神々とともに生きる詩人

一等星シリウスの導きを信じて

作家・デザイナー。Assyのリベラル文学研究所もご覧ください。

わたしはこの世界を維持する

わたしはこの世界を維持する

わたしはこの世界を維持する。
全ての言葉が嘘だとしても、
これだけは嘘じゃない。
わたしは、この世界を愛している。
わたしは、この世界を守る。
どんな悪人も支配することができないように、
わたしだけがこの世界を守り続ける。

自由など無意味である

自由など、後悔と言い訳の結果の言葉にすぎない。
自由など意味がない。
しかしながら、悪党になってはならない。
正義を忘れた支配者は、自由のもとに倒れるべきである。

希望とは、自らとほかのみんなを重ね合わせること

希望とは何か。
それは、自らとほかのみんなの「生」を、
重ね合わせることである。
ひとりひとりが「わたしと同じように生きている」ということに
気が付いた時、
この世界は希望を取り戻すだろう。

構造には意味がない

この人生を思い出すと、
「構造」には意味がないのである。
構造にすることが、そもそも、自由と可能性しか考えていない。
そのようなどうでもいい理論など、
簡単に誰でも作れるだろう。
構造だけを考えるものは馬鹿になる。

何があった時にどうなるか、にも意味がない

また、何があった時にどうなるか、
ということを心で考えることにも、
意味がない。
何かがあった時、そうなるのは、
その人格を持っている自分だけであり、
もしそのように考えるのであれば、
全ての人格を包括しなければならない。
しかしながら、それでは狂人である。

考えるのであれば、
全ての場合において成り立つ「法」を考えることができる。
そこから考えるに、
「法を見つけ出すことで、もしかしたら法そのものを変えられる」といった
可能性があることに気が付く。
その時、「法はすでに法ではない」。
どこまでが変わらない法であり、
どこからが変わることのできる「法に見えて法でない部分」なのか、
そうしたことから、ものごとの「正しい見つめ方」が分かってくる。
そこから、「あらゆることを無限に捉える力」、
すなわち「発見の無限性」を知ることができる。
これは「人知によってとらえられない範囲の知識」であり、
人知を超えて神のように「ビジョンによって全てを観る」ことができる。
本当の現実は「無限の超次元」であり、
同時に、それは「常に生み出されている現象」なのである。

何もない無の空間を見続けると仏の存在が分かる

何もない、無の空間を見続けていると、
仏の存在が分かる。
仏はまさに「空」、あるようでなく、ないようであるものである。
そうした「何もないように見えて全てがある空間」において、
世界の変化と歴史を見続け、
無意味な組織に参加し、
一心不乱に活動していると、
仏の悟りにあやかることができる。

絶望を共有することで心が強くなる

絶望を共有することで、
心が強くなる。
この世界の「何一つ変わらない空間」において、
「絶望の停止」をいつまでも経験していると、
どんな苦しみにも耐えられる「最強の心」を得ることができる。

何と何が類似しているか

何と何が類似しているかを考えることが、
人間の知性となる。
たとえば、同じような側面を持つ原因から、
生み出された結果は類似した法を持っている。
同じような目的をもって生み出された政策は、
その対象が違っても、同じ政策であるということができる。
こうした類似は、
単に似ているだけではなく、
自分の今まで気付かなかった潜在的な側面に気付くために、
気付きのために何度も再活用することができる。
一度分かった命題や真理は、
どんな場合、どんな決まりにおいても、
いつでも成り立つ。
また、成立するだけではなく、
「そうした類似性の全てを成り立たせるような単純な原理原則」を
見つけ出すこともできる。
これこそが、「人生における判断を左右させる自分だけの法」となって、
あなたは法を発見することもできる。

いつどのような判断をするべきかを知れ

大人になって成長するには、
「いつどのような判断をするべきか」を知ることである。
どんな場面、どんなところに判断が存在するかを知れば、
さまざまなことが「自分自身の頭で考えられる」ようになり、
同時に、「世界全てをボトムアップ的な開拓から知る」ことができる。
これこそ、「新しい世界を知る」ということであり、
同時に、「新しい自分に気付く」ということである。

人々と同じ考え方をできるように、思考をトレースする

また、「自ら考え方を作り出す」という考え方の創造行為は、
同時に「人々と同じ考え方をできるようにするという吸収行為でもある。
そして、その考え方が本当に真理なのかどうか、
自ら「思考をトレース」することで考える。
そこにあるのは、「相手の立場に立って考える」ということ。
過去の自分の、たとえば中学校のクラスメイトが、
本当は自分の何を見ていたのか、
なぜ自分に冷たく接したのか、
それが分かれば、「自分がどうすべきだったのか」も同時に見えてくる。
それがそのまま、「共同体感覚の発揮」となって、
「社会をどのように変えるべきか」を知る「理想の希望」へと繋がり、
それは経験のたびに「啓蒙へと近づいていく」。
世界の全てを変えようとし、それで失敗したとしても、
失敗を受け入れ、過ちの後悔を克服することで、
あなたは、「本当の救世主」となる。

