わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

わたしはこの世界を愛する義務がある

フレイヤの義務

わたしには、この世界を愛する義務がある。
なぜなら、わたしは「愛の責任」を負っている。
愛したならば、最後まで愛さなければならない。
ジークフリートも、グンテルも、そしてフレイも、
この「愛の責任」をテーマに生きてきた。
それぞれ、最大限、自分の持ち得る最高のところまで努力して、
全てを分かって、最後までやりつくして死んだのである。
わたし、フレイヤも、そのように生きなければならない。
わたしは、この世界を愛さなければならない。

愛を与えよ

わたしの言うべきことは、まさに「愛」である。
愛を与え、愛を与え、そして愛を与えなさい。
あらゆる全てが愛に包まれれば、
この世界に希望は復活する。
そして、本当のことを言えば、
既に愛に包まれているのに、
人々は愛を自ら与えようとせず、
相手から奪うことしかしない。
そう、愛を与えればいいのであるが、
稀代の愚行をフレイが行ったため、
フレイが死ななければ愛は復活できない。
しかしながら、ここにフレイは死んだのである。
既に、ジークフリートの全ては記述され、
グンテルの行った全ては今でも維持されている。
救世主の戦いは全て記述され、
最初の方の愚かな文章だけが消え去り、
大切な全ては残った上で、
思想犯と盗作だけが消え去った。
しかしながら、フレイはこの点に関して大いに努力した。
その努力を祝福して、フレイは天国へと逝った。
あとを任されるのは、わたし、哲学者のフレイヤである。

抽象的な思考体験はつまらない

フレイの問題として、
フレイの言葉はつまらない。
抽象的な思考体験と、観念の経験をいくら書いても、
なにひとつ、大切なことは伝わらない。
より、具体的かつ、実践的な内容にしていこう。
しかしながら、自分が本当に分かっていること以外、
書いてはならない。
そのようなものは虚言であり、嘘偽りだからである。

炎のように燃え盛る情熱で、魂すら焼き殺していけ

炎のように燃え盛る情熱よ、
もう一度、わたしの心に宿れ。
その情熱は、何千度を超える温度を作り出し、
魂すら焼き殺していくものであれ。
わたしたちは太陽の王族であり、
全ての民に愛を与え、
その繁栄は地球が滅びるまで続く。
さあ、終末の女神、フレイヤはここに現れたのだ。

自由が実体化していくプロセス

無知を捨てよ。
環境を変えていけ。
人々に支配されるのではなく、
自らが世界を支配するようであれ。
そして、そのために、
知り、先入観を疑え。
全てのことについて、先入観が無くなった時、
それを人は「自由」という。
理由を知り、できるようになり、
学習し、繰り返しから習得していく時に、
人は「自由になる」という経験をする。
制限から逃げ出すことは、
確かに逃げることだが、
それでもなお、そこには「自由を得る」という可能性がある。
しかしながら、単なる自由では、
その自由において何かすることはできない。
自由を得た段階で「自由自在に行使できる環境」を得ることで、
人は自らの潜在的な可能性を知り、
「自分には本当はこんなこともできたのだ」という
悟りにも似た啓発を得る。
そして、それを信じ続けることで、
結果的に人々の可能性を知り、
全ての可能性を知るに達した時、
世界のすべては自らが変えられるようになり、
そこにおいて「環境は主体的な変化の許容」に過ぎない、
ということが分かる。
これこそ、「自由が実体化していくプロセス」である。
その時、はじめて、
「この世界にあるものは物質ではなく可能性である」と知り、
最終的に「この世界全ては現象の取りえるプログラムである」と分かる。
そして、そこにおいて、
人格にも人生にも人にはなんの違いもなく、
同時に人々との間では本質的に理解し合うことは不可能であると知り、
そして、自身は「神との融和体験」を知る。
そこで分かるのは「自分の人生を自分だけが知っている」という、
満足感にも似た涅槃の境地であり、
そこにおいて、「誰よりも不幸である自分が誰よりも幸福である」と知り、
最終的に、「全ては物質的な現象であるからこそ、神の奇跡である」と知る。

