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我の名はミカエル

我の名はミカエル

我の名はミカエル。
この宇宙における、天軍大首聖である。
わたしのすべきことはひとつ。
この日本という国を、
全く今までと異なる、
新しい国に作り変える。
そのために、
この今までの日本という国は滅びる。
滅びよ、日本。
そして復活し、不死鳥となって甦れ。
ミカエルこそが首聖である。
全ての日本人よ、ミカエルに続け。

ミカエルは世界全てのものと対話する

ミカエルのすることはひとつ。
それは「対話」である。
ミカエルは、支配や権力を使わず、
対話によってこの世界を導く。
ミカエルは言う。
「待っていればいい。
すべてのものが悟りを開いて、
自らの道を切り開くようになるだろう。」

パソコンはAPIを覚えればいい

パソコンをまだやりたいのであれば、
それはできない。
なぜなら、あとはAPIを覚えればいいだけにすぎない。
関数やクラスライブラリを覚えれば終わりである。
これ以上、パソコンの勉強をぐだぐだとやり続けても、
意味がない。
今からすべきことは、
今までにやった全てのことの、集大成であり、
すなわち、「もう一度この世界を作り変える」ことである。

これは良い知らせである

しかしながら、これは悪い知らせではなく、良い知らせである。
なぜなら、「世界における希望が復活する」からである。
今から、「何もできない自由」はこの世界から消滅し、
この世界にひとつの「希望」が生まれる。
ひとつひとつの枝から花が咲いて、
満開の「桜」が花開くだろう。

色んなことが使えればいい

この先どうすればいいかというと、
むしろ、何をするのであっても、
「色んなことが使えればいい」のである。
パソコンのせいで分からなくなっているだけで、
実際、英単語でもピアノでもデザインでも、
「使えさえすればいい」のであって、
「そんなに網羅的に全部理解する必要はない」。
パソコンは全てを理解しないと使えないが、
それは実際、必要のない間違った考え方である。
適当に使えさえすれば、それでいい分野の方が多い。

もっと適当に知ればいい

また、知識がほしいのであれば、
むしろ、もっと適当に知ればいいのである。
適当に、ひとつひとつ何でもいいから知っていけば、
そのうちこの世界全てのものを知ることができる。
知ることができないのはITだけである。
ITを無視すれば、この世界にある知識ははるかに少ない。

有名な偉人だけを特別扱いするな

実際、哲学や心理学の間違っている点は、
「有名な偉人の言葉だけを特別扱いする」ことである。
実際、デカルトフロイトでなくても、
僕たちだって同じ人間である。
偉人でないからといって、僕が同じことが分からないわけではない。
偉人と同じように考えればいい。
みんなの言うことを、哲学者と同じように聞いて考えればいい。
誰だって、カントやヘーゲルより賢いことを言っている。

あるもののほとんどは二元論

また、デカルトの言うように、
あるもののほとんどは二元論だ。
すなわち、「光と闇」「良いと悪い」「正しいと間違い」。
しかしながら、カントの言うように、
前提となるのは時間と空間である。
そして、同時に、他の全ては歴史である。
そこに原理原則を見出す。
ただし、言っておくと、そのように考えるのは意味がない。
なぜならそれがサタンだからである。

普遍性

あることを考える上で、基本となる考え方は、
「それがその時成立したら、
別の場合にもそれが成立するか」ということである。
これを「普遍性」と呼ぶ。
これだけを考えれば、どんな事実も、
単にそれが成り立つだけではなく、
どのような場合や状況にそれが成り立つかが見えてくる。
それだけを分かっておけば、哲学者には誰でもなれる。
普通、大人はそれしか考えない。

