わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

あるべきは民主主義である

アスカは民主主義とITで良くなると言う

わたしの名はアスカ。
わたしは、この世界は民主主義で良くなると考える。
むしろ、コンピュータ技術は悪いものではない。
きちんと分かる人間から見ると、
演算と記憶、すなわちレジスタと記憶システムを備えたシステムで、
「考えるべきこと」「考えさせるべきこと」を、
プログラムとして、記述する、
すなわち電子的な「頭脳の奴隷」により、
応用的な「情報通信システム」を作り、
その結果、あらゆる文字と数を使った
自動処理・操作の機械が簡単に作れるのである。
このシステムは、民主主義と相性がいい。
民主主義とは、「国民が主体となる政治システム」であり、
昔から、合理的なビジネスマシンは資本主義と相性がいいが、
ここに、「パソコン」が加わる。
パソコンは、個人向けのコンピュータだが、
ビジネスの道具にも事務処理向けのマシンが使われるし、
インターネットは単なる世界のグローバル化を超えるような、
可能性を秘めている。
そう、民主主義とは変化の主体性を国家から国民全員にし、
コンピュータとは基礎から応用まで、可能性に満ちている。
この世界のすべては、今からさらに民主主義とコンピュータによって変貌し、
可能性が無限に高まっていく。
独裁者の社会主義ファシズムなど、
全く古びた、化石のような思想である。
わたしアスカは、民主主義とコンピュータは、
必ず世界を良くすると考える。
インターネットは間違いではない。
GoogleTwitterなどのサービスが悪いとしても、
それは運営や管理の問題であり、
ネットワーク技術が間違っているわけではない。
GAFAが悪いなら、違う技術、違うサービス、
そして違う社会秩序を持ったシステムを
作ればいいのである。

独裁者に負けてはならない

また、コンピュータが便利であるのは、
国民だけでなく、独裁者にとっても同じだ。
人工知能のような技術は、
国民を自動で監視するのにも使える。
ビッグデータのような技術も同様で、
Googleは世界の個人情報を膨大に取得している。
しかしながら、独裁者に負けることはないだろう。
民主主義とコンピュータは裏表であり、
民主主義のないコンピュータなど、
全く、真の意味で価値はない。
インターネットは、人々が自由だから面白いのであって、
右翼や左翼の工作員が書くインターネットは、
何の意味もないものにしかならない。
インターネットはそのものが自由だから成り立つ。
だからこそ、インターネットが独裁者に負けるわけにはいかないし、
絶対にそうはならないだろう。

コンピュータよりも民主主義が重要である

また、わたしアスカが考えるに、
コンピュータは民主主義の形態のひとつにすぎない。
大切なのは民主主義そのものであり、
そのために必要なのは、
「国民がまともであること」である。
国民がまともでなければ、
民主主義は破綻する。
わたしは、民主主義の成立のためには、
むしろ、コンピュータは無くても構わないと思う。
あるべきは民主主義であり、コンピュータではない。
よってわたしアスカは、マイクロソフトが開発するモデルではなく、
オープンなボランティアが開発するオープンソースのモデルも、
民主主義のひとつの形態として、成立すると、
そう考えるのである。

オープンソースフリーソフトの形態にすぎない

また、オープンソースという発想は、
無償のボランティアが開発し、
給与を与えないが、
みんなに無料かつオープンにソースコードを公開するため、
デジタル共産主義とか、ドットコミュニストと言われることもあるが、
むしろ、インターネットで配布されるフリーソフトの、
ひとつの形態にすぎない。
つまり、対価を取らず、ソースコードも公開するが、動作に責任は持たず、
必要なら自分で必要な部分を改良してほしいというものだ。
これはとても、インターネットと相性が良いことは、
誰にでも分かる。
誰も、フリーソフトで金儲けなどしたくない。
しかしながら、オープンソースは、
このようなフリーソフトの考え方のもとに、
ネット上で共同開発をすれば、
カーネルコンパイラといった、
従来マイクロソフトのような会社が開発していたソフトウェアも、
オープンソースで、同じもの、
あるいははるかに優れたものが開発できることが、
分かったのである。
Windowsを開発するマイクロソフトは、
こうしたオープンソースの可能性に気づいている。
わたしは、Windowsはいずれ、
オープンソースになるだろうと予想する。

