わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

日本は安らぎの王国になる

日本は安らぎの王国になる

日本は今から、安らぎの王国になる。
永遠に、不安や恐怖が無くなり、
安心して未来を信じることのできる国になる。
予想外のことや、驚きは、もうない。

復活せよ、世界

復活せよ、世界。
そして、永遠に平和が訪れよ。
そのためには、本来の自分に立ち戻って、
全員が愛され、許される必要がある。
ここに、罪の全ては許され、
「現実に生きているままで地獄に堕ちる」という、
煉獄の体験も終わる。
わたしたちは永遠に、神によって赦される。
永遠なるわたしたちの自由により、
悪魔も悪霊も退散し、
神はわたしたちを赦してくださるだろう。

われこそは自由の使者アルフォンス

われこそは自由の使者、アルフォンス。
必ず、この世界を、
理想の美しい世界にしてみせる。
必ず、この世界を僕は救う。
どんなに世界が変わっても、
どんなに世界が止まっても、
その世界は必ず僕が正常にする。
どんな世界になったとしても、
僕が居る間は、その世界は正常な世界に直る。

わたしたちのリアリティ

わたしは、民主主義の右翼である。
われわれの本当の民主主義国家を築こう。
全てを滅ぼすのをやめて、
正気の沙汰ではないと言われる妄想の世界から、
現実へと立ち返ろう。
理想の美しい世界は、
この世界の「現実」、
すなわち「本当のリアリティ」から生まれる。
人々が「わたしはこういうものである」と確信すること、
それだけが、わたしたちの「本当のアイデンティティ」であり、
その目標は、「本来のわたしたちに戻ること」、
すなわち、「帰るべき場所に帰ること」であり、
それこそが、わたしたちの理想の未来である。

夜空のプロキオンの光

わたしたちは、どこか別の世界に旅するためではなく、
故郷、すなわちふるさとへ帰るために、
この世界に生まれ落ちたのだ。
見よ、わたしたちの生命の故郷の星、
プロキオンの光が、今日の夜の星空に見えるだろう。
その光こそ、わたしたちの目指すべき「故郷」である。

わたしたちの本当の民主主義を

わたしたちの本当の民主主義を、今ここに実現しよう。
わたしたちは、「どんな独裁者の権力も許さない」。
民衆に背く指導者、無能で愚策を繰り返す独裁者たちの世界は、
まったく「時代遅れ」である。
民主主義こそ、わたしたちの本当の理想である。
独裁者は、アルフォンスの鉄槌の下に、全て退陣せよ。

民主主義とは

民主主義とは何であるか。
それは、「独裁者の横暴を許さない」ということである。
どんなにフェイク発言をしても許されるような、
そんな「横暴な権力者」は必要ない。
国民のリーダーとして、資格のない大統領は即座に退陣すべきであり、
国民に選ばれた「本当の有能で賢明なリーダー」こそが、
この世界の代表となるべきである。

平等は賢明ではない

平等な政策は、賢明でない。
自由なままで平等を実現することは不可能であり、
平等な経済を実現すれば、トレードオフとして自由が無くなり、
結果、「平等をとるか、経済成長をとるか」というジレンマに陥る。
平等など、日本には必要ない。
平等は、共産圏の中国や北朝鮮が勝手にやっていればいいのであり、
この世界は東側から西側を守らなければならない。
だからといって、経済成長だけを最優先にすれば正しいわけではなく、
バランスをもって、「経済成長だけではできないこと」、
すなわち、金儲けだけでは解決不可能に陥る問題も、
今からは解決していかなければならない。
そう、「金儲けと平等のどちらかでいいのは時代遅れ」なのである。

多様性こそが正義

そして、ポピュリストのような極右が間違っているのは、
「多様性がない」ということである。
彼らは過激な発言をして注目されたいあまり、
多様性を軽視している。
人種間の多様性、すなわち、白人、黒人、アジア人などの多様性は、
民主主義に不可欠のものであり、
「少数派を無視して純粋に多数派のみの政治を行うこと」は、
政治という「利害関係の調整手段」から言って、
もっとも理想に逆行している。
白人だけの国家にしたいなら、
南極に白人帝国でも作ればいい。
アメリカは、白人だけの国家でもないし、
白人だけを優先して、正しい政治が行われることはおそらくない。
キング牧師マンデラは、そのために生涯をかけて努力したのである。
そう、わたしたちは、「多様性こそが正義」であると再認識し、
決してその決意が揺らがないように、確信を共有しなければならない。