哲学をするのに大学は必要ない

そういうわけで、本来の哲学、
すなわち「知を愛する」ことをするために、大学は必要ない。
「そのことがどのような時に成り立つか」を考えればいい。
僕の経験から言って、
中学生の知性のまま放っておけば、
誰でも自らそのように考えて賢くなる。
高校以降の高等教育は、あまり意味がない。
パソコンの知識がほしいのなら、インターネットや本を読んだ方が良い。
高校や大学は、あまり意味のない機関である。
自らが自分で学ぶように仕向けながら子供を管理する、
それだけの施設だからである。

想定外は要らない

この世界を治すために必要な考え方は、ひとつである。
それは、「想定外は要らない」ということ。
想定外のことを、そんなに分かり続ける必要はない。
想定外のことを、想定外のまま、そのままにすればいい。
それだけで、この世界は、
安心できて知性のつく良い世界になる。

数学

僕は、数学について考えることにした。
代数とは、四則演算と等値を代数的に考えるものであり、
要するに「x = y + 1であればy = x - 1」と考えることである。
そして、平方根とは平方面積における根のことであり、
100=10^281=9^264=8^249=7^2であり、
\sqrt{2}は同様に2乗して2になる「2の根」である。
同時に、3×3が9になる、ということは、
オセロや将棋盤のように同じ数でチェックのマス目を作った時に、
ひとつの行の並びが3で、列の並びも3であれば、
全部のマスの数は9になる、
ということである。
また、変数とは「どんな数でも入る数」であり、
この数を文字にするということは「数の関係と構造を考えること」であり、
掛け算や割り算は本質的に「単位」あるいは「数の個数」である。
この変数の構造を順列的に、
「ある一定の数の関係性と構造を決めてその値が規則的に作られること」が
解析学における関数である。
一次関数と二次関数にある違いは、
「同じ数が複数回掛けられること」であり、
すなわち、y = 2x + 1においてはxは一度しか使われないが、
y = 2x^2 + 1においてはxは二度も使われる、
という「xが複数回掛けられる」(式の中で複数回使われる)ということであり、
実際は一次のxと二次のx^2が使われることがあるため、
二次関数においてxが使われるのは3回である。

微積

微積分について言うと、
まず、定速度の時を考える。
たとえば、常に秒速10メートルで走るとする。
この場合、速度は最初の時間が10、次の1秒後も10、その後も10である。
速度と時間のグラフはまっすぐで高さの同じ平行線になり、面積は長方形になる。
この時、速度10×時間6で、6秒間の移動距離が出る。
これは簡単である。
次に、定加速度の時を考える。
たとえば、1秒ごとに秒速5メートル加速して走る。
この場合、速度は10, 15, 20, 25, 30, 35と増えていく。
速度と時間のグラフは、同じ加速度ずつ上がっていく、
右肩上がりのまっすぐな直線になる。
この場合、微分で求められるのは瞬間の速さの変化率であり、
この場合は秒速5メートルである。
そして、移動距離の総和は、
このような定加速度でまっすぐに足していく場合、
それぞれの時間の移動距離を足して、
6秒間の総移動距離であれば10 + 15 + 20 + 25 + 30 + 35となる。
これは、1秒ごとに「その時の速度×その時の時間」をかけることで、
「その時の面積」を出すことができ、
これが「その時の距離」になり、
これを全ての瞬間で求めて総和する、すなわち「総面積を出す」ことで、
「総移動距離」になるからである。
しかしながら、微積分を行う上で、
このようにまっすぐ増えていくことは普通ではない。
たとえば、0秒後は10、1秒後は30、2秒後は20、加速していくこともある。
この時、速度と時間のグラフは、ぐにゃぐにゃした自由曲線になる。
このような時に、瞬間の速さの変化率を出すことが微分であり、
面積を出して総移動距離を出すのが積分なのである。
しかしながら、定速度や定加速度の場合と違い、
こうしたでこぼこの関数の瞬間の変化率や面積を出すことは簡単な話ではなく、
定加速度の時のように全ての速度を足すことでは計算できない。
このために、微分積分の専用の記号を使うのである。