わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

全ての存在に慈しみの愛を

慈しみの愛を

全ての存在に、慈しみの愛を送ろう。
そもそも、僕たちは「どんな存在でも価値のある存在」であり、
多数派と違っていたからと言って、
「違うことそのものが許されず排除される」ということは、
あってはならないことであり、
「あなたが自分らしく生きられる自由は必ずある」ということであり、
まさに、「全ての存在が自尊心を傷つけられずに愛されるべきである」ということである。

全てのものに価値はある

全てのものに、価値がある。
一見どんなにくだらなく、つまらないものに見えても、
価値があると思う人にとってみれば、それは価値があるし、
自分にしか分からない価値や意味が、
自らの人生の経験から分かること、
すなわち「経験から価値観を発見すること」が、
「意識の現象学」や「経験的な概念の発見」に繋がることもある。
そう、哲学とはそもそも、「他人とは異なる人生を生きる」ということである。

本来全員が愛されるべきである

本来、この世界の全員が愛されるべきである。
愛してくれる人が居ないのであれば、
代わりに僕が愛してあげよう。
誰も問題や抑圧を解決しないのであれば、
自分自身が解決するしかない。
そして、自分が解決できる抑圧は、
きっとほかの誰かも同じように解決できる。

自らの道へ

それを信じて歩み続ければ、
「解決していくこと自体が自らの道になる」。
そして、「思い違いや視野の狭まりは気付くことで悟りにつながる」。
そこには、視野の広がり、意味の適用、説明に次ぐ再説明しかない。
そうした再構築と再考を繰り返すことで、
人々は「全ての洗脳や宗教的ドグマに打ち勝つ」ことができる。
カントが言ったコペルニクス的転回とは、
そうした哲学者が誰もが経験する、
「自然に自らの経験から自らの生きる道を知り、
自らの道へ自ら自身の手と足で歩み出す」ということである。

原理原則は同じものを作り出すことから解明できる

また、全ての原理原則は、
同じものを自分で作り出すことから解明できる。
このために必要なのは、
「分かることを減らしていく」ことである。
分かることがたくさんあると、「覚えきれなくなってしまう」。
分かることを最低限に減らし、
「本当に重要なことだけをしっかりと証明し再現する」ことで、
この世界の全ての「社会から心理までに至る全ての営み」は、
「自らの作り出した構造の再構築によって完全に解明できる」。
そこに、心理学や社会学といった学問の境界線は存在せず、
全てが自分自身の心から生まれてくる、
世界観そのものを写し取ったモデルと考え方によって完全に説明できる。

宇宙そのものに対する感謝と愛を

そして、最後に、宇宙そのものに対する感謝と愛があり、
それを作り出した絶対者は「本当の善良なる完璧な導き」をくれることを知る。
宇宙の天体を信じれば、
精神そのものが星となり、
この世界そのものを生命の故郷の星プロキオンと同じ社会へと
変えることすらできるのである。

学習と行動が把握できたら、生命が進化する

そして、人間の学習と行動は、
言ってしまえばインターネットのスラム街のような場所を見ていれば分かる。
子供は子供なりに当たり前の行動をしていて、
「そういう時どういう風に行動するのが当たり前か」を考えれば、
子供の行動など全て分かってしまう。
成長における「ドグマが真実へと変わる過程」を考えれば、
高校生や大学生に中学生のままで挑むこともできる。
しかしながら、全てを分かってしまった高校生の18歳は、
人類のままで生きるよりも、もっと面白いことをすべきである。
それは、「精神そのものの進化と、
世界の発達的な進歩を同時に行う」ということであり、
まさに自らは神となり、世界は自らに従うロボットとなりながら、
この星全ては変わっていき、「本当に新しい社会秩序」がそこにある。
そう、これがドイツの中世の歴史のような
「神の秩序に染め上げていく」というキリストの所業である。