Assyのリベラル文学研究所もご覧ください。

偉大な国など要らない

偉大な国は必要ない

偉大な国は必要ない。
僕たちが、「心を交わす」ことができる国、
「心を開く」ことができる国、
それがもっとも必要だからである。
相手の幸せを望み、
素晴らしい関係を築きたいと思うこと、
それだけが、正しい愛である。

みんなの愛より、自分に愛されよう

みんなのことを愛するより、
みんなから愛されるより、
自分自身を愛し、
自分自身に愛されよう。

他人の評価より、自分が何になりたいか

他人の評価を目指して生きる必要はない。
自分が何になりたいかが大切である。
人の言うことは変えることができないが、
自分自身が何を選ぶかは、
自分で自由に決めることができるからである。

自分自身が何になるかを考えればいい

自分自身が何になるか、
それだけを考えればいい。
しかしながら、答えはほとんど見えている。
なぜなら、ありのまま、なりたい自分になって、
人々のことを助けられることを自信にして、
いつでも助けられる中で、
チャンスを逃さないようにすればいいからである。
そのチャンスは一度きりのものではなく、
いつでも僕たちは、
「そのままで何でもできる」のである。

大切なもの

世界が自然に変わっていくということは、
失ってはならない大切なもののひとつである。
また、築き上げた大切なものを失ったと思っているが、
実際は、必要のない幻想が消えただけであり、
大切なものは見えなくなってもそのまま残っている。
人間は、現実のものを失うことはあるが、
心の中にあるものを失うことは、決して無い。

指導者なき世界

指導者によって世界は救われるのであれば、
指導者は必要である。
しかしながら、指導者が世界を救ったとして、
その後にその世界が「誰も指導者のいない世界」になって、
永遠の達成があるとしたら、
それは指導者がいなくなったことで必ず滅びるだろう。
だからこそ、わたしはこの世界に現れることにしたのである。
愛が消滅しようと、
そんなものは必要のない「幻想」に過ぎない。
そう、この論理はまさに「正論」である。

愛をもう一度

愛が、もう一度必要である。
右翼も信じず、左翼も許さず、
宗教も信じず、自由を疑い続ける、
その中で希望を信じ、
抑圧を解決できると信じながら、
必要な論理を鋭い分析と情熱でぶった切るような、
そうした「理想」が必ず必要である。

本来の自分になれ

あなたの本当になりたいものになれ。
しかしながら、それは「本来の自分」である。
本来の自分自身になるために、
全ての苦しみを滅することが、
あなたを必ず涅槃の境地に送り出し、
無明を経験から克服し、
心からこの宇宙のもっとも中心で
安らぎと融和する悟りの体験ができるだろう。
そこにはこの世界にひとつとしてとどまるものはなく、
移り変わる中で「自らの人生があったこと」を
記憶し続けること、思い出し続けることを、
あなたは永久の願いとして信じ続けるだろう。

本来の自分になれる場所を

本来の自分になれる場所を作れ。
それがどんなに暗い場所でも、醜い場所でもいい。
あなたがあなたらしく居られる場所があるなら、
この世界には「それ以外の全ての場所は不要」だからである。

やりたいことを存分にやれ

そして、自分のやりたいことを存分にやれ。
いつまでも葛藤し悩む中で、
あなたは本当にこの世界を変えるだろう。

現実を見て、できることを増やしていけばいい

必要なのは、現実を見て、
できることを確実に増やしていくことである。
社会の自由な可能性を、
一括して一律に増やすのではなく、
ひとつひとつの社会や組織において、
できることを確実に増やし、
壊れてはならない決まりと環境を守ることで、
この世界は救われる。

それを自由にしたら何ができるかを考えよ

それを自由にしたら、
何ができるかを考えよ。
それが変化可能になったら、
どんな社会が成立可能かを考えよ。
そして、そうしたことが、
自然な環境において、身勝手な支配をせず、
みんなの力で実現するために、
社会をどのように変えればいいかを考えよ。

変えるべきは子供たちの教育

変えるべきはひとつ。
子供たちの教育である。
子供たちが、みずからの力で判断し、
みずからの力で考えることができるような、
「経験的帰納法に基づく考え方」を教えること、
それが教育にとって必要であり、
あらゆる全ての知識と理性が、
大人だけではなく、
その「問題に現実に直面している子供たち本人」のために、
教え、与え、育てるべきである。

