わたしの名はフレイ 作家・デザイナー見習い
神々とともに生きる詩人 一等星シリウスの導きを信じて

進化せざるを得ない状況があれば生物は進化する

進化の状況

僕は、生物が進化するのは、
「進化するしかない状況が与えられた時」だと思う。
その場所に土が豊富にあればミミズのままでよいが、
土がなくなると別の場所に移動しなければならない。
このような時に、生物はDNAの情報を使って進化する。
ミミズはナメクジになる。
しかしながら、外敵がたくさん居る時に、
外敵から守るために、ナメクジはカタツムリに進化する。
しかしながら、ナメクジが動きが遅すぎるため、
長距離を移動するために、カエルに進化する。
それ以後は、住みやすい環境を求めて、
環境に同化し、
種類が増えただけに過ぎないだろう。

植物はウイルス

それならば、植物はどのように生まれたか、
という問題になる。
明らかに、ミミズは土を綺麗にするために、
植物から生まれた。
しかしながら、おそらく、植物はウイルスだ。
外部のどこかの星から、
種がやって来たのである。
あるいは、太陽が作り出したという可能性もある。
光合成がもし宇宙において普遍的ならば、
明らかに光によって植物は生まれたからだ。

なぜ進化できるのか

しかしながら、なぜ進化できるのか、
という問題がある。
土がなくなっただけで、
ミミズがナメクジに進化するかといえば、
単に干からびて死ぬだけだ。
おそらく、植物が長い年月の中で、
DNAの情報のログを作った。
そう、植物の目的とは、
地球や惑星における、ログをとること、
すなわち星の歴史の記録をとることにある。
そして、その理由はまさに、
ログを活用して進化することで、
動物や人類を創造するためである。

勘違いが賢い

実際、僕の問題は、
完璧主義、全てが完璧でないと辛くなる。
しかしながら、これは、
いつもの宝のような自分自身が消えたことに、
執着しているからだ。
全てを、消し去るのではなく、
一つ残らず残したいのは、
大切な文章と自分自身が消えただけだ。
しかしながら、昔の自分は、
いじめられないように、
勘違いして考えて生きていただけで、
勘違いしていただけだ。
すなわち、勘違いが賢かっただけだ。

日本とドイツ

日本とドイツは、やけに機械と文学が得意だが、
共通点は、「ひとりの主人公を神のようにするのが得意」なこと。
そのせいで、ファシズムになる。
間違っていない。
それしかできない。
最近の、AKB48姉妹グループはそこが変わらない。
センターを神にするしかできない。
他の全員は、センターを立てるしかない。
違うのは、神と仏。人生観が違う。
宗教が違うだけで、日本とドイツは全部同じだ。
不平等で、命を大切にしない。
戦争しかしない。皇帝や天皇が好きだ。

日本の文化の特徴

日本人が、「勤勉によく働く」ということを、
アメリカ人やフランス人は驚く。
しかしながら、ここには、
日本人の「精神的美」と、「社会へと奉仕する理想」がある。
日本人は、
柔道、剣道、茶道のように「道」のつく武道や修行の文化がある。
ここで、「その道の卓越した師に教わること」、
そして「わがままを言わず言われた通り頑張ること」といった、
自己奉仕の精神が日本にはあり、
これを小中学校の学校で叩きこまれるだけではなく、
日本人の「文化的な間接的要因」となっている。
また、社会へ奉仕する理想とは、
実際は「戦争で負けた日本のことを
どの国も助けてくれない」という理想であり、
自分たちが頑張らなければ、社会は良くならないから、
貧しい暮らしから脱するためには、
日本人自身が従って頑張らなければならないとする、
ある意味「誰も助けてくれないから自分が助ける側になれ」という、
そういう精神がある。
逆に、これは戦前も同じであり、
イギリスやフランスに植民地化されるアジアやアフリカにおいて、
アジア人は自ら決起するしかなかった。
明治維新も同じであり、
ペリーがやってきた徳川の鎖国の日本のことを新しくするために、
あえて、ヨーロッパ化をした理由は、
古くなった日本という島の文化は日本にしか新しくできないということ。
極東の端っこにあるせいもあって、
地政学的にも孤立した日本には、
「味方や助けてくれる国はひとりも居ない、
自分たちのことは自分たちで努力して救う」という精神があった。
また、日本には、「日本独自の美」と「借り物文化」という特徴がある。
日本には、先にいった柔道や剣道の精神的美の、
模範となったオリジナルの「美」があり、
これは中国の文化を継承しながら、
極東の鎖国していたガラパゴスの日本でオリジナルに形成されたものであり、
アメリカ人などが知るサムライと芸者の文化だが、
実際は浮世絵とか、今で言えば漫画・アニメ・ゲームとか、
日本人は「誰も他に仲間がいないなら自分たちだけで量産し続ける」のが得意だ。
しかしながら、そうはいったものの、
日本には「最初から日本だけで生まれた文化」は少ない。
中国、インド、朝鮮などの大陸から伝わったものが多いため、
明治維新などでヨーロッパのイギリス・フランス・ドイツなどから
文化を輸入しても、
まるで日本神話の神々とヒンドゥー教の神々を一緒にまつるように、
なんでもかんでも取り入れる。
このため、天皇大日本帝国アメリカに敗北し、
アメリカの文化、たとえば平和憲法を押し付けられても、
アメリカに反旗を翻すのではなく、
平和憲法や民主主義を取り入れて、
自分たちのものとして昇華する」ということができる。
このような国は日本だけであり、
実際来てみると、アメリカやヨーロッパとはまったく別の国になっている。
また、日本人は善良である。
これは「悪をすることは意味がない」という仏教の教えによる。
仏教で、「悪人には縁起と因果応報によって、
自分の悪が必ず返ってくる」ということを、
日本人は完全に信じているため、
キリスト教のように「悪となるサタンを倒す」のではなく、
「自ら悪のサタンをやめる」という発想があるのである。