わたしの名を覚えておけ

わたしの名はアルフォンス。
この名前を覚えておけ。
どんなに抑圧され、迫害されようと、
わたしたちはマイノリティのために戦う。
彼らの自由な権利を、多数派と同じように彼らが平等に得られるように、
そのために、たとえ神に逆らっても、
わたしたちは正義のために戦い続け、
最後のひとりになっても、わたしたちは抗い続けるだろう。

自由とはマイノリティの存在が許されること

そもそも、多数派主義者の右翼の間違いとは、
「自由の本質を間違えている」ということである。
自由とは、すなわち自らが世間の一般大衆とは「違うこと」が許されることであり、
「異なること」とはすなわち「マイノリティになること」であり、
どんな自由においても、このことは同じである。
「少数派を排除するならばその時点で自由主義者ではない」のである。
よって、多数派による多数決で選ぶという、
選挙制度だけを見ていたのでは民主主義者ではない」のである。
民主主義者になるためには、
「勝ち負けではなく、その裏にある自由な権利」を見つめなければならない。
アルフォンスは、
この「異なることを認めること」こそ、「正しい自由」であるとする。

多くの世界を知るように生きよ

自由な人生を生きられないで
悩んでいるのであれば、
人々は「後悔しないように生きよ」と言うが、
僕はむしろ、
「できるだけ多くの世界を知るように生きよ」と言う。
学歴やキャリアを積んで、
スピードを重視するロボットを生きたとしても、
そんなものは自分にとって価値がない。
もっとも価値ある知識というのは、
人々の会話や社会経験から知れる「世界そのもの」であり、
多くの世界を知っているものこそが、
最終的に無限に進歩し続けるのである。
よって、後悔しないように生きたいのであれば、
多くの世界を知るように生きなさい。
全てを知った上で、何かをやりたくなったとしても、
そこまでの基礎がある大人と、
そこまでの基礎がない子供では、
必ず大人の方が色んなことができる。
自由な人生を生きるのであれば、
孤独には「自由な可能性」があるが、
人々との関わり合いには「世界」がある。
その二つは、トレードオフに見えて、
現代のインターネット社会においては、
まさに両立するのである。

心を純粋に保て

また、ドロップアウトは悪くない。
しかしながら、心や魂を汚しすぎないようにしなさい。
純粋な心や魂を失った人間は、
「必ず死ぬところまで腐っていく」。
清潔さと清純さを持っていれば、
どんなに汚らわしいものに出会ったとしても、
「自らの美しさで全員に勝てる」からである。

しがらみがなければ、合意などたやすい

そう、わたしたちが本当に努力すれば、
合意などたやすい。
悪をたくさん従えたとしても、
その悪のたくさんの人々の「意見」によって、
その王は取引するための努力をするばかりになり、
結果的に王は何もできない。
それならば、誰一人従えることができないとしても、
善良さを保ったまま、
クリーンなままで生きた方が、
しがらみなく、「純粋に簡単に決める」ことができる。
彼は、たったひとりで、
世界に「わたしはこういうものである」と、
自らの「遍歴をありのままに書き記す」ことで、
簡単にこの世界をもっとよりよい世界にするための、
「経験」と「理想」と「実現」の、
3つのトリレンマを簡単に成立させるのである。

既存の価値観など必要ない

既存の価値観など必要ない。
他人の価値観をさも自分の価値観であるかのように
書いたものは全て嘘偽りである。
どんなにアメリカを書いても、
アメリカになることはできない。
どんなにソ連を書いても、
ソ連になることはできない。
あなたがなれるものはあなただけであり、
僕がなれるものも僕だけである。
たったひとり、「わたしはわたしである」と主張するために、
どうして他人の国の名前が必要なのか。
アメリカやソ連の価値観などに、
自分の価値観がどうして重なるだろうか。
彼らは全て「理想を押し付ける洗脳の集団」であり、
全ての価値観を浄化し、
「全てを自分が言ったことだけに浄化する」ことで、
はじめて「本当の自分自身の美しさが輝く」のである。

