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喜びを見出す

どんなことにも喜びを見出そう

どんなことにも、喜びを見出そう。
楽しいことを楽しいと呼び、
嬉しいことを嬉しいと言おう。
僕は、創造的な仕事につけて嬉しい。
僕は、いろんなことを知ることができて嬉しい。
僕は、偉大な経験や未知の体験ができて楽しい。
僕は、みんなに愛されて、とても幸せだ。
だが、現状に満足してはならない。
もっとみんなのことを幸せにしたいし、
もっと知って、分かるために経験しなければならない。
冷静に、シリアスに考えていかなければならない。
そうでなければ、無限大の進歩はない。

偉大な経験と未知の体験

偉大な経験は、全てのことを自らの経験のみで知った、
坂本龍馬のような人間だった。
そして、未知の体験は、イエス・キリストのような、
宇宙の裏側を全て開拓する救い主だった。

植物と虫は同じもの

僕は、植物と虫は同じものだと思う。
たとえば、植物は地面の中の種から芽がでるが、
虫は土の中で大きくなり、変態して成虫になる。
また、生物が生きているというのであれば、
川や火山だって生きている。
僕たちは見た目や特性から分類をしてしまうが、
自然界の成り立ちに、
そんな「人知による分類」は当てはまらない。
たとえば、青虫は葉っぱと同じ色をしている。
これは、虫と植物がかつて同じものであり、
精神分裂から発生したことの表れであると僕は思う。

啓蒙の先に民主主義がある

また、僕は啓蒙の先に民主主義があると思う。
人々が知性を高め、知識を共有しなければ、
その知性や知識に基づいた議論はできない。
だから、国民は賢くならなければならない。
国民が馬鹿になれば、政治家や権力者に上手く支配されてしまう。
支配されないためには、啓蒙が必要である。
また、啓蒙は文明の発展そのものにも貢献する。
人々が賢くなれば、文明開化によって新しい文化が訪れ、
その新しい文化によって、人々はさらに賢くなっていく。

ルート22

僕は、最初は簡単な道からやってきた。
そこでは、単に先に進むだけでよく、
何も考えなくても新しい進歩があった。
これを、ルート11とする。
しかしながら、僕が元の世界に帰ろうと思った時、
ルート11を通ることはできない。
ルート11は一方通行だからである。
帰るためには、ルート22を通る必要がある。
しかしながら、ルート22は、
この世界でもっとも困難で、
普通の人には絶対に乗り越えることのできないルートである。
しかしながら、僕はそれを越えてきた。
同じことを、日本人のみんながする必要がある。
ここまでの日本が、ルート11であるとすれば、
みんなは今から、ルート22を越えていかなければならない。

アルゴリズムを競う時代から、データを競う時代へ

今までのIT技術というのは、
主にアルゴリズムの優劣を競ってきた。
優れた設計、優れた実装、優れたコードを書くために、
今までのプログラマは存在し、
新しいアルゴリズムが現れることが、
ソフトウェアの発展だった。
しかしながら、人工知能の時代、
もうそれは正しくない。
必要なのは膨大なデータであり、
データの質と量が全てを決定する。
アルゴリズムなど、普通のコードで構わない。
今からの世界、必要なのはとにかく、データなのである。
人工知能データマイニングにおいては、
コードの量が製品の質を決めるのではなく、
データの量が製品の質を決める。
優れたサービスを作ることができるのは、
卓越したコードスキルではなく、
たくさんの利用者のデータがあるかどうかなのである。
この考え方が顕著なのは、人工知能だけではない。
マルチメディア、たとえばボーカロイドなどにおいても、
そもそもの技術よりも、
データとしての「声の音源」が重要になってくる。
こうしたことに早くから気付いているのは、
テレビゲーム業界である。
ハードウェアとしてのプレステや、
不思議なダンジョンなどのゲームプログラムは、
そんなに独自性を発揮するものではない。
価値があるのはキャラクターデザインだったり、
あるいはアイテムや技を使った遊び方や難易度の問題であり、
プログラム自体はほかと同じ発想で構わない。
そのゲームが面白いかどうかは、データによって左右される。
これが、今からのIT業界の標準的な考え方になっていくだろう。

ローグライクゲーム

不思議なダンジョンというゲームは、
その時その時変わるダンジョンで
装備品を使って自らをパワーアップさせ、
モンスターを倒しながら階段を探して、
最上層までダンジョンを上っていくというゲームで、
正確な名称は「ローグライクゲーム」。
これはもともとのゲームの名前が「ローグ」であったことに由来し、
最初は文字しか表示できない中で表示される貧弱なゲームだった。
「@」を主人公とするように、
全てが文字で表示されるゲームだったが、
むしろ、その頃の方が楽しかったのかもしれない。
ローグはとても面白いゲームだったため、
色んな人や会社が豪華なグラフィック版のローグを作り、
これが「チョコボの不思議なダンジョン」のような超面白いゲームを生んだため、
今ではゲーム名に「不思議なダンジョン」をつけることが慣習的になっている。
そのように、最初に開発したゲームプログラムがいくら賢くても、
グラフィック端末が貧弱であれば、
そのゲームをもっと豪華なグラフィック端末で表示するゲームが生まれる。
今からのコンピュータ技術というのは、
そのように「入出力デバイス」は変わっていくだろうが、
実際のソフトウェアの設計やアルゴリズムは、
まったく変わらずいつまでも続いていくと僕は思う。
なぜなら、不思議なダンジョンはめちゃくちゃ面白いからである。
ダンジョンの形が挑戦のたびに変わるため、
飽きが来ない。
また、最上階まで上ることができなくても、
下の階はモンスターが弱いため、
「今度はここまで上ることができた」という
自己新記録のような達成感が得られる。
装備品の強さは永続的だが、
主人公のレベルは永続的ではなく、
毎回レベル1から始めるため、
「今度はまた最初から頑張ろう」とモチベーションも高まる。
これが、不思議なダンジョンの特徴である。
もともとのローグライクゲームと違うのは、
主人公と一緒に活動する「仲間プレイヤー」が存在し、
チョコボの場合はモーグリシロマがこれに相当する。
とにかく面白いので、一度プレイしてみてほしい。

シミュレーションRPG

また、僕が昔好きだったのは、ファイアーエムブレムというゲーム。
これはシミュレーションRPGのようなゲームで、
広いマップの中に敵軍と自軍の「駒」が配置され、
駒にはその役職によって移動距離が決まっており、
ターンごとに自分の軍の駒を移動させて、
相手の駒と自分の駒が接近した時に攻撃し合い、
勝つと経験値が入るが、負けるとその武将は死ぬ。
将棋に近い面白さがありながら、駒を成長させる面白さと、
「戦略」を練りながら自分の軍の進め方を考える楽しさがある。
最近の3DCGのゲームは、
多くが人を剣で切り殺すゲームであり、
特に「自分が死んでもリセットすれば生き返る」という発想に基づいているが、
ファイアーエムブレムは違い、
「死んだ武将が二度と復活することはない」。
そのため、できるだけ武将を殺さないようにしなければ、
次のステージで勝つことはできないのである。