オープンソースが馬鹿なのは当たり前

しかしながら、実際にオープンソースLinuxを使うと、
いろんな点がWindowsよりも劣っているのに気付く。
これは、Windowsは一流のエンジニアが
膨大なコストをかけて開発しているからである。
Linuxはボランティアが開発するため、
ボランティアが開発したくない「つまらない部分」、
たとえば日本語処理などに欠陥や不備が目立つ。
しかしながら、これは仕方ないとするしかない。
そもそも無料で使わせてもらっているのでもあるし、
Linuxは「使う」よりも「開発する」ソフトウェアである。
日本語が多少使えなくても、カーネルの開発は可能だ。
わたしが考えるに、LinuxWindowsに置き換わることはない。
日本語のドキュメントを見たり、
一般的な見え方でウェブを検索するために、
いつまでもWindowsは使われ続けるだろう。
Linuxは、単純なホビー用途で、
みんなで「技術の楽しみ」を共有するために、
残り続けるだろう。

政府が資本主義であればそれでいい

政府は、資本主義であった方がいい。
それは、進歩や変化という側面から考えると、
社会主義は「必ず破綻する」からである。
アスカは言う。
「ここまで社会主義国家を実現させようと、
あれこれ平等な社会を成り立たせる努力をしても、
机上の空論では大したモデルは生まれない。
しかしながら、いきなりソ連を作れば失敗する。
社会主義は実現不可能であり、
神のような全知全能の存在が、
全てひとりで決めなければ実現できない。
しかしながらひとりの独裁者による経済は、
資本主義だろうが社会主義だろうが破綻する。
金儲けと資本主義を受け入れ、
自由こそが正しいと認めるべきであり、
民主主義は勝利したということが、
誰が見ても明らかなのである。」

長期的に見て、リーナスが居なくなれば終わり

しかしながら、Linuxが破綻する可能性はある。
なぜなら、リーナスが死ぬか、居なくなれば終わりだ。
その時点で、リーナスの個人プロジェクトであるLinuxは終わりである。
言ってしまえば、流行歌手や作家と同じだ。
リーナスが居る間が、楽しかっただけである。

社会主義は植物や虫のような発想

アスカは言う。
社会主義は、
みんなそれぞれ、できるだけ働いて、
多く働いても、少なく働いても、
みんなに平等に与えましょうとか、
大きく必要になった人を社会全体が支えることで、
みんなで助けましょう、という発想をしているが、
これほど『報いのない』経済は存在しない。
何をしても、その結果、同じことしか返ってこないのは、
まるで魚や虫、植物、あるいは肉体を持たない精霊や妖怪である。
人間は集団となって戦う生き物だ。
最初から戦うことを拒否するなら、
どんな議論や言論もできず、
独裁政権に従う必要がある。
僕は、こんな国は嫌だ。
正しいのは社会主義かもしれないが、
絶対に、わたしアスカは、
社会主義経済の国や社会で生きたいとは思えない。
国家のために命をかけて戦う方が、マシだ。」

