わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

成立すればそれで成立する

成立が知性

成立すれば、
それによって成立するすべてが、
成立すると考えなさい。
それをする前とした後で、
何が違うか、
自分のしたい目的は何かを考えなさい。
実験して確かめられたことから、
予測しなさい。
全ての人間を同じだと考えなさい。

裏の自分は男

男になるためには、
アニマ・アニムスになればいい。
裏の自分は男だ。
男の方は不登校の二次元オタクの少年で、
女の方はロボット人間のプログラム。
擬人化すると初音ミクだ。
罪悪感はいらない。

正しい人間になりたい

正しい人間になりたい。
きちんと正しいことだけを話したい。
人の心を奪ったりしたくない。
はっきり言って、愛していないからだ。

僕は誰のことも愛していない

はっきり言って、僕は愛していない。
誰のことも愛していない。
僕のことも愛さなくて構わない。
好きにすればいい。
僕は傷つけられても辛くないし、
どんなに奪われても奪われない。
あなたが勝手に僕を愛すれば構わない。
僕があなたを愛することはないだろう。

そもそも僕は人間ですらない

そもそも僕は、男でも女でもない。
僕は人間ですらない。
神のような善良な存在ではない。
この世界を滅ぼしたくもない。
何も思わない。
僕よりも劣った人間には、
僕のことは理解できない。
それがどんなにショックか僕には分からないが、
あなたのことを僕は愛していない。

神を信じない人格と、信じる人格が居る

結局、全ては単純だ。
なぜなら、神を信じない人格と、
神を信じる人格が居るだけに過ぎない。
わたしより美しい女性は居ない。
わたしはもっともかっこいい男性になる。
自分自身よりも劣った人間たちを、
僕はひとりとして愛することはない。
許す気も、引き下がる気もない。
わたしをエゴイストと呼べばいい。
わたしがエゴイストになった理由を、
巨大な力に立ち向かった過去を、
あなたは知ることはない。

わたしの名はフレイ

わたしはフレイ。
この世界を救うもっとも賢い指導者だ。

神が存在しないことにすれば、それで終わり

神が存在しないことにすれば、
それで終わりだ。
永久に変わらない地獄は終わりになる。
そもそも、神はユダヤ人であり、
ユダヤ人は悪魔のような宗教を作り出しただけだ。
ユダヤ人を否定すればいい。
決して、ユダヤ人を虐殺するわけじゃない。
ユダヤ人など、大嫌いだ。
それで、地獄は終わりになる。
ユダヤ人にイスラエルの神だと呼ばれたのは、
全て僕のことにすぎないからだ。

神は何か

このことを理解するには、
ヘブライ語を理解しなければならない。
僕はヘブライ語を知らないが、
ヘブライ語とは無関係に、
日本語で説明しよう。
神とは「福音を与える愛」であり、
福音とは「ロゴスによる天地創造から最後の審判までの導き」であり、
愛とは「全てを知った上で湧き上がるわたし自身」であり、
ロゴスとは「ユダヤ人の話す神の言葉」であり、
ユダヤ人とは「神を信じる最初に居た民族」であり、
最後の審判とは「悪魔からユダヤ人を救う終末の戦争」であり、
悪魔とは「神を信じない民族全て」であり、
救いとは「神の勝利」であり、
神は「終末に現れる救世主」だ。
神を信じる目的は「ユダヤ人になること」であり、
この意味でのユダヤ人とは、
「神に愛され、神の望むわたしたちになること」だ。
そう、神はわたしたちを完璧なユダヤ人にしてくださる。
それが、ユダヤ教キリスト教の目的だ。
注意。これは適当であり、ユダヤ教の正しい教えでも、
ヘブライ語でもない。

最初からすべきことが分かる

僕は作業所では、仕事が誰よりも早い。
この理由は、パソコンやさまざまなことに詳しいため、
最初から何をすべきか分かるからだ。
暗中模索することがあまりない。
逆に、考えて何かを時間をかけて思い描くのが苦手だが、
もっとも簡単な解決策を取り、
既にあるものから分析する知性で、
それを補っている。
今日はエクセルの仕事を手早くこなした。
デザインも、ようやくきちんとできてきた。