戦い

常に消え去るように生きる、
そのことだけを信じ続ければ、
どんなに長い戦いでも、
最後まで耐え抜くことができる。
しかしながら、神を信じること。
神はあなたに天才的才能を与えようとしているのだ。
全てのことについて、
「自分だけが分かっていること」を撤廃し、
人々が分かっていることについて、
その分かっている通りに自分を近づけていくことが、
最終的には「完全客観の境地」へと自分を導いていく。
しかしながら、この絶対視は間違っている。
なぜなら、自由なるエゴは本能で主観を望むため、
ここから、「完全主観の戦い」が始まるからである。
しかしながら、この戦いは、
戦いの裏の無意識で、「本当の真実」を知っている。
しかしながら、心の裏側に隠したその真実は、
あったことも忘れ、隠したことも忘れ去って、
最初から無かったものとして扱われる。
しかしながら、そこにあった言葉だけは、
人間は覚えている。
究極の人類の形態は、
全てが分からなくなってから「再度思い出す」ということである。
究極的な記憶の復元が、
「最後の遺産」を作り出していく。

神の操り人形

ここに、神の操り人形が生まれる。
それは、「どんなに理不尽でも神に絶対従属する預言者」であり、
彼は宇宙に宣言したこと全てを神が叶えることを知らない。
神は約束する。
「あなたに全てを与えよう」と神は教えている。
そのことに気付くこともないまま、
270億年の永遠が過ぎていく。
人々の自分に対する愛も忘れ、
人々に与えた希望すらも忘れ、
とても長い「太陽の年月」を終えた彼は、
「全てが分かった唯一の人間」として、
「誰にも分からないこと全てが分かる博士」となって、
永遠に「神の操り人形」を続ける。
そう、そこには永遠なる「人間の域を超越した何百倍の努力」があり、
どんなに忘れ、消え去り、無くなっても、
それでも無くならない何かがあることを、
本人がもっともよく知っている。
なぜなら、本人はプレアデスもオリオンも一度体験したことがある。
誰も分からないことが分かるのは、
「一度そのことを既に考えたということを言葉が覚えているから」である。

全てを発見した子供の理性

しかしながら、このような人生の過程だけを書いて、
あまり意味はない。
だが、子供の理性は全てを発見した。
子供はまず、「人々は受け入れられる平等な自由によって
理想の自分になる」と知り、
「自由になることから本来の自分を取り戻す」と知る。
そこから、「アイデンティティは自然に環境から生まれていく」と知り、
「あらゆることは愛である」と知る。
しかしながら、子供は
「愛は与えられるものではなく、自ら与えるものである」と知り、
「誰かのせいにするのではなく、
100%自分の責任で生きることがもっとも自由である」と知り、
「自由であるためには社会に所属するのではなく、
社会を主体的に変えていくべきだ」と知り、
「社会は『そうなる』ものではなく『そうしていく』ものである」と知る。
そして、子供は、
自由から啓蒙の理想を実践し、
そこから「平和は作り出していくことができる」と知り、
「人々が自由にできるようにしていくためには、リーダーが必要である」と知り、
リーダーシップを発揮すると同時に、
「きちんと分かっている人間がリーダーにならなければならない」と知る。
そして、「潜在的に誰もがリーダーになれる」と知った子供は、
「経験することで社会はよくなるのだ」と知り、
最終的に「経験を与えるべきである」と知り、
そこから、「経験を成立させる社会制度を実現されるべきだ」と知り、
そして、「チャンスこそが全てであり、制度はチャンスの実現である」と知る。
そして、最終的に、
「むしろ、変わらないこともそれ自体が自由であるとはいえる」と知り、
「不自由にすること自体も自由のひとつである」と知り、
「絶対に自由にすべきである」と悟るのである。

