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コミカル科学論

英語に行ってきた

今日もいつもと変わらず英会話学校に行ってきた。
最近、英語が自然に話せるようになってきた。
また、講師の言っている英語も聞き取れるようになってきた。
今日は中学生の女の子がレッスンメイトだったが、
「自分はあまり話せないので助けてもらった」と言ってくれて、
少し嬉しかった。
しかしながら、僕はたとえば「Many philosophers I like」のように
英語が日本語的な順序になってしまうことがよくあり、
また発音もネイティブに比べて綺麗でないため、
もっと学習しなければいけないと思う。

コミカル科学論

僕の大学の授業は、難しいばかりで何にも面白くないため、
科学をコミカルに書いてみたいと思う。
少し暴言的なところがあるが、ご了承願いたい。

数学

数学は、現実には存在しない記号や図形を用いて、
ほとんど妄想に近いような数の遊びを、
極めてもっとも正しくふんだんに行い、
それももっとも易しいレベルから限界まで難しいレベルまで
生徒にひとつひとつハードルを与えながら、
どこまでついてこられるかを試す、
そうした試みと戦略である。

物理学

物理学は、時間、空間、力、物質、光、そして作用とエネルギーといった
この世界の「幾何学的ルール」を導き出し、
それも、「もっとも単純な考え方」で「もっとも簡単に説明」し、
この発見と分析を新しい科学技術の発展のために応用しろと強要する
試みと戦略である。

生物学

生物学は、木を見て森を見ずという言葉が示すように、
木を生物だとみなすことに焦点を当て、
森を生物だとみなすことから国民の関心を逸らそうと努力する
試みと戦略である。

歴史

歴史は、権力組織や体制の変転と、
そこで活躍した人物の名前と伝説にのみ国民の焦点を当て、
国民同士の力関係や、
作られたものや文化のとてつもない醜さから国民の関心を逸らそうとする
試みと戦略である。

政治学

政治学は、民主主義的な「法治国家」が
それ以前の「封建社会」よりも優れていると主張し、
法治国家が絶対に変わることのないように国民を法律漬けにする試みと戦略である。

経済学

経済学は、数学的な理屈主義・理論主義のもとに、
ものと金の流通を大きくかつ小さく考え、
需要と供給、マクロとミクロ、生産主体と弾力性といった専門用語を作り、
現実の社会における解決困難な問題から
机上の空論に国民の関心を逸らそうとする試みと戦略である。

心理学

心理学は、子供たちがいかに大人になるかを考えることで、
子供よりも馬鹿な人間になった大人たちが
いかに子供に戻ることができるかを考える試みと戦略である。

コンピュータ科学

コンピュータ科学は、
人間が人間ではない機械の言葉を言語として習得し、
人間が人間ではない機械の頭脳とやり取りする方法を考え、
単なる電卓をどんなことにでも応用しようとする
IBMの金儲けの試みと戦略である。

神話と宗教

神話と宗教は、何も知らない古代人が、
おとぎ話が事実であると信じることができたとして、
現代人にもそれが通用するかどうかを試す試みと戦略である。
また、キリスト教は、
聖書に書かれていたことを正しいと信じることに焦点をあて、
キリスト以外の神が神なのか悪魔なのかといったことから
国民の目を逸らす試みと戦略である。

言語が悪い

僕の問題は、「言語が悪い」。
全て、言語をつけすぎたから馬鹿になっている。
言語を殺せば、
それだけで逆に日本語の「言っている意味」が分かるようになる。