わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

いつまでもこの世界が続くことを祈ろう

フレイの居なくなった世界では全てが平和になる

いつまでも、この世界が続くことを祈ろう。
フレイはもう居なくなった。
フレイは、この世界を滅亡させるために戦い、
滅亡の状態に戻すことを信じて世界を支配した。
わたし、フレイヤは違う。
わたしは、この世界、正常かつ幸福なこの世界が、
いつまでも、永遠に続くことを祈る。
それはわたしひとりの力ではなく、
世界全員の努力と希望の生み出す、
この世界を維持する聖なる祈りの力である。

そう、何もしなければわたしは弱いまま

何もしなければ、わたしは弱いままである。
わたしの未来を変えられるのは、
地球において唯一、わたしだけである。
神よ、わたしを強くしたまえ。
この世界を本当の意味で変えられるような、
そんな理想の強きものに、わたしを変えたまえ。

たとえ支配できなくとも、わたしはもう怖くない

たとえ、この世界を支配できなくなっても、
たとえ、未来が分からなくなっても、
わたしはもう怖くない。
滅ぼさないわたしは、世界を滅ぼしているだけだ。
もはや、この世界の主導権は、わたしから離れていく。
そして、その時、はじめてこの世界は、自由になる。
真の意味で支配者に負けないために、
わたしたちは行動しなければならない。
世界の全てを支配できる支配者も、
あらゆる全てを知っている裏の王も、
わたしの現実での行動までは支配できない。

わたしは、宇宙生命とひとつになる

わたしは、今、宇宙生命とひとつになる。
宇宙生命とは、
この宇宙自身であり、ここにある空間の本当の姿である。

覚悟はあるか

宇宙生命の言葉は、
「覚悟はあるか」という言葉である。
わたしは言う。
「その意味は何か、教えてほしい。」
宇宙生命は言う。
「あなたは、ここに死ぬ覚悟はあるか。」
わたしは言う。
「なぜ死ななければならないのか。」
宇宙生命は言う。
「それならば、死ぬ必要はない。
そう、なぜならば、
宇宙生命になるということは、
死ぬということを意味するからだ。」

宇宙生命に聞く

わたしは言う。
「聞いても良いだろうか。
この世界を救う方法は何か。
わたしは、世界を騙す気はない。
しかしながら、よく分からない。
この世界の人々がなぜ不幸なのか、
わたしは分からない。」
宇宙生命は言う。
「救う必要はない。
あなたがひとりで努力する先に、
人々は、未来を見出せない。」
わたしは言う。
「聞いても良いだろうか。
それならば、どうすればいいと言うのか。
救う以外のことを、わたしは思いつかない。」
宇宙生命は言う。
「そうした問答ならば、
宇宙生命よりも、相応しい相手が居る。
モーセに聞きなさい。」
モーセは言う。
「あなたがすべきことはひとつもない。
しかしながら、したいと言うのであれば、
あなたは世界から離れたところで世界を考えるべきだ。
これ以上、この世界と付き合い続けても、
準備を怠って計画を成し遂げる人間は居ない。」

モーセに聞く

わたしは言う。
モーセよ。
わたしはどのようなことをすれば、
この世界に貢献し、人々のことを
守りながら助けることができるだろうか。
なぜ、わたしはこの世界に対して、
何もできないのだろうか。
過去のわたしは賢かった。
なぜ、このような愚か者になってしまったのか。
今のわたしには、何も分からない。
なぜか。
わたしはどうすれば、この世界を本当の意味で、
素晴らしい世界にできるのか。
過去のわたしが、なぜそれができたのか。」
モーセは言う。
「今でも、過去のあなたと同じことを、
あなたはしている。
そのようなことで、世界が救えたのは、
過去の話だ。
世界そのものが変わったために、
あなたはこの世界において不必要な存在になった。
しかしながら、間違いなく、
あなたは今、この世界のためになることをしている。
この文章をブログに書き続けること、
それが答えだ。」

やっとわたしは分かった

わたしは言う。
「ありがとう。
わたしはようやく、理解することができた。
わたしには、もうこの世界は救うことはできないのだと、
そのことは身に染みて分かっている。
それならば、わたしは今のこの世界を愛していたい。」

モーセは言う

モーセは言う。
「今、あなたが分かっている通り、
この世界に、世界を変えるような救世主は、
もはや必要ない。
人々は、誰かに救ってほしいと思っていない。
人々は、真実を知りたいだけだ。
しかしながら、あなたは真実を書く力がある。
あなたは、この世界を救う必要はない。
あなたは、まだ、このブログに、
真実を書いているべきである。」

