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わたしたちが心から笑える社会を

心から笑える社会を

新型コロナウイルスの影響で、
保育園児や幼稚園児が笑わなくなっていると言う。
マスクで大人の表情が見えないため、
笑うということが分からず、
笑うことが自然にできなくなっているらしい。
また、小学生もマスクをつけているため、
マスクを外した友達の顔が分からず、
マスクをとった友達の顔を見て、
「あれ、お前そんな顔してたっけ?」と
そんな言葉もでてくるほどである。
わたしはあえて言う。
わたしたちが心から笑える社会を。
本当に笑顔になって、
みんなのことを自分のことのように思いやり、
自分の気持ちに素直になれる、
そんな世界を僕は作りたい。

儒教が正しい

僕が思うに、儒教が正しい。
封建社会を支える思想であると言われることのある中国の儒教だが、
「自分の心に嘘をつかないこと」(忠)と
「人々のことを自分のことであるかのように思いやること」(恕)を
基本的な考え方(仁の道)としている。
これは、国を成り立たせる上でも重要であり、
僕は儒教はとても素晴らしい思想だと思う。
儒教を知らなくても、
論語を書いた孔子のことは、
日本人は誰でも知っているはずだ。
孔子による儒教は、
とても素晴らしい「正しい人の道に帰る宗教」だと思う。

僕が国民のことを思いやらないのはなぜか

僕自身に問う。
なぜ、国民のことを思いやらないのか。
僕がたったひとり、国家に対して反逆しても、
まったく無意味なのに、何をしたいのか。
そして、僕は答える。
「僕はこれでも、国民を愛している」。
そう、愛しているか、そうでないかが問題ではなく、
「どのように愛するか」が問題なのである。
このように、全てを強制的に教えて、
知識と経験を詰め込んでも、
人々の声がかき消され、
自分の声が別の人間の声に覆い隠されて、
見えなくなるばかりだ。
神よ、わたしたちに、本当の孤独をください。
どんな他人も干渉することのできない、
寂しいひとりだけの世界に生きるしか、
この国で自由を得ることはできないからである。

人々を救うために必要なのは自由なんかじゃない

僕が勘違いをしているのは、
昔の自分が自由によって世界を変えたからである。
あれは、救ったわけじゃない。
完全に、滅ぼしただけである。
人々を救うために必要なのは、自由なんかじゃない。
自由は子供の青春時代の悪を肯定する言葉であり、
自由を信じるものは、
決してそれ以前の壁を越えることのできない人間になる。
自由とは、自分の全てを肯定し、正当化する言葉だ。
だから、自由においてはどんな間違いや欠点も見えなくなり、
自由においてはどんどん人生は劣化していく。

この世界を否定するしかない

この世界を、言葉や理性で捉えるのではなく、
この世界のありのままをそのままで許した上で、
その上で否定すればいい。
そうすれば、この世界が停止しているのが直って、
きちんと正常に変化するようになる。
変化を失った世界では、
人生にすら変化がなくなって、
人々は「まったく無意味な人生」を生きるようになる。
悪いのは「自由」だ。
正しいのは「否定」だ。
あるべきは「変化」だ。
間違っているのは「停止」だ。

まだ分からない

そして、最後にこの世界において起きるべきなのは、
それはまだ分からない。
言うとしたら、「答えをすぐに出そうとしないこと」だが、
実際、それを言うと、
「答えと一緒に問題そのものを見失ってしまう」。
しかしながら、それでいい。
目玉の数が多ければ、
どんなバグも深刻でないとリーナスが言うように、
世界中全てをまきこんでしまえば、
分かるべき誰かがいつかこの世界の本当の問題に気が付くだろう。