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知能を高めよ

知能を高めよ

知能を高めよ。
知能が低いから、このような人間になる。
知能を高めれば、何でも治る。

もうみんな気付いている、こいつは普通の人間

本当のことを言えば、
もう、みんな気付いている。
この人間は、普通の人間だ。
本当のことを言えば、最初から僕たちは気付いていた。
この人間の言いたいことは、
要するに自由のままであってほしいのだが、
自分のことを支持するなと言っている。
しかしながら、僕たちはこの人間を支持した。
どんなに困難があろうと、
僕たちはこの人間のことを守ると誓った。
この人間はそこらへんの自覚がないだけで、
みんなのことを裏切りたいわけでも騙したいわけでもない。
愛していないわけでもなければ、
本当に大きく愛しているわけでもない。
この人間は小さくこの世界を愛していて、
みんなは大きくこの人間を愛している。
それが少し、変なこじれ方をして、
分裂したままねじれてくっついてしまったが、
この世界は昔のまま変わっていない。
この人間は傷つけたかったわけじゃない。
単に、この世界を「自分のせいで滅びた」と言いたかった。
しかしながら、実際は「自分のおかげで救われた」のである。
そう、それだけの、ちっぽけな恋愛が日本にあった。
どんなに過去をリサイクルして、
どんなに今を取り繕って、
あらゆる罪と罰をごちゃまぜにしたとしても、
そんなものには価値がない。
単に、ここに偉大なる王が居て、
若き日に情熱からこの世界を変え、
その後の過ちを悔やみ続けた指導者が居て、
そして、最後にきちんと愚かな苦行の体験を終え、
ここに再び戻ってきたと、
そしてその今、わたしは美しい芸術作品を大量に作り出したことを
人々に教えたかったが、
実際はそんなに大した作品ではないが、
しかしながら、人々が支持するぐらい、いい作品であると、
そういう人生と世界の恋愛がここにあっただけにすぎない。

今からの世界は、とにかく標準

僕は、今からの世界は、
とにかく標準で決まっていくと思う。
IT技術やITサービスによって、
「仕組みや原理」よりも「やり方と決まり」が重要視されるようになった、
今日の現代科学技術文明では、
「標準的なやり方」「標準的な決まり」を普及できるかどうかが、
全ての鍵となっていく。
合理性でも、コスト削減でもなく、
必要なのは「標準を握る力」である。

LinuxGUIをなぜWindowsと同じにするのだろうか

僕が思うに、
LinuxGUIWindowsと同じものにする必要はない。
それが間違っているのが、GNOMEKDEである。
Windowsと「同じやり方」「同じ決まり」よりも、
「違うやり方」「違う決まり」だった方が、
僕は面白いと思う。
なぜ、Windowsのクローンを目指すのだろう。
コピーしかできないLinuxハッカーは、
ボランティアであろうと価値がないと、
そう言うしかない。

オープンソースの本質はクローンしか開発できない

オープンソースの本質は、まさにそれである。
既存のソフトウェアのクローン、
あるいはハードウェアやプロトコルのレベルで決まっていることを、
みんなで適当に開発するのは得意だが、
「自分で考えて開発する」ことができない。
だから、むしろ、本当はGNOME 3はGNOME 2よりはよくなった。
GNOME 3のインターフェースはきちんと賢くなっている。
しかしながら、まだ悪い。
それは、原作者が作っていないからである。
ダイナブック構想やUNIXのシステムは、
きちんと「原作者」すなわち「最初に考えた人間」が作った。
しかしながら、GNOME 3は最初に考えた人間が作ったわけじゃない。
ここが、クローンを作るエンジニアと、
オリジナルを作るエンジニアの違いではないかと思う。
だから、本当にいいデスクトップ環境を作るなら、
アラン・ケイが作るしかない。
そうでなければ、素晴らしいデスクトップ環境にはならない。

スティーブ・ジョブズを失ったことが痛恨の極み

そういうわけで、要するにジョブズが居ないのが悪いのである。
アップルの共同創設者スティーブ・ジョブズが死んだから、
パソコンのGUIは劣悪なものになった。
これは、致し方ないことある。
どんなに頑張ってもジョブズが生き返ることはない。
ジョブズがいない以上、パソコンのGUIが進歩することはないだろう。

