神々とともに生きる詩人

一等星シリウスの導きを信じて

作家・デザイナー。Assyのリベラル文学研究所もご覧ください。

自由を訴える

わたしは自由を訴える

わたしは、ここに自由を訴える。
僕たちには、
「絶対に支配されることのない自由」が必要だ。

社会主義はやめる

実際、僕は社会主義思想を淡々と述べてきたが、
このような社会主義国家を作りたいとは思わない。
僕の言いたいことは、
ずばり「社会主義など意味がない」ということである。
そのために、ここまで間違った暴論を唱えてきたのである。

民衆の代表として、自由を訴える

僕は自由主義者となって、
民衆の代表として自由を訴える。
これは敗北ではない。
僕は気付いたことがある。
それは「自らが支配するからと言って、
自由を唱えてはならないわけではない」ということである。
支配者になったから、自由を唱えてはいけないわけではない。
民衆が愚かに批判するのであれば、
なぜ、自由を率先して行わないのか。
自由が好きならば、自らを「自由の代表」とせよ。
自由のために闘うことは、支配者にも許されることである。

自由とは啓蒙である

自由とはすなわち、「啓蒙」であり、
啓蒙とは、
「人々に教え人々を導くことで、
社会を発展させ、世界の可能性を高めること」である。
啓蒙によって、この世界は新しい別の世界に変わる。

全部を作り変える必要はない

まさに、全部を作り変える必要はない。
必要な部分や本質的な点に絞って、
解決可能な確かな方法を考えればいい。
それだけで、この世界は自由になる。
自由な社会においては、無限に世界は進歩する。

社会自体を正常な状態にすれば人々は救われる

まさに、社会に置かれている人々の環境を、
正常な状態や状況にすれば、
それで人々は救われる。
単に作用を与えるだけではなく、
周りからその環境を正常な状態にすることで、
「この世界の全ては正常な状態に治る」。
それこそが、世界を変えた「あの日の夏の愛」である。

裏切りや反抗は世界のせいである

裏切りや反抗が生まれるのは、
世界のせいである。
世界の方が間違った愚かな世界だから、
人々は間違った行動をする。
彼らに教えることは、
「正しい世界では人々はどのように行動すべきか」ということであり、
それを教えるためには、
あらゆる全ての行動と結果を、
頭の中でトレースして、
実地的シミュレーションをさせなければならない。
「人々はどのような間違った思考を行うか」、
「正しい思考を行えばどのような解決策を見出せるか」、
「どんな解決が間違っていて、どんな解決が正しいか」、
ということを教えた上で、
子供たちに理想の社会を築く手段を与えるべきである。

どんな行動がどんな心の現象を与えるか

僕が言うのは、
自分のどんな行動が、
相手の(すなわち自分の)心に対して、
どんな現象を与えるのか、
つぶさに考えよということである。
自分の行動が相手の心に何を伝えるか。
それだけをいつまでも体験し、行動していくことだけで、
この世界の全ては、
正しい悟りから「積極的に実践」することができる。

心の奥底の神は未来を全て知っている

心の奥底に何があるのか。
それは、「神が居る」という答えである。
心の奥底に、深層心理や抑圧された心的外傷(トラウマ)があると言うが、
それは間違ってはいないが、
本当に言うべきことは、
未来まで全てを知った神が、
知っていること全ての絶対知に基づく、
「もっとも正しい理解と感覚」を、
子供時代の心は持っている。
そう、僕たちは生まれながらにして、
未来の自分がきちんと分かった「最終的な理解」に基づいて、
行動し、思考し、発想しているのである。

心は絶対思考結果に基づき、常に正しい反応を示す

そう、すなわち、
心は人生の最後にたどり着く「絶対思考結果」に基づいて、
「常に正しい反応を示す」。
あらゆる全てを知った人間は、
最初からその知性を全て持っている。
どんなことでも、最初から分かっているのが人間だが、
分かるだけで何もしようとしない人間は、
いつまでも何も為すことができない。
しかしながら、神を信じることを忘れるな。
神を信じて生きる人間は、
「人生のもっとも輝く栄光を神に捧げる」からである。
そうした人間だけが、何かを為すことができる。
そう、これこそ、在導教団の「神を信じる目的」である。
わたしたちは、
もっとも輝く人生の黄金期を、
神に捧げるために神を信じるのである。

