Assyのリベラル文学研究所もご覧ください。

人々と同じレールから外れよう

人々と同じレールから外れよう

人々と同じように生きるのをやめよう。
同じレールから外れよう。
まったく同じ人間になって、
受け入れられないことを受け入れ続ける必要はない。
わたしたちは自由だ。

IT技術なんか必要ない

IT技術なんか、必要ない。
IT技術によって可能となるのは、
どうでもいい技術的な修練と、
掲示板のようなコミュニケーションサービスだけである。
Googleや5ちゃんねるに使われるだけの
無駄な技術革新は必要ない。
ここから、
IT技術との決別」が近いうちに必ず起きるだろう。

簡単なことを難しくする必要のない技術が生まれる

ここから、僕は新しい技術が生まれると思う。
それは、「簡単なことを難しくする必要のない技術」である。
WindowsGUI開発や、
PHPSQLを用いたWebフロントエンド・バックエンド開発は、
全て、「簡単なことを難しく実現する」技術であり、
僕はこれから先、IT技術が進歩することによって、
「簡単なことが本当に簡単に実現できる」ようになると思う。
その時、もはや、IT技術を学ぶ必要などない。
ボールペンを作るのと同じぐらい、
簡単にMS-Officeを開発できるようになる。
Ruby on Railsは、その可能性の一端を示したのである。

GUI技術の標準化が必要

僕は、GUI技術の標準化が必要だと思う。
たとえば、UNIXPOSIXという標準があるし、
WebにはHTML/CSS/JavaScriptという標準があるのだが、
WindowsX11を中心とするGUI技術には標準が存在しない。
これが、IT業界の不幸を生んでいる。
プラットフォームごとに使われているGUI技術が違い、
標準的APIを用いてGUIアプリケーションを開発できない。
僕は、GUI技術にこそ、標準化が必要だと思う。

Windowsは偉大なのか、悪魔なのか

Windowsについて言えば、
Windowsは偉大なのか、それとも悪魔なのかという問題である。
Windowsは世界の全てを変えたOSだが、
同時に、世界の全てを滅ぼす元凶となっている。
しかしながら、Linuxが優れているわけではない。
だが、Linuxはむしろ、まったく可哀想である。
なんにも悪くないのに、
Linuxユーザーが一番悪く見える。

デスクトップコンピュータを超える発想を

必要なのは、デスクトップコンピュータを超える発想である。
デスクトップコンピュータやモバイルコンピュータで、
インターネットを使う、というモデルは、
そんなに悪いものじゃない。
この世界において、
確かな「全く違うバーチャル世界」をもたらしたが、
しかしながら、それはそんなにいいものじゃない。
なぜなら、LinuxWebブラウザを使っても、
ホームページと動的言語とデータベースを組み合わせた、
2ちゃんねるのような掲示板ライクなコミュニケーションサービスしか、
開発できないからである。
これを変えるには、
「デスクトップコンピュータ」を発展させるしかない。
全く違う新しいコンピュータこそ、IT業界に必要とされている。
それはモバイル端末で動画を共有するだけではない。
動画サイトは、単にインターネットによる動画共有サイトであり、
それ以上でもそれ以下でもない。

人工知能は民主主義への挑戦

また、僕は人工知能は民主主義への挑戦だと思う。
それは、政府や大企業が、
「膨大な個人データを自動的に解析してサービスを提供する」
という考え方であり、
事業の分析や顧客の獲得、そして監視や検閲に使われるからである。
これらは民主主義に対する挑戦であり、
中国やアメリカが人工知能を使うなら、
日本は「人工知能に対抗できる個人を特定できない技術」を
開発しなければならない。

日本は、国という単位で勝利したいのが遅れている

日本の技術について言うと、
日本は、国という単位で勝利したいのが遅れている。
今からの個人の自由におけるインターネット時代においては、
勝つべきは「個人」であり、「国」ではない。
個人が偉大な人間となって世界全てに勝つべきであり、
日本という国の単位で勝ちたいのは、まったく遅れている。

しかしながら、みんなで社会を築くのは日本が得意

しかしながら、インターネットはそもそもが「つながる」技術であり、
インターネットという仮想空間で、
みんなで社会を築くということであり、
ここにおいて得意とするのは日本である。
見ていると、YouTubeアメリカの洋楽や韓国のK-POPを聴いていると、
彼らは最悪に悪い。
堕落して、悪魔のような音楽を作っている。
しかしながら、日本のJ-POPや日本人YouTuberを聴いていると、
彼らはとても「のほほん」としており、
正常な社会を築いている。
このような発想が得意なのが、逆に日本人である。
ある意味、欧米人や韓国人は、
ネットを「自由な新しい文化の流行の発信源」だと思っている。
それに対して日本は、
ネットを「テレビと同じ」「オタク文化の延長線上」だと
思っているのである。
これはテレビや新聞についても同じで、
欧米人や韓国人は
マスメディアを「政治的敵に対して自らの意見を主張する」という
そうしたものだと考えているが、
日本人はマスメディアを、
「のほほんと家族的連帯を保つための娯楽」だと思っている。
だから、エンターテインメントに対する考え方も異なる。
アメリカ人などは、「本当に偉大な作品を作る」とか、
「新しい誰も考えなかった楽しみを生み出す」などと考えるが、
日本人は単に「今日の面白い番組をいつも通り楽しむ」だけであり、
「一般的に面白いとされるアイデアから同じ作品を作り出す」だけである。
こうした考え方の違いが、
洋楽やK-POPとJ-POPの違いに現れているのである。

コロナ禍でもストレスが少ないのが日本人

日本人がコロナの感染数が少ないという「ファクターX」が何であるか、
日本人にとっても分からないが、
日本人は、言ってしまえば「ひきこもり環境に適応しやすい」というのは
あるかもしれない。
日本人は技術力があるからテレワークができるというだけでなく、
コロナ禍の「ひきこもり生活」においても、
日本人はストレスが少なく、そのまま受け入れられるのである。
これは、パソコンが普及しているからというのもあるだろう。
日本人は、ネット社会で正常なコミュニケーションを獲得しており、
コロナになった上でそれでも外出したい人間が少ないのである。

日本のネットは他とは違うネットになる

また、僕は日本のネットは他の国とは違うネットになると思う。
むしろ、日本のネット社会は既に完成しており、
「いつも通り同じネットを楽しむだけ」になっている。
アメリカ人のような「今までにない新しい楽しみを作る」ということを、
日本人はそんなに重要視しない。
むしろ、日本人は保守的であるため、
「今までの楽しみを継続する」ことの方に力を置くからである。
そして、欧米人のように「まったく新しいサービス」を作るのではなく、
僕は日本人は「今までのサービスの組み合わせやいいとこどり」をしていくと思う。
たとえば、米津玄師について、
全ての楽曲やツイート、そして写真やWikiの解説など、
米津だけのコンビニのようなポータルサイトが誕生すれば、
米津のファンはそこだけを見ればいいわけであり、
便利である。
米津のファンサイトにも簡単にリンクに飛べるようにして、
全てのネット上の米津へのコメントを集約する。
実際、どのような新しいサービスが生まれるか分からないが、
日本人は「全く新しいものを作るのは苦手」だが、
「再編成、再構築、再デザインで良いものを作り出す」のは得意なのである。