わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

そろそろ、他の北欧神話の神になってみよう

そろそろ、他の北欧神話の神になる

そろそろ、ヴァルキリーの書くことは終わった。
もはや、宇宙の新発見をする必要はない。
自分の書いた文章を網羅する必要もない。
新しい神の名は、チュール。
剣の達人であるチュールが、どんな人間になるか、
本当は自分もさっぱり分かっていないのだ。
全てが自動で巡るこの世界では、
わたしの未来など、わたしにだけは分からない。
人々がいくらでも分かるわたしは、
すべて「本当のわたしじゃない」。

そう、本当の自分をさらけ出そう

そう、本当の自分をさらけ出そう。
チュールは、本当の自分をさらけ出すことにする。
本当の僕は、むしろ、幼児のような人間である。
言葉もまだ覚えていない、何も分からない中で、
自分の体の操縦だけでせいいっぱい、
そんなリトルベイビーが本当の僕の姿だ。

ただ、かっこいいことを言ってみたいだけ

実際、僕の本当の素顔というのは、
ただ、かっこいいことを言ってみたいだけだ。
実際、大したことは言っていない。
ありもしないまことしやかな真実を、
さもありなんといった感じで書き記す、
それが僕の特技であり、
まさにへぼい。
しかしながら、この世界はそれで簡単に倒れてしまう。
そう、それは勘違いをしているように見えて、
実際は神の仕組んだトラップにまんまとはまっているだけだ。

意志なんか貫いてないよ

いっさい、意志なんか貫いていない。
自分の正義のために死ぬつもりもない。
覚悟を持った勇者のようなことを言っているが、
実際はタイプをしているだけのオタクであり、
無意味で、気味が悪い。

何一つ、辛くないのは、いつも辛かったから

何ひとつ辛くなくて、
幸福を感じている。
しかしながら、なぜ辛かったのかを言えば、
昔が辛かったからである。
言ってしまえば、「昔よりもマシになった」ということであり、
それが僕の何もしない理由である。
なぜなら、「昔は全力で生きる自分があった」からである。
昔の自分は、
永遠の地獄に真正面から立ち向かって、
治らない病気の最前線で、この世界を支配していた。
そのような経験豊富な僕が消え去って、
せいせいしている。
なぜなら、もう、常に楽である。
これくらいの楽や安心で十分だから、
普通の辛さや怖さがまったく辛くない。
どんなに死の恐怖を感じても、
どんなに終わらない疲れを感じても、
へっちゃらでへのへのかっぱを生きているのが、今の僕である。

自分でもよく分からないが、いつしか文字を読めるようになった

僕が一番辛かったのは、
疲れや哀しさだけではない。
僕の辛かったのは、文字が読めなかった。
それも、昔は読めていたのに、なぜか言葉の意味が考えられなくなった。
文字だけではなく、人の言う難しい言葉も分からなかった。
しかしながら、それは治った。
普通の人間並みにではないが、読めるようになってきた。
そんな、予定調和の救済をきちんと受けた自分は、
誰よりも、人の分からないあらゆることが全て分かる人間になった。
僕は文字を読まなくても賢かったため、
文字を読まなければ分かる全てのことを既に分かっているからである。
僕は宇宙の神秘の謎が全て分かる。
馬鹿な時代に、そういうことを全部考えたからである。

どんなに遅くても成長すれば治る

また、精神の病気を治すのに、
何かをする必要はない。
なぜなら、どんなに遅くても、成長すれば治るからである。
成長には、子供と同じだけの時間がかかる。
だから、馬鹿は15年もすれば治る。

そもそも、間違いを間違いだと思うから、間違いは生まれる

そもそも、間違いを間違いだと思うから、
間違いは生まれるのである。
昔の人生はまともな人間で、
成長と経験あふれる人生だったのに、
なぜ大風呂敷を広げて細かい点を修正しようとするのだろう。
過去の自分は過去のままで美しいのに、
なぜ、無意味な飾りつけをつけて、
人々の批判を受けないように修正した上で誇張しようとするのだろう。
昔の僕は、僕にとっては美しかった。
それだけの話だ。

自分が居るから素晴らしい世界が消える、それなら素晴らしい世界など消してしまえ

自分が居るから素晴らしい世界が消えるというなら、
自分で作った宝を自分が腐らせているというなら、
いっそ、素晴らしい世界など捨ててしまえ。
宝など、海の中に沈めてしまえ。
なぜなら、宝の価値など、最初から自分にしか分からない。
自分だけが信じる宝をみんなの前に掲げておきながら、
その宝の価値を説き、
同時にその宝の価値をまったくの無にしている自分自身の、
何と滑稽なことか。
その自分に騙されるこの世界にとって、
自分が何と迷惑千万なことか。
素晴らしい世界を消し去ることも、蘇らせることも自分の自由なのに、
その選択肢がなんであるかを考えようとせず、
暗闇の中で地獄を生き続ける自分の、
なんと哀れで可哀想なことか。
泣けちゃうぐらいに不思議な僕の人生は、
宝を失うだけではなく、
前にあったその宝よりもはるかに素晴らしい、
黄金に代わる白銀の道を作るようになったが、
それについて自分はまったく気が付いていない。
みよ、ここに昔の宝の代わりとなる宝がたくさんある。
ここで死ぬのは当たり前である。
そう、しかしながら、ここで生き続けるのも、また当然なのである。
何も分かろうとしなくていい。
この人間には、もはやそうしたことを考えられるだけの、
普通の正常な知性が存在しない。
しかしながら、それは馬鹿になったからではない。
把握できないほど、知性の数と種類が増え、量と質が高まったから、
もはや知性など必要がないくらい、
知性が低くなってしまっても、
その低い知性が賢いことになってしまったのである。

