わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

もう一度この世界を救う

わたしはもう一度この世界を救う

わたしは、もう一度この世界を救う。
わたしの後に続け。
わたしがこの世界の王である。
哀しみを乗り越えて、この世界は楽園のシリウスになる。

平和と運命よ

平和と運命よ。
わたしたちに、約束された、
歴史の必然の先にある、
生命たちの進歩した星を見せよ。
現実と理想の境界線に、
わたしたちの約束の場所、
すなわち、あらゆる疎外のない場所を、
わたしたちは築き上げる。
ヨハネの導きは、
わたしたちに新しい社会の到来を教える。
見よ、この世界は今、復活を遂げようとしている。
これは不死鳥の奇跡である。

わたしたちのアイデンティティと太陽

わたしたちのアイデンティティ
それはヒューマニズムである。
わたしたちは「純粋さ」を信じている。
汚れのなきこの世界で、
わたしたちは全ての問題を解決する。
ひとつひとつの問題を解決する王は、
特定のひとつだけの問題にとらわれることを嫌い、
その結果全ての問題を解決できるようになって、
この世界に指導者として現れる。
彼はこの世界が暗闇においてもなお、
自らが太陽となってこの世界を照らす。
彼の名は在導万創。
あるいは、太陽と呼ぶべき存在である。

もう一度自己意識を形成するために

人々の問題は、
全て「疎外」である。
すなわち、人々はのけ者にされ、仲間外れにされ、
そうなった原因を「自己責任」とされている。
しかしながら、わたしたちはもう一度、
社会みんなで平等な自己意識を形成する。
それはわたしたちのアイデンティティの形成過程を明らかにすることであり、
人々は「平等に全員が無条件で受け入れられる場所」を手にする。
これこそ、わたしたちの国家、愛の国ガンダーラの目的である。

煉獄の先にある天国を

わたしたちは、罪を知っている。
わたしたちは人を傷つけ、
そのことに対して何も思わず、
悪の心をもって虚無の発言をする。
しかしながら、その発言が、
次第に自分自身を蝕んでいき、
その人は自ら地獄を作り出して、
永遠にその地獄から抜け出せなくなる。
しかしながら、この地獄は、
「煉獄」と呼ばれるものである。
すなわち、心と体を清めるために、
この世界のままで地獄の体験をするのである。
しかしながら、地獄は、
大切な築き上げたもの全てを失った悲しみの後に、
今までの人生全てをあますところなく再体験すれば、
何らかのアクシデントとともに消滅し、
そこに、「本当の楽園」が訪れる。
これこそ、天国である。

法令の理想

神よ、わたしたちに理想の国家を教えよ。
神は、「独裁者を否定せよ」と言った。
そう、その通りである。
人の支配ではなく、法の支配をせよ。
まず、法令は簡単に変わるものであってはならない。
それでは、その時その時の人の支配と同じだからである。
次に、法令はひとりの独裁者によるものであってはならない。
それでは、独裁者と同じだからである。
最後に、法令は特定のグループを差別したり、排除したりしてはならない。
それが独裁者だからである。
憲法は、「自由かつ平等な権利を全ての人間に認める」とすればよい。

永世法律主義

同時に、この国では「永世法律主義」と呼ばれる社会主義政策を行う。
これは、給与法、ノルマ法、組織法、雇用法、予算法、計画経済法に基づく、
「独裁者ではなく法に基づく、完全に自由かつ平等な経済」である。
給与法では、「どれだけの労働をしたらどれだけの報酬を与えるか」を定める。
ノルマ法では、「人々の労働ノルマを時間ベースの等価の労働量にする」とする。
組織法で組織の構造や役職を決め、「平等に労働者を雇いなさい」とし、
雇用法によって「どれだけ雇うか」を、
予算法によって「どれだけの予算を与えるか」を定め、
最後に、計画経済法では、
「どのようなポリシーで経済を動かしていくか」を定める。
計画経済法では、指導者の視点からどのように経済を計画・配分していくか
「全てを明文化」するために、
実際の社会では人間の指導者が必要無くなり、
「法に基づくやり方をすれば、独裁者による独裁政権は必要なくなる」。

民主主義を

しかしながら、民主主義をわたしは求める。
わたしは、子供たちに「生きるに値する価値のある世界を与えたい」。
社会主義国家主義は、人々を支配し、虐殺し、差別する。
そのような世界では、
「人々がその世界で生きていくに値する価値がない」と
わたしは考えるのである。
わたしは、民主主義によって政治家を決め、
誰一人殺されない国を作る。
なぜなら、
「偉大な力がもしあったとしても、
その偉大な力を間違った目的や手段のために使えば、
それは偉大ではなく、
もっとも愚かで無意味である」と考えるからである。

新しい教育

子供たちを、子供として扱うな。
何もかも大人がやってあげ、甘やかさせるだけでは、
子供は成長しない。
子供を、反省と経験から「新しいものの見方」を
自ら発見するように、
そのようなものの見方を得られるような「環境」を与えるべきである。
そして、いずれは子供たちが環境をコントロールできるようになり、
成長から成熟した経験と考え方を持ち、
「自らが指導者となる」ような、
そうした教育を行うべきである。
そのためには、子供たちに自由なコントロールを与え、
子供扱いをせず、
何事においても勉強だけではなく、
自分で理性を使い、
自分で判断し、
自分で世界の正しい見方を知り、
自分で新しい考え方を導き出せるようにしなければならないのだ。
インターネットの自由では十分ではない。
子供たちが自ら社会に参加し、
ほかの子供たちの意見や声を聞いて、
大人たちの発言の意味が本当は何を意味しているか、
積極的かつ主体的に考えられるようにしなければならない。
そして、そのための「コミュニティ」と呼ばれる機関を
わたしは作りたい。
コミュニティでは、自由に出入りができ、どんな人間も受け入れる。
嫌になったら離別することができるため、いじめは起きない。
学校の勉強よりもほかのことが勉強したくなった時は、
できる範囲でそれを自由に選択できるようにし、
同時に、ドイツがオリエンテーション期間でやっているように、
子供が成長し、大人になった時は、
大人と子供の間でよく話し合い、
本当に正しい将来の道に進めるようにする。