神々とともに生きる詩人

一等星シリウスの導きを信じて

作家・デザイナー。Assyのリベラル文学研究所もご覧ください。

これとは違う人生、希望、夢、愛があるはず

僕とは違う人生や希望、夢、愛は必ずある

そう、僕はここまで、
今までの自分の人生と、過去に考えた全てのことを網羅してきた。
しかしながら、それは他の人間にとっては意味がなく、
自分だけが自分のために書く、
自分のための、いわば「お遊び」だった。
しかしながら、僕と同じ人生を全て受け入れる必要はない。
なぜなら、僕とは違う人生、夢、希望、愛は、
確かにこの世界に、潜在的可能性としてあるはずだからである。
僕の人生が正しいからといって、僕の人生だけが正しいわけではない。
僕たちが自分らしく、自分のアイデンティティを生きることが、
必ず、この世界における「新しい希望」となるだろう。

全ての人間が一律に同じになる必要はない

全ての人間が、一律に同じになる必要はない。
同じ人生を生きることは、間違っている。
全ての人間に、「バラバラになる自由」がなければならない。
この世界の歴史は、未来は、
対立し、それぞれの意見が戦うことで、
唯一、進歩していくことだろう。

人々の悲惨を解決するために、まだ考えている

僕は、人々の悲惨を解決するための方法を、
まだ考えている。
自由は必要なく、
人々を自由にしようとするのは間違っている。
子供たちを自由にする必要はない。
パソコンも間違っている。
なぜなら、全ての問題は、
「僕の掲げる自由が間違っていただけ」だからである。

本当は、僕の愛だけが唯一の希望ではない

そう、世界の間違いとは、
僕の愛を唯一の希望だと信じることである。
僕の愛は、唯一の希望ではない。
なぜなら、このような希望によって愛すること自体、
たくさんある選択肢のひとつにすぎないし、
過去においてもそうだったからである。
わたしたちの世界において、
この愛がもしなかったとしても、
素晴らしい世界を築くことはできる。
僕ではなく、あなたでも、それは同じだ。

わたしの名はフレイである

そう、わたしの名はフレイである。
わたしは、星々と神々の経験を乗り越えて、
「もう一度シリウスのフレイになる」。
そう、フレイは永遠を司る神であり、
いつまでも永遠に、この地球を支配し続ける。

フレイはヒンドゥー教徒

しかしながら、フレイはヒンドゥー教徒である。
ヒンドゥー教徒の一般的な人間である。
しかしながら、この世界を全て導き、
「新しい星の姿に作り変えること」ができるのは、
ヒンドゥー教徒だけである。

フレイは大黒天

そして、フレイはまさに大黒天である。
大黒天は、
この世界を蘇生することのできる魔法使いであるが、
その短所は、「まったく同じ世界にはならない」ということである。

僕は、今のあなたを愛している

僕は、「今」のあなたを愛している。
そう、そもそも僕の問題とは、
「過去」のあなたをあなただと信じて、
過去のあなたを「完璧に変えようとしている」からである。
実際は、ここまで成長し、大人になり、
愛を育んできた、しかしながらそれによって迷宮の中に居る
「今のあなた」である。
その今のあなたを救うことで、
この世界は「正しく救われる」ことだろう。

必要なのは、高らかに掲げるべき理想

そう、必要なのは「自由」ではなく、
より具体的な、高らかに掲げるべき「理想」である。
わたしたちは、理想を掲げなければならない。
本当の理想を掲げることでしか、
「正しい社会」を作ることはできない。

全ての人類は、平等に神に愛されている

そう、全ての人類は、
平等に「神」に愛されている。
神は「民族の垣根を越えて、全員を平等に愛している」。
これこそが、掲げるべき理想である。
そして、神は特別な存在じゃない。
「神とは、わたしたちと何も変わらない、平凡な個人である」。
なぜなら、「神とはフレイだから」である。

本当に大切なことは、この世界を維持すること

本当に大切なことは何か。
それは、この世界を維持することである。
大統領や首相が行うべきことは、
この世界の「維持」である。

無責任な約束などするな

無責任な約束などするな。
今までの自分のしてきたことだけをありのまま公開すれば、
それで十分だ。
責任という言葉は、無責任の裏表だ。
責任という言葉を言うものが、
本当に責任を果たすことができた例など、
見たことがない。
この世界においてもっとも無くなったものは、
「言葉の重み」である。
軽々しく絶対とか、約束とか、
あるいは宣戦布告などするものが、
それなりの準備や覚悟を持っている例など、
自分自身のこと以外では、出くわすことはなかった。