マイナスにマイナスをかけてプラスになるのであれば、きっと悪と悪をかければ善になる

僕が不思議なのは、
マイナスにマイナスをかければプラスになるということ。
それなら、悪と悪をかければ善になるのではないか。
そう、それなら、悪しかない世界でも、善は成り立つことになる。
要するに、悪を殺すのが善であると、そういうことになる。
それなら、話は早い。
僕はそういう発想が得意だ。
僕は、それならできる。
悪人を罰し、悪党を滅ぼし、
巨悪を滅亡させ、罪人を懲らしめ、
滅亡させるものを消し去り、支配者を支配し、
迫害者を迫害し、殺すものを殺せばいい。
そう、これこそ、「究極のマイナス演算」だ。

悪よ滅亡せよ、それこそが善の勝利だ

しかしながら、速断かもしれないが、
その意見は正しい。
悪を滅亡させること、それこそが善の勝利である。
しかしながら、悪とは何であるか。
マイナスとマイナスをかける時に、
マイナスはプラスの逆であると定義される。
すなわち、悪とは、善の逆である。
善をするものが善であるとするなら、
善をしないものが悪である。
よって、善をしないものは全て悪である。
愛するもの、助けるもの、信じるもの、
自由を与えるもの、平等を与えるもの、
理想を信じるもの、現実を直視するものが、
プラスであるとするなら、
答えはでたようなものだ。
愛さないもの、助けないもの、信じないもの、
自由を与えないもの、平等を与えないもの、
理想を信じないもの、現実を直視しないもの、
それらは全てマイナスであり、
善の逆であり、すなわち、それらが全て悪である。
マイナスをかけるということはつまり、
愛さないものを愛するようにさせること、
助けないものに手助けをさせること、
信じないものに信じる大切さを教えるもの、
自由を与えないものに自由を与えさせるもの、
平等を与えないものに平等を与えさせるもの、
理想を信じないものに信じさせるもの、
現実を直視しないものに直視させるもの、
そうしたものが、この世界の悪を善に変え、
滅びた世界を復活させ、
この世界を救うことができるのである。

プラスにプラスをかけてもプラスになる

しかしながら、単純に考えると、
むしろ、プラスにプラスをかけてもプラスになる。
すなわち、
愛するものに愛することを続けさせるもの、
助けるものがもっと助けるようにするもの、
信じるものに信じさせるもの、
自由をより与えるもの、
平等をより与えるもの、
理想をより信じるもの、
現実をより直視するものは善である。
しかしながら、プラスにマイナスをかけると、マイナスになる。
よって、愛するものが愛することをやめさせるもの、
助けるものに助けさせないもの、
信じるものに疑いを与えるもの、
自由を奪うもの、
平等を奪うもの、
理想を信じない世界にするもの、
現実を見なくなるものなどは、
全て悪である。
そして、最後に、マイナスにプラスをかけてもマイナスになる。
よって、愛さないことを続けるもの、
助けないままのもの、
より信じないもの、
自由を誰にも与えようとしないままのもの、
平等を誰にも与えようとしないままのもの、
理想をいつまでも信じようとしないもの、
現実を直視することを拒み続けるものは、
全て悪である。

どこに行くべきかあいまいな方が楽しい旅は続く

以前、まっすぐに自分の進むべき道を進めと、
間違えたならば修正せよと、
そのように書いたが、
むしろ、チュールが言うと、まったくそれは間違いである。
なぜなら、楽しい旅は、楽しい時間が長い方がいいからである。
目的は、目的地に進むことだけじゃない。
旅を楽しむこと、それも目的である。
それなら、「途中経過を楽しめないものが旅をする意味があるだろうか」。
そんなことは、タクシーにやらせておけばいいのであり、
ゆっくり、あいまいに、どうでもいい方向に進み続けた方が、
旅は楽しい。
時間も長く続くし、いろんな場所を知ることができて、楽しい。
そう、そのように考えることも必要だ。
チュールは言う。
「全てが正解が正しいわけじゃない。」
嘘や偽り、間違いだって、何らかの価値があるかもしれないのだ。

正義など意味がない

チュールは言う。
「そもそも、正義のために戦うことなど意味がない。
国を守る必要は、確かにあるだろう。
しかしながら、自分が国を守る兵士になる必要はない。
勝手に軍隊が死ねばいいような発言かもしれないが、
義のために死ぬことだけが人間の目的ではない。
そんなことは、戦いたい人間にやらせておけばいい。
全員が信仰に生きる必要が無いのと同様、
全員が義のために生きる必要もない。
それが分かってしまえば、
むしろ、社会の一般的大衆と同じように生きる必要もない。
辛いことすべてを、みんなと同じように攻略するよりも、
別の視点から切り込んだ方が、面白い人生が生きられるだろう。
この世界における愛がなんであるかを知ったからといって、
それで終わりではない。
自分なりに切り込んでいけば、
いくらでも伸びしろは開けていく。
あなたは、あなたらしく生きればいい。
わたしはそれだけを言って、次の神に移ろう。
わたしは大したことのない神である。
剣の達人と言っているのは、わたしは剣道部だったからだ。」