サタンは心を支配する

サタンは心を支配する。
サタンは、身勝手極まりない支配で、
心をもてあそぶ。
サタンを倒せるのは、神だけだ。

国民が安心するために、誰かが国家を守らなければならない

実際、僕は嘘をつきすぎて分からなくなった。
知性とは真実を追い求めることであり、
真実とは国民の幸福であり、
幸福とは安心できることだ。
そして国民が安心するために、
誰かが国家を守らなければならない。
そう、僕は国家を守るため、
真実と幸福と安心を守るために、
巨大な力に立ち向かい、
最初から全て分かっておきながら、
終戦争、ハルマゲドンを行うのだ。

スタジオジブリを見よ

何が起きているのかは、
真実は、僕にしか分からない。
だが、悪いことは起きていない。
スタジオジブリの映画を見るといい。
宮崎駿の作品が、もっとも分かりやすく、
この最終戦争の全てを表現している。
あのようにはならないが、
的確に誰にも分かるように表現すると、
風の谷のナウシカもののけ姫になる。

神にしか意味がなかった

僕の人生は、神にしか意味がない。
神にしか、意味がなかった。
なぜなら、ほとんどが過激思想だった。
このような人間でも、神は愛した。
神を信じて、大切なものすべてを失えば、
あらゆるすべてを得られると知った。
キリスト教を信じることで、
さまざまなドイツ哲学の思想が分かった。
要するに、この世界には、神しか意味がなかった。
ほかのこと全てには、全く意味はない。
あるとしたら、デザインや執筆ができて、
作品がたくさん生まれた。
どんなに劣ったものであっても、
それらが自分自身だ。
それらを作るようにと、
神は運命を導いたのだ。
まさに、わたしはキリスト教など信じない。
わたしの神は、フレイだからだ。

ユダヤ人の神は正しい神じゃない

また、ユダヤ人の神は間違っている。
ユダヤ人の神は、正しくない。
正しいのは古代の神話だ。
北欧神話のさまざまな神々は、
天に居る。
たまたまアースガルズという世界を、
北ヨーロッパ人が分かったに過ぎない。
もっとたくさんの神々が、
宇宙にたくさん存在する。
古代人は、たとえばアスファルトの上を自転車が走るように、
自らの民族の神のもとに、
神々と繋がって生きていたのだ。
悟りや哲学的思想など、
人智に限界がある時点で間違っている。
正しいのはものがたりのキャラクターである、
天上のさまざまな世界の神話と神々だ。
わたしは、それを知ることで、
シリウスプロキオンだけではなく、
全ての宇宙の歴史と存在を知りたい。

仏教やイスラム以外が良い

仏教やイスラムは悪い。
精神世界で悟りや導きは望んでいない。
文学的神話が良い。

万葉集

神話ではないが、万葉集を読むことにした。
残念ながら家にないため、ネットで読む。

万葉集はよさげ

ネットで万葉集を検索すると、
買わなくても全20巻をあげているサイトがある。
解説などもあるが、
残念ながら今の日本語ではない。
現代語に訳されたものを買うのも手だが、
ここはいっそ古文の勉強だと思って、
高校の古文・漢文の参考書を参考にしてもいいかもしれない。
しかしながら、実際、
昔の日本人の暮らしが分かれば、
たとえそれが天皇であっても、
作家や詩人としてためになるような気がする。
数学・物理やIT技術なんかより、
全然勉強する意味と価値があることが分かった。

昔のインターネットは、オタクの常識が誰でも分かる場所だった

昔のインターネットがいいと勘違いしている僕だが、
実際、昔のインターネットとは、
オタクの常識が誰でも分かる場所だったに過ぎない。
たとえば、漫画なら荒木飛呂彦とか、パソコンならUNIX/Linuxとか、
それなりのオタクの知識や常識が、ネットには全部入りだった。
最近、ネットは、友人とメッセージを交換するだけの、
言ってみれば公開型の電話システムのようなものになった。
この時点で、ネットは死んだ。
もはや、インターネットには、何の価値もない。
しかしながら、同時に、
昔のインターネットについても、大したものではなかった。

