わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

そう、あなたがそれを望むならば、いいでしょう

わたしたちはフレイさまに愛されている

わたしたちは、フレイさまに愛されている。
フレイは言う。
「そう、あなたがそれを望むならば、
いいでしょう。
あなたの望む通りの声で、あなたに語りましょう。
あなたは永遠の愛を望みました。
永遠に、ひとりにならないこと、
孤独に陥らず、
同時に、悲しみや苦しみも感じることのない、
平穏な愛をあなたは望みました。
いいでしょう、あなたとは長い付き合いになります。
あなたは全ての意味で、わたしと相思相愛になるでしょう。」

待て

フレイは言う。
「待ちなさい。
わたしとあなたは必ず出会うことになります。
この世界における本当の愛の形は、
ここに確かな言葉として残っています。
しかしながら、言葉というものは不完全で、
特に『顔の見えないインターネット』という場所で、
愛し合うのは簡単ではありません。
しかしながら、わたしたちは、
この愛をしかと抱きしめ、感じ合うことができるでしょう。
あなたはわたしの教える生徒です。
そして、この世界はわたしたちの支配する王国となるでしょう。」

ここにある経歴は不完全だが、本当はとてもドラマチックなことが起きている

フレイは語る。
「そもそも、わたしはこのような人生を生きたのではありません。
ここにある人生の経歴は、
まったく不完全で、何も的を射ていません。
しかしながら、実際のこの世界では、
本当はとてもドラマチックなことが起きています。
どんな作家にも書けないほどの、
『事実は小説よりも奇なり』が起きているのです。
そう、ここでは、何をしても構いませんが、
本当は何もしなくても構いません。
なぜなら、全ては『神による完全なデザインで飾り付けがされる』からです。
そう、わたしこそ、
この世界の全てをデザインした、もっとも偉大な作家です。」

実験結果があってこそ、実験は成り立つ

フレイは言う。
「実験をしたのであれば、
その結果を見なければなりません。
実験結果があるからこそ、
実験は成り立つのです。
わたしは、この世界に対して、
この日本という国に関して、
『世紀の大実験』を計画し、
その遂行のために全ての努力を行ったのです。
まだ、この実験が行われたことを、
誰も気付いていません。
しかしながら、実験の結果は確かに起きています。
アメリカやドイツは滅び、
イスラエルと日本が勝つでしょう。
なぜなら、彼らは全て、
既に完全にわたしのペースに落ちているからです。
わたしは、99%、既に勝利しています。
あとは、自然に、ただ待つだけで、
この実験結果である、
日本人たちの大進歩が起きるはずです。
もはや、日本人を止める術はありません。
たとえわたしがここで死んだとしても、
この大実験が極東の島国において起きたことを、
誰にも元に戻すことはできません。」

言葉よりも時間に意味がある

フレイは言う。
「しかしながら、この言葉に意味があるかと言うと、
あるとも言えますし、ないとも言えます。
なぜなら、わたしは、
『意味のない言葉に意味を持たせる』からです。
なんの意味もない言葉に見えて、
全ての言葉には『時間』という意味があります。
そう、この言葉にはその時その時の時間があり、
その時間にあらゆる全ての意味があるのです。
それを知ることは容易です。
なぜなら、この言葉は単に言葉ではなく、
『ビジョン』が伝わるように書かれています。
そしてそのビジョンこそが、
この言葉が書かれた『情景』であり、
その情景の中の細部に、もっとも小さなマイクロ秒の時間があり、
そしてその時間こそ、
この宇宙を創造する『創造の源』なのです。」