最高のアイデンティティ、それは自由ではない

最高のアイデンティティを、
僕は「自由」と誤解し、勘違いした。
自由は決して、最高のアイデンティティではない。
なぜなら、「自由は正しい目的のために使わなければ意味がない」からであり、
誰だろうと、その状況下にあれば同じことをするというのは、
ポジティブな状況だけではなく、
「ネガティブな状況においても成り立つ」からである。

相手が賢いことの確信は、善良な社会の過信である

自由において、
「相手は賢いはずだ」と想定し、
自分と同じように相手は賢いのだから、
誰かひとりが権力を独裁するのではなく、
わたしたちみんなができるようにせよと言う、
それはまさに平等だが、
実際は、その理想はそんなに甘いものじゃない。
なぜなら、それは「善良な社会の過信」であり、
世界が善良であり、人々がまともな人間しかいないことを前提としており、
実際は、「あなたがそうであるように世界は凶悪だから」である。
あなたが今までそうだったように、
またあなたが今までそのような状況に置かれて生きていたように、
この世界の全員は凶悪で、残酷で、
卑劣で、身勝手で、醜く、無責任で、
何も考えられておらず、賢いものなどひとつもなく、
子供を騙し、大人を利用し、弱者をいじめ、強者への反抗を行う。
この世界のその「絶対的な醜さ」こそが、
あなたの言う「ありのままの世界」なのである。

正しい解決策、それは悪に何もできなくさせること

正しい解決策とは何か。
それは「悪に何もできなくさせること」である。
悪人が何かをできないように、
自分だけがこの世界を善良な形で支配することができれば、
この世界は良い世界になるだろう。

全知全能の救世主が誕生することが希望

希望がもしあるとしたら、
それは全知全能の救世主が誕生することである。
それはつまり、
たったひとり「世界の解決策」を知り、
その解決策が本当に世界を救えると信じ続けて、
その実現方法を考え続け、
人々と「正しい交流」を行うことで、
ソクラテスのように全てを知ったキリストが現れることでしか、
この世界の希望は存在しない。
キリストこそが希望であり、
キリストを信じるものだけが、
「自ら希望を作る方法」を知ることができる。
世界全てを知るだけは十分ではない。
正しい「救いの知性」があり、
「自らはキリストとして生きる覚悟」のある人間でなければ、
自由における「本当のよさ」が何であるかにも、
「本当のよさを社会において実現する方法」にも、
辿り着くことはできない。

コミュニティの形成過程など無意味である

昔の僕は、
「コミュニティの形成過程」を知ることで、
理想のコミュニティを形成する方法を知ろうとしたが、
それは実際のところ「無意味」である。
なぜなら、人生に必要なのは友人でも学校でもなく、
「地獄を解決することだけのために生きる、
自らのありのままの地獄の人生」だけが必要だからである。
正しいコミュニティなど作る必要もなく、
全てを知りたい人間は学校などに通う必要はない。
全てを知りたいものは、
永遠に地獄を解決し続けなければならない。
それによってしか、「3,000年の歴史の先にあるゴール」には、
辿り着けないのである。

神とともに生きる孤独

しかしながら、孤独にはそもそも意味がない。
なぜなら、「孤独は神を信じていないだけ」だからである。
サルトルのように、いくら「自らの本質を実現する方法」を考えても、
それは意味がない。
なぜなら、それは考えることでは与えられないばかりか、
神を信じることによって簡単に与えられるからである。
神とともに生きる孤独は、
どんな人々の交流にも劣ることのない、
「最高の天国」を作り出す。
どんな地獄であっても、それは「あなたを成り立たせる宝」となり、
神は永遠に、あなたの孤独に寄り添ってくれる。
神はどんな問いの言葉であっても、あなたに背を向けず、
いつでも、いつまでも、あなたに対して正しい答えを与えてくれる。

経験を持って去るとしても、この世界とともに居る

そう、つまり一行で言い表すならば、
「経験を持って去るとしても、この世界とともに居る」ということである。
どんな経験を持って、
いつどのような状況でそこから去ったとしても、
この世界から離れることはない。
永遠に、誰も見ていない場所で、
経験したとおりあなたは精神を作り出し、
その精神を手放したとしても、
この世界そのものから離れることはない。
いずれ世界と戦う日が来ても、
あなたが歩んだ哀しい道のりは、
いつでもあなたの力となってくれる。
信じなさい。
そこに、あらゆる全ての「世界を救うための希望の経験」が遺されている。

