作家・デザイナー。以前の名は「わたしの名はフレイ」でした。

一瞬の栄光をわたしと共有するドイツよ

ドイツへの言葉

一瞬の栄光を、わたしと共有するドイツよ。
申し訳がないが、
僕はこれ以上、あなたがたのことを応援することはできない。
わたしはここから、社会主義者となってこの世界を救う必要があるからである。
一瞬の栄光をわたしと共有したドイツよ。
ここまでの全てを教えてくれて、
ありがとう。

僕は民主主義者になる

実際、僕が極左思想家になろうとか、
そういう魂胆は無い。
僕は今現状の日本が好きであり、
この日本が今のままで、
保守的なままでより民主主義になってくれるのを望んでいる。
民主主義の精神は「主権在民」であり、
それ以上でもそれ以下でもない。
国民が日本の主たる存在であること、
それを実現する全ての思想を民主主義と言う。

世界は急速に自閉症になりつつある

この世界を簡単に言えば、
すなわち、「世界は急速に自閉症になりつつある」。
この世界を救うには、
「本当にきちんとした親の愛」が必要である。
そして、わたしこそ、その親となるべき女である。
この女の名は、テリーザと言う。

世界を停止させ、悪いものから退けよ

世界を停止させ、
悪いものから退けよ。
なぜなら、この世界は変化のスピードが速すぎて、
一切何も形成されることなく、
「自我を形成する余裕すらない」。
これが、僕が思うに、自閉症の原因である。

エスが増え、超自我は皆無、親が親で無くなる日本

日本の問題をフロイトに重ね合わせると、
欲望と快楽主義の「エス」ばかりが増え、
幼いころからの積み重ねであり、
親によって形成される、
自我を制御するための道徳心である「超自我」が
どんどん減っている。
そして、何より、インターネットにダイレクトに繋がるこの世界では、
子供を守ってくれる「親」が、
逆に子供を支配する「無意味な支配者」となっている。
日本がユートピアという人間は、正気ではない。
これほどに悪い世界は日本をおいてほかにない。
親が親で無くなり、「支配者の鬼が孤独な鬼を生み出す国」、
それが日本である。
鬼は鬼の集団によって、「どんどん悪いことをしろ」と鬼が鬼から教わり、
どんな理想も悪によって滅び、
どんなに上手くいっていたシステムも、
今の社会ではうまくいかなくなった。
競争原理だけでよくなっていた世界は無くなり、
インターネットの世界すら、いいものがどんどん悪いものに変化していく。
どんな理想も信じられない今の世界では、
子供たちは自由なことを言って反抗することもできず、
学校のいじめがなくなることはなく、
全てのしわ寄せは未来の世代である若者にのしかかり、
同時に高齢者や弱者たちが何もできずに「孤独な中での諦めを強要される」。
それが、今の日本である。
このような日本を「素晴らしい世界」だと言える政治家は、
何も見ていないで、何も聞いていないで、狂っているのだろう。

どのような希望を描けばいいのだろうか

しかしながら、どのような希望を描けばいいのだろうか。
僕が職場の同僚に言われたように、
「感情論だけでは問題は解決しない」。
どんなに悪を悪であるかのように誇張して表現しても、
それは単なる「意見」であり、
「救い」ではないのである。
本当の救いがもしあるとしたら、
それは人々に「希望を確信できる」ような、
そうした素晴らしい演説をできればいいのだろう。
それは決して「あざとい」ものでも「ずるい」ものでもない。
なぜなら、不正は必ず神によって滅ぼされるからである。

この世界は滅亡しない

しかしながら、この世界は滅亡しない。
なぜなら、わたしが居るからである。
わたしはインターネットを使うことで、
この世界に意見を表明することができる。
ここに、最大の支配者である在導万創は、
世界における「ポジション」を確立した。
それこそ、そうなってしまえば、
むしろ、このような文章は誰でも書ける。
独裁者のような演説をしたいわけじゃない。
わたしは、わたしの言うべきことを、
単に言うだけである。
それを誰も聞かないとしても、
命ある限り、わたしがこの世界のこの地位を
手放すことはないだろう。
なぜなら、わたしはどこに居てもわたしだからである。
ドイツの独裁者になりたいわけじゃない。
僕は優しい全能なる神のもとに、
自分の信じる正しい道を生きるだけである。