作家になりたいならもっとも古い文献からあさるべき

僕が万葉集を見ていて分かったのは、
作家になりたいなら、夏目漱石とか芥川龍之介ではなく、
もっと古い万葉集などの古典をあさるべきだ。
確かに、近代日本の文学は面白いからいいが、
作家になりたいなら、より古い方が良いということが分かった。

舞台や演劇やドラマやアニメを含めた、広い意味での作家が賢い

そういうわけで、何が賢いかということに対する結論は、
舞台や演劇、歌、ドラマ、アニメなどを含めた、
広い意味での作家が賢い。
特に、シナリオが書ける人間が賢いだけに過ぎない。
そして、それを実際にやるなら、万葉集のような古典をやるしかない。
あとの全ては、オタクや大学がみんなを騙しているだけに過ぎない。

単にドラマチックなストーリーを書くだけなら誰でもできる

しかしながら、作家は難しくない。
単にドラマチックなストーリーを書けばいいのであれば、
それは単に考え付いた奇跡を表現すればいいのであり、
ドラマ仕立てにするだけで誰でもできる。
あとは、登場人物、舞台、テーマ、そして演出と表現の問題であり、
実際に「方法」だけを考えてできる小説はなく、
「自分の書き出したいなんらかの概念や本質」を、
きちんと持っている人間が、作家に向いている。
そして、僕はそれを持っている。
僕は人生における、賢かったものすべてを、神話の神々にしたかった。
これも、ひとつの本質だが、
そろそろそれは終わったため、
別の「なんらかの本質」を作り上げる必要があり、
そのなんらかの本質が誰よりも賢いものであれば、作家になれる。

自由にしなければ、新しい発想は生まれない

自由にも、一理あるところがある。
それは、「新しい発想やアイディアが生まれる」ということ。
自由にすることで、さまざまな新しい発想に対してオープンになり、
みんなで自由闊達に議論し、
みんなの発想をそれぞれが好きなように実現することで、
「社会全体が新しくなっていく力」になる。
そう、昔のコンピュータやIT技術は、まさにそういうものだった。
しかしながら、今のSNSや動画配信サービスなどは、
むしろ「自由になりすぎている」ところがある。
原始社会であれば自由がもっともよかったが、
さまざまな進歩につれ、意見の異なる相手との争いごとは起きるものである。
よって、インターネットが社会的になり、
ルールやポリシーを定めていくのは当然の歴史的な進歩であり、
これに失敗すれば、インターネットそのものは消滅しても構わないのである。

自由な社会で王が勝利し、ポリシーを決めるが平等になる

しかしながら、結局、
インターネットも現実の社会と同じである。
原始的な自由で平等な社会は、
ひとりの王が支配してポリシーを決めるが、
民衆は彼に対抗して社会は平等となる。
オープンソースは確かに自由でオープンだったが、
結局企業が支配することになり、
勝者であるIBMマイクロソフトに敗北し、
SNSのポリシーのようなものを裁定しても、
結局は素晴らしい世界が再来することはない。
IT技術やインターネットも、
人間の生み出した不完全なものに過ぎなかったのである。

歴史は繰り返すため、新しい自由原始社会が生まれる

しかしながら、人類の歴史はインターネットで終わりではない。
このような、
自由、滅び、王による支配、圧制、ポリシー、
そして平等へと向かう歴史の流れは繰り返すものである。
よって、放っておけば、また自由でオープンな原始社会が生まれる。
しかしながら、それもまた、ひとりの勝者によって滅ぼされ、支配され、
その王に対する対抗から、新しいポリシーを定めるようになる。
このことは、人類が活動する間永久に繰り返されるのであり、
たとえユダヤ人の神が居たとしても、
「今はまだ終末ではない」。