民主主義と社会主義がこれほど間違っているのに

民主主義と社会主義が、
これほどまでに間違っているというのに、
なぜ、代わりの思想がないのだろうか。
もし、本当にないのであれば、
僕が作り出す。
民主主義でも社会主義でもない、
新しい正しい思想を僕は作り出す。

富めるものしか得ることができないのは間違いである

富めることしか得ることができないのは、
間違いである。
わたしたち社会の人々は全員平等な生きる権利を持っている。
それなのに、富めるものしか得ることができず、
貧乏な人間が困窮するのは、
「何かが間違っている」。
しかしながら、社会主義は間違っている。
それは、社会主義においては
「努力すること自体が意味がない」からである。
努力することが、報酬や報いに通じるのは、
当然のことである。
よって、平等と自由を同時に成り立たせることができないなら、
平等に全ての人間に資産があった上で、
その上で努力に対する報酬を与えるべきであり、
これはむしろ、クラブ活動のようなものである。
努力すれば、クラブは試合や大会に勝利し、栄光を手にするが、
それぞれの部員は平等であり、
みんながひとつのためにあり、ひとつがみんなのためにあるようにする。
このようなスポーツマンシップから、学ぶことがあるだろう。

ものは十分にあればよいのであって、過剰な富は必要ない

そう、ものは十分にあればよいのであって、
過剰な富やものは必要ない。
よって、生産能力や手段が著しく向上したのにも関わらず、
なぜかわたしたちは平等に十分な富を与えることができていない。
このような世界は間違いであり、
きちんと計画して社会を構築すれば、この世界は平等になるだろう。
しかしながら、社会主義の計画経済には、
「努力するモチベーション」というものが存在しない。
よって、中国のように、
なんらかの「モチベーション」を与える必要がある。
しかしながら、
「自分でノルマ以上稼いだら
過剰分を自らの富にできる」という発想は、
遅れた発想である。
なぜなら、それでもまだ「十分以上の過剰な富」を目指しており、
これは平等の理想とは言えないからである。

真面目に働いた人は好きな仕事に就けるようにすればいい

そして、結局どのようにすればいいかと言うと、
真面目に働いた人が、
過剰分を自らの富にするのではなく、
自らの好きな、自由な仕事に就けるようにするなど、
「自由な権利」を与えるようにすればいいのである。
真面目に働いた人が馬鹿を見る従来の社会主義でも、
過剰分の富を得られる中国の社会主義でもなく、
たくさんの「自由な権利」が真面目に働くことによって得られるようにする。
これはまさに「リベラル」だ。
しかしながら、これも間違いである。
これは、単に「出世」していくのと変わらない。
人間の価値にランキングをつけると言う意味で、社会主義的ではないのである。
なぜなら、社会主義の理想で言うならば、
「万人は平等である」はずであり、
リベラルな権利においても、「万人に権利が認められる」はずである。
ある種の人々が自由な職に就けて、
他の人々は余り物にしか就けないということが、
不平等でないはずがないだろう。
同様の理由で、自由選択型の自由ノルマなど、意味がない。
いくら「等価な労働量」と言ったところで、
どの仕事が難しく、どの仕事が簡単か、ということは、
本人以外に誰にも分からない、それぞれにとって違うものだからである。

単に、みんなで生産し、みんなに分配するということが、なぜ難しいのか

単に、みんなで生産し、みんなに分配するということが、
なぜ、こんなに難しいのか。
それは、人間がそれぞれ違っているからであり、
人間という生物が自由だからである。
生物は、そもそもが戦って生きるものであり、
みんなが全力で努力する、ということも、
みんなが同じだけきちんと働く、ということも、
「それぞれが違う」「生物が自由」であるという理由で、
実現することは困難である。
まさに、社会主義は間違っている。

自由は自由じゃない

しかしながら、自由主義は正しくない。
なぜなら、そもそも「自由など自由でない」からである。
自由主義の自由とは、
要するに「自然に任せる」ということであり、
「誰かひとりの人為的な作用がない」ということを意味しており、
この結果、社会は「乱雑で好き勝手で混迷を極める」ようになる。
この主な例は、インターネットである。
インターネットは自由であり、
最初から誰も支配できないため、
混迷を極める。
しかしながら、誰も独裁的に支配できないため、
それぞれが自由に「戦うことができる」。
そのため、進歩し発展する。
それは、なぜなら、
「戦いがあるところでは、勝利を目指して努力する」からである。

