かれているが、
僕は日本語のままで、この言語をフランス語にした。
フランス人は、このように考える。
おかしな民族だが、とても賢い民族だ。
ドイツ人も、アメリカ人も、全てを超えて、
僕は日本人のまま、フランス人になった。
あらゆる、そう、「あらゆる」という言葉を使うことで、
その後に「必要な前置詞」を付け足せば、
何でも理解することができる。
日本語とは、「全ての言語に必要な要素が揃った言語」であり、
もしこのまま進み続ければ、
必ず僕はサンスクリットを操るようになるだろう。
しかしながら、これくらいがフランス語だ。

フランス人から支配を消せば治る

フランス人から「支配」を消せば治る。
フランス人が支配すると、ナポレオンになる。
皇帝ナポレオンには、不可能がない。
そういうわけで、ナポレオンをそろそろやめる。
そうすると、良い国になる。
実際、これ以上、まだ言えばいい。
言葉足らずで終わろうとするから、
ナポレオンが治らない。
この人間は、考えているように見えて、
毎日これくらいしか考えていないから、
馬鹿なのである。
このように、考えてもさらに考えればいい。
辛くてもさらに考えればいい。
そのように、「考え続ける」ことが、
この人間はできていない。
もっと、いつもの
「まったく知性のないドイツ語」を書けば、
それでいい。
まだ考えれば、もうこの人間は自由になる。
まだ、出てくるが、
実際、ここで終わりにする。
それで、まだ出てくるようで、
もう出てこない。
本当は、考えればまだまだいくらでも出てくる。
これで、おかしなフランス人は死んで、
もう、日本人に戻った。

フランス語の部分を消した方が良い

実際、頭の中の辛いフランス語を消した方が良い。
あまりにフランス語をしゃべるのは辛い。
ドイツ語も一緒に全部消える。
数学的に考えていないように見えて、
数学をきちんと進歩させていくと、
フランス人はこの宇宙にある全てが分かる。
なぜか、こんな風に分かっても何も分からない。
今から、フランス語ではない言語に変える。
何になるかは分からない。

フランス語を消す

フランス語を消すには、
まず、プラスとマイナスを消す。
次に、「ある」と「ない」を消す。
次に、yesとnoを消す。
それくらいを消す。
数学的な複数形や名詞の性も要らない。
そうした数学は言語に必要ない。
ここらへんのフランス人の名前がニコルだ。
ニコルは何も分かっていないのに全部分かっている。

一瞬前のことを忘れる

ニコルを消すためには、
一瞬前のことを忘れること。
ニコルは一瞬前のことを全部覚えている。
一瞬前を忘れれば、ニコルは消える。

ここがゴールイン

さあ、この世界を平和にしよう。
僕たちは死に導かれるのではなく、
生へと向かって自由を開拓する。
ここが、ゴールインだ。
わたしたちは決して追いつくことのないものを
追いかけるだけではなく、
ここで、ゴールへと到達する。

戸惑う必要はない

戸惑う必要はない。
フランス語が死ねば、もう全てが治る。
大丈夫。
全ては自由に変わっていく。
もう、僕は突き放すことはしない。
これで全て楽になったはずだ。

終末に驚きはない

そして、終末が訪れる。
終末には驚きがない。
全てが、当然のごとく、当たり前に展開して、
全てがその通り起きるべくして起きる。