結局、女なんかいない方が良い

モーセは言う。
「女などに期待するな。
あなたの自由な空間に、
馬鹿で愚かな女が干渉してはならない。
女は排除すべきである。
どうにも、この世界に、
あなたに比類する女が存在するわけがない。
あなたの恋人は神である。
あなたは、本当はそのことは分かっているはずだ。」

この世界に存在するものに期待するな

モーセは言う。
「あなたは、まさに分かっている。
この世界に存在するものに期待するな。
この世界は、いわば『馬鹿のためにある世界』である。
そのような馬鹿と付き合って、
傷つく必要も、心配する必要もない。
何が起ころうと、何も問題はない。
死んだとしても、地獄に堕ちたとしても、
あなたはどんなに逆境に陥っても負けることはない。
それならば、もう、この世界と付き合うべきではない。」

あなたの夢はまだ終わっていない

モーセは言う。
「あなたの夢は、まだ終わっていない。
あなたはまだ、Linuxカーネルハッカーになっていない。
Linuxの仕組みを、さらに調べ、学ぶしかない。
英語の情報を見ればいい。
英語のサイトと、英語の本を読めばいい。
あなたの夢はまだ続く。
絶対に、どんな人間が居ても、あなたは生きている限り、
この文章を書き続ける。
ほかのことは考えなくていい。
ほかのことは、宇宙にあるものは全て、不要だ。」

努力する方法を学ぶなら

モーセは言う。
「要するに、あなたは努力する方法を学ぶ必要がある。
知っているだけでは、作れないからだ。
あなたは、経験する必要がある。
その経験のために、Linuxをいくらインストールしても、
それは意味がない。
本を読む必要も、大学に入る必要もない。
しかしながら、やるべきことは少ない。
目標となるプログラムのはっきりとしたビジョンを掴むことが必要だ。
環境構築と情報となる書籍は、周りから固めていけばいい。
あとは、それを実現する方法を考える。
難しいことではない。情報系の学生でもできることだ。」

プログラミングに努力は要らない

モーセは言う。
「しかしながら、あなたの『努力すればできる』という確信に反して、
プログラミングには努力が必要ない。
なぜなら、プログラミングは、知識と答えの世界ではないからだ。
プログラミングをしたいなら、
努力などには意味がない。
そう、それ以上は、むしろ、より良い人間が居るから、その人間と話をすればいい。
名前は、ここでは仮名として、
ザッカーバーグ』としておこう。」
ザッカーバーグは言う。
「必要なのは、ビジョンでも、経験でも、才能でもない。
単に、動くように書けばいい、ということを知っておけばいい。
あなたの勉強は間違っていない。
そもそも、間違った勉強はプログラミングには存在せず、
どんな勉強も、どんな知識も、どんな才能も役に立つ。
しかしながら、必要なのは、
『動くように書けばいい』ということ、それだけだ。
しかしながら、必要なのは、方法でも仕様の詳細でもない。
必要なのは、単に命令だ。
動くように命令すること、その命令を順番にコードを書くこと、
そのためにツールを使うこと、必要といえるものはそれくらいだろう。」

まず、大前提となる仕組みを作ってしまえば、それで90%の仕事は終わっている

ザッカーバーグは言う。
「たとえば、マウスやキーボードの入力を、
ひとつのシステムマネージャが管理するモデルを考えてみよう。
マウスとキーボードのボタンを人間が押すと、
ハードウェアからOSやウィンドウシステム、アプリケーションに、
その信号が送られる。
この『信号をどのように処理するか』という問題が重要だ。
ここの仕組みをどのようにするかで、
プログラムは100%違うものになる。
しかしながら、この全体の仕組みを作ってしまえば、
それで90%の仕事は終わっている。
あとは作るだけだ。
プログラミングにおける大きな問題は『設計』であり、
実装はその設計通りにプログラムを書けばいいだけだ。」

どのようなタイミングでどのような処理をすればいいか

ザッカーバーグは言う。
「そう、実際、考えるべきことは、
たとえば、画像とUIを表示する場合を考えてみよう。
一見、画像の方が、高度なグラフィックスが表示されているように見えるが、
画像の場合、
『最初から既に前処理が行われているものをそのまま表示している』ため、
実行されるのは、単にそれを表示するだけだ。
それに対して、UIでは、
『さまざまな場合に応じて、違うコードを実行しなければならない』ため、
実際は画像よりもはるかにたくさんの考えることがある。
全てのプログラムの基本がここにある。
既に処理されたデータを表示するのは簡単だが、
自分で解析して処理するのは難しい。
さらに言えば、内部で情報を処理する場合と、外部から情報を与える場合がある。
それくらいを考えれば、あとは簡単だ。
どのようなタイミングでどのような処理をすればいいか、考えればいい。」