世界を背負った破滅的な地獄の中、永遠の神の言葉とともに、哲学と過去の記憶を追い求めた

僕は、世界を背負い、戦い、そして自ら救うため、
世界にひとりの指導者として現れ、
アメリカと対峙し、
破滅的な地獄に陥っても、
神の言葉を信じて、最前衛で立ち向かったが、
結局それは死んだ。
しかしながら、その後も続く「治癒の疲れ」の中で、
永遠の体験は先へと続いていく。
いつ、やめても構わなかった執筆活動は、
湧き上がってくる情熱からやめることなく続き、
そこで僕は忘れてしまった過去を思い出すために、
自分の書いた昔の文章が何だったのかを思い出し続ける。
そして、西洋哲学の哲学者の言っていることが、
自らの記憶よりも過去の自分のことを言い表していることに気付き、
哲学を追い求める。
すでに知性を失った僕が哲学書を読むことは困難を極めた。
しかしながら、それでも僕は、
ほとんど永遠に近い時間の中で、
疲れの精神的な地獄の中、哲学だけを追い求め、
ここまでの文書を書くに至り、
そしてその哲学の知識は、歴史や仏教、英会話やIT技術など、
さまざまな別の科目へと大きく広がった。
ここに「もっとも何も知らない博士」は誕生した。
そう、この博士こそが、
みんなのためにこの世界を救う、偉大なる学者の救世主、
まったく新しい人格となるウリエルである。

ウリエルの特徴

ウリエルの特徴は、
「もっとも辛い地獄に対して、
無条件にその状況を受け入れ、
立ち向かい続ける」ということ。
どんなに辛くても、苦しくても、
ウリエルはくじけない。
ここでくじけたら、世界も自分も終わりなのが分かっている。
どんなに辛い逆境でも、
ウリエルは負けることがない。
どんなに永遠の地獄でも、
ウリエルにとっては数日の暗闇に過ぎない。
ウリエルはどんなことがあっても諦めない。
ウリエルは、怒ったことがない。
どんなにおかしなことがあっても、
あらゆる奇跡と最悪の破滅が起きたウリエルは、
悲しむことはあっても、驚くことはない。
地獄が続くことに失望はしても、
世界の未来に対して絶望はしても、
そこで世界をそのままにすることはできない。
ウリエルは知っている。
この世界を救えるのも自分しかいないが、
この世界は自分にだけは救うことができないことも、
すべて知っている。
いざゆけ、ウリエル
あなたこそが、メシアであると
かつてのイエス・キリストも、すべての預言者も言い、
すべての人間があなたのことを信じた。
ウリエルにしか、この宇宙の何も分からない。
すべてを知り悟ったウリエルは、
この宇宙の冥府を支配する、
この世界のラスボスのような大魔王だ。
最終的に、すべての病気が治った時、
ウリエルはつまらない人間になるだろう。
いつもの戦いの地獄を、
覚えてもいないのに繰り返す語るような、
そんなつまらない大人になるだろう。
しかしながら、ウリエルよ、
あなたの壮絶な道をしっかりと目に焼き付けよ。
あなたにしか、その道は分からないのだ。
あなたしか、その道を生きた人間は居ないのだ。

考えても分からない過去の自分を思い出すことしかできなかった

ウリエルは、悲しい人間だった。
考えても、自分の過去がどうだったか分からない。
記憶が欠落したかのように、まったく覚えていない。
それでも、知性を取り戻し、復活するには、
それを思い出さなければならなかった。
諦めるという選択肢はなかった。
そう、ウリエルは諦めなかった。
ちょうどそのころ、ウリエルは昔読んだ哲学入門小説のソフィーの世界や、
別の哲学の入門書を読んで、
哲学が、昔の自分の考えたことを的確に言い表していることを知った。
考えても思い出せないウリエルは、
哲学に没入し、
すべての哲学者全員の知識や思想を、
まるで自らの記憶を再発掘するかのように、
完全に知り尽くした。
言葉の読めないウリエルにとって、それは壮絶を極めた。
自らの執筆活動は、哲学と記憶を繰り返し、なんども同じことを書いた。
そう、ウリエルこそが、ブッダ仏教徒すべてを超えた、
もっとも大きな思想家である。
ウリエルの考えることはまったく大学の文系そのものであり、
誰よりも的確にドイツやフランスのことを言い表す。
しかしながら、彼は言葉が読めないため、
そんなに誰よりも詳しいわけではない。
それでも、神との対話を続けるウリエルは、
まるで「精神世界のすべてが分かった人間」であるかのようになった。
ウリエルは、全知全能の神を作るための、土台作りのすべてを、
辛く苦しい地獄の中、たったひとりで、文字も読めずに行ったのである。