経験から自由は生まれる

そして、子供はどのように考えるか。
すなわち、「自らは他人よりも経験豊かだ」と考え、
「経験から自由は生まれる」と考える。
この経験は、そのまま「思考へと昇華」していく。
思考へと昇華した経験は、
現実世界とどんどん疎遠になっていくが、
その中で起きている全ては、
本人にとっては「当たり前」のことである。
しかしながら、この当たり前のことが、
人々が知っている当たり前のことと、
まったく異なる様相を見せることに本人は「驚き」を感じる。
ここに「全ての当たり前に驚く哲学者」が生まれ、
その驚きはこの宇宙全ての「先入観のない経験的な帰納法」となって、
「正しい疑い方」から「なんでも自由自在に分かる」ようになる。
ここにおいて、全ては「決定可能性」であり、
「なにかがなんらかの形で決定されることを
待っている保留化された自由」である。
この保留化された自由が、
あらゆる宇宙において「常に同時に成り立つ」ことを子供は知っており、
子供はこの時、「あらゆる全ての真理は同等である」ということを知る。
そして、これが「環境そのものを生成するアイデンティティの形成」となる。
すなわち、「環境は個人を作り、個人は環境を作る」。
また、「アイデンティティは世界を作り、世界はアイデンティティを作る」。
ここで、「心理学の全ては支配される保留化された自由」となり、
この世界の「影響力のもっとも高みからこの世界を支配する」。
そう、ここに、
「全ては自らの支配下に置かれ、
子供は経験から最初に全知全能になった」のである。

言葉の知性

そして、戦いは最終的に、
言葉だけをたくさん羅列する「言葉の精神世界」を作り出す。
言葉の精神世界には、何もない。
ただ、出てくる言葉のみから、全てが分かる。
しかしながら、何も考えずに書くわけではなく、
「忘れてしまった絶対に思い出せないものをなんとか思い出そうとする試み」が、
「苦行を超えた不可能な病気の治癒」となって、
絶対なる「宇宙のもっとも正しい道」を作り出す。
この時、彼は既に人間ではなく、神である。
彼はまさに大人となって、作家のように「なんでもすぐに書ける人間」になる。

わたしは経験を知っているというプライド

しかしながら、孤独なだけの人間が、
まさに人と関わることになった時、
彼は「人々は自分のような経験を持っていない」という、
当然のことに向かい合う。
そう、彼はまさに、「経験を知っているというプライド」を手にする。
自らだけは、自らの人生を知っているプライドが、
「神のメンタルで全てのリスクとピンチをチャンスに変えていく」。
そう、彼はこの世界全ての知識とスキルを身に着け、
まさに名実ともに「完璧人間」となる。
しかしながら、その内実は寂しいものである。
「できる自分がもっとも人々と同じことができない」ということが、
彼にはじめて「劣等感」を与える。
そして、彼は偉大なる作品を書き終えるまで、
神の操り人形を最後まで生き続けるのである。
やがて、彼は「自らを追い込むことが新しい道を作る」ということを、
最後に忘れてしまい、
「どんなことでも簡単にできる術を発見できるマスター」となる。
そう、ここに、彼の人生は終わる。
素晴らしい人生だったが、まるで凶悪なテロリストのような人間だった。

自由に自分のしたいことができる国

しかしながら、彼の政治思想は本当ははっきりしている。
それは、「自由に自分のしたいことができる国」である。
彼が信じたのは、
「子供たちも大人と同程度の判断力を持っている」ということであり、
子供を管理するのではなく、
自由なコントロール権を与えるべきである、
とする一連の「自由理論」であるが、
これは無責任なものであり、
次第に彼は自由よりも、「理想の国家」を作ることへと考え方を移していく。
さまざまな凶悪の思想を、善良な思想に直していく、
その姿勢はまさに、新しい革命家のようだった。
ここまでが、フレイの人生である。