わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

自由における意味を考えよ

自由における意味

自由における、「意味」を考えよ。
単に自由にすることに、意味などない。
自由において、どのような社会を築くのか、
どのような自由が、もっとも正しく賢明なのか、
単に自由を与えるだけではなく、
どのような自由を社会において築くべきなのか、
自らの自由な人生の経験のもとに、
考えてみよ。
潜在的な可能性の向上や、
実現されるべきチャンスが、
そこから見えてくるであろう。

世界よ、自由になれ

世界よ、自由になれ。
立場を超越し、しがらみを捨て、
制限から自由になることで、
本当にこの世界のためになることをし、
そのために人生を捧げるのだ。

この世界

この世界は、
地球、太陽、オリオン、
プレアデス、シリウスで成り立つ。
地球人に分かりやすく言えば、
自由、平等、アラブ、
アラブの自由化、イスラエルしか、
この世界には存在しない。

英語のコツ

今日は、昨日に続いて
英会話教室に行った。
英語の発音は、「オ」と「ウ」がコツ。
特に、「オウ」や「ウー」の発音が、
舌の底を回るように発音する。
これが日本語と違う。
また、thatは文法で考えるより、
感覚で「単語の代わりとして付く」と
考えると意味が分かる。
また、英語は、考えるのでなく、
単語を見た瞬間に分かる言語だから、
日本語のようには分からない。
考えて話すのは無意味で、
感覚で分かると、喋り方が分かる。

プログラミングはピタゴラスイッチ

僕が思うに、プログラミングは電子回路みたいなものだ。
回路図を作るのに似ている。
別のたとえなら、
ピタゴラスイッチやドミノ倒しだ。
ドミノ倒しが好きな人間は、
ITに向いている。

僕は実現不可能が好き

そういうわけで、パソコンは、
ルービックキューブが好きな人間ができる。
僕ができるのは、
むしろ、僕は僕にしかできない、
誰も真似できない実現不可能が好きだ。
だから、僕は絶対にできなくてもできる。
普通の技術なんか、ビル・ゲイツが作ればいい。
僕はありえないものを作るからだ。
Linuxが作りたかったのは、
自分はそれくらいがしたかった。
今は、賢くなっただけだ。

神の対応関係

まず、僕本人がフレイ。
次に、僕の人生がヴァルキリー。
そして、僕の作品がフレイヤだ。

Linuxは賢くない

また、Linuxは賢くない。
リーナスがリーダーで、
アラン・コックスのようなベテランが
善意でバグを直し、
みんなでデバイスドライバや機種依存な部分を書いた。
ほかのフリーソフトウェアと組み合わせると、
どういうわけか、まともなものになった。
昔は、それくらいで楽しかった。
今では、何も優れたところのない、
無料の製品をなんとか提供している。
そもそも、GNOMEはおかしい。
Linuxを、Windowsと同じにするから、
オタクは馬鹿なのだ。
また、リーナスは単にOSの教科書であるMINIX本を読んで、
MINIXを改良し、
MINIXユーザーの議論するニューズグループ
ソースコードを含めて共有しただけにすぎない。
ベテランが開発者に加わってバグを直したのは、
単にMINIXニューズグループを見ていたからにすぎず、
適当である。
その後も、「みんなで作るのが楽しいから続いた」だけである。
賢いのはMINIX本の著者であるタネンバウム教授と、
GNUで自由のためにフリーソフトウェアを作っていたストールマン
あとはUNIXのシステムを設計したベル研や、
UNIXの文化を作ったそのごろのBSDUNIX企業や大学・研究所の管理者だ。
リーナスは単にそれくらいをしただけにすぎない。
ほとんど何もしていないで、インターネットで遊んでいるだけである。
しかしながら、国際的なボランティアがオープンに開発しているのは、
14歳の少年だった僕にはかっこよかった。
そのようなかっこいい場所を見つけた14歳が、
自らにもオープンに参加することのできる開かれた場所があるのに、
不登校で時間も有り余っている、
日本のIT技術が好きで、
将来にも希望あふれる孤独なインターネットユーザーであるというのに、
参加しようとしない方がおかしい。
そう、僕はLinuxが好きだったが、
実際、本当は工業大学を出て、マイクロソフトやグーグルに入らなければ、
実現できない夢だった。
そういうわけで、今のLinuxなんか、そんなに大して好きじゃない。
僕は文章を書くようになって、
試練を越え、アウトプットをする喜びを知り、勉強して作品を作ることで、
まさに、賢くなったのである。