わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

論理的思考法

統合ではなく分裂を

全ての精神を正常にするために、
統合するのはもうやめにしよう。
真ん中を結合して、
外に向けて分裂することで、
精神は「生きる」ことができる。
この時、全てを一気に分裂させようとするのではなく、
ひとつひとつ分裂させていけばいい。
分裂しないのは、統合を目指しているからだ。
右脳と左脳を連結したら、
ごみのような汚れを浄化し、
一番辛い精神を最初に殺し、
一番分裂しやすい精神を最初に分裂させなさい。

論理的思考法

論理的に、順序を追って計算して考えなさい。
そのコツは、
・もしそれがそうなったとして、それは必然的にそうなるから、結果的にそのような状況が成り立つ
・もしそれがそうだとしたら、それは何を意味しているか
・それがそうなったとしたら、別の場合にもそれは成り立つか
・その中のどの要素や何のふるまいが結果に影響しているか
・どのように考えれば、それは説明できるか
・どのように実験して説明すれば、その原理や法則を導き出すことができるか
また、計算とは、ものの数の比率や増減、その時成り立つ法則性を成立させて考えることである。

モデルをシチュエーションと照らし合わせて考える

社会のモデルを作って考えなさい。
心のモデルを、状況やシチュエーションと照らし合わせて、
仮想的な世界と現実の世界を重ねて考えなさい。
そこから、正しい「世界モデル」を発見しなさい。
個人の自由と全体の社会を照らし合わせてモデルを成立させなさい。
確固たる「よさ」を現実社会の中でどのように実現できるかを考えなさい。

構造を作って全て考える

構造を作って、全てを考えなさい。
あらゆる全てを、全パターン、全種類、あらゆる側面から考えなさい。
概念と考え方を作り、全ての前提条件を成立した結果を書きなさい。
宇宙と地球の歴史を全て書きなさい。
あらゆる「普通分からないことの全て」を考えて発見しなさい。
分からなくなっても、思い出し、全てを書き記すことで再発見しなさい。

世界を見るな

世界など、見るな。
自分の頭の中で、順序を追って、計算して、
自分の自我だけで考えるようにすればいい。
そうすれば、きちんとした子供の理性を
あなたは取り戻すだろう。

孤独のカタルシスから飛び出し、宇宙全てを経験せよ

孤独のカタルシスを経験し、
この世界の全ての「社会経験」を体験したら、
そこから飛び出して、
世界と立ち向かい、
宇宙の全てを経験せよ。
少年の彼は、神話の英雄と神となるために生まれてきたのだ。

悩んで生きよ、道は一本しかないのだから

悩んで生きればいい。
いくらでも悩んで、何万回と間違えればいい。
道に迷う心配はない。
道は一本で、ひとつも分かれ道はないのだから、
最初から迷うことはない。
だからこそ、その道を進むべきか、そこで終わるべきか、
常に同じ結果を悩み続けなさい。
これを人は「人生」と言い、その人生を「自分」と言うのである。

科学的正しさよりも普通を取れ

科学的な正しさよりも、
普通を取れば、
人間は本来の自分に戻れる。
今のこの日本社会は、
科学的な正しさにおいてものごとを決定せよとするせいで、
普通を忘れている。
科学的な正しさは、
単に「正しい」だけにすぎず、
よく考えると、正しいからといって適切な行為ではないこともある。
しかしながら、全てをきちんと分かりなさい、という
教師の立場も間違っている。
必要なのは科学でもインターネットでもない「普通」であり、
それこそが、「本来の自分を取り戻す方法」なのである。

正しすぎる人間は正しくない

また、正しすぎる人間は正しくない。
厳密に定義を考え、成立と論理から論証したとして、
その絶対的な正しさは、役に立たない。
人生にとって役に立つということは、
決して技術や発明だけではなく、
たとえば、人生をよりよく生きるためには失敗も必要だし、
少しの間違いは許容していくことで、
うまくプロジェクトを運営することもできる。

昔はインターネットが新しい世界に見えた

そして、昔の問題とは、
インターネットやコンピュータが、新しい世界に見えたのである。
Windows 95は神秘的な環境で、
全世界が繋がるインターネットは新しくて面白い世界に見えたのである。
しかしながら、いったんそれが定着してしまうと、
プログラミングのコードはつまらない狂人の業であり、
インターネットは無法地帯を無理やり管理するソ連である。
このようなIT技術は、今の世界から見ると、面白いものではない。
神秘的な環境に見えたIT技術は、実際は何にもない、
ひとりぼっちを、よりひとりぼっちにする、孤独な洞窟だったのである。