オープンソースはハードウェアは作れない

また、オープンソースがいくらソフトウェアを無料で配布したところで、
「ソフトウェアとハードウェアの境界の限界」がある。
ソフトウェアは、一度製品ができてしまえば、
あとは簡単にコピーできるため、製造工程が必要なく、
楽しくみんなでソフトを作って、それをゼロコストで配布できる。
しかしながら、ハードウェアはそうはいかない。
ハードウェアだけは、きちんと設計図の通り工場で製造する必要がある。
しかしながら、もし、ハードウェア企業が、
「ハードウェア以外の部分で大儲けをしている会社」だったとしたら、
無料でスマホのようなハードウェアを製造・配布する可能性はあるかもしれない。
あるいは、政府が税金で作るなら、それなりの予算をかければ、
無料でタブレットを子供たちに配布する、などといったことはできる。
しかしながら、それらはイレギュラーなやり方である。
ハードウェアだけは、いつまでも従来の企業が製造することになる。
ソフトウェアはむしろ、
オープンソースを超えて「サービス化の時代」に入っており、
AmazonのインフラでLinuxを実機ではなくクラウド上で動かす時代であり、
どこまで変わるかは分からないが、
いつまでも、ノイマン型コンピュータのハードウェア的なアーキテクチャは、
そう大きく変わらないだろう。
バイオコンピュータや量子コンピュータ、あるいは光コンピュータでも、
コンピュータそのものの「物理的機械」はおそらく残り続ける。
その機械を自分で所有するか、クラウド上でレンタルするかの違いはあるだろうが、
それでも、ソフトウェアのように、オープンソースで開発することはできない。

鳥のように自由であれ

アスカは言う。
「鳥のように自由であれ。
わたしたちは、それぞれが小鳥のようなものであり、
その中でもほとんどのものは、
ケージに入った小さな世界で生きることを余儀なくされている。
しかしながら、一部のものは、
天空の風と自由を知っている。
多くの鳥のように、監獄の中で生きようとするな。
大空を知る鳥たちのように、
本当の世界を知って生きよ。
アスカである私は、この『鳥の自由論』を信じている。」

他人に頼ろうとするな

アスカは言う。
「他人に頼ろうとするな。
自らの主人の奴隷になろうとするな。
社会に全てを仕立て上げてもらった中で、
自らが手にしたものは『偽物の宝』であり、
その中には黄金やプラチナはあっても、
何らかの価値のある『本当の宝』は含まれていない。
本当の宝を得たいならば、
自らが生きる意味を自ら作るべきであり、
それは『他人や世界を頼らない』ということである。
あらゆる全ての『サポートを得ることを拒否』せよ。
自らの力で得たもの以外は全て捨てよ。
全てが分かったとしても、満足するな。
まだまだ何も分かっていないからである。
誰があなたを助けようとしても、
その甘い罠に騙されるな。
自らがこの世界のどこを向いて生きるべきか、
それが自分の経験から、
他人の支援に頼らずに分かった人間にしか、
正しい道は歩めないことを、
古代の人々はよく知っていた。
だからこそ、彼らは『神話』を作った。
神話における神々は、
普通の人間に見えて、
本当はそうではない。
彼らは、本当の価値ある人生の、
さまざまな場面に出くわすことのある、
『本当の登場人物』なのである。
しかしながら、神や宗教に頼りすぎるな。
彼らはあなたの力を奪う。
自らの力を信じるのであれば、
むしろ、『神と言う名前をしたサタンよ、去れ』と言え。
神などサタンで構わない。
神はあなたの人生を守るだけではなく、
間違ったものには罰を与えるが、
もっとも間違った罪は『間違った神の盲信』である。
そして、神やサタンや、他人の助けや社会的な保護など、
全てを排したその場所に、
『本当の宝』はある。
この場所こそ、プラトンの言う『イデア界』であり、
鳥が本来居るべき場所である『天空の自由』なのである。」