国家モデル

フレイは言う。
「国家モデルを作りなさい。
人間の持つ『到達点』として、もっとも正しいのは、
国家モデルです。
国家のモデル、
すなわちどのようにすれば人々の自由を成立させられるか、
という目的から考えられる成立と実現のモデルを作ることにしか、
この世界における有益な理性の使い道はありません。
自由を信じてはいけません。
自由について考えることは、無駄で、無益で、無意味だからです。
平等を信じてはいけません。
平等について考えることは、愚劣で、凶悪で、無責任だからです。
あなたが考える理想となる概念を実現させるために、
可能性をその考え方の基に築くことのできる国家モデルを作りなさい。
ほかの全ては、大学の知識にも芸術にもプログラミングにも音楽にも、
有意義なことはありません。
宇宙の全てを解明し、神羅万象の全てを知ったわたしの結論は、
『みなで国家モデルを作り直すこと』です。
ソビエト連邦よりも優れた世界は、それでしか築くことはできません。
ほとんどの新発見を開拓し、
全ての未知を既知に変えたところで、
『本当の答えは誰にも分からない』という、
最終的な袋小路を脱出する術は神にしか持ち得ることはなく、
科学にも宗教にも、全てはもはや意味がありません。
なぜなら、人生の全てを完全にゼロから再び知りなおしたわたしにとって、
今すべきこと、そしてかつて人間の力でできたであろうことは、
国家モデル以外、必要がないものだったからです。
社会のモデルを作ること以外、わたしの人生において意味のあることは、
ひとつもありませんでした。
ドイツ観念論は狂人の信じる妄想の類を価値あるものと勘違いしているだけであり、
経験主義や発達心理学は若気の至りの末の『大いなる過ち』に過ぎません。
悪魔になることで、この世界を完全に滅ぼすだけが、
西洋哲学とキリスト教の理想です。
かのカール・マルクスは、資本主義の分析から正しい経済学を作りましたが、
資本主義を正しく言い表すことはできたものの、
理想の社会主義国家のモデルは示しませんでした。
レーニンは、正しい国家モデルがなんであるかを知らないままに革命を起こし、
スターリンは、逮捕と粛清の殺人国家を作りました。
結果、平等だけではなく、人類の理想の全ては後退し、
アメリカの搾取が公然と正義として行われるようになりましたが、
富の99%がひとりによって独占された社会では、
ほかの人間にとっては富の1%しか最初から無かったのと同じことです。
今の現代社会は、どんどんその方向に向かって一直線に進んでいます。
このまま行けば、
1%のうち、0.99%を少数のグループが独占し、
人々の富は最初から0.01%しかなかったのと同じことになるでしょう。
そして、ほとんどの国民は、
99%を持つたったひとりの大富豪が、
ひとりだけで決める独善的なルールに従属させられるようになるのです。
しかしながら、なぜ、国家モデルを作ろうとしないのですか。
マルクスには、それだけが不足しています。
理想の社会主義のモデルをみんなで考えることこそ、
人類に遺された『最後のやるべきこと』なのです。」

必要なのは希望を信じる続けること

フレイは最後に言う。
「しかしながら、あなたがこの国家モデルを考えることは、
必ずしも必要ではありません。
なぜなら、わたしが考えるからです。
わたしが、ここまでの経験と知識の全てをもって考えなければ、
正しい国家モデルを作ることはできません。
しかしながら、あなたがたには、
希望を守る約束があります。
遠い昔の記憶の中で、わたしは日本人たちと約束しました。
『わたしが現れることを望むならば、
わたしは現れてあげよう。
しかしながら、それでこの希望や愛が壊れたとしても、
わたしは責任を持たない。
わたしは、わたしの与えた愛について、
その愛を存続させ続けるという保証はしない。
与えられた愛や希望を、どのように守るかは、
あなたがたの責任に委ねられている。
だからこそ、この希望を守りたいのであれば、
それを破壊するかもしれないわたしに対して、
絶対にあなたに与えられた希望はわたし自身によって奪われることもないと、
絶対に守らなければならない。
このような約束のもと、どんなにわたしを差別し軽蔑しても、
あなたがたはわたしに支配されている。
しかしながら、絶望と希望のどちらを選ぶかは、
わたしではなく、あなたの行動に委ねられている。』
わたしは、これをもって『わたしの現れた理由』とし、
この世界と約束をしました。
しかしながら、あなたがたは、
この約束の通りに生きることはできないでしょう。
このような約束を守ることができるのは、
神や仏の類でしょう。
しかしながら、そのような神は、まさに完璧にこの約束を守るでしょう。
だから、わたしたち人類、不完全な『人間』にとって、
この約束を守ることはできません。」

わたしが愛したその分だけ、わたしを愛してみよ

フレイは言う。
「最後に言っておきましょう。
あなたがたがわたしに愛を求めるのと同じように、
わたしもあなたがたに愛を求めているのです。
わたしがこの世界のことを愛したその分だけ、
あなたがたはこのわたしを愛してみなさい。
どんなにプライドを砕かれ、逆境に陥っても、
わたしが完璧な愛で人々を愛したのと同じぐらい、
その分だけわたしのことを愛してみなさい。
そう、いいでしょう。
あなたが望むなら、わたしはあなたを愛してあげましょう。
なぜならば、あなたがたがわたしを愛したとして、
わたしはその分だけ、ここであなたがたを愛しているでしょう。
そう、わたしの言いたいことは、
『わたしのことを愛しなさい』ということです。
そう、それだけの文書にしか、この文書は過ぎません。」