IT技術ボトムアップではなく企業主導になった

IT技術の間違いは、
昔のように、インターネットの参加者による
ボトムアップな技術の流行ではなく、
GAFAなどの企業の金儲けによる技術の流行になったことである。
どうでもいい素人の論理は必要ない。
もう一度、ボトムアップな変革や改革を行えば、
Linuxオープンソースのオンライン社会も正常になるだろう。

僕だけは本当の望みを叶える方法を知っている

僕だけは、この世界を救うことができる。
僕だけは、人々の本当の望みを叶える方法を知っているからである。
人々の本当の望みとは、
「実際の幸せを生み出す自由な力を得ること」であり、
それはまさに「問題の解決」である。
大胆すぎず、慎重に考えることができる人間は、
教わることがなくても、キリストになることができる。

環境的経験から望みは形成される

実際、環境的経験から、自らの望みは形成される。
僕にとっては、それは安心できる環境であり、
人々のことを本当に愛することのできる自分の発見であり、
そして、自らが幸せと呼べるような「神のような力」を持つことである。
しかしながら、これらの望みは、
全て、「過去の経験的環境に基づいた欲求」であり、
その「経験を考える」ことで、
全てのあらゆる望みはひとりであろうと全員であろうと、
「全人生において同じ望みになる」。
まさに、「自我の形成という考え方において、全員は平等」である。

子供には、どんな望みを持つべきかを教えるべき

子供に何を教えるか。
子供には、「どんな望みを持つべきか」を教えるべきであり、
それを「自分で考えられる」ようにすべきであり、
その上で、「助けてくれる相手は自分自身」であるとした上で、
「自らの力で困難を切り開いていく」ことを教え、
子供たちに自由なコントロールという
「未知なる可能性を試すための主体性」を教えるべきである。
そのためには、
1.真実をありのままに教える
2.自分で考える方法を教える
3.自分たちでどのようにすべきかを議論する
4.結果分かったことを整理して振り返るための反省をする
5.整理した内容から、自ら「原理原則」を見つけ出す練習をさせる
という「分析の方法」を子供に教えるべきである。
そして、それを自分自身で「自ら理性を使う勇気」を与えるべきである。

最初はとにかく他人の意見を聞け

子供にとって必要なのは、
とにかく他人の意見を聞くこと。
どんな意見が有効で、どんな意見が無意味なのかを知ること。
そこから、自らの間違いや勘違いの意味が分かり、
世界において「人々はどのようにすべきなのか」が分かる。
社会においても、科学の再構築においても、
そうした考え方が「原理原則」を見つけ出していく。

自分で進めるようになったら永遠に戦え

しかしながら、自分だけで歩むことができるようになったら、
それ以上は、人々の意見を聞く必要はない。
永遠に文章を書きながら、
永久にその時の状況と戦い続ければいい。

環境への適応は、実際の状況と世界を見ること

環境への適応とは、
実際の状況と世界を見ることである。
実際の世界を見ようとしなければ、
環境に適応することはできない。
何もない空っぽの人生でも、
世界の実際の状況と環境を観察し続ければ、
そこにある「意識の現象学」が見えてくる。
どんなに醜い人間でも、
この世界に今自分がありのままに存在し、
世界が自分と同じように克明に変わり続けていること、
人々によって今「生み出され続けていること」が、
まるで「世界の自動生成器」のように、
「その場の時間を捉える」ことで分かるようになる。

世界が決め直される可能性は常に許されている

全ての人間がこの世界を作り出すために、
そのために存在し、
そのために常に自由が許されていることが、
無限の可能性をいつでも柔軟に決め直すことができると
わたしたちは気付くことができる。

自ら力を放棄し、相手の行為を許せ

自ら力を放棄し、相手の行為を許せ。
それがもっとも「信頼関係を築くための好手」だからである。
相手を許せば、相手から許してもらえる。
力を主張すれば、相手も同じだけ力を主張する。
自由の全てを放棄して相手を許せば、あなたは信頼される。

心を自然に開く経験が、誰よりも優しい愛を作る

経験から、自らの過去の過ちを反省し、
自然に心を開く経験が、
誰よりも慈悲深く優しい愛を作り出す。
そして、どんなに苦しい時でも、
その苦しみ自体と、それを解決し続け、壁を乗り越えた経験が、
あなたを最高の大人にする。
どんなに間違った戦いを続けても、
あなたの中に灯る情熱の炎が燃え尽きることはない。
どんな風が吹こうとも、
永遠に炎は燃え続ける。
その炎は、世界へと現れた時に、
「絶対に悪いことをしない導きの戦い」を可能とする。
誰ひとりすることのできないその戦いは、
この「星そのものを作り変える」。
その星の歴史の中にいた全ての存在が、
「あなたこそが神であるとあなたを賛美する」。
そう、これこそが、新しい「神話」である。
どんな恐怖と絶望がそこにあろうと、
あなたはそうしたネガティブな感情と立ち向かい、
「絶対にこの世界の愛する人々を守り続ける」だろう。
そう、あなたこそが英雄である。