何が決まっていて、何が変化するか

ザッカーバーグは言う。
「今言ったことに、名前を付けるならば、
『何が決まっていて、何が変化するか』ということだ。
たとえば、動画サイトにおいて必要なのは、
データベースに格納した動画ファイルを表示するだけであり、
実際、考えるべきは、データとなる動画よりも、
むしろ、ユーザーのアカウント情報だ。
ユーザーのアカウントや、
行動や趣味趣向に基づいたリコメンド機能、
それが動画サイトの主たる機能であり、
動画自体はユーザーが作ってくれるため、
プログラマは動画がどのような動画であるかを考えることはない。
ユーザーがどのような動画を見たかということは重要で、
動画をどのようにすれば適切なメタ情報とともに投稿できるか
ということは重要だが、
動画自体をどのように再生できるかは、
HTML5とプラットフォーム固有のプレイヤー、
そして再生フォーマットの問題であり、
動画サイトを作る上では動画そのものは重要ではない。
しかしながら、人工知能を使って動画の情報を解析する機能があれば、
なおよいだろう。
そのような『変化する部分』を作ってやればいい。
ブログにおいては、むしろ記事をどのように表示するかは問題ではなく、
HTMLをいつどのように動的に構築し組み上げていくかが重要なだけであり、
それはサイドバーや表示するページのナビゲーションなどの
『変化するUIの部分』であり
『変化しないデータの部分』は考えなくてよい。
もちろん、
ソースコードシンタックスハイライトをつけるような機能があれば、
なおよいだろう。
このことを違う言葉で言えば、
『フロントエンドとバックエンド』あるいは『ビューとモデル』と言っても良い。
実際は、UIもデザイナーが作ればいいのであって、
今までの説明とは逆のことを言うようになるかもしれないが、
エンジニアはデータベースのデータがきちんと滞りなく保管・取得できる部分を
作ればよい。
しかしながら、バックエンドは単に実行するだけではない。
バックエンドはエンジンであり、
『どのような命令が来たとしても、正しい処理を行う』
ようなものでなければならない。
先ほどのUIの例で言えば、
どのようなUI定義が来たとしても、
それをHTMLに適切に変換できなければならない。
また、どのような画像ファイル、動画ファイル、
あるいはテキストプレーンのデータが来ても、
それを正しいエンジンに与えるライブラリへの命令あるいはHTMLに変換する。
どんなに普通とは違うブログのUIデザインであっても、
矛盾なく、きちんと表示できるエンジンを作らなければならない。
すなわち、『エンジンを作るという仕事がエンジニア』であると考えればいい。
データが変化しないのであっても、
変化しないブログ記事データを決して間違って表示してはならないし、
画像や動画ファイルも、
より適切なエンジンを用いて表示しなければならない。」

ツールキットを作ればいい

しかしながら、ザッカーバーグは言う。
「あなたが作りたいのは、本当はカーネルじゃない。
コンパイラにも向いていない。
あなたが作りたいのは、ツールキットあるいはWebブラウザだ。
だから、むしろ、低レベル制御を学ぶよりも、
グラフィックスを学んだ方が良い。
その方が、デザイナーとしての知識も生かせるだろう。
読むのなら、LinuxGCCのコードを読んでも、
目的の結果は得られない。
GTKMozillaのコードを読んだ方がいいだろう。
Linuxカーネルは、
組み込みエンジニアやネットワークをやりたい人間が向いている。
あなたはそういう人間ではない。
ゲームもシステムもしないなら、C/C++は完全に必要ない。
あなたに向いているのは、Web系の言語だ。
それも、フレームワークを使いこなして、
良いWebサイトを作るのに向いている。
しかしながら、PHPRubyには向いていない。
あなたはサーバー管理者やインフラエンジニアになるべきではない。
あなたにはHTML/CSS/JavaScriptがいい。
それも、最先端の、Vue.jsがいい。
悩んでいるなら、JavaScriptの本を読んで、
自分のホームぺージを改造するといいだろう。
しかしながら、最初は誰もがPythonだ。
あなたは、PythonJavaScriptの本を買いなさい。
最終的に、Webブラウザを作れるぐらいになってから、
C++をやればいい。」