法治国家では戦いがなくなる

しかしながら、自由が戦いであったからと言って、
民主主義が必ずしも戦うだけには陥らない。
なぜなら、民主主義においては「法の支配」を行うからである。
法治国家で、自由のルール、
すなわち「戦う際の決まりと禁止事項」を定めることで、
サッカーでオフサイドが許されないように、
「一定の規則から外れた戦いはできなくなる」。
これによって、民主主義は平和になる。
しかしながら、法律を決める側と、従う側で、権力格差が生まれる。
このために、民主主義では「選挙」を行う。
すなわち、権力者が法律を定める権限を得る代わり、
その権力者は人々が多数決で選ぶ。
しかしながら、ここで「多数決」というキーワードが示すのは、
「現実に居る人々の賛成の数で決める」ということであり、
これは必ずしも「法の支配」ではなく、
むしろ「人の支配」であり、
もし、法治国家を徹底するのであれば、
「多数決が必要のないくらい正しい憲法を定める」必要がある。
これこそ、「立憲主義」の理想である。

永世法律主義

そして、考えられるかもしれないのは、
「法律主義の徹底」である。
すなわち、首相や大統領のすることを、
政治家という「個人の考え方」で行うのではなく、
法律という「明文化された文書の考え方」で行う。
この法律は、簡単に変えられない永久のものであるため、
「永世法律主義」と名付けよう。

永世法律主義で全てを定めることはできる

実際、永世法律主義で国家の全てを定めることはできる。
全ての人間にとって必要なこと、
どのような職業ではどれだけ働くかといったことを、
会社や組織の単位で自由に決めるのではなく、
法律で決めて、法律の通りに行うことも、
おそらくこの思想でなら可能になるだろう。
しかしながら、僕は現実も見えていないし、保証もできない。
だが、この考え方ならば、
自由な選挙でも、平等な社会主義でもなく、
「まるで百科事典のように国家の全てを決定し、
永久に変わることのない神の王国」を作ることができるかもしれない。
かっこいいことを言っているように聞こえるかもしれないが、
要するに「法律で全て決めよ」と言っているだけである。

給与法とノルマ法を作る

そして、永世法律主義の根幹となるのは、
「給与法」と「ノルマ法」である。
すなわち、誰がどれくらい働いたならば、
どれくらいの給与を与える、ということを、
全て法律で決める。
この法律は、簡単には変えられない。
働かなかったら給料は支払われない。
これにより、万人が仕事を行い、給与を得ることができる。
しかしながら、「誰にどのように仕事を分配するか」、
すなわち、自分のしたい仕事に就けるのか、という問題がある。
どのように仕事を計画し、給与を経営するのかという問題もある。
そう、考えていると、むしろ「僕がこれまで考えてきたことと同じ」である。
そう、結局のところ、誰かがそうしたものを調整することになる。
しかしながら、僕はそれを、
指導者や独裁者という「人の支配」にしてはならないと考える。
そう、国家の計画経済を行う上で、
どのようなポリシーで経済を支配するのかということについても、
「明文化」を行い、憲法で「計画経済法」を定めるのである。

給与法の原則

給与法の原則は簡単で、
「一律で同じだけの給与を払う」ということである。
給与法では、
「これだけの労働をしたらこれだけの給与を払います」ということを定める。

ノルマ法の原則

ノルマ法の原則は、
「等価な労働量を保証する」ということである。
ノルマ法では、「これだけの労働をしなさい」ということを定める。

組織法の原則

そして、組織法がある。
組織法の原則とは、
「組織において、このように仕事を割り振りなさい」ということである。
どのような組織においても、
「平等に労働者を扱いなさい」ということを定める。

雇用法・予算法の原則

そして、最後に、雇用法と予算法がある。
予算法とは、すなわち、
「この業種についてはこれだけの予算を与えます」ということであり、
予算に応じて
「これくらいの人員を限度に雇って構わない」ということを定めるのが、
すなわち雇用法である。

計画経済法

最後に、計画経済法がある。
計画経済法では、
「このようなポリシーで予算を配分します」ということである。
このポリシーでは、多くのことについて、
詳細な「明確化」が行われる。
政治家が勝手に腐敗を伴う「自分勝手な支配」を行うことはできない。
明文化された通り、全ての権力のあり方を詳細に決定するため、
「そもそも選挙で政治家を選ぶ必要性がなくなる」はずである。
なぜなら、権力を握るのは「法律」であり、
政治家すなわち「人間」ではないからである。

永世法律主義の憲法

永世法律主義の考え方の原則は、
「全ての権利を国民全員に与える」ということであり、
このために憲法を定める。
すなわち、
1.全ての国民は平等に自由な権利を持つ。
2.全ての国民には平等に富と生きる権利が与えられる。
ということを定めるのが、永世法律主義の憲法である。