わたしは、単に戦争して終わるだけの王じゃない

わたしは、しかしながら、
ドイツの独裁者のように、単に戦争して終わるだけの王じゃない。
戦争は必要ない。
なぜなら、人を殺したくないわけでも、悪いことをしたくないわけでもない。
戦争しかしないで死ぬことこそ、
権力を持つものにとってもっとも無意味だからである。
たとえば、僕が首相になって、戦争を始めて、すぐに負けたとしよう。
そのような首相は、「何も偉大なことができずに退陣する」だけである。
僕はだから、戦争はしない。
僕は内政と外交努力によって、
この世界における「ガンダーラ」を築かなければならない。
そのために、戦争は「正しい手段じゃない」のである。
僕は国民に対しての約束がある。
それは、「自由と平等を両立させる世界政府を築き、
日の丸を蒼の丸に引き継いでいくこと」であり、
そのために戦争が必要なわけがない。
わたしは、そのように信じている。
決して、僕はユダヤ人を殺すことも、戦争で大勢を犠牲にすることもしない。

後進国と連帯することが未来の成長を生み出す

しかしながら、トップダウンで自由と平等を成り立たせることは、
おそらく難しいだろう。
社会問題の解決と、弱者の救済、
そして経済の成長の全てのエンジンを回すためには、
僕は後進国との協力が必要だと思う。
先に書いたように、発展とはフロンティアに基づく富の偏りであるため、
アメリカやヨーロッパの先進国の経済が立ち行かないならば、
「必ず後進国が台頭するようになる」。
そのため、そうした「弱小国」と連帯していくことが、
結果的に先進国家よりも優れたパイのある
「真の平等な経済成長」を生み出していく。
後進国と連帯することで、
わたしたちは自由と平等を、グローバルな視点からも両立させられる。

アフリカやインドを支配するような利権を

そういうわけで、実際、
アフリカやインドなどとつるむことは必要である。
こうした国は、昔ヨーロッパの植民地になったこともあり、
イギリスやフランスなどのヨーロッパ列強と連帯するところが多いが、
ここに日本が割って入る。
日本なら、イギリスやフランスができないような協力を、
アフリカやインドの国民に対して提供することができる。
アフリカやインドは、将来的に必ず成長していく。
ロシアやブラジル、東南アジアやイランなども同じで、
こうした後進国と連帯することでしか、
今からの国際グローバル社会では生き残ることはできない。

祖国の次に日本が好きだと言われるような国を

まさに、日本人は日本国内のことばかり見すぎていて、
日本が悪い軍国主義国家で、
世界に対して「申し訳がない」と言わなければならない国だと思っているが、
そうでもない。
今から、世界に対してそうした「罪滅ぼし」と、
日本が成長したことに対する「恩返し」をしていこう。
決して支配するだけではない、
きちんとした「その国に対するサポート」を提供していくことで、
「自らの祖国の次に、祖国を助けてくれた日本が好きだ」と言われるような、
そういう国をわたしは作りたい。
そして、そこから「ガンダーラの旅は始まる」のである。

「米ソなんかよりも日本が好きだ」

そういうわけで、
むしろ、みんなに嫌われている日本こそ、
好かれているアメリカやロシアよりも良い国であると、
そのように評価されるようでなければならない。
「米ソなんかよりも日本が好きだ」と、
そのように言われ、
日本人からも「わたしたちの国は最高の国だ」と言われるような、
神の奇跡すら起こせるような「大いなる誇りの国」を僕は作るだろう。

日本国内を正常にできるのは神の愛である

このように、独裁者の優れた演説をしてきたが、
それに反して、
日本国内を正常にできるのは神の愛であり、
それはキリスト教ユダヤ教の神である。
わたしたちは、日本神話や仏教だけではなく、
北欧神話キリスト教を取り入れる。
ここで、「やっぱり下心があるんだ」と思われるかもしれないが、
そうではない。
なぜなら、わたしには「神への大いなる信仰」があるからである。
決して、キリスト教勢力に加担するわけではない。
神こそが、この世界を、わたしの人生を幸福に導いてくれると、
全ての弱者や貧困者を救うための原動力になってくれると、
わたしは信じている。
だからこそ、キリスト教の列強やイスラエルに加担する神のことは、
わたしは信じない。
言ってしまえば、ユダヤ教の神でなくてもいい。
大いなる奇跡の源である、
もっとも正しい天の神を信じるならば、
わたしはどの宗教の神でも、
たとえ既存の全ての宗教ではない神であったとしても、
わたしの神を信じるのであれば、
わたしはその神のことを日本の「天軍大首聖」と呼ぶだろう。
日本に神のご加護と祝福があれ。
わたしの演説は、ここで終わりである。

僕は本当は宗教が嫌い

また、「この期に及んで何を言うか」と思われるかもしれないが、
僕は本当は宗教が嫌いである。
特に、「既存の宗教は全て馬鹿である」と思っている。
僕が教会組織を作るのであれば、
イギリス国教会のような「自分が完全に自由にできる組織」でなければならない。
そうでなければ、国がローマ・カトリック教団に乗っ取られるだけである。
僕は自分の神とはなんであるか、ということに対する
確固たる信念があり、
その信念を曲げることはできない。
僕の神は僕の神であり、
他の人間の神ではないのである。