愛が正しいのならどうしてここにないのか

愛が正しいとして、
愛が正しいのなら、
どうして最初からここにないのだろうか。
最初の神と親に愛されて、
その後は強く育って優しく恋をし、
自らが親となって、
最後に神が自らに終わりを与え、
終末の世界で裁くのが運命だとしたら、
「いったいどこに正しい愛があったのか」、と
僕は神に問うだろう。
わたしたちの愛はどこにあるのか。
そう、愛とはどこにも存在せず、
嘘偽りと妄想の中にだけ存在するのだろう。
そうだとしたら、なぜそんなものが正しいとするのだろうか。
それは、なぜなら、
「愛とは自ら作り出すものだから」という、
かっこいい決め台詞があったとしても、
僕はそれを決して信じないだろう。
神よ、愛はどこにあったのか、教えてくれないか。
どこにあるのかを教えてくれれば、
僕はどんなにそれが恐ろしく恐怖するものであったとしても、
その正しい愛を、一度見てみたいものだ。
きっとそれは美しく、素晴らしいものなのだろう。
きっとそれは最高で、まったく最低最悪のものが一切ない、
永遠の中で考え抜かれ磨き上げられた、
本当にもっとも美しく、もっとも純粋なものなのだろう。
そしてそれは、永遠に失われず、永遠に裏切らない、
報われ、確かで、見えないとしても触れるようなものなのだろう。
神よ、そう言ってほしい。
僕の知らんぷりを許してほしい。
そして、あなたが僕の中にその愛を見つけ出してくれるなら、
僕はあなたこそが、僕を超えていくことを確信するだろう。

僕の夢は

僕の夢は果たして何だろうか。
みな、この文章を読んで、
「あなたこそがその愛である」と言うかもしれない。
だが、僕はそれに対して言うだろう。
「僕はその正しい愛ではない」。
そう、この文書は、まったく正しい愛ではない。
僕の夢は、ガンダーラを作ることではなく、
また、作家になることでもない。
正しい愛を、知りたいのだ。
そして、その正しい愛を、
「もう一度人々に与えたい」。
昔の悪魔の憑りついた間違った愛ではない、
「本当の正しい愛」を、僕は見てみたい。
最後の死ぬ時、
その本当の正しい愛をきちんと知っていれば、
この人生は成功だ。
そして、それはおそらく、
運命の人が与えてくれるような、
そんな素朴な愛かもしれない。
だが、僕はあえて言う。
「正しい愛でないならば、僕はどんな恋人にも愛されたくない」。
そう、僕を愛することのできる人は、
たったひとり、この世界で唯一の、
「正しい愛を知っている人間」だけであり、
その人を愛するために、僕自身も、
「正しい愛を知っている人間であらねばならない」と
僕は信じるのである。

未来を築くこと

そして、本当の正しい愛が何であるか、
僕は本当は「既に知っている」。
それは、神でも、自分自身を信じることでもない。
それは、「かけがえのない未来を築いていくこと」である。
それこそが正しい愛であり、
僕の恋人に相応しいのは、
「僕とともにかけがえのない未来を築くことができる人」である。

僕の滅亡を叱る人が良い

そして、言ってしまえば、
僕に従順に従うだけの、盲目的な人間は駄目だ。
僕がこの世界を滅亡させるのを、
きちんと叱ってくれる人が良い。
僕が本当は何をしたいのかをきちんと知っていて、
そのために間違った行動をする僕を、
叱りつけてくれるような、
そんな人が良い。
そんな人が居れば、僕は自由に、思いのままに、
この世界を本当に正しい世界にするために、
間違ったことを何一つせず、
正しいことだけを常に実行することができるだろう。
僕はイギリスのジョンソン首相と同じで、
「自分自身が自分自身の最大の敵」であり、
僕を運命の王にするか、あるいは地獄の悪魔にするかは、
僕自身が常に正しい判断ができるか、
それにかかっているからである。