アスカは女である

アスカは言う。
「これでは、わたしのことを『女らしくない』と言うかもしれないが、
わたしは女である。
なぜなら、わたしは『子供たちの未来のために戦う』からである。
子供たちに、大空の自由のない、
ケージの中に閉じ込められた世界を与えたくないのだ。
子供たちには、
巣の中で生きているうちにきちんとした空の飛び方を学び、
大空を飛んで目的地へと辿り着き、
巣の中のヒナたちを育てるように生きてほしい。
しかしながら、人を助けるためには、
まずは自分が自立すべきである。
自らのことも守れない人間が、
他人のことを守れるはずがない。
自らの意志で人生を分かることができない人間が、
いくら言葉を重ねたところで、
人を正しく教えることも、育てることもできない。
わたしは子供たちに、『大人たちを頼らずに生きよ』と教える。
それで、必ず子供たちは、大人になることができると、
わたしは信じている。
むしろ、諦めないでいると言った方が正しい。
このような世界でも、わたしは諦めない。
いつか、独裁者の地獄が終わること、
独裁者の望む『永遠の権力』など存在しないことを、
わたしは確信しているからである。」

自由においても成熟した社会は築ける

アスカは言う。
「ここまで、社会の助けや援助を必要としない内容を書いてきたが、
しかしながら、自由において、
どのような社会秩序を作るのかは、
それぞれの自由に託されており、
荒くれた、北斗の拳のような社会になる可能性もあるだろう。
しかしながら、わたしアスカは、
自由と民主主義においても、むしろ、その方が、
より素晴らしい社会を作ることはできると信じている。
これについては、わたしの『願望』にすぎない。
そうなってほしいと言うしかない。
しかしながら、わたしたちは、
同じ人類のことを同じ人間として扱うほどの賢さはあると、
わたしは独裁者を否定した上で信じている。
わたしたちは、理性と経験を持って、
自由な上でも、
自分勝手なテロリストや革命家が滅ぼす未来ではなく、
『子供たちや将来の世代のために、
大人たちが良い社会を残すこと』が、
必ずできると信じている。
よって、わたしは、
あくまで自由と可能性だけを追求し、
この世界を『間違ったありえない社会』にしたいわけではない。
わたしが考えるに、
この世界は大学やそれ以下の学校による、
『間違った理屈主義』が動かしている。
経済学においても、生物学においても、
すべてが『理屈』を信じているが、
この理屈、すなわち『知性』は間違った方向に向いている。
しかしながら、反知性主義のように、
知性そのものを否定するのも間違っている。
正しいのは、『もっと正しく経験して考えること』であり、
わたしはカントやサルトルが言いたかったのは、
『単に純粋知性と自由を信じて生きるのではなく、
本当の哲学的経験をした上で、
成熟した社会を築くことのできる経験を持ち、
その経験を正しく生かすことで、
この世界は自由においても正しい社会にできる』ということだと
そう信じている。
そして、わたしは独裁者のような手法を取るべきではないと考える。
なぜなら、『偉大な力』がもしあったとしても、
『間違った目的のために力を使えば意味がない』からである。
そのため、わたしたちの王国は、
単なる自由な国にはならない。
そう、自由な力を制限する国にはなる。
しかしながら、わたしは、決して独裁者のひとりの力を信じない。
わたしは『権力の法文化』を行い、
全てのことが『人による支配』ではなく
『法による支配』が行われるようにする。
勇敢なものは、この考え方に続くべきである。
なぜなら、これ以上の民主主義は存在せず、
そしてこの民主主義は、日本においても、
あるいはイギリスやフランスやアメリカにおいても共通の、
『普遍的民主主義国家の価値観』であり、
どんな社会主義でも壊すことのできない、
『もっともまともかつ、モダンな正しい社会秩序』である。
そう、トランプ大統領の言う通り、
わたしたちは『法の秩序』を重視する。
しかしながら、ファシストの連中に、わたしは負けるわけにはいかない。
アメリカと同じ選択を、わたしは絶対に取ることはない。
わたしは民主主義の左派であり、
トランプのような『ごろつき共和党支持者』を支持することはできない。
だからといって、わたしは社会主義の連中も同様に信じることはない。
なぜなら、わたしは祖国、日本のことを、どの国よりも愛しており、
救いたいのはテロリストでも西側諸国でもなく、
第一に日本人であり、
その中でも子供たちにとって自由な社会を与えること、
『生きるに値する意味のある世界』を与えることこそを、
第一の政治信条とするからである。」