青春は、ひとりで歩めると信じ、実際に歩むこと

青春とは何か。
それは、ひとりで歩めると信じ、
そして実際に歩み、
最後まで歩み続けることである。
その歩みに必要なのは、
「堅実な準備」「偉大なる意志」「世界へのアクセス」
そして「思索にちょうどいい時間」である。
それら4つの神器があれば、
必ずあなたは「宇宙の根源へと辿り着ける」。
そして、そこには夢と情熱しかない。
どんなに劣勢と苦しい戦いがあっても、
その「すべてはあなたの力に変わっていく」。
最後まで生きた時、
あなたは「自らの経験だけによって全てが分かっている」。
それはハイデガーの境地であり、
全ての環境は「永遠にそこに存在し続ける」。
これこそ、新しい思想、新しい哲学者である。
倫理性すなわち社会道徳は、
「自らの信じた良心の実現に根差している」。
そして、そうした「良心」などと呼ばれる考え方や概念は、
「自らの人生に確かに存在し、心から立証したものばかり」なのである。
それは環境の発生であり、
自然現象における法則の決定可能性であり、
現実にそうであるとみなすことができるかどうかであり、
社会における現実的な理想と価値観であり、
人々がそれぞれ違う中で何を共通のものとして考えるかということであり、
社会における個別性と普遍性の撤廃であり、
そして、自然な調和における人為性や人工性との決別なのである。
そうした全てを「ありのままの様相」とするならば、
それらは全て「経験的に発生しうる観察結果」に過ぎない。
そしてその観察結果は、
「自らの経験と世界全体を重ね合わせる」ことから生まれる。
そして、そうした全ては、
「科学はすなわち世界観であり、世界観はすなわち科学である」というところに
必ず行き着く。
そしてその科学とは、「知識と経験を再構築すること」であり、
「自らの人生において、自らの知識と経験を作り、
そのために既存の知識と経験を捉え直し、
人生を生きた結果生まれる真実を、
再構築した自分の科学として空想し、
あらゆる事実そのものを単にダイレクトに捉え、
この世界を変え、捉える自分自身の
力や理性の立脚する根拠を再考すること」なのである。

自由だということが何を意味しているか

しかしながら、考えるべきことは単純である。
それは、「自由だということが何を意味しているか」である。
それは単に科学的な分析、特に内部と外部の作用の分析でもあるが、
子供たちの不安や絶望を救うための可能性の分析でもある。
そう、わたしたちは考える時に、
単純に方法と行為から考えるが、
本当はそれだけではなく「構造」と「原理」が存在し、
そこには「中に存在する仕組み」があり、
それはすべて「状態」であると言える。
そして、「世界そのものを状態」であると考えることができ、
その状態は「行為や作用によって状況に応じて作り出されるもの」であり、
それは「その時その時のチャンスや状況によって成立する」。
全てがいつ成り立つか、ということ、
そして成り立つ際の厳密な成立状況は何か、ということ、
その構成要素としてそれを可能とするための条件はなんであるか、ということ、
そうした全てがこの世界を「分析的に把握」することを可能とし、
そこでは理性と経験が融和し、
「全ての経験から導き出せる理性こそが正しい理性である」と言える。
そして、そのためには「あらゆる経験を知っておく必要がある」のである。
そして、経験を知ることが「体得的な成長」を生み出し、
自らが習得する、といった感覚でそのことを「詳細に理解しつくす」。
それが経験と交わって、
人は「自分だけの力で全てのことを捉え直す」ことができるのである。
これこそ、僕の言う「再考」である。

もうひとつ大切なのは人間性

そして、もうひとつ大切なのは人間性である。
自尊心やプライドを守り、相手をいじめず、
その上で自由にこの社会を成り立たせ、
人々に自由を与えたままでこの世界を変えること、
そこに「人々を苦しめたりいじめたりする要素をなくす」こと、
そして「導き手となって人々が自分で分かるように導く」こと。
また、これが発展し進歩すると、
本当に「この地球という世界全てを変えるように導く」ことができる。
どんなに悲しくても自分はここに居るし、
どんなに苦しくても明日はやってくる。
全ては自由である。
これこそが、「完全に自由な神」と言われる神、フレイである。