わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

やるからといって単純にそれだけをやるな

やるからといって、単純にそれだけをしなくていい

僕が思うに、何かをやるからといって、
単純にそれだけをその通りする必要はない。
さまざまなやり方があるし、
自分なりに賢くやればいい。

狂わなければ二つのことを同時にできる

人間は、狂わなければ二つのことを同時にできる。
人間はそもそも、二つのことを同時にいつもやっていて、
ひとつのことだけをやろうとすると、
もう一方のことと矛盾したり、ぶつかったりする。
時にはアンビバレントな状況に陥ることもある。
狂わずに、二つのことを同時にやる勇気を持てば、
心は平穏になり、自分の心をコントロールできるようになる。

ふりでもつもりでもやって損じゃない

TOMOOのようなことを言うと、
ふりでもつもりでも、やって損じゃない。
いろんなことを躊躇しているよりも、
やってみればいい。

同じことの繰り返しが発見を生む

人間にとって、
同じことの繰り返しが発見を生んだり、
日頃見ていないことに気付いたりすることはある。
たとえばプログラミングのように、
論理的な違いや相違点ばかりに知性を使うのではなく、
同じことの繰り返しを自然に行うことができれば、
逆にプログラミングのようなことも楽しめるようになる。

それがどのような効果を及ぼすか

考える上で大切なのは、
「それがどのような効果を及ぼすか」ということ。
つまり、心理学的プラグマティズムのようなことを考えれば、
それが正常な正しい普通の人間の考え方である。

あなたは思ったより普通

むしろ、自分のことをおかしいとか間違っていると言うが、
実際見てみると、自分は思ったより普通である、
ということがよくある。
違うと思っているのは自分だけで、
他人から見ると自分はそんなに違わない。
それが分かると、生きるのが楽になる。

数学のやり方を人生に応用せよ

また、学校で習う数学のやり方や考え方を、
現実の人生や思考に応用するといい。
たとえば、公理主義のように公理を作ってみたり、
原因と結果からモデルを作ってみたり、
ボトムアップな真実からの「積み重ね」をしてみたり、
実験や実証から気付いて見たり、
あるいは、関数的な「効果とその前提となる条件」を考えたり、
何かしらの前提そのものを突き詰めて考えてみたり、
ひとつのことが決定されるその前提となるさまざまな理由と対処策を考えたり、
言葉を数学的公式にしてみたり、
など、さまざまなことが数学を応用するだけでできる。
大切なのは、「単純にするだけではなく、もっと違うやり方がないか考える」こと。
一つのやり方に別の見方があることを知ると、
「命題そのものを考え、捉え直す」ということができるようになり、
「次元を超えた命題を考える」ということができるようになる。

言葉だけではなく世界を調査研究する

何かをする上で、
教科書に書かれた言葉だけでは、
何を言っているのか分からないことがある。
現実にこの世界で、
人々の言っているひとつひとつの「言葉」を聞くことで、
「世界そのものを知る」ことができる。
そこから、世界を知ることで、
「学校で習ったことが何を意味しているのか」が分かる。
数学者が見ても、具体的な知識や経験がたくさんあった方が、
数学は理解しやすい。
自ら社会論や心理・芸術などの経験と知識を知ることで、
この世界の全てを「自ら再構築」することができ、
数学や論理性のようなことは、
自らの弁証や議論によって得られる体験や、
実体験に基づく理性的な思考から、
「体得」することができる。
こうしたことは、「経験を考える」ことのできるような人間、
たとえば中学生の方ができる。
世界全てが変えられるようになり、
全ての科学者の分かる「知の全て」を、
自らの経験から得ることができる。
そして、全ての「善悪がなぜ必要なのか」が分かるようになり、
自らの啓発的体験から、「神へと至る道」をあなたは知るだろう。
それこそが、ブッダの言う「悟り」なのである。

考えるべきは、経験がその時どのように見えるのか

考えるべきことは何か。
それはたったひとつで、
「経験がその時どのように見えるのか」という、
難しい言葉を使えば「精神現象」である。
その経験が、その時、その人や周りの人にとってどのように見えるのか、
その経験がいつ、どのように生み出されるのか、
それには環境はどのように関係するのか、
ということを考えれば、
環境が経験となり、認識が行為となり、
行為が認識に戻り、経験が環境へと帰っていく、
その連環を「自らの心の中で再体験」し、
全ての人間の認識を捉え直すことができる。
また、環境的要因から、全ての人間を「掌握」することもできる。
これは必ずしも悪い意味ではない。
なぜなら、自らの「人生を捉え直す」ことへと繋がるからである。
すっきりと環境的な要因を知ることで、
「自分があの時どのようにすべきだったのか」を、
間違いではないのだが、本当はそのようにしてもよかったはずで、
そうすればみんなと仲良くできた、
ということに気付くことができる。
そこから、「新しい人間関係を作る時にどうすればいいか」、
また「社会や環境そのものを指導するにはどうすればいいか」も分かる。
人間関係を結び直し、
人々が「やりたくても制限からできないこと」を、
「このようにすれば制限があってもみんなはやりようがある」という、
世界の可能性の拡大から、
自らが、そして世界全体が「自由になっていく」ことができる。