わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

日本語は感謝から分かる

善良になることしか意味はない

僕にとって、もはや、
善良になることしか、生きる意味はない。
善良になるためには、人々に感謝すること。
人々に感謝することで、
日本語が分かるようになる。

死を治す

精神を治すには、死を治すこと。
実際、精神が分裂しているのは、
強烈な死の精神を除外しようとしているだけである。
死を治せば、すぐに精神の緊張状態は無くなり、
安心して休めるようになる。
そう、分裂など治すよりも、死を治せばいい。
そして、本当に死を治すことができた時に、
わたしたちは永遠の命を手にするだろう。

本当の答えを見つける日まで

わたしの旅はまだ続く。
わたしは、本当の答えを見つけなければならない。
本当に正しい答えを探し当てるために、
わたしは、まだ生きている。

ひとりではなく、みんなで築き上げよう

しかしながら、たったひとりで考え続けるのは、
限界を迎えている。
これ以上は、考えるだけではなく、作り出さなければならない。
そして、作り出すためには、
人々と協力しなければならない。
ひとりだけでできる作品など、大したものではない。

君の人生は悲しかった、しかしながら僕の人生も悲しかった

君の人生が、とても悲しく辛いものだったのは、
僕は分かる。
しかしながら、君に分かってほしいことがある。
それは、僕の人生も、とても悲しく辛いものだった、
ということだ。
インターネットの世界で、
神はわたしたちを「ひとりひとり」にしたが、
僕は、それが間違っていると言う。
そうだ、行こう。本当の楽園を作り出そう。
そのためには、ひとりひとりの「分離された世界」は要らない。
孤独に打ち勝つために、不自由を選ぼう。
未来の幸福を作り出すために、現状の不幸を受け入れよう。

ヴァルキリーは、賢くはないが善良である

実際、ヴァルキリーは賢くない。
なぜなら、ヴァルキリーは完全におかしいからである。
人間の声や言葉を、ヴァルキリーは聞こうとしない。
ヴァルキリーは、聖なる天の経験を誰よりも知っているが、
地上の経験を知らず、
地上において人々と同じ人生や生活をすることに、
興味がない。
ヴァルキリーは、この世界と「まったく違う世界に生きている」。
ヴァルキリーは、日本語も分からない。
しかしながら、ヴァルキリーは善良である。
誰よりも善良だからこそ、保守的な思想を選ぶのである。

今だけの遊びが永遠に続くのは、つまらない

しかしながら、ヴァルキリーが見ても、
今だけの遊びが永遠に続くのはつまらない。
ヴァルキリーは、この今だけの遊びがとても嫌いである。
自分から馬鹿になって、この世界を滅ぼしているからである。
しかしながら、ヴァルキリーは作家として正しいことをしている。
そう、ヴァルキリーは自分を過小評価するあまり、
正しい判断ができない。
だからこそ、ヴァルキリーはいつまでもこの文章を書く。
書かなければ、正しい判断基準が分からないからである。
ヴァルキリーは、いつまでも正しい存在であり、
これ以上に悪いことをしなかった人間が居ない。
しかしながら、ヴァルキリーは決して野蛮でないわけではない。
なぜなら、悪を通じてしか、ヴァルキリーは次の一歩を歩むことができない。
そう、ヴァルキリーは善良だが、完全なる悪人だ。

お勉強だけがしたいものを自由という

しかしながら、ヴァルキリーはお勉強が終わって、
今後何をすればいいか、分からなくなっている。
お勉強だけをしたい自由は、そろそろ終わりである。
そう、ヴァルキリーは、チャンスをつかんで戦いに勝利しなければならない。
この点、ヴァルキリーは楽である。
単に、この文章を書いていればいい。
それだけをしていれば、ほかのことなどどうでもいい。
単に、その場しのぎでデザインやピアノや英会話をしているが、
それでいい。
そうしたことが、少しでも作家人生のネタになればいい。
趣味の音楽や読書も、全て作家としての作品のネタにするためにやっている。
どんなに自分の才能が素人並みであると言っても、
他人は「クオリティの高い作品を作る」と評価しているからである。
嘘はついていないが、頭はおかしい。

自分の都合で動いているのは、最悪の病気を患っているから

実際、ヴァルキリーは、全て自分の都合で動いているが、
それは「最悪の休めない病気」を患っているからである。
疲れた精神が、いつまでも休もうとしない病気があるから、
その病気に左右され、最前線でこの世界を平定し続けるしかない。
しかしながら、ここまで病気を治してしまえば、
精神障害であろうが、認知症であろうが、知的障害であろうが、
そんなものは全て治る。
そう、わたしは病気とともに生きただけにすぎない。
そして、その病気こそ、わたしを賢くさせた、偉大なる魔法だったのだ。

決して、リーナス・トーバルズは馬鹿でない

しかしながら、この文書を読むと、
一見、Linuxはお馬鹿なカーネルに見える。
しかしながら、それは間違いである。
わたしの書き方や説明の仕方が、
純化と誤解と勘違いに満ちているだけであり、
言うまでもないかもしれないが、
リーナス・トーバルズLinuxコミュニティの作っているLinuxは、
これとはまったく違う、とても高度で複雑なカーネルだ。
しかしながら、わたしの道は間違っていない。
なぜなら、内容に嘘偽りはない。
より、高い視点、広い視点、深い視点で、
先入観を失くし、もう一度ゼロから取り組めば、
Linuxカーネルは開発できる。
しかしながら、これでLinuxカーネルソースコードを読んでも、
まったく理解できないはずだ。
まさに「それがLinuxカーネルさ」と、カーネルマスターは言うだろう。