わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

大計画

大計画

僕には、大計画がある。
それは、「全てのことが分かる世界にすること」である。
この世界の全員が、
この宇宙と人生全てのことに対する「答え」を知り、
「悟りへと導かれる」ようにしたい。
僕は支配者というよりも、教師や聖職者になりたい。
なぜなら、この世界を「ありえない世界に導いていく」ものとは、
支配者による「力」ではなく、
作家や科学者による「知」だと思うからである。

必要なのは、宇宙への宣言である

必要なのは、宇宙への宣言であり、
それは神との約束である。
僕は宣言する。
「僕はこの世界を全てが分かる世界にする」。
そして、
「僕はもう一度、最初から、この世界を導きなおし、
そのために必要な全てのことを思い出す」。

概念から考えていけばいい

要するに、概念的なものから考えていけばいいのである。
たとえば、空間は三次元である。
たとえば、数学は定理と証明である。
たとえば、現象は原因と結果がある。
たとえば、宇宙には物理法則がある。
たとえば、生物は進化する。
たとえば、炭水化物は光合成による光のエネルギーの貯蓄である。
たとえば、資本主義においては資本家が労働者に労働の対価を与える。
たとえば、会社は競争し、劣った会社や敗北者は淘汰される。
たとえば、自由とは市場原理と需要と供給による取引である。
そのような概念的なことから本質を考えていけば、
なんでも普通のことが分かるようになる。

三次元に速さという動きを加えたものが四次元

四次元について、三次元空間に時間を加えたものであるというが、
本当は、時間というよりは「動き」を加えたものではないかと思う。
すなわち、三次元空間が速さという単位によって「動く」こと、
これがアニメーション的な「四次元時空」である。
僕はここに、「観測者」という考え方を加えたい。
四次元に対して、その四次元空間を360度のどの角度から観測するか、
場合によっては回転するか移動するか、
といった新しい次元が僕は「五次元」だと思う。

人類の目的とは物を作ること

そして、人類の目的とは何なのか。
それは「物を作ること」ではないかと思う。
みんなでものを作る、ということが、資本主義社会の目的である。
しかしながら、僕はこうした「資本主義の目的」が、
そのまま「人類の目的」であるとしたくない。
資本主義社会においてものを作ることが目的だとしても、
別の社会においては果たしてそのものを作ることが
資本主義社会と同じように目的たりえるだろうか。
目的をもっと別の価値観にした、違う社会があってもいいと僕は思う。
そして、その時はじめて、
「人類は今までの人類以上のものに進歩する」のである。

権力の限界とは、全能かつ善良な王が居ないこと

僕は、権力には限界があると思う。
それは、聖書に書かれているような、
全能かつ善良な王は「そもそも存在しない」ということである。
そんなに素晴らしくて、賢くて、強くて、有能な支配者は、
そもそも、地球上には存在しないのである。
それが、権力の限界である。
権力で何でもできると言っても、本当にできるような政治家は少ない。
誰にもできないことをやってくれるように見える独裁者が、
実際は無能で、愚かで、最悪の限りをつくすのである。

新しい社会

しかしながら、フランスの啓蒙主義のように、
「権力者が絶対に生まれないようにしたらどうなるか」という
そのような考え方をしたとすると、
これは、悪いものではないが、
「どこまでを権力と呼ぶのか」という問題になる。
すなわち、金や資本家すら権力だと呼ぶのであれば、
逆に資本家を逮捕し、金を失くし、独裁者がひとりで計画経済をする、
ソ連モデルの社会主義が正しいように見えてしまうが、
実際はソ連は権力闘争の塊であり、
何もかも悪いだけの犯罪国家となった。
そう、権力者は必要ないが、ある程度の権力は必要である。
民主主義の正しい点は、
「権力者は嫌いだが、アナーキズムにもしない」ということである。
アナーキズムとは、無政府主義のことである。
権力者を否定し、同時に無政府主義もを否定する民主主義のモデルは、
国民の意見が通るという点から、単純で優れている。
しかしながら、民主主義は、新しい「IT情報社会」に対応できていない。
SNSの普及から、トランプ大統領のような人間がおかしなことを言うような、
そんな民主主義社会になってしまった。
これは民主主義のおかしな点であり、
将来に対応するためには、
IT技術による情報化社会に対応できるように、
民主主義の政治制度とIT技術の双方を、
バランスよく調整しなければならない。
僕は、新しいデジタル庁について言うと、
むしろ、IT技術を「開発し、生産できる国」にしてほしい。
日本人は、IT技術をサービスやソフトウェアを「使う」ものであると
考えているように見える。
僕は、アメリカ製の技術を使うだけではなく、
自らもアメリカに対抗する技術を日本が開発し、
世界をリードして、中国に後れをとらずに国際標準にできるような、
そんなIT社会を築いてほしいと思う。
それも、NEC富士通のような「老舗」だけではなく、
ベンチャー企業、たとえばはてなのような「新しい会社」が、
日本ローカルな枠組みだけではなく、
アメリカや中国などのグローバルな国際的土俵の中で勝つことができるような、
そんな政治・行政・教育をしてほしいと思う。
そのためには、単に社会のデジタル化を推進するだけではなく、
ベンチャー企業が成功することのできるインキュベーターを作るなど、
多くの支援と研究・技術開発を行ってほしい。
特に、日本にはオープンソースLinuxとの関わり合いが少ない。
実際、オープンソース技術に詳しい人間はたくさんいて、
その多くがPythonJavaScriptに詳しいエンジニアや、
Webサービスフリーソフトに詳しいネットワーカーなどの、
技術系のオタクだが、
実際にハッカー・ウィザード・グルのように「貢献」している人間が少ない。
僕はこの「貢献」を増やすことこそ、
日本の技術的な土壌を開拓することに繋がると思う。
貢献には、技術的コストに見合った対価が得られないと日本企業は考えるが、
実際は影響力の確保に繋がって、
貢献しなければ技術における主導権を握ることができない。
たとえば、Linuxの日本語環境は劣悪で、
英語で使うのとは比較にならないほど日本語環境で使うのは厳しいところがある。
こうしたところで日本人が活躍するようになれば、
必ず日本にとって恩恵をもたらすだろう。