環境シチュエーション哲学

昔の自分は、環境シチュエーション哲学を作っていた。
これは「人間はみんな自分と同じ」という考え方に基づくもので、
それがその時分かったことや、
発言や行動の理由を、
前提条件をつきつめて考えることで、
「環境的要因」を探っていくものである。
僕は中学校を不登校になったが、
学校から家への環境の変化における「不可能を思い出す」ことで、
環境からの離脱や、
環境の変化によって何が変わるのかを考えた。
僕は、インターネットを見ながら、
環境と自分をさまざまに変えたり照らし合わせたりして、
環境のまるで「インターネットの青春」を知ったりすることで、
全ての人間は同じであり、
相手の心や自分の客観像が分かっていないから、
いらぬ誤解や勘違いやすれ違いを生むのであって、
それは環境的要因であり、
人間はみんな自分と同じである、という考え方だった。
そして、多くのことが「関係」に基づいて決まっており、
関係性を決め直し、
それぞれの違いを環境的要因に基づくものであるとして、
違いを克服することで、本質的に誰もが分かり得るのだ、
とするのが、この哲学の「善の側面」である。
この哲学においては、
誰もが自然に平等であり、
違うと思っているのは「人類の種に基づく勘違い」にすぎず、
きちんと対話し、分かり合うことで、
誰もが同じ自由な理想の下に分かり合うことができる。
理解し合うことができ、
全ての問題は自由なままでも合意と許し合いによって解決できる。
また、人間の本質や才能は自由な環境的要因に基づくものであり、
どんなに偉大な偉人だろうとわたしたちと同じ人間であり、
同じ条件下で生きていれば、
どんな偉人にでもわたしたちはなることができる。
そして、現に思考を突き詰めて考えれば、
この宇宙に不可能はなく、
ダイレクトに対話することで、
インターネットを用いてもこの世界は変えられる。

環境哲学の悪の側面

これに対して、全ての行動や発言は環境に基づくものであり、
環境を支配して掌握してしまえば、
どんな人間でも心理学的に支配することができる、
とするのが、この哲学の「悪の側面」なのである。
全ての奴隷は決定者によって支配され、
あらゆる行動は決定者の思惑の通りに
「自由な決まりによって強制」される。

人間は自由なロボット

この哲学においては、
人間というのは全てが自由なロボットだが、
環境と人生の「多様性」や「差異」から
「まったく異なる性質を示す」ことのできるロボットであり、
人間が本来の自分を取り戻すためには、
「全ての性質を収集する必要がある」。
このため、僕はまるで観測・収集ロボットのように、
この世界の全てのピースを集めて、
あらゆる人格を融和して、
全員のことを支配することも、
本来の自分を取り戻して幸福にすることもできる人間だったのである。

ジェンダーの違い

僕が思うに、ジェンダーとは関係の違いである。
女は騙し、男は騙される。
男は殺し、女は殺される。
そもそも、男は騙されるのが好きで、
女は殺されるのが好きなのである。
これは単に、生物学上、
「女よりも男の方が強い」ということがあって、
結果的に遺伝子と進化の問題でこうなっただけにすぎない。
男の中に女を作り出すことは、
女のように弱くなるだけでできる。
逆に、女が強くなって男を殺せば、
それが本当に女であろうと、
あるいは男の中の女であろうと、
その女は男に戻ることすらできる。

世界を増やす

また、昔の僕は「世界を増やす」ということが好きだった。
その環境に自由を許し、
コントロールの権限を与えることで、
可能性は高まり、
ボトムアップな変化を許すことで、
この世界はどんどん多様になっていく。
これは、インターネットの「光の側面」である。
しかしながら、インターネットを上手く使えば、
世界の全てをひとりの意志が支配し、
全員がひとりの生きた人生のコピーとなるようにすることもできる。
これがインターネットの「闇の側面」である。
どちらも自由である。
どちらも、民主主義における無意味な社会主義政策に過ぎない。

その時分かることだけを信じ続ければ不可能はない

また、環境シチュエーション哲学には続きがある。
それは、
「その時分かることを疑うことなく信じ続けよ」
ということ。
その時分かることを、一切疑わずに信じれば、
同じことの繰り返しの中で、
「あらゆる不可能で偉大な発見を知ることができる」。
この宇宙の全ての謎が解けた時、
人はそれを「哲学者」と呼ぶ。

愛の国が築かれる

最後に、僕はこの地上に愛の国を築く。
この国では、
受け入れるだけでも、反抗するだけでもなく、
根源的にさかのぼって、
本当の問題を解決する。
だから、日本よ、
このような人間のことを愛してくれてありがとう。
僕の言葉を受け入れる必要もなければ、
反抗するように強制的に反応させられる必要もない。
この愛の国では、
問題そのものを冷静に見つめ、
この世界における「矛盾の解消」から、
この世界を絶対的な愛の国へと変貌させていく。

さようなら

そして、ここで、ひとつ、お別れの言葉である。
さようなら。