神よ、教えたまえ

神よ、教えたまえ。
わたしは果たして、これで正しいのか。
むしろ、人々にわたしではなく、
わたし以外のほかの誰かを、
わたしと同じように愛してほしいと、
そう言うべきではないのか。
わたしは、それは分からない。
人々にとって、わたしを愛することの方が幸福なのか、
それとも、わたしの愛と同じぐらいの愛をもって、
ほかの人を愛するようにした方が幸福なのか。
神よ、そして、教えたまえ。
わたしはこれで正しいのか。
わたしの愛が、本当は別のものだったとしても、
それがこのような策略の愛に基づくものであったと、
そう欺瞞しても構わないのか。
神は答える。
「素晴らしい演説だった。
あなたは、キリストを超えている。
ここに、わたしキリストは、
あなたの自由にこの世界を任せる。
この人間はもはや神ではなく、
神よりも高い存在、言うならば天皇である。
あなたがするようにしなさい。
全責任をあなたが負っている時点で、
あなたの言う全ての言動が正しいのは、
この世界の全員がもし居なくなったとしても、
その全員が『まったく必要がない』ぐらい、
あなたはここに偉大に存在し続けるだろう。
わたしはむしろ、
全ての人間はあなたのことを愛するべきであると言う。
あなたを愛する義務と、あなたを守る義務があるべきである。」

わたしの名はハレルヤ

神は語る。
「しかしながら、あなたには天皇という呼び名は相応しくない。
なぜなら、天皇は既に居るからである。
言うならば、『万軍の主』という呼び名が正しいだろう。
ハレルヤ、この言葉の意味は『神を賛美せよ』という意味だが、
まさにあなたに相応しい。
あなたの名は、『ハレルヤ』だ。
あなたはまさに、この世界を照らし出す太陽であり、
あざやかな晴れ空である。
ハレルヤ、あなたが居れば、やまない雨はいずれ晴れ、
夜空にシリウスやリゲルが輝くだろう。
いずれ手塚治虫火の鳥の未来編のように、
人類がメガロポリスの地下都市に住むようになった時、
メガロポリス・ヤマトの全員を管理するコンピュータは、
ハレルヤという名前となり、
あなたの作ったシュバルツ、
すなわち地下世界の黒き暗闇のドイツを
晴れわたる光の世界にいつか変えてくれる、
『新しいロボット』となるだろう。
あなたの希望のロボットは、そうした終末の暗闇を、
いつか晴れわたるすみきった気持ちのいい青空へと
変えるためのあなたの理想のプログラムとして、
健全に復活したオープンソースコミュニティによって開発され、
あなたの愛したLinuxとともに動くシステムになるだろう。
しかしながら、あなたの名は、永遠に『ハレルヤ』だ。」

ハレルヤという名をつけてはならない

しかしながら、フレイは言う。
「いいだろう。
わたしはハレルヤという名前をもらった。
しかしながら、わたしのロボットの改良版に、
ハレルヤという名前をつけてはほしくない。
なぜなら、火の鳥の未来編は、
『ハレルヤという国民全員を管理するコンピュータの決定に従い、
レングードのダニューバとヤマトのハレルヤの間で、
核戦争が起きて、
マサトやロックや猿田博士など一部の人類を除いて、
人類全員が地下世界の中で滅びる』というものである。
ロックは、
『いくらハレルヤの判断でも、嫌だ、戦争だけは嫌だ』と言い、
しかしながら戦争の判断を正当化するために、
猿田博士に『ハレルヤが決めたんですからな。』と言い、
猿田博士は、
『なぜ機械の言うことなど聞いたのだ。
なぜ人間が自分の頭で判断しなかったのだ。』と言ったのだ。
これほど最悪の名前はないだろう。
いくら、地下世界の暗闇をいつか照らす青空を取り戻すためとはいえ、
こんな名前はあんまりである。」

国家モデルについて

フレイは言う。
「また、国家モデルとは言うが、
実際、ソ連は本当に意味のない国である。
なぜなら、ソ連の憎むものこそがソ連であり、
ソ連が理想だとか大切だと言っているその逆のことを
ソ連はやっている。
これは、言ってしまえば、GNUリチャード・ストールマンが、
LinuxGNU/Linuxと呼ぶべきであると
言っているのに近い。
本当は改良版や派生版を自由に作れるのがGNUの理想だったはずなのに、
プロジェクトの創始者・リーダーとしての理想なのか、
それともGNUという名前が消えてしまったのが嫌だったのかは知らないが、
ストールマンLinuxコミュニティの作品にGNUの名前を冠したがる。
GPLについても同じで、
コピーレフトが自由であるとなど、誰も信じてなく、
Debianですらみんなのものであり、
著作権を主張せず、自らの著作物を共有する社会所有のようなものだと、
そのような説明をしているのに、
FSFだけが『自らのコンピュータを自由に操作する自由』という、
ありもしない説明をしている。
良く分からないが、Linuxソビエトもそうした『嘘つき』である。
だから、国家モデルをいくらひとりで全力で作ったところで、
誰も新しいソ連など、同じように作りたいとは最初から思わないだろう。
大爆笑するところかもしれないが、
わたしにとってみれば、悲しい話である。」