GNOMEはどんなに頑張ってもいいものにならない

僕が思うに、GNOMEは、
どんなに頑張ってもいいものにはならない。
彼らは、「型どおりのツールキット」「型どおりのアプリケーション」しか
作れないからである。
普通にボタンを使って、普通にテキストボックスを使うだけの
アプリケーションなら、GNOMEでも作れるだろう。
だが、Macのような調和され、さまざまなところが工夫され、
一貫性のあるコンセプトによって形作られるデスクトップ環境は、
ジョブズでなければ作れない。
だから、いつまでもLinuxデスクトップは使われることがないのである。

エンジニアは曖昧な考え方が苦手

僕が思うに、エンジニアの習性として、
「答えが何かあることを厳密に考えることは得意」だが、
「人間にとってどのようなものが使いやすいかという、
曖昧な考え方をするのが苦手」なところがあると思う。
オープンソースのエンジニアにとっても、
あるいは一般的な普通の人間にとってもそれは当てはまる。
ジョブズは、そうした「曖昧な発想」が得意なエンジニアだった。
どのようなものを作れば、ユーザーが使いやすいか分かっていた。
GNOMEのエンジニアも、
バックエンドとなる設定データベースや仮想ファイルシステム
ツールキットGTKの論理的なクラス構造とライブラリのレイヤー階層、
あるいはCORBAやD-Busを用いた分散コンポーネント・プロセス間通信のような、
既に答えが決まっているものをその通り実現するのはとても得意だが、
どんなものを作れば使いやすいか、曖昧な部分が分かっていないのである。

解決策は、標準を作らないこと

僕が思うに、ひとつ、解決策がある。
それは、標準を作らないこと。
それぞれの思うGUIデザインで、それぞれがデスクトップ環境を作れば、
いつかどれかのデスクトップ環境がいいものになるだろう。

しかしながら、標準がなければ混乱が生まれる

しかしながら、僕はそれではLinuxWindowsには勝てないと思う。
Windowsという標準は、みんなにとって「標準的なやり方」を与えてくれる。
Windowsのやり方を覚えれば、ほかのGUI環境のやり方を覚える必要はない。
LinuxにはGNOMEKDEのほか、XfceやJWMなど多くの環境が乱立しており、
それぞれの使い方、操作だけではなく設定や管理の仕方がバラバラで、
時には設定をしたとしても、
GTKとQtのように見た目や操作性がアプリケーションごとにバラバラだったりする。
これは、WindowsMacに比べると、とても劣った、見劣りする点であり、
そしてこれはGUI環境だけではなく、
ディストリビューションによっても違い、
同時にソフトウェアのバージョンや環境によっても違うため、
どう設定すれば正しいのか分からず、正しい情報に出会うことも稀である。
これでは、デスクトップLinuxWindowsに勝つことはできないだろう。

ウィンドウマネージャは、全てが高品質で使いやすくはない

また、Linuxを「カスタマイズ性が高い」という人間が居る。
そういう人間は、GNOMEKDEXfceだけではなく、
さまざまなウィンドウマネージャに置き換えられて、楽しめることを言っている。
しかしながら、これは確かに正しいが、
ウィンドウマネージャは、全てが高品質で、使いやすいわけじゃない。
中には、劣悪で、バグが多く、不安定で、設定が難解で、情報の少ないものもある。
ドキュメント化がされていないようなものや、
安定バージョンが出ていないもの、
長い間放っておかれて更新されていないものもある。
こうしたさまざまなウィンドウマネージャの中から、
自分にあったものを見つけ出すのは、
まさに「石の中から玉を見つけ出す」という行為に等しい。

GNOMEを最高のデザイナーが設計するしかない

そういうわけで、どうすればいいかというと、
GNOMEの新しいバージョンを、最高のデザイナーが設計するしかない。
誰か、それをボランティアでやってくれるかもしれないが、
これには「オープンソースエンジニア」ではなく、
オープンソースデザイナー」が必要であり、
そもそもが著作権や知的コンテンツの世界で生きているデザイナーが、
オープンソースの分野でエンジニアを従えることは、
まさに稀である。
そういうわけで、むしろ、
普通の使いやすいGNOME 3で満足すればいいことになる。
あるいは、KDE Plasma 5の美しさを「WindowsMacを超えている」と
そのように信じる「KDE信者」になるしかない。
他に、有効な解決策は、おそらくないだろう。