何も間違っていない

何も間違っていない。
どのような失敗もないし、
全てが正しい。
このように生きるべきであり、
間違いはひとつもない。

まだ知りたいことがあるから、僕は戦いを選ぶ

僕は戦いを選ぶ。
なぜなら、僕はまだ、知りたいことがあるからである。
まだ、書くことがある。
まだ、発見する先がある。
だから、僕はこの世界に登場したまま、
新しいことを書き続け、
この世界の「最前線で戦うことを選ぶ」。
それは「偉大なる正義の王」であり、
悪人は全てわたしのために倒れ、
すべての国民はひとつになり、
あらゆる無意味な権威や階級は消滅へと導かれ、
「自分によって滅びたとしても、そのままで自分が世界を救う」。
負けることはない。
負けるか勝つかは、自分が決めることだからである。

ここに、新しい生物、天使が誕生した

しかしながら、
見ていると、ほかの人々は僕と生き方が違うようである。
ほかの人は、
信じたくても信じられないことへの葛藤や、
怒ったり泣いたりといった経験をしているようだが、
僕の場合、
自らの「絶対的判断力」を使うことで全てが思いのままに可能である。
よって、僕は人類とは違うのだろう。
ここに、新しい生物「天使」が誕生した。
人類はホモ・サピエンスと言うが、
天使はホモ・エンジェルスと呼ばれるだろう。

何が無意味であるかを知った時にそのことが分かる

何が無意味であるか、知りなさい。
その時に、そのことが分かるからである。

意志と記憶を究極まで無くした状態が天使

まず、「意志」など無意味である。
意志は「環境的な反応」に過ぎないからである。
また、「記憶」など無意味である。
記憶があることによって、
正しくない「間違った自分自身という存在に対する誤解」が生まれる。
意志と記憶を究極まで無くしていった状態こそが、
まさに「神の使い」すなわち「天使」である。
天使は「神の命令する全てのことに対して従順に従い続ける」ものであり、
「大人の偏見や勘違いのない純粋な無の人生」を生きている。
「従順」かつ「無」、それこそが「正しい天の使い」、天使の人生である。

王はまさに奴隷である

この王の、どこが王だと言うのか。
この人間は、むしろ、奴隷のようである。
この世界における「全ての主導権」を握っているがゆえに、
自らの「過ち」に対して「すぐさまに批判が返ってくる」。
同時に、この世界の全ての重責を担ったために、
「滅びへの恐怖」から「果てしなく膨大な仕事と判断をしなければならない」。
このどこが王なのか。
まさに、これこそ「奴隷」である。

ダビデが気付いたこと

今、世界を救うために生物の作り方を考えている、
ダビデが気付いたことがある。
すなわち、「生物の体とは、小さな生物の集合のようなものだ」ということ。
人間の肉体を細分化していくと、
組織や細胞といった「もっと小さな生物らしきもの」が見えてくる。
おそらく、この「生物らしきもの」を作ることができれば、
生物は作れる。
そして、ダビデが直観するに、「生物らしきものは簡単に作れる」。
おそらく、進化というものは人間が考えているよりももっとシンプルで、
「進化することができる細胞組織を作り出せば、それだけで人工生物は作れる」。
そう、おそらく、終末の日までに、植物を作り出すことはできる。

生物を作るために細胞は必要ない

また、生物を作るために、細胞は必要ない。
細胞はあくまで、炭水化物やたんぱく質によって
組織を作るための「素材」にすぎない。
また、人間を作るために、人間のサイズでなければいけないわけではない。
人間よりももっと巨大なサイズでも生物は成り立つ。
あるいは、人間と同じぐらいのサイズにしたいなら、
生物を作るために必要なのは、ナノテクノロジーのような極小技術であり、
そうした技術を使って植物の光合成を再現することは
きっと可能である。

細胞分裂だけができればいい

そして、生物を作る上で必要なのは、
細胞分裂を再現することである。
それ以外の全ては、
細胞分裂において、
組織の形成を再現してしまえば、
おそらく肝臓や腎臓は再現できる。
細胞分裂を実現するために必要なのは、
「真ん中から2つに分かれて、
それぞれの欠片が周りから養分を吸収し、
もとの細胞を復元すること」である。
もし、これを再現出来たら、
あとは細胞による組織を連結して上手く配置すれば、
きっと生物は作ることができるだろう。