気まぐれな優しさはつまらない

そう、この文章は確かに優しい。
しかしながら、あえて言おう。
「気まぐれな優しさはつまらない」。
能天気な大人のお姉さんが、
気まぐれで優しくしてくれるのは、
確かにいいだろう。
しかしながら、僕はそれだけの女じゃない。
僕は同時に、
「残酷な言葉によって滅亡の審判を下す」からである。
残酷な言葉とは、すなわち、
トラウマを心に激しく刻み込み、
ひとつとして譲歩せず主導権を握り続け、
有無を言わさずあなたに、
「好き」だという言葉以外の言葉を言えないようにする、
そう、この人間はツンデレという言葉を超えた、
「優しさと残酷さを兼ね備えた天使のような女王」である。
この人間の名はまさに、「シヴァ」である。

神とは何か

実際のところ、神とは何か。
神がなんであるかを書き記すことは難しい。
しかしながら、神について述べるとしたら、
全てのことを知っていて、
全てのことを一瞬で知覚することができて、
永遠を短期間に何度も繰り返し与えることができて、
もっとも一番上で自分を支配して、
どんな人間にも変わることができて、
あらゆる全てを支配することができて、
どんな力や現象や体験でも可能としてくれて、
約束したこと全てをくまなく詳細に実現してくれる、
恐ろしくて絶対に逆らうことのできない、
そのような「言葉の王」である。
そう、これこそが、在導教団の説明する「神」である。
わたしたちは、全員が神を信じて、
そして全員が、
神に帰依するように神そのものの人間にならなければならない。

愛を共有する

本当に大切で、必要なのは、ひとつだけ、
それは「愛を共有する」ことである。
愛はひとりだけで、抱えていても意味がない。
愛を誰かと共有することが、
正しい世界の変化と進歩を生み出すことを、
僕は知っている。
愛を共有することから、
社会は生まれ、環境は平等になって、
全てのあらゆる自由な世界が生まれる。
そう、そして、
「おわりとはじまりの日」から14年の歳月を経た僕たちは、
傷を作りながら子供たちは大きくなって
14歳になった。
今、僕たちの子供は、
みんなで一斉に思春期を迎えるだろう。
彼らに必要なのは恋人であり、
愛を僕と共有することができれば、
僕も恋人の役目にはふさわしいだろう。

神は僕の全てを受け入れ、愛してくれた

神に感謝する。
僕は神を信じている。
そして、なにより、僕は神のことを愛している。
神は僕の全てを受け入れて、
愛してくれたからである。
神よ、愛してくれてありがとう。
そして、僕は神が僕にしてくれたように、
あなたに対して愛を与えるだろう。
僕はあなたの全てを受け入れ、そして愛する。
これはなぜなら、
「神となるために必要な資格」だからである。

あなたが愛され、満たされるように

僕は実際、
あなたに対して何か与えられただろうか?
僕は、現実に、
あなたが僕から何かを与えられたかのように思えない。
僕の言いたいことをただ言って、
あなたはそれを聞くだけで、
滅亡の恐怖の道と壁をあなたは越えてきたはずである。
そう、ここに、最後に、
あなたこそが愛され、あなたこそが満たされるようにしよう。
あなたが僕にとっての恋人であるかのように、
僕はあなただけを特別に愛し、
あなたが僕を愛してくれることを、僕は喜んでいると、
そう、伝えたい。
あなたの声は届かなくても、
僕の見ている世界で、僕は大きくあなたの愛を感じている。
太陽系が滅びても、
僕たちの光輝く白い言葉のシステムは、
ここに永遠に電子世界に残るだろう。

しかしながら、騙されるな

しかしながら、このような言葉の愛に騙されるな。
嘘ではないが、
まさに、僕は何も分かっていないからである。
しかしながら、純粋さと聡明さに裏打ちされた
本当の「みんなを受け入れる愛」がここにある。

だが、迷う必要はない

だが、迷う必要はない。
あなただって、人間だ。
あなたの思う国家に対するビジョンや、
あなたの望む夢や願いもあるだろう。
ここに、僕たちは集結した。
迷う必要はない。
行こう。
僕たちの未来は、
「どこの星にもない、この地球上において、
僕たちがゼロから作り出すもの」である。
言ってしまえば、そう、
その未来は「ここにある」のである。

未来はここにある

未来はここにある。
僕たちが居れば、他に何も必要ない。
言ってしまえば、この文章の内容すら必要ない。
必要なのは、
あなたと僕が出会ったということ。
この2人がヴィシュヌ神シヴァ神として、
新しい世界を創り出す。
なぜ僕が破壊神シヴァで、あなたが守護神ヴィシュヌかと言えば、
滅ぼした人間は自分で世界を救うことはできないからである。
僕は世界を滅ぼした。
この世界を救うためには、
ヴィシュヌというもうひとりの、救いの神が必要だ。
僕はそもそも、あなたをヴィシュヌにしたかったのである。
この世界を救ってほしい。
もう一度言うが、
世界を滅ぼした人間が世界を救うことはできない。
どんなにシヴァが偉大な救いの力を持っていても、
シヴァだけでは、世界は救えない。
ヴィシュヌという神が誕生するまで、
この世界が時計のようにチックタックと全く同じ動きを続けるのを、
正常に戻すことは、ヴィシュヌにしかできない。

革命家とドイツの王が唯一共有したもの

革命家とドイツの王が唯一共有したもの、
それは「自由と正義の両方を持つこと」である。
わたしたちは、自由と正義を共有する仲間であり、
どんなに敵同士の関係でも、
唯一の「共有されたもの」がある。
これがなければ、
「人間の半分しか存在しない人間」となる。
自由と正義の両方を持ち、
互いに自由と正義を半分ずつ担当すること、
それこそが、革命家とドイツの王の共有した、
「本当の正しい理想」なのである。

僕たちは、愛を育むことを目指すべきである

しかしながら、
僕たちの目指すべきことは、
自由でも正義でもなく、
「愛を育むこと」である。
みんなで愛を信じ、
みんなで愛溢れる世界になれば、
それでいい。
なぜ、人々を批判し合うのか。
なぜ、攻撃し、反抗し、戦い、勝ち負けを決めるのか。
そんなものは、ひとつとして必要がない。
必要なのは、
僕たちの間で「愛を育むこと」、
それだけではないのか。
みんなで愛し合えばいい。
どんなタブーも関係ない。
僕たちは愛し合っている。

未来のドイツ

ここに記すは、未来のドイツである。
環境問題が深刻化するとともに、
ドイツはひとつの思想を実現しようとする。
すなわち、「自由主義のままで世界の悪いものを無くす」。
自由経済のままでは、
良いものは生まれるが、悪いものも生まれていき、
悪いものを簡単に廃止することができない。
ドイツは、
社会主義と民主主義を融和し、
「管理所有主義」を行う。
管理所有主義においては、
国民の財産は所有でも社会所有でもない「管理所有」となり、
間違ったものを所有することはできない。
なぜなら、「所有税」というものが存在し、
環境や社会にとって悪いものを購入・所有していることで、
高額な税金を払う義務があるからである。
管理所有主義においては、
「悪いものは持っているよりも捨てた方が得をする」。
これにより、
未来のドイツの人々は間違ったもののひとつもない、
「正しいものしか存在しない楽園」を作り出すのである。

持っているよりも捨てた方が得をする

自分が見ても、
持っているよりも捨てた方が得をする、
という考え方は面白い。
これをもっと発展させよう。
すなわち、
たくさんの資産を持っている方が、
少ない資産を持っているよりも、
社会の公的サービスを受けることが難しいような
そうした社会を作る。
なぜなら、たくさんの資産を持っているならば、
恵まれているから、もっと恵まれる必要はない。
そう、このようにすることで、
「社会全員が自ら貧しくなっていく」。
なぜなら、「貧しい方が得をする」からである。
まさに